入院の手記

はじめに・・・

 「9・11」テロ事件が日本の防衛にも大きな影響を与えている。今や最大の脅威はテロと大量破壊兵器の結びつきである。
北朝鮮の核問題をめぐる拉致事件、イラク問題関連事件・・・等、この脅威は日常生活の中にも入り込もうとしている。
私達は国に頼るだけではなく、防衛のあり方について、自分自身の「生き方」「自立」・・・等を振り返ることも含めて、見直すことが必要であるように思う。
 さて「生き方」といえば・・・警察官から僧侶に転身した珍しい人がいる。
殺人や強盗など凶悪犯罪を担当し、刑事時代から死は隣り合わせにあったらしいが、被害者の供養をするのも刑事の延長線上にあると思い始めたらしい。
「死は誰にでも平等にやってくるけれど、生きているうちに死を見極めておけば有意義に過ごせる」・・・仕事に対するやりがいや達成感は、凶悪犯の逮捕に心血を注いでいた頃に比べて、勝るとも劣らないらしい。
「いい死に方をするには、いい生き方をしないといけない」
 響太も、このたび突然「大腸癌」の告知をうけ、真剣に死について考え、これまでの「生き方」を再思考することによって、大切な「気づき」を得ることができた・・・ここに入院の手記として記すことにする。

※「人の役に立ちたい」・・・これが、人間の本能的な願望であることがよく分かりました。
音楽のよろこびも、演奏のよろこびも・・・HPで交流するよろこびも、「共に生きるよろこび」、つまり「人の役に立てるよろこび」である思います。
この「気づきへの旅」は、万が一に備えて家族のために書いた、私の拙い「入院中の日記」から抜粋したものですが、この手記を通して、少しでも「皆さまのお役に立てる」ことができれば幸いでございます。

≪注≫響太とは私(=オサム)のハンドルネームです。
★5月10日(月)
 今日、堺レスナー会で、「死と、芸術表現」について話をした・・・これは響太の大きなテーマでもある。
 さて、いつものように夜遅く床に就くと、腸の奥に刺すような激痛を伴って出血した・・・その苦しみの中で「自分は癌だ」と直感した・・・どこか体の不調に気づいていたのだろう。
午前2時、痛みが少し治まった・・・妻に「僕は高校3年の夏にも、大腸を患い2度の手術をした。今回はおそらく大腸癌だ。病院にいったら、もう帰れないかもしれない・・・」と話した。
妻は気丈に受け止めてくれたので、将来のことを具体的に短時間で話し合うことができた・・・随分気が楽になった。
★5月11日(火)
 朝一番にかかりつけの個人病院で診察を受け、ベルランド総合病院に紹介状を書いてもらった。
「癌じゃないでしょうか?」の質問に対して、両病院の医師とも「癌は、このような出血はしないから、その心配はないでしょう。」との診断であった。
ひとまずは家に帰り、やりかけの仕事をすませた・・・その間は自宅で絶食である。明日から検査入院をする。
★5月12日(水)
 さっそく、内視鏡による腸の検査が始まった・・・日頃の瞑想を応用し、恐怖心を増大させないようにすれば、あまり苦しいものではなかった。
その後も、出血が続いたので絶食と栄養補給の点滴の開始である。
響太は「入院は長くて3日間かな・・」と、楽観的であったし、妻も「癌でなくて良かった」と思い込んで、いつものように明るく仕事(レッスン)に行った。
★5月13日(木)
 早朝、主治医のF先生から「腸の検査の結果、虚血性腸炎のほかに、もう1つ悪性の腫瘍がありました。おそらく進行性の癌です・・・」と、報告があり、家族と共に説明をうけた。
響太の直感は的中した・・・「もしかしたら、もう家に帰れないかもしれない」・・・強烈な不安がよぎった!
しかし、死を前向きに受け入れることは響太の「最終ビジョン」である。
「死」はいつか必ずやってくる。この場に及んでまで、「死」から逃げて、本末転倒な行動はしたくない。
「死」を直視しよう!・・・それしかない!・・・逆療法的に気が楽になり、救われるかもしれない。
★5月14日(金)
 昨夜は眠れなかった・・・やはり色々と考える・・・妻、子供達夫婦、四人の孫、家族、そしてお弟子、会員・・・等のこと。
たとえ最悪の事態になっても、前向きに生きてくれることを信じよう。
しかし、響太はこのままでは絶対に死なない!!・・・これまでの「自己探究」の集大成として、生きることに最善を尽くし、必ず復帰してみせる。
 今日、胃カメラによる検査があったが、瞑想を応用して、無駄な痛みを感じないですんだ。腸の検査もそうだったが、逆に遊園地の乗り物のようなスリルさえ味わえた・・・瞑想こそ要だ・・・ここに死を超える何かがあると確信した。
「音楽は瞑想だ。瞑想は音楽だ」・・・バグワンの言葉を思い出した。
長い年月を経て、音楽はいつしか響太を「瞑想の世界」にいざなってくれた。
これまでの生き方が、曲りなりにも正しい選択であったことが実感できて嬉しかった。

☆古来の偉大な賢者達が言い残した訓戒から・・・
 「死を視つめよ、死から、おびえて目をそらしてはならぬ・・・人生のあらゆる恐怖の根は死の恐怖である。
死の恐怖が克服されないかぎり、人生のどの瞬間にも死の恐怖の影が写っている。
澄みわたった大空のような明るい幸福感はとうてい得られない」・・・いま、この言葉が身にしみてわかる。
★5月15日(土)
 下腹・腸のレントゲン撮影と、小腸・大腸、腹部(造影剤)、肺(単純)のCT検査をした。
造影剤を注入すると体が熱くなったが、それがポカポカと温かく心地よく感じられた・・・瞑想は予期せぬ感覚を開いてくれるものだ。
その後、妻と5日振りの夕食を存分に楽しんだ。

「森田療法」から・・・

1.人間は、“苦悩存在”といわれるように、生きている以上、何らかの苦悩を引き受けながら生きなければならないものである。
また、病むことなく生きるということもあり得ず、刻一刻と老いていく道を歩んでいるのであり、そして死に至る存在である。
このような事実、あるいは現象から、人間が逃れ得ないとすれば、それをも「あるがまま」に受け入れるしかない。
そうしたことを受け入れればこそ、「いま」「ここ」に生きていることが、より大切な時間・空間として我々の前に現前してくるのである。
そのときに、我々は何らかの生きている意味を見つけ、人間として有意義な生き方をしようという「目的本位」の行動の重要さを自覚させられるのである。

2.「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」・・・同じ苦しむのなら 無為の人生を送るよりも、苦しみながらも、建設的に生きたほうがはるかにいい・・・いい死に方は、いい生き方の延長線上にある。

3.「外形を整える」・・・外側から健康人らしくすれば、健康になれる・・・医師や看護師は、その手伝いをするだけであり、自分自身の責任において、自分自身が治していくことを自覚する。

4.「生の欲望」と「死の恐怖」とは、同質の精神的エネルギーであり、その違いはただ方向が異なるだけである。
「死の恐怖」を「生の欲望」へと方向を変えるには、考えるよりも先に行動すること。
頭で考えるのはやめて、行動で体験的に解決すること。
★5月16日(日)
 今日から検査が多くなるが、苦痛は胃と腸の内視鏡が山場だったらしい。
妻の毎日の病院通いも大変である・・・気が張りすぎて、かえって体力を消耗しているように思えるときがある・・・心配だ。
ヨーガ・森田療法・マーフィー理論等が統合された・・・「心はあるがままにして、常に前向に行動する。その結果、不安や恐怖が消え去り、潜在意識には、プラスがインプットされる」・・・ということである。
★5月17日(月)
 明日のCT検査のために下剤を2000cc飲んだ・・・ポカリスウェットを濃くしたような味だ・・・そうまずいものでもない。
排便も、体が浄化されるようでかえって心地よい・・・頭が冴えわたり、爽快だ。
「休息は仕事の中断にあらず、仕事の転換にあり」・・・これから、本・CD・PC更新等、どんどんやっていこう
★5月18(火)
ニュース=イラク駐留米軍のキミット准将は17日、イラク国内で発見された砲弾1発から、神経ガス・サリンが微量、検出されたと発表した・・・日本の自衛隊の安全保障は一体どうなるのか?
 今日はCT検査(下腹部と腸)と、肺活量・肺「呼気」の検査、そしてレントゲン撮影をする。
午前中、試験外出で帰宅したが、急にお腹がすき、絶飲食が苦しくなり、 CDや本を持てるだけ持って、慌てて病院に戻った。
F先生から細胞診の結果説明があった・・・「第5段階(第6段階は末期癌)の進行性「癌」です・・・検査の結果しだい(CEAの値が高いので転移等が考えられる)ですが、手術は早くて来週火曜日の予定です・・・」
覚悟はしていたものの、やはりショックを受けた。
★5月19日(水)
 昨夜はよく寝た・・・今朝は爽快だ。
「心はあるがままに、行動は前向きに」の気づきが潜在意識にインプットされたのかな。久しぶりにヨーガをした。
 松原誕嘉鴣さんのリサイタル「金子みすずの詩による童謡歌曲」CD(響太が伴奏)をじっくり聴いた・・・涙が溢れた。
後半のプログラムに、どうしてインドの「バジャン」を選曲したのかがよく理解できた。
それが「朗読コンサート(神様5分前)」に繋がったことも・・・。
★5月20日(木)
 故郷の姉が来てくれた・・・「現代でも、死の宣告は直接本人にはしない。
医者が本人に癌を告知するということは、手遅れではなく、助かるということです。それに、52歳はまだ若い、これから、やりたいことが一杯あるのに、今死んだら悔いばかりが残る・・・気をしっかり持って頑張りなさい」と、姉らしい表現で励ましてくれた。
その後、松原(廣始・誕嘉鴣)ご夫婦もきてくれた。姉に会ってもらえてうれしかった。響太の自慢の姉だから・・・。
 ご夫婦との会話は、いつものように楽しく、深く癒された。
ご主人の廣始さんが、小学生の時に、亡くなられたお父様にいただいた言葉=「正(まさ)しく生きよ」を、大切な思い出と共に響太に贈ってくださった。
その後、病室で約一時間半、お二人で患部に手を当ててくれた・・・やはり、しっかりした生き方をしている「本物の芸術家」であると(30年近いお付き合いだが)再認識した。
 早朝から髭を剃ってすっきりした。
もう一人の自分が、体の外から自分の体の中を見ているような不思議な感覚があった。
これを幽体離脱というのだろうか?・・・F先生が「インドの神」に観えた。
この直覚を信じて、F先生に手術をお任せする決断をした・・・これまた不思議な深い安心感につつまれた。
再度の腸内視鏡検査の結果、他にポリープはなく、虚血性腸炎のあともなく、きれいに治っていた・・・「虚血性腸炎をおこして、癌が見つかり、かえって良かったですね。」と言われ、妻と大喜び!          
今日からみんなに「大腸癌です。でも治ります。」と告げることにした。
★5月22日(土)
ニュース=小泉首相は平壌を訪問し、金正日(キムジョンイル)総書記と約1時間半会談した…短いのに驚いたが、拉致被害者の蓮池薫さんと地村保志さんの家族計5人の帰国で合意し、5人は夜、日本に帰国し、1年7か月ぶりに父母との再会を果たした。
曽我ひとみさんと家族3人は、近く北京など第三国で再会することになり、安否不明の拉致被害者10人について「白紙の状況で再調査する」と約束し、首相は、25万トンの食糧支援などを表明した。
今回の首相再訪朝は、家族の帰国問題で一定の成果があったが、10人の真相究明には大きな進展がなく、不満も出ている。
今後、日朝関係が改善に向かうだろうか?
 11時、F先生が、外来で癌の場所を正確に測定した。
CEAの値が少し下がりはしたものの、依然として高いらしく・・・「直腸の癌が、最初の測定よりも大きい可能性もあります」・・・とのことだ。
念のために前立腺癌の可能性についても聞いてみたが、指診の結果、前立腺肥大はなく、その可能性は低いらしい。
午後、家族と共に、手術の説明を受けた・・・癌は直腸の上部にあるので、人口肛門は免れたが、内容はすごかった。
術後も転移の可能性があり油断はできない・・・やはり癌は恐い!
その後、みんなに帰ってもらった。妻も相当なショックを受けていたようだが、とにかく一人でいたかった。
考えても考えても深い淵しか見えない・・・「瞑想(神)に身をゆだねるしかない」
★5月23日(日)
ニュース=22日の首脳会談の結果、安否不明とされ、北朝鮮が「再調査」を了承するのみにとどまった拉致被害者10人。そして、人その肉親ばかりでなく、子どもが帰国を果たした家族の口からも、「最悪の結果だ」「裏切られた」「総理にはプライドがあるのか」・・・等、小泉首相と政府に対する猛烈な怒りの言葉が噴出した。
しかし、日朝関係正常化の土台をつくったということでは、今回の首相再訪朝の意義が大きく、核・ミサイル問題、拉致問題も進展したと思われるのだが・・・。
 手術後の痛みについて看護師に聞いてみたら・・・「痛みを我慢すると、そのストレスで、体が強張り、かえって逆効果になります。
痛みを緩和する方法は色々ありますから、辛抱しないで必ず看護師を呼んでください」・・・ホッとした。
★5月24日(月)
ニュース=22日の日朝首脳会談の世論調査結果、拉致被害者の家族8人のうち5人が帰国したことなどから、今回の会談を全体として「評価する」人は63%を占めた。
しかし、拉致問題の全面解決の行方や、核開発問題をめぐる具体的な交渉結果については批判的な見方が7割・・・個々の課題の“成果”には、国民が冷めた視線を向けていることが浮き彫りになった。
拉致被害者の家族5人が帰国し、帰国・来日を拒否した曽我ひとみさんの家族3人については、第三国で再会できる見通しになったことを、「評価する」人は合計で72%に達し、「評価しない」計24%を大きく上回った・・・
やはり、まずまずの結果である。
 明日は、いよいよ手術だ。朝から、絶食、採血、スクリット液2000cc、点 滴、入浴、臍の消毒、就寝前に下剤2錠と睡眠薬・・・等、準備に忙しい。
 響太の尊敬する某教授が、お見舞いに「手術は医者、回復は自分」と書いてくださった・・・名言である・・・純粋無垢な少年時代の感動のように深く心に響いた。また教授のお母様からも優しい励ましのお言葉を頂戴し夫婦共々大変癒された・・・心根の優しいご家族である。
 もう、「まな板の鯉」・・・成るように成る・・・ここまでくれば、考えても無駄なことだ。
それに点滴攻めも、身体が潤い、かえって頭が冴えわたって清々しい。
暫らくパソコンは使えない・・・日記は一先ずここまで。

※故郷にいる母のことが偲ばれた・・・「小さなポリープを摘出するだけ」と言ってあるが、心配しているだろう。
明日の手術はこの詩「なきません」のように、素直に身をゆだねよう・・・。

「なきません」  新川和江 

しろいこうまは
ゆきののはらで ひとりぼっち
まいごになっても なきません
あたりいちめん おかあさん
きれいに きれいに きれいになって
きらきらと かがやいている
おかあさん おかあさん

くろいこうまは
よるのはやしで ひとりぼっち
まいごになっても なきません
まわりじゅうが おかあさん
おおきく おおきく おおきくなって
ふかぶかと いきをついてる
おかあさん おかあさん
★5月25日(火)
 25日から27日は、パソコンを使えなかったので、記憶をたどって書いている。
 将来、予防医学が進歩し病気がなくなる時代がくるだろう。
苦しむことなく、眠るように安らかに死を迎えることができるようになれば、「生き方」「人生観」が大きく変わるだろう。
そういう意味において、
マーフィー・ヨーガ・森田療法等も、その方向を示唆しているといえる。
今手術を前にして予防医学の大切さを痛切に感じる。
 F先生に手術をお任せすることは、自分自身の選択であり、後悔はまったくない。
手術室までは歩いていく。控え室で承諾書を確認のうえ、眼鏡をとり、手術着に着替え、体が冷えないように温かいタオルケットにつつまれて、いよいよ手術室へ・・・両手を広げたF先生の姿がぼんやりと見えてホッとした・・・手術台にのり、脊椎に痛み止めの管を挿入し、酸素マスクを・・・次第に意識が遠のいて無意識の世界へ・・・。
気がつくと、痛み、吐き気を伴い、病室に戻っていた。
★5月26日(水)
 上体を左右に動かすたびに、吐き気が襲ってくる。
看護師の「歩いてみますか?」に、日頃の習慣で思わず「ハイ!」・・・すぐに尿の管を取りはずされた。
もう後には退けない。この状態のまま、自力でトイレまで歩くことになってしまった・・・尿道がしみた。
「歩くと治りが早いですよ」と聞かされたので、不安なく頑張れたが、夜中に6回もトイレにいったのは、いささか閉口した。
★5月27日(木)
 吐き気止めが効かなくて、依然吐き気が止まらない。
胃と傷の痛みがどんどん増してきて、顔や目が苦痛のために腫れぼったくういてしまい、妻や家族が悲鳴を上げ始めた。 たまらなくなって看護師に訴えると、点滴を変えてくれた。
その後、徐々に楽になり、歩けるほどになったが・・・原因は何だろう。点滴が合わなかったのかな?
★5月28日(金)
ニュース=イラク中部で27日、日本人ジャーナリスト2人の乗った車両が後ろから近づいた車から銃により襲撃されて爆発、炎上した。
2人はいずれもフリージャーナリストで、バンコク在住の橋田信介さん(61)と、小川功太郎さん(33)。
小川さんは橋田さんのおいで、2人は27日に自衛隊が活動中の南部サマワに取材に行き、バグダッドに戻る途中だった。
 傷口が痛み、全身が汗でびっしょりだ・・・脊椎から注入の痛み止めがなくなったらしい。
今日は我慢しないで、早めに痛み止めをお願いした。
その後、脊椎の管を外した途端にガスが出て、すっきりと元気になった。
 さて、パソコンの再開である。
★5月29日(土)
 昨夜は、痛さで眠れず、夜中に痛み止めを注入してもらった・・・昼間は比較的痛みが和らいでいるのだが・・・37・3度の微熱が続いている。
 F先生の回診・・・「CEA値(癌の値)が正常値に下がったから、ひとまず転移の心配はないです」とのこと・・・F先生が優しく接してくれることが身に染みて嬉しい。患者にとってはこれが何よりの良薬である。
★5月30日(日)
ニュース=フリージャーナリスト橋田信介さん(61)と、おいの小川功太郎さん(33)がイラクで銃撃された事件で、当地で小川さんの遺体を確認した遺族は、悲しみの涙に暮れた。
 昨日、夕方から足が氷のように冷えて、体の中心が硬直してしまった。 やはり、38度以上の高熱が朝まで続いていた。
解熱剤を注入してもらったが、2時間も経たないうちに上昇・・・とうとう午後には、38.9度にまで上がってしまった。
その後、大量の汗をかき、少しは下がったが、依然として高熱が続いた。
採血・尿・レントゲンで感染症の検査をした。結果は明日・・・腸内部の感染症でなければ良いが・・・心配そうに帰った妻も、熱が出てきたようだ。
★5月31日(月)
 針の穴ほどの縫合不全があるかも知れないとのことで、3、4日の絶飲食になった。
高カロリーや鉄分等の補給のために、点滴の注入を心臓近くの太い静脈に変えた・・・残念だがどうしようもない。
とにかく腰を据えて、じっくりと治そう。
 姉が今回の経緯を、米国で肝臓を研究中の甥に話すと「多分、癌はかなり前からあったはずだ」と言うことだ・・・転移がなくて本当に良かった。
★6月1日(火)
ニュース=小泉首相は31日の参院決算委員会で、多国籍軍への自衛隊参加について、「決議がどのような案になるか、状況を見て、国際社会の一員としてどのような責任を果たすかを考えなければならない」と述べ、参加を検討する考えを表明した。「武力行使を目的とした部隊には参加しない」と言っているが、軍の流れとしてそうできるのだろうか?
★6月2日(水)
 このところ夜になると微熱が続き苦しくなり、傷も痛む・・・今朝は楽になったが・・・。
もう一週間以上、何も口にしていない・・・美味しい焼肉が食べたい・・・あの甘いタレと、はさみで切るバラ肉・・・たまらない・・・。
 先生・友人・お弟子・親戚・家族・・・どんどんお見舞いに来てくれる・・・嬉しい嬉しい嬉しい・・・病室は花盛りだ。
★6月3日(木)
★6月4日(金)
 依然として膿が多い・・・「内部の縫合不全ではなく、表面の傷口の炎症だから、このまま食事をする方向でいきましょう」とのことだ。しかし、退院は延びるらしい。
考えてみれば入院生活も悪くない。治療は医師・看護婦に、治癒は体にまかせて、自分(意識・心)は自由を楽しもう。
廊下を歩く歩調を2割アップした・・・気分爽快。
 ついに夕食が食べられる・・・感激だ・・・妻と二人で、ゆっくりゆっくり噛みしめた・・・美味しい・・・食べられることは最高の幸せだ!!
★6月5日(土)
 朝食を美味しく食べた・・・熱もなく快調だ。
膿のために退院は、2・3週間延びるが、点滴が取れれば、時々は家に帰れるらしい。 
 HPの掲示板に、出会いサイト系等の悪質な宣伝を書かれていると、松原さんが電話をくれた。さっそく義兄に消してもらった。
奴らは間違いなく社会の害虫だが、ビジネスの世界も「食うか食われるか」である・・・国際情勢も然り・・・生きることは戦いだ(体も細菌・病魔と闘っている)。
人間にはファイティング・スピリットが必要である!
★6月6日(日)
 バンザ〜イ!! 
胸の点滴と、右腹部の管がとれた。体が「身一つ」すっきりした。
人間は「裸一貫」が最高・・・無駄なものは必要ない・・・Simple is best!
★6月7日(月)
 早朝5時、採血。
朝のガーゼ交換の時、左の管も取れた。縫い目の膿も少なくなっているらしい・・・一週間後には退院かな?
 午前中、試験外出で家に帰った・・・昨日まとめておいたイメージコントロール法にも訂正を加え、HPをどんどん更新した・・・愉快である。
HPに載せることは宣言であり、分かち合うことでもある。自分を律する意味 においても、その効果たるや驚くばかりである。
★6月8日(火)
 食事の度に新鮮な味覚と共に五感がすべて開かれていく思いだ・・・美味しさが身にしみる。
 小学生の頃、兄に教えられ、これまで響き続けていた言葉=「われ運命を創る」の意味が、今ようやく心と体で理解できた気がする。
自分の人生は自分が主人公だ・・・運命は自分の意志で創造するものである。
消灯後も静かにローカを歩いた。
 昨夜、兄(響太の自慢の兄を参照)に手紙を書いた・・・気がつけば、夜中の2時過ぎだった。

「兄への手紙」から

 体調はどうですか?・・・心配しています。 突然のことで、びっくりしたと思います。心配かけてすみません。
現在、術後の経過も良く、日々どんどん快復に向かっています。安心してく ださい。
今回、沢山の気づきがありました。それを伝えたくて書いています。
 さて、学生時代に、貴方とKちゃんが応援してくれたお陰で、無事大学を 卒業することができ、音楽一筋に生きることができました。
そして、これまでの長い年月を経て、音楽はいつしか僕を「瞑想の世界」にいざなってくれました。
お陰で、「癌の値(CEA値)が高く、転移が考えられる」・・・等、死を直視せざるをえないような状況の中でも、逃げないで、生きる喜びを持ち続けることができ、無念さに苛まれることもなく、感謝で一杯でした。
好きなことをさせていただいて、本当に有難うございました。
 現代の、癌治療とこれに対する意識の発達は驚くばかりです。手術もほとんど苦しむことがありませんでした。
これは、亡き父や姉・・・そして多くの人達のお陰です(Mの米国での「肝臓の研究」も頼もしい限りです)。人間の伝承する力・歴史に感謝・感動です。
 小学生のころ、貴方に教えてもらって、いままで心にひびき続けていた言葉があります・・・それは「われ運命を創る」です。
覚えていますか? 40年以上も昔のことですが・・・今ようやく、その意味が「心と体で」理解できました。
この言葉を胸に、残りの人生を、精一杯、前向きに、創造的に生き抜きます。素晴らしい言葉を、有り難うございました。
 入梅で連日の雨です。くれぐれもご自愛のほど・・・そして、生意気ですが、生の最後の一滴まで、人生を謳歌してください。
 僕は、以前にも増して心身ともに元気です。また、故郷で会えますし、遠いところ、わざわざお見舞いに来ないで、今は体調を整えてください。Kちゃんにもよろしくお伝えください。
★6月10日(木)
ニュース・・・韓国で生ゴミ(タクワンの残りの腐った大根)を具に入れたギョウザが出回っている。
なんでもその一部が日本に輸入されているらしい。
こんなひどい食品会社が世の中に存在するなんて信じられない。
 F先生から「来週後半には、退院できそうです」と言われた。
ひょっとして「響太=53才の誕生日」になるかも・・・いずれにしても、素晴らしい誕生日のプレゼントである。
 瞑想は大いなる自己・神との交流である。人は瞑想によって、そのエネルギーを享受する必要がある・・・ちょうど食事をするように。僕は瞑想によって救われた。
真に求めるなら、すべての営みは瞑想に通じていると確信した・・・「求めよ。さらば、与えられん」


「輝いて」 松原誕嘉鴣

死ぬるまで
輝いて
いたいと
思いませんか

どうすれば
できるのかな
おしえてください

神様と
仲良く
できれば
いいのでしょうか


「ほしと たんぽぽ」  金子みすず

あおい おそらの そこ ふかく、
うみの こいしの そのように、
よるが くるまで しずんでる、
ひるの おほしは めに みえぬ。
   みえぬけれども あるんだよ、
   みえぬ ものでも あるんだよ。

ちって すがれた たんぽぽの、
かわらの すきに、だァまって、
はるの くるまで かくれてる、
つよい その ねは めに みえぬ。
   みえぬけれども あるんだよ
   みえぬ ものでも あるんだよ。
ニュース・・・2003年の出生率が1.29となり、前年の1.32を下回り過去最低となった。
このまま推移すれば、将来の経済活動や社会保障制度の根幹にまで影響を及ぼす可能性が強い。
老後の生活は自分の力で支えなくては・・・これからは、老人にも「自立の精神」が必要な時代になる。
 兄が11時30分頃、病院についた・・・やはりまだ風邪声だが、元気そうだった・・・遠方一人で来てくれたことを思うと、胸に詰まるものがあった。
写真の整理をしていると、僕の子供の時の写真が沢山出てきたらしい。
兄は響太の自慢である・・・健康で長生きして欲しい。
昼食を病院の食堂で兄と妻と3人でとり、ゆっくり話ができた・・・今日は嬉ししい一日となった。
 退院がやはり「6月17日=僕の誕生日」に決まった。
これを偶然ではなく、必然に・・・「第二の人生の旅立ち」の記念日にしよう。
★6月12日(土)
★6月13日(日)
ニュース・・・三菱自動車元社長の河添克彦容疑者ら同社の元幹部ら六人が逮捕、送検された。
2002年10月に山口県熊毛町(現周南市)で起きた運転手激突死事故で業務上過失致死容疑に問われた。
六人は当時の同社の経営陣。「大型車のクラッチ系統に欠陥があるのを知りながら隠し続けたことが死亡事故を引き起こした」と捜査当局。
利用者の安全を置き去りにした極めて悪質な対応だ・・・許せない・・・刑事責任を問われるのは当然である。
 薬剤師から抗癌剤の説明があった・・・副作用として骨髄の働きを低下させ、その結果、白血球が少なくなり、特に 膀胱炎と風邪には注意が必要である。
そのため、トイレの前後に手を洗うことと、うがいを習慣にすること。
また、下痢や便秘、吐き気、手足のしびれや痛み、毛が抜けやすくなるほか、肝機能の低下、色素が皮膚に沈殿する・・・等の説明があったが、響太が服用するのは一番ソフトな抗癌剤であるから、上記の可能性はゼロではないが、あまり心配ないとのことだった。
★6月14日(月)
 右耳が聞こえにくい。
かゆくて、綿棒で耳中を強く擦ってしまい、かなり粘液が出ていたから、それが鼓膜を塞ぎ、固まってしまったのだと思うが、聴覚神経の可能性もある・・・心配になってきた。
入院中に耳鼻科でしっかり診てもらおう。
★6月15日(火)
ニュース・・・バグダッド中心部のタフリル広場で14日、乗用車が爆発、外国人5人を含め少なくとも16人が死亡、60人以上が負傷した。外国人を標的にした自爆テロらしい。
 右耳がやはり聞こえが悪い・・・憂鬱だ・・・思い悩んでも答えは出せない。
最悪の場合は、脳が新たなバランスをとってくれるだろう。右脳開発になるかもしれない・・・考えすぎないで医師に任せよう。
 明るい曲が聴きたくて、ショパンのワルツを聴いた。
今まで以上に、素晴らしく心に響く・・・大丈夫だ!・・・音楽は聴こえる!・・・「音楽は心と体で聴くものだ」
 10時半、耳鼻科に呼ばれた。やはり、耳垢が一杯詰まっていた。
特に右耳は、粘液が硬く固まって鼓膜を塞いでいるので、クスリ(タリビッド耳科用液)で、まずは柔らかくする必要がある・・・神経じゃなくて本当に良かった。
 響太は病院でも、読書やCD、PC・・・色々と忙しい、廊下を歩き回ることでも有名になってしまった・・・森田療法的にいえば「生きる欲望」が強い人間である。
★6月16日(水)
 今朝、耳の奥がパチンとなって、瞬間だが何回か良く聞こえる時があった。頑固な耳垢が軟らかくなってきたのだ。明朝の治療で多分きれいに治るだろう。
 いよいよ明日は退院だ。そして良い誕生日になりそうだ。
今日はじっくりと、今回の入院を振りかえりながら、感謝を込めて「さよなら」しよう。
 先生・友人・お弟子・親戚・家族・・・皆さん大変優しく、力強く支えてくださり、また医師・看護師さんの、至れり尽くせりの処置、特に主治医のF先生は、優しい人柄で、お会いするたびに心も癒された。
 それに、病室から眺める景色は最高だった。昼間は、金剛山を背景に、堺市の高層ビルやマンション、そして緑に囲まれた住宅が見える。夜になると、それらに灯りがともり、生活の温もりを感じさせてくれた。僕は昼夜に関係なく、いつもブラインドを全開にして、それらを眺めていた・・・今日は「梅雨の晴れ間」、雲ひとつない晴天である・・・何となくパリの風景を思い出した。
 「生き方」が、そのまま「死に方」であると言うが・・・死を直視したときに「感謝」が溢れてきた・・・自分のこれまでの「生き方」は、曲りなりにも「間違ってはいなかったのだ」と実感できて、嬉しかった。
 明日は、53才の誕生日・・・正に「第二の人生」のスタートだ・・・キーワードは『正(まさ)しく、運命を創造するがごとく、生きよ』である・・・これは、兄に小学生の頃に教えられた言葉=「われ運命を創る」と、同じく京都のM氏が、小学生時代に、亡くなられたお父様にいただき、思い出とともに響太に贈ってくださった言葉=「正(まさ)しく生きよ」をあわせたものである。
★6月17日(木)
 今日は梅雨の晴れ間=晴天! 記念すべき「53才の誕生日」!!
「第二の人生」のスタートである・・・キーワードは「正(まさ)しく、運命を創造するかのごとく、生きよ」。
 朝の耳鼻科の診察を終えて、さっそくパヴァロッティを聴いた。イタリアの素晴らしいベルカントが輝かしく響きわたった。
正に「歌(音楽)に生き、愛に生き」・・・音楽の喜びが、生きる喜びと共に溢れた。
 最後の昼食を妻と喜びを分かち合いながら楽しんだ。
そして病院の皆さんにご挨拶・・・帰宅!!
こうして37日間の「気づきの旅」はフィナーレを迎えた!!
 みなさん ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・本当にありがとうございました。

あとがき・・・

 入院中は皆さまの格別のご高配ご厚情を厚くお礼申し上げます。
多端の折、病床にふせっているのは心苦しき限りでございましたが、その間、授業・レッスン等が円滑に行われましたのも、諸先生方をはじめ関係者の方々のお陰と心より感謝いたしております。
 また、先生・友人・お弟子・会員・コーラスの皆さま、親戚・家族・妻・子供達夫婦や孫達、そして妻の両親と姉には何度も足を運んでいただき力強く励まされました。
 最後になりましたが、ここに書中をもちまして厚くお礼申し上げます。

                                                    響太

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