私の自己探求

■21世紀! “音楽脳”は 世界に繋がり 世界を救う!
■めぐる呼吸! めぐる響き! めぐるパワー! 〜音楽(愛)を心から心へ〜

私の自己探究

精神的にも肉体的にもどん底にまで落ち込んだ時に、まるで何かに導かれるように、某本屋で見つけた一冊の本「ジョセフ・マーフィー:人生に奇跡を起こす」との出会いが 私の自己探究 のはじまりです。それ以後、自己啓発セミナーやヨーガ講習等の受講やアシスタントの他、シュルツの自律訓練法、森田療法、リラクゼーション、イメージコントロール、メディテーション・・・これらを潜在能力開発に結びつけて、今では音楽と共に、私のライフワーク「楽ステージ(潜在能力開発と音楽のプロデュース)」になっています。これから「私のピアノ奏法(本能的ピアノ奏法)」にも関連させながら少しずつ書いていこうと思います。是非 お読み下さい。


◆マーフィーの潜在意識の法則

◆シュルツの自律訓練法

◆ヨーガ

◆森田療法

◆森田療法と美

◆イメージ・コントロール法

◆日本人の心相の理想像


参考文献:成功哲学:ジョセフ・マーフィー博士のマーフィー理論。佐保田鶴治著「ヨーガのすすめ」。岩井寛著「森田療法」。長谷川和夫・岩井寛著「森田式生活術」。宇佐晋一・木下勇作著「とらわれからの解脱」。保坂栄之助著「魅力的にいきる」。飯塚毅著「自己探究」・・・他。


マーフィーの潜在意識の法則

良いことを思えばよいことがおきる、悪いことを思えば悪いことがおきる・・・これがマーフィーの潜在意識の法則です。つまり潜在意識にはその人が考えることや想像することを現実にする力がある・・・言い換えれば「自分の人生は自分の思い描いた通りになる」ということです(私はすぐに子供の頃に読んだ“アラジンと魔法のランプ”を思い出しました)。しかもその方法は簡単明瞭・・・信じる人こそ救われる・・・ただこの法則を信じることだけなのです。

1.潜在意識とは何か・・・ 

潜在意識を顕在意識との関係で説明するとよく分かります。
潜在意識と顕在意識は海に浮かんだ氷山にたとえることができます。水面にでている部分が顕在意識、水面下にかくれている部分が潜在意識です。 潜在意識の占める部分の方が圧倒的に大きく、しかもその部分は当の本人にもはっきり自覚出来ないものなのです(人間のこころとよく似ています。こころは科学的にここにあると指摘することはできませんが、誰もないとは思いません)。
潜在意識は顕在意識の命令どおりに忠実に働いてくれる“ランプの精”なのです。
つまり、日々最善を期待し、正しい思考と行動をしていれば、誰でも幸福になれるというわけですネ。
※私は「真理はこれだ!・・・これでこそ人間は平等だ!・・・潜在意識は神である!!」と確信しました。

2.潜在意識活用の6つの原則  

 @絶対に恥ずかしがらないこと。  
 A言葉は肯定的にすること。  
 B常に現在進行形で語ること。  
 Cよい想像をすること。  
 D繰り返すこと。  
 E一人称で語りかけること。
   ※例=私は日毎にあらゆる面で良くなっている。  

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自律訓練法とはドイツの精神医学者シュルツ教授によってつくられた、緊張緩和のための心理・生理的療法です。催眠のエッセンスを抽出し、それを科学的に再構成して練習を段階的に組み立て、誰でも迷うことなく始められるようにしたものです。しかも、臨床的、経験的なものから生み出されているので、実際にすぐに役立ちます。

1.安静練習 公式言語・・・「気持ちが落ち着いている」と心の中で繰り返す。
早く気持ちを落ち着かせようとしないで、あるがままを受け入れる受動的態度が大切。

2.四肢重感練習
公式言語・・・「両腕両脚が重たい」
利き腕の練習からはじめ、公式言語をゆっくり繰り返しながら指先から肩の付け根まで意識を向けます。続いてもう片方の腕、そして脚もおなじ要領でおこないます。

3.四肢温感練習
公式言語・・・「両腕両脚が温かい」
重感練習が習得できたら、次は温感練習に入ります。2(四肢重感練習)とおなじく方法でおこないます。

上述した1.2.3のマスターが特に大切です。後は下記のように応用していきます。

4.呼吸調整練習
公式言語・・・「楽に呼吸をしている」

5.腹部温感練習
公式言語・・・「お腹が温かい」

6.額部涼感練習
公式言語・・・「額が気持ちよく涼しい」

※私は自律訓練法を、心身の健康のみならず創造性開発、演奏法にも応用して成果を得ています。
 

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ヨーガとは

「街角をさっそうと歩行する健康な若者の姿ほど美しいものはない。腹は引き締まって胸は高くあがり、足は細くまっすぐに伸びている。血色がよくて、皮膚につやがあり、目は明るくさえて、はりがある・・・中年以降になって、この美しさに落ち着きや威厳を備えている人間というイメージはしょせん実現できない夢でしかないのだろうか? いな、とわたしは断言する。そういう人間像を実現する方法は少なくとも1つある。それはヨーガである。カラダとココロの両面から築き上げてゆくヨーガは完全な健康法という名に値する。」・・・ベースボール・マガジン社出版、佐保田鶴治著「ヨーガのすすめ」より

私は15年ほど前に、日本ヨーガ禅道友会関連教室で約3年間の手ほどきを受け、天台真宗総本山西教寺で開催された夏期特別研修会等にも参加し、深い感銘を受けました。 現在も
佐保田先生のお言葉を信じ、ヨーガ禅の四原則を守りながら毎朝基本体位をおこなっています。
※私も、最近は 若くなった・青年とお話しているようだ・パワーがある・すっきりしてきた・スタイルが良い・心がある・何でもお見通し・いつまでもお話を聞いていたい・・・と言っていただくことが多々あります。演奏に関しても同じことが・・・佐保田先生のお言葉はどうやら本当のようです。


 〜ヨーガ禅の四原則〜

1.ゆるやかな動作で行う
2.意識を体の一部に集中させる
3. 呼吸と一致させる
4. 緊張と弛緩を交代させる



佐保田先生のお言葉

ヨーガを毎日10分間ずつやってごらんなさい。そうすればあなたは長く健康と若さを保つことができるでしょう。

ヨーガを毎日20分間ずつやってごらんなさい。そうすればあなたは温和な、しかし強い性格の持ち主になることができるでしょう。

ヨーガを毎日30分間ずつやってごらんなさい。そうすればあなたは明快な判断と鋭敏な直感に恵まれるでしょう。

もしもヨーガに毎日1時間も使えるようならば、あなたは四次元の世界を超えることさえできるでしょう。

あなたは自分のことばかり考えてはいけません。あなたは自分と同じ苦しみをもつひとを助けるために、自分を実験台にするつもりで、ヨーガをおやりなさい。  

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森田療法とは・・・

現代ではこころの不健康に陥る人(他人の視線に怯える対人恐怖症。強迫観念や不安発作、不眠など、心身の不快や適応困難に悩む人)は、驚くほど多くいます。
多少の誇張がゆるされるなら、「一億総半病人」の時代といってもよいかもしれません。
こころに潜む不安や葛藤を“異物”として排除するのではなく、「あるがまま」に受け入れ、「目的本位」の行動をとることによって、すこやかな自己実現をめざす森田療法は、神経症からの解放のみならず、現代人のメンタル・ヘルスの実践法としても、有益なヒントを提供してくれます。


欲望の二面性

美に対して醜があり、自信に対して不安や葛藤があるといったように、人間には常に相反する志向性が内包されています。
人間の欲望には、時には美を求めることがあると同時に、醜に関心を抱くこともあり、善を求めると同時に、それと反対の悪に身を浸していたいと考えることもあります。
森田療法では、これを人間性の真実、あるいは事実と考えています。
したがって、人間性の事実を求めていくためには、内面に存在する一方の欲望を切り捨てて、他方の欲望にのっとっていくというわけにはいかず、そこに、森田療法の治療的中核である「あるがまま」の理念がうまれてくるのです。
つまり、自己実現欲求も、逃避欲求も、ともに人間性の一部なのですから、後者を“そのまま”にすることを「あるがまま」といっています。
「あるがまま」は、ただ単に自分の欲望にしたがって思いどおりに振る舞うということではなく、自己実現欲求を遂行するための手段であって、自己否定的な欲求を「あるがまま」にしておき、もう一方の自己実現欲求に従い、これを実践するときに、人間には進歩があるとしているのです。


「今」「ここ」に生きる

人間は、“苦悩存在”といわれるように、生きている以上、何らかの苦悩を引き受けながら生きなければならないものです。
また、病むことなく生きるということもあり得ず、刻一刻と老いていく道を歩んでいるのであり、そして死に至る存在です。
このような事実、あるいは現象から、人間が逃れ得ないとすれば、それをも「あるがまま」に受け入れるしかありません。
そうしたことを受け入れればこそ、「いま」「ここ」に生きていることが、より大切な時間・空間として我々の前に現前してくるのです。そのときに、我々は何らかの生きている意味を見つけ、人間として有意義な生き方をしようという「目的本位」の行動の重要さを自覚させられるのです。
ドストイェフスキーは、人間にはこのような汚い側面がある、このような苦しい側面がある、このような淫らな側面がある、このような残酷な側面がある、などというように、次々と人間の弱点を抉りながら、なおかつ否定しきれない崇高な、なのものかにぶつかっている芸術家であり、そこにこそ彼は神を見ようとしています。聖者が天啓を得て神を見るのよりも、もっと真実の神を見ているのです。これはひとえに、彼が自分の神経症体験を自己克服しつつ、それを創造性へと転化させているからです。

私は森田療法を、これまで自己表現法・ステージ恐怖症の克服に活用してまいりましたが、いまでは「私の生き方」になっています。  

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森田療法と美

世のなかには、虚像が事実より本物に見え、なまなましくて、しかも残酷なことがあります。神経質にひっかかった状態は、まさにそれであって、その人の主観による虚構の病気でありながら、本物の病気よりも苦しいのです。
森田療法とは、東洋の思想(禅)をとりいれた、日本を代表する素晴らしい精神療法です。私はこの思想に深く感銘を受け、それ以来、生きることが大変「楽」になりました。

私たちは、目を開けば、直ちに色と形を見ないわけにはいきません。それは、これからなにかを見ようとする意志のまえに、おのずからわきでる、視覚の作用の現れです。よく見るというのは、対象の方に向かって、詳細に見ることへの視覚の進展であって、見ることの作用には変わりはありません。
森田療法において「見ること」は、もっとも具体的な「生きる姿(あるがままの世界=悟り)」の実現なのです。

「芸術の自律性」
例えば、美術について“知ること”と“見ること”(感ずること)は、全く別の領域であるということです。だから、いくら美術の知識を積み重ねても、花が美しく見える訳ではないし、知識などによる人為的加工を加えることなく、ただ見ることの徹底によって、美は自らじかに成立してきます。すなはち、自分の心に何ら計らいをしないまま、絵画に吸い付けられるように、見るということです。このように、美と合一する体験的事実によって、自らも美を創造しているのです。
※私は上記の「見ること」を、「聴くこと」に置き換えて、「音楽」からも多くの気づきを得ています。  

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イメージ・コントロール法=科学的で、実践的な潜在能力開発法

基本原理・・・「良い出来事は良いイメージと、悪い出来事は悪いイメージと結びついているので、私達は、イメージをコントロールできれば思いどおりの人生を送ることができる」・・・
マーフィーの潜在意識の法則と同じく、極めて単純です。

「悲しいから泣く」のではなく、「泣くから悲しくなる」のである、というジェームズ・ランゲ説があります・・・例えば、はじめは ちょっとしたことであっても、泣いているうちに、次から次へと悲しいことが思い出され、悲しいことが山のように集まってよけいに悲しくなってきます。つまり、ひとつの行為を行うことによって、そのことに結びつく情報が、その行動を中心に集まってくる、ということです。

私たちの行動や考え方、そして心身の状態は、大脳の記憶装置の中にあるイメージ情報に左右されます。より水準の高い情報を集め、それを心の中にしっかりイメージすることによって、自然にその情報の水準に自分が高まっていきます。
 

★イメージ・コントロール法の手順(一例)

1. リラクセーションのイメージ

2. 過去のプラス・イメージ

3. 未来のプラス・イメージ

4. 問題解決のイメージ

5. 実行(日々の生活ということ)

この手順でイメージをコントロールし、日々の生活を送ることにより、自分の隠れた能力に気づくことができ、それを自分の意志で、活用することができるようになります。


次に、上記の手順を少し解説してみます。

1.リラクセーションのイメージについて
ゆったりくつろいだときの体験のイメージがリラクセーションをひき起こします。リラクセーションは、潜在能力の扉を開け放し、その力を使えるようにするための大切な第一歩 (車の運転に例えるならば、ニュートラルな状態)です。私は、シュルツの自律訓練法や瞑想法を応用しています。

2.過去のプラス・イメージについて
過去の成功体験は、潜在能力を発揮するときの条件をわたしたちに教えてくれるだけではなく、自信と勇気と活力を与えてくれます。

3.未来のプラス・イメージについて
はじめのうちは、はっきりしなくても「どうなりたいのか」「どうしたいのか」「何を手にしたいのか」考え、イメージしようと努力し続けると、だんだんはっきりとしてきます。未来のプラス・イメージを描き、行動することによって、人は必ずイメージしたとおりの人間になることができます。これは誰にも変えられない不変の真理なのです。

4.問題解決のイメージについて
未来のプラス・イメージを描いた後は、現在抱えている問題を解決するための「問題解決のイメージ」を描くことが大切です。そして、その問題から逃げてしまわず、正面から受け止め、その問題が解決しているイメージを思い描きます。そうすれば、これから自分が何をしなければならないかがはっきりしてきます。

5.実行(日々の生活ということ)
そうできなかったらどうしよう・・・という不安や恐れに負けてしまい、きちんとしたイメージを止めてしまわないために、問題意識を待って行動することが大切です。問題をすり替えてはいけません。その痛みを全身で受け止めること、そして、その痛みに耐えられる自分、その痛みをものともしない自分になろうと思い、耐えられる自分をイメージして、とにかく行動することです・・・鼓動は、不安や恐れを消し去ります。

※4.問題解決のイメージと、5.実行(日々の生活ということ)が、もっとも重要なキー・ポイントです。

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東洋精神に培われた日本人の心相の理想像とは・・・

 人の運命というものは、その人の心の在り方で決まってゆくように思います。
そのせいでしょうか、人類は古来から、自分の心に的を当てて、さまざまな探究をやってきました。
自分を探究するというのは、本来は、人生最大の問題であり、この問題の解決がなくては、所詮、碌な人生はないと考えてもよいでしょう。
自己探究に於ける、一番重要なことは、一体自分の本質は何なのだろうか、という点について徹底して詰めてみることだ、と思います。

 デカルトは「我れ思う、故に我れあり」といいました・・・つまり、私が何かを思っている。何らかの想念が、私の頭の中に在る、という状態のときに、私は実在しているのだ、としたのです。
そして、何も思っていないとき、そこには、私すらも存在しないのだ、と断じました・・・まさにその通りでしょう。   
しかし、デカルトの欠陥は、その思念中に何ものも無いとき、頭脳の中に何らの想念もないとき、そこに本来の私がいるのだ、とはいっていない点です。
 彼が「我れ思う」という場合の「我れ」とは、実はいわゆる「小我」でしかないのです。
感覚的に捉えられたわが五体の、而も思考中のわが五体のみを限定したのは、「我れ」の捉え方としては、なお一面観に止まるもの、といわねばなりません。
17世紀のヨーロッパに於いて、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スウェーデン等において傑出した思想家として活躍し、ヨーロッパ文明に多大の影響を残して去ったルネ・デカルト(1596−1650)の限界がここにあったといわねばなりません。

 江戸時代の日本に、至道無難禅師という凄い禅匠がいました。
彼は「殺せ殺せ、己を殺せ、殺し果てて、何も無きとき、人の師となれ」という和歌を残しました。
自分の意識を抹殺し蓋して、我が心中に、思念するものが微塵も無い、という状態のときに、そこに真の自分が、即ち、大我に生きる自分が顕在するのだ。
それが、人の師たるに値する、本当の自分なのだ、と彼はいってのけました。
 「白露のおのが姿はそのままに、もみじに置けば紅の玉」・・・自分を完全な透明人間にしてしまうと、ちょうど雨だれの露のようなもので、それをもみじの葉の上に置けば、自分が透明だから(つまり自我を滅却しているから)紅の玉のように真っ赤になってしまう。 しかし、真っ赤というのは、実は、もみじの葉の上に置いたからなので、真実は何も見えない、塵一つない透明な水の玉にすぎないのです。
禅では、この状態を、悟った人の状態だ、としているのです。

 人間の完成は、悟りを開くことをもって、ゴールとし、その悟りへの道は、瞑想の実践を絶対の要件とするのですが、その瞑想には多様性があります。
瞑想の実践に当たって心中に一点の塵も無いという状態に達することを初静慮といい、そこから更に、深い瞑想の方向を開拓してゆくことが重要なのです。
 こういう自我滅却は、宗教的生活者のみに要請される特質ではなく、あらゆる生活者にとって、最高の生きざまであります。
ここに「東洋精神に培われた日本人の心相の理想像」があります。
それはデカルト流の単純な自我観によってはつかみきれない「日本人の心層の理想像」なのです。
世界化を強く要請される、これからの日本人が、世界人類に訴えてゆかねばならぬ心の持ち方の原理が、ここにあったのです。


この洞察力体得への二つの要件

1.人生の万般はその本質が空である、ということを全身で徹底的に体験すること。
例えば、父母が生まれるその前の自分はどこにいたのか、どんな形相をしていたのか、を自問自答してみます(重大な点は、自分の命に、伝承されてきたこと)・・・とすれば、自分はどこかにいた筈です。
そう見えてくると、我々の本質(=本体)は、もはや形や相や色彩や臭いなどのない、全くの空(物理的な絶対真空ではない)であったことが分かるでしょう。
この空観が何回も何回も、瞑想して、全身で徹底して体験されると、必然的に自我の意識が雲散霧消してくる・・・自我が無くなるということは、心が常に大宇宙と一つになっている状態です。
心そのものが、形がありませんから、感覚としては、大宇宙が自分である、その「自分」さえもない、という状態が現れてくるのです。

2.二念を継がない訓練をすること。
私達は通常は意識の旅路の中で暮らしています・・・意識は次から次へと出て来て、意識の連続の中に住んでいます。
こういう状態が心にしみついてしまい発想のくせになってしまうのです。
人間は放っておくと、つまり、心の修練をやらないままにしておくと、発想法にくせがついてきて、それが固定化してきます。
これを避けるためにはどうするか。それは、ともすれば連続しそうな自分の意識について、決意して第二念を起こさない、つまり、最初に出てきた意識をそのままで消して連続させない工夫が要ります。
空の体験を身で徹底して味わうと、この二念を継がないということが苦もなくできるようになります。
この二念を継がないという自己訓練が出来るようになったら、もう一歩前進します。
それは初念さえも持たないという前進です。

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