音楽・教育・人間

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音楽・教育・人間

私たちにとって音楽が必要であること、そして音楽教育がどんなに人間にとって価値のあるものであるかを、社会的見地からはっきりさせることが、我々音楽家の使命です。
このことについて興味深い著書「音楽教育と人間形成」(ジェームス・L・マーセル著。美田節子訳)を参考にしながら、少しずつ書いていきます。是非、お読み下さい。   響太

 『音楽経験は、私たちが一緒に楽しむべき大切な人間経験であり、音楽は民主的な雰囲気の中で完成されるものである。』

 現代は、私たちの手に負えないさまざまの問題(社会の閉塞感が高まる中で、国民がストレス、いらいらを募らせている実態=児童虐待、家庭内暴力・・・等)のため、人生の価値も教育の価値も、それに関連して音楽の価値も再考すべき時代のように思われます。
 現在私たち音楽家は、もはや安易な気持ちで、敷かれたレールの上をのんびりと歩いているわけにはいかなくなり、音楽の力(その理想的と思われる原理)を、積極的に発表し、社会に広く伝える必要に迫られています。

 どんな素晴らしい知識や技術も、それ自身には何の価値もなく、よりよい生き方ができるようになった時、はじめて、それを学んだ価値があったといえるように、音楽も、私たちの人生をよりよいものにするために、つまり生活に役立ってこそ、教育に取り入れる価値があると思います。逆にいえば、より幸福に、より人間らしく生きるために役立たなければ、音楽の教育的価値や意味がまったくないということです。

 今こそ、人間不在の教育ではなく、感動や、自己表現の道を発見することによって、心を解放し、豊かにする音楽教育が必要とされています。
音楽が生活の中に織り込まれるにつれて、私たちの人間生活を豊かにすることを、しっかりと心に刻んでおきたいものです。

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 現代社会では、仕事の種類や、いろいろの雇用関係によって、社会の階級制度がますます激しくなる傾向にあるようです。 そのような人間性をまったく疎外したような手段によって、生活の糧をかせぐべく余儀なくされている社会事情に、現代人の多くのストレスや苦しみの原因があるように思われます。そして、それによって、生活に共通性がなくなり、相互理解が希薄になってしまいます。
 音楽は、このように細分されている社会の階級とは無関係に、活発なグループを作る理想的な民主的な芸術です。音楽は、ともに幸福になれる社会形態を生み出す芸術であると言っても過言ではありません。
例えば、
親と子の音楽サークル等は、円満な家族関係を築き、楽しい家庭生活の手助けとなる、大変価値のある社会的音楽教育であるといえます。

 音楽は作曲家と演奏家と聴衆の三者の協力を必要とし、その本質は、集団的な環境の中で自らを表現する社会的なものですから、演奏は、音による発言・・・すなわち、音によって、誰かに何かを話しかけるということが大変重要なポイントです。
この話しかける気持ちがなかったら、決して良い演奏はできません。
人に見られないように部屋にこもって、自分以外に聞く人のいないような状態では、とうてい感動を引き起こすような演奏はできません。いいかえれば、聴衆は演奏者と共に芸術を味わう仲間であるという意識が、芸術的効果を生むのです。
 音楽を通して、音楽性とあわせて人間性を育てるには、小さなグループ活動が必要です。
音楽の楽しさを分かち合える小グループでの音楽経験(例えば、ピアノサークルピアノを楽しむ会等は、音楽的にも社会的にも、独特な価値をもっているといえるでしょう。

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 私たちに、ひいたり、歌ったりできるようになりたい、という望みを起こさせるものは、いったいなんでしょうか・・・それは、まぎれもなく「音楽の美しさ」です。
音楽教育の目的は、「音楽の美しさ」の実現である、ということを忘れてはいけないと思います。

 私たちの学校生活をふり返ってみると、人間の成長に影響のない学習、つまり、多くの無意味な学習をしたことがわかります。それらは、たとえ良い点数が与えられたとしても、教育的には失敗だったといわねばなりません。
教育とは、精神と人格の成長への「道しるべ」です。それに役立つ経験だけが、教育的に価値があるといえるのです。精神的成長は知識の集積とは別物です。

 歴史の流れの中で人類は、知識、技術、いろいろな思想や習慣、風俗などを、おびただしく集積してきました。これらはまた、科学や芸術の形になって、私たちに伝えられています。
しかし、これらの文化的資源は、それ自体が学習の目的(知識の集積)になると、その教育的価値は失われてしまいます・・・ショパンがピアノ作品を書いたのは、音楽教師にピアノの教材を与えるためではなかったのです。
 私たちに与えられた知的遺産は、人間生活を豊かにするためのものです。
例えば、ショパンのピアノ曲を弾いたことのある人にとっては、彼の生涯や時代、ポーランド国民の政治的試練や、風俗、習慣、地理、経済の状況などが、興味あるものになるものです。そして、ショパンの音楽をその文化的背景と関連させて学べば、下記の二つの成果が得られます。

  1、演奏の芸術的価値が高まること。
  2、文化のいろいろな面が、興味深く生きた経験として学べること。

このように音楽経験によって支えられた学習(文化)は、また幅の広いものとなり、このような相互関係によって、人間と文化は進歩していくものであると考えます。
こういう結果が生ずる音楽教育こそ、精神的成長を育むものといえるのではないでしょうか。


 精神と人格の成長のもうひとつの大切な要素は、自由に自己表現ができるようになることです。これは、人間の精神的成長にとって大変有効な働きをします。
音楽は心身の解放感を体験する機会を与え、社会性のある自己表現を可能にします。
例えば、グループにはいって仲間と交わっている間に、自己を発見し、表現するように勇気づけられ、自己を生かす道を悟るというようなことがよく経験されます。

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 「これを学べば、どんな価値があるのだろう?」・・・これは、誰もが抱く、当然の疑問です。
学ぶ価値があるものなら、学ぶものにもその価値が分からなければならないと思います。
したくもないことを、いやいやながら、いくら一生懸命やっても、その努力は報われる保証はありません。
それは、人間性を無視した苦しい訓練であり、教育的価値は最低であると考えます。
困難のための困難を崇拝する態度は、教育の正道からはずれています。

 大切なことは、自らの動機で、学ぼうとする心構えです。いいかえれば、興味から生じる努力だけが、本当に教育的に価値がある努力ということになります。      
 例えば、合奏(合唱)のメンバーが、各自のパートが上手にひける(歌える)ようになるためには、遊ぶ時間や休暇を犠牲にしてもいとわず、自発的に練習に励みます(ここから、本当に音楽的に価値のある音楽を系統的に学んでいくのです)・・・これには、音楽の学習を興味深いものにする、下記の4つの要素が潜んでいます。

1、 成功感
2、 自己表現の機会
3、 多方面な社会活動
4、 音楽の美しさ

以上のような、積極的な目的意識(=興味)があって、はじめて、音楽が生活へ移行し、生きがいの根拠となります。
これが、音楽(学習)によって喚起された、精神の永続的な成長の基本条件、つまり教育の真髄であると考えます。

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