一か月くらい前にE-learningで研修せよという指示が2件きていて、業務時間中に暇を見つけられないまま期日を迎えてしまったので、仕方なく朝一にやる。 あと、明日~明後日出張を急遽決定し、宿予約やら事前申請やら済ませる。
えらい人とのミーティングを朝一1件、午後一1件なんとかこなす。 他のミーティングは4件。 合間にZulipにカスタム絵文字アップロードしたりしてた。
記事。 もう10年か。 この件を、筆頭著者が不心得者だった、と片付けるのは明らかに間違っている。 筆頭著者は当時若い研究者だったし、学位授与プロセスも緩かった(これは早稲田に限らず多くの学位授与機関が似たような状況にある)ようだから、時に誤った行動をとるなんて起こりがちな話で、その行動を正さずむしろ乗っかろうとした周囲や組織の方に問題がある。
次の記述も見過ごせない。
日本人研究者(医師)が100を超える論文を撤回しており、疑惑の論文はそれを遥かに上回っているという。ちなみに関わった研究者は、撤回論文数ランキングの上位4位と6位に位置している。 なお、この撤回論文数ランキングの2位、3位、4位、6位、8位が日本人、しかも医師だということをご存知だろうか。このことからも、個人の不心得の問題でないことがよく分かる。 不正を誘発する何かが医学界にあるということだ。 それが、行き過ぎた成果主義、競争主義であることは、良心的な研究者は皆気付いている。
記事。 頑張ったな。
これの続き。 芦原妃名子さんのお名前自体この度の事件で初めて知ったくらいなので、作品と作者については語れないのだが、ご本人がブログに書いてらした経緯説明(内容だけでなく書きぶりも含めて)や、担当した脚本家さんのInstagram投稿での物言い、亡くなられる直前のご本人の投稿など突き合わせて考えるだけで、直接的な原因は脚本家の投稿を炎上させた多数の匿名者、そのさらに原因は番組プロデューサーと脚本家が作ったことは明白だ。 これも多くの人が書いているところだが、悲劇の元はリスペクトの欠如。 少なくとも芦原さんは番組制作側にある程度リスペクトを払ってらしたこと、脚本家側にはそれが無かったことは伝わる。
脚本家個人攻撃をしてはいけないというのはその通りで、僕もその意思はない。 ただ、制作に携わる人が、事件に真っすぐ向き合ってあるべき心構えを再考する機会を逃して欲しくないと思う。 原作者は作品を文字通り命がけで作ってる、ということをこれで理解出来なかったらおかしい。
脇坂くんが先行して動いてくれたので、ライブラリ開発相談はそちらで動けそう。 個人的にSlackで一番良いと思っていた機能はカスタム絵文字なので、それをなんとか簡単にインポートする方法は無いかとちょっと調べる。 Slackから引っこ抜くのはプラグインで出来たが、Zulipにまとめアップロードする方法は無いみたい。
ミーティング8件。 明日のえらい人たちとのミーティング用に資料を作らなきゃならないのだが、しかもたった3ページ程度なのだが、なかなか気分が乗らない。 困った。
記事。 iRobotってそんなに苦しいのか。
記事。 欲しいかも。
記事。 太陽が当たったか。 良かった。 姿勢は戻せるのかな。
記事。 あまり社会問題は書きたくないという気持ちが実はあるのだが第2弾。 最近読んだ「推しの子」で、こういうことが起こるメカニズムと、それを解消する一つの方法まで示されていて、良いことだなと思っていたのに、それが全然波及していなかった形。 「推しの子」流行ってるから、メディア関係者は当然読んでるんだろうと思ってたんだが、そうでも無かったのか、あるいは読んでいたけど他人事としかとらえて無かったのか、どうなんだろう。
誰かの悪意が働いた結果こうなってしまったのだとしたら最悪だが、基本的には皆善意に基づいて動いたのだと信じたい。 もしそうならば、解決方法は関係者間でコミュニケーションをしっかりとることに尽きる。
漫画家さんたちの意見はこことか。 番組制作側の意見があんまり見つからない。
ちなみに僕は亡くなった方の作品は読んだことがない。 済みません。
記事。 あまり社会問題は書きたくないという気持ちが実はあるのだが、このことの大きさは若い世代には分かりづらいと思ったため。
戦後、学生運動が活発になった時期というのがあった。 学生運動とだけいうと、若者が政治に関心を持って頑張っている、という印象を受けるかも知れない。 僕も最初はそう誤解していた。 実際は、異なる思想を持つものは暴力を使ってでも徹底排除すべし、という考え方が大学生たちを中心に蔓延した異常な時代だった。 一種の集団ヒステリーがかなり大規模に起こっていたわけだが、こうしたことは思想信条に拠らず起こる人間の暗部、ということがよく分かる一例でもあった。 今回亡くなった桐島容疑者(でほぼ確実だと思う)も、そのヒステリーにかかった一人に過ぎない。
僕はこれは、後世の人々が非常に重くとらえなければならない教訓だと思う。 だのに歴史の授業で扱われることはあまりない。 理由の一つは、授業時間が足りないという物理的な問題もあるが、未だに上記のヒステリーから抜け出せていない人が指導要領策定に関わっているという、一般的な感覚では信じがたい問題もあるのだと想像している。
最近海外で話題になってる環境活動家の事件とか、冷静に考えたら矛盾しか無いことが小学生でも分かることさえ、集団ヒステリーで起こるわけ。 「逮捕しちゃうぞ」のストライク男とか、「スレイヤーズすぺしゃる」のフィリオネル王子とか、本来はギャグのネタにしかならんのだが。
家庭の事情で在宅勤務に急遽変更。 川角さんに新年会のお誘い頂いていたのだが、断念した。 また機会はあると信じて。
朝、定例を一件済ませた後は、ほぼ終日部門管理職会議。 終了後に別ミーティング1件。
空き時間に最小包含球の文書化が終わったんで、Qiita記事にもしてみた。
記事。 竹内先生か。
地域の子供向けオケの無料バイオリン体験会に当たったので娘二人と参加するなど。
最小包含球の文書化をしている。 これに限らず、実装している最中はメモ書きだけを頼りにしており、時間がたったら中身を忘れてしまうことが増えてきたので。 アルゴリズムの骨子は理解していたのだけど、三角形の外心・四面体の外接球の中心の求め方を忘れていたので、手計算で再確認。
これ。 ちょっと検索した限りでは日本語の解説記事が全然見当たらないので、喜ぶ人がいたら良いな。
ミーティング6件。 合間にロボシンの出張事前申請と、相補掃き出し法の文書化。 後者はあと少し。
ミーティング5件、勉強会1件。 合間に相補掃き出し法の文書化続き。 説明がややこしくなりがちで悩む。 気晴らしに海鳥のQiita記事を読んだり。
鈴木おさむ氏のエッセイ。 ドキリとする内容。 「嫌われるなら正面からちゃんと嫌われよう」というのは、潔いし、実際行動に移すには勇気がいる心掛けである。
記事。 小型高感度な力センサを内製したのがポイントなのか。
紹介記事。 興味を惹かれる。
記事。 器用な方はいるもんだな。 文字盤と飛行石の再現度が凄い。
久し振りに品川。 ミーティング6件。 比較的空き時間が多かったが、来月頭開催予定の報告会資料作りに費やしちゃった。
夜、新年会。
記事。 ホンマかいな。
ミーティング5件、論文相談1件、合間に実験立ち合いなど。 将来に向けた議論を少しずつ始められていて、良い感じ。
記事。 漫画みたいだな。 記憶媒体を特定しない規則に変えるのは真っ当な方針だと思う。
記事。 そうですか…。 こういうのって、ビジネスモデルの型に落そうとした途端に魅力も落ちるだろうから、難しいね。
なんだか月曜はこちらにいるのが恒例になりかけてる。 ミーティング5件、インターン生さんとの面談1件、実験立ち合い2件。
なんとなく、相補掃き出し法の文書化を進めている。
MagicLabという会社らしいが、詳細不明。 動きを見る限りはまだまだな感じ。 電動モータで前宙転できるというのがアピールになっているようで、石井先生のJumping Joeを思い出した。
正月に録画して観ていなかったのを観る。 これ大学2年生の時に新宿に観に行ったのだが、正直あまり記憶に残ってなかったんだよね。 地味な映画だという印象で。 今観返したら、凄く味のある映画だった。
斬新な筆致と圧倒的執筆速度で一気に売れっ子になった石森先生、順調に人気を伸ばしていった(例の大事件が描かれていなかったのでそのように見えた)藤子先生、一時は諦めかけたけどチャンスに描きたいものを描いて成功した赤塚先生、持ち味を伝えることになかなか成功せず最終的に断念した森安先生、世間が求めるものと自分の理想とに折り合いをつけることが出来ず断筆した寺田先生、どちらかというと後者に寄った構成で、エピソードの一つひとつはもちろん知っていたのだが、当事者の悲哀が生々しく伝わってくる演出だったと感じた。 新漫画党の会合とか、本当にこんな感じだったんだろうなと思えるものだったし。
そして、安孫子先生役の方、似過ぎ。 あと、藤本先生役が阿部サダヲさん、森安直哉先生役が古田新太さん、鈴木伸一先生役が生瀬勝久さんと、その後大成した役者さんが結構出ていたのだな。 初めて観たときは当然全員知らなかった。
午前中は息子の送迎。 午後はもっぱら録画消化して過ごす。
記事。 良かった。 にしても、2週間バッテリなしで耐えなければならないかも知れないとは辛いな。
ZX11のウィジェット改造を試みたが、仕様が複雑化しているので苦労。 やはり無理がきたか。 C++での再実装を一瞬考えたが、それならQt使う方が理に適ってそうだしなぁ。
あとは録画消化と、息子に紙工作にモータを仕込む方法を教えたり。
履歴の90日制限で困った人は多いようで。 ヒューマノイド・ロボティクス・コンソーシアムが半ば休眠状態に入っているのもそれが理由の一端にある。 それでこんな記事も見たりしたのだが、類似品多過ぎ!
あまり真面目に比較してないが、なんとなくZulipが良さそうな気はする。 一人が乗り換えれば良いというものではないというコミュニティツール特有の難しさは感じる。
記事。 Ghost Roboticsというのは聞いたこと無かったなあ。 軍用にフォーカスしているとのことだけあってタフそう。 川の中泳げるの凄い。
この記事によれば、開発したのはDaniel Koditschek先生のお弟子さんだそうで、狙撃用ライフルを搭載した商品を展示した際に、Koditschek先生が資料から自分の名前を消すよう求めた、というエピソードは興味深い。
放置するとか言いながら、気が変わってZX11に取り込んだ。 ついでにFreetype2を生でいじってXImageにラスタライズすることも出来るようしたり。 フォントの選び方を統一出来ないのが若干引っかかったままだが。
ミーティング5件、インターン生さんの相談1件、論文相談1件。 早めに終わったミーティングが多かったので多少余裕があり、 今週頭の出張経費申請、来週の出張事前申請&手配のほか、Freetype2で少し遊ぶなど。
してしまった。 入っていることのメリットが何もないことに気付いてしまったので。
記事。 何の気なしに眺め始めたのだが、読み進めたら結構面白くなっちゃった。 しかも結論の納得感が半端ない。
記事。 結構気になる。 大宮店では売らないのか。
必定tagtypeを思い出すわけだが、展開したらキーボードにもなるというところが大事な気がする。
在宅勤務だったが、珍しくミーティング4件、勉強会1件と少なかったので、合間にRoKiのrkJoint仕様変更を一気に進める。 大方片付いたが、rkMotorの仕様について脇坂くんと相談が必要。 あとはXftを少しいじってみたりとかしたが、うまく動かない。 深追いする気も無く、放置することに。
記事。 敢えて元記事のタイトルをそのまま上に書かせてもらったが、かなりミスリーディング。 トヨタのマネージャさんは「私たちは、機械学習とAIが製造プロセスの進歩を可能にする未来を見据えています。しかし、すべては現在のプロセスを改善することから始まり、同時に工場から有用なシミュレーションへとデータを抽出します」と仰ってるそうなので、既存の生産プロセス管理システム(ForgeOS)と物理シミュレータ(Isaac Sim)を繋げてソフトウェア開発を効率化するのが狙いと読み取れる。 機械学習だのという話は一切無い。
ちなみにForgeOSというのはこれ。 聞いたこと無かったんで、このタイトルから想像するに機械学習ソフトなのかな?と誤解しちゃった。
記事。 車軸を偏心させると踏破性が上がるの、面白いな。 荷重をかけて支える車輪と荷重を抜いて進む車輪を分けるというのは二脚と同じで、それによって推進力が効果的に使えるようになるということかな。
記事。 昨日書いたアレについて。 僕でなくとも、ロボット知ってる人なら想像つくことだと思うんだが、そんな内容で「トリックがバレてしまう」と煽って記事書いてサラリーもらう仕事って。
こんな動画もあった。 が、長いなぁ。 全部は観切れない。
記事。 さすがに動きが滑らか過ぎるので、テレオペレーションじゃないの?と疑ったら、
マスク氏は「Optimusはまだ洗濯物のおりたたみを自律的に行うことはできませんが、任意の環境で完全に自律的にこれを実行できるようになることは確かです」と述べと書いてある。 やっぱりか。
記事。 2/21からミュージアムカフェで流れるとな。 最後の2曲は知らないな、と思って調べたら、「恋人が宇宙人なら」は宇宙フレンズモジャ公、「つなぐ未来へ」は80周年記念で作られたオリジナルソングだそうで。
年初に考えた時から間が空いてしまった。 機を見て少しずつ読んでは概要を整理することを続け、ようやく読み終わった。 正直、とても読みづらい(おかしな日本語が頻出する)文章だし、学術論文の体をとりながらかなり観念的な表現が多く、論理も突っ込みどころだらけなので、随想ととらえる方が良さそう。
まず、SINICというと 例の絵を思い出す人が多いのではと思う。 僕自身もそう。 だが、主張の核はそこでは無く、自分なりにそれを整理すると次のようなことである。
「発展に対する心理的抵抗」というのが結局鍵となる量で、技術革新が進むと心理的抵抗があっても受け入れざるを得ない(社会が勝手に変化してしまう)から、一人当たりGNPは基本的には単調に増加しながらも、技術革新とのバランスで加速したり減速したりする、ということらしい。 この根拠となっているのが例の絵で示される社会の変遷で、技術革新に伴って、価値観を形成する主体が個人と集団とを行ったり来たりする、ということを意味している(と言いつつ実は、BC100万年くらいに社会が起こってから一周するのはAD2033年くらい、と言っている)。 これがさらに「平等な社会進歩のために~」という主張の根拠になっている。
どうも著者の真意は、マルクス主義に代わる立石主義とでも呼ぶべきものを普及させることにあったように思う。 上記のように論理的に穴だらけなのと、「精神的生産性」が結局何を意味するか曖昧なので、真に受けることは出来ないが、社会の変遷に関する説明は(それがなされたのが1970年だったことを考えれば)先見性のあるものだったと言えるので、信者もそれなりにいるわけである。
会社の立場からすれば、この論文で予測された社会の変遷に合わせて技術開発や事業展開をどう進めるべきなのか、というのが大事であり、予測のほぼ終わりとなっている2033年が間近なので慌てている、という実態があったりする。
それはさておき「最適化社会」「自律社会」は結局何だったかという答え合わせ。
まず前者の「最適化社会」だが、
そして後者の「自律社会」は、
で、まあ、この段階に至ると技術革新のペースも鈍るよ、と言っているようにも思えるので、それはメーカーとしてはマンネリ化するというあんまり有難くない予測かも知れない。
ミーティング5件、インターン生さん相談1件。 合間にSINIC理論の論文を読んだり。
ロボシンの参 加登録締切が明後日だった。 慌てて経費使用の事前申請を投げる。
朝一にハンドル機能ドキュメント化とRoKi-GL追加機能のpushを終わらせてから出勤。 ミーティング4件、技術相談2件、論文相談1件、勉強会1件。
合間に、9月頃に脇坂くんから持ち込まれたRoKiのrkJoint仕様修正を検討。 結構おおがかりな変更になりそう。 やる方が管理の仕方はすっきりするので、頑張る。
夜、大宮に帰る。
ミーティング4件、インターン生さん成果報告会1件。 合間時間が比較的多くあったので、RoKi-GLメンテと、兼田くんからリクエストされたハンドル機能の計算の考え方ドキュメント化をするなど。
都道府県ローカルでやられてるみたい。 長女が出るので見てきた。
GLUTといろいろ考え方が違うみたい。
APIが与えられているのはGLFW/glfw3.hとGLFW/glfw3native.hだけで、後者はプラットフォーム依存部をまとめたものなので多分あまり見る必要が無い。 で、GLFWwindowという型がこれらの中で定義されていない。 元のリポジトリを見たらこんなところにあった。 ユーザは完全にブラックボックスとして使えということか。 にしてもウィンドウの幅・高さとか、知りたいときもあるだろうと思ったのだが、そもそもGLFWwindowはこれらの値を自分で管理していないことが分かった。 持っているのはGLFWwndconfigというやつで、グローバルに管理されているみたい。 そしてこれも隠蔽されている。
溜まっていたオトナプリキュアと葬送のフリーレンの録画消化。 あとはEscandeさんに返事、最近の出張経費申請と明日晩からの出張準備。
が午前中にあったので行ってきた。 1時限目は数学で、投影図について。 教え方について言いたいことが山ほど出てきたが、耐えた。 2時限目は国語だったのだが、なんだかテストの答え合わせをやっているだけのような感じだったな。 3時限目は総合学習という名目で、校外学習のレポートプレゼンを班ごとにやるというもの。 中身よりも面白おかしく伝える工夫をせよという趣旨のようで、これ一体どういう教育効果があるんかしら? いろいろ不安にさせられた。
記事。 ボール型だけど転がるわけではないのね。
品川へ。 電車がトラブルで止まっちゃっててどうなるかと思ったが、10分くらいで復旧して大事なきを得た。 今日のミーティングは6件。 合間時間がわりとあったんで、滞っているe-learning研修を幾つかやろうと思ったら、そのうち1件が60分の壮大な教材を観なければいけないというものだったので、堪らずスキップした。 ほか、業務相談、社員さんの論文添削、部署内教育の件、テーマ段取り修正など。 夜は新年会。
記事。 いや、初じゃないんじゃ…。
学会仕事でHumanoidsの統計データ一部が欲しいと。 ご苦労様。
兼田くんから上がったissueに関して調べていたら床井先生情報にたどり着く。 GL_QUADSとGL_TRIANGLE_STRIPは等価ではなく、3番目と4番目の頂点を入れ替える必要がある。 家を出る前になんとかRoKi-GL対応完了。
ミーティング5件、技術相談1件、論文相談1件、勉強会1件。 合間にインターン生さんにやってもらっている仕事について関係者各位とお話するなど。
今日で今週の出張は終わり。
そもそもなぜpkg-configなどが気になったかというと、Freetype2を試してみようとしたからだ。 freetype2.pcなるファイルはどこに置かれてるんかなと調べたら、/usr/lib/x86_64-linux-gnu/pkgconfigにあった。
それはともかく割と簡単に使えそう。 少し遊んでみる。
こんなのがあるのか。 お恥ずかしながら初めて知った。 mi-libでやってるconfigツールは、qt-configを参考にして作ったもの。 同じ機能を欲しがるライブラリは多いはずなので、有益そう。
ただ、システムディレクトリをいじらないといけないのは使う気削がれるな。 インストールでsudo必須にしたくないし。
現象としては、ピクセル当たりのバイトサイズが4でなければいけないところ3になっちゃってる、みたいなもの。 同期信号が正しく出てないテレビのように、絵が斜めにずれている。 インストール直後にもこんなような状況だったので、過去にも解決したはずなのだが方法を忘れてしまい焦る。 顛末としては、wsl --updateかけたら治った。
今日報告のあった特許出願予定技術について、事前説明を受けた時に権利持ち分の考え方について質問を受けていたことを思い出した。 正解は無いが、僕自身の考え方を記しておく。 これは論文の共著者に対する考え方とほとんど同じだと思う。
誰が権利を有するのかを考える時に大前提となるのは、関係者が相互にリスペクトし合っていること。 あいつが権利を持つなら俺も、みたいな考え方はトラブルの元にしかならない。
権利を分担するということは、責任を分担することでもある。 公表の中身について第三者に問われたとき、そこは誰々さんがやった(自分は関わっていない)ところなので、と言ってしまうような人は権利を分担すべきでない。
発明に関する権利がどこで発生するのかは、結構微妙でセンシティブな問題でもある。
一般的な発明のプロセスとしては、
仕事の場合には、問題発見するのは顧客であることも多い。 顧客が発明権利を有するというのはちょっと考えにくいので、これだけで権利を有するという主張は一般的には出来ないと思う。 大学の研究の場合、学生さんに問題だけ振って全部自分で考えろという教員もいて(もっと酷い人は、問題も自分で見つけてこいと言ったり、そもそも何も言わなかったりする)、しかも学会発表するときにはその先生が当然の如く共著に入っていたり、特許を自分の名前で出したりする。 このようなことは本来あってはならない。
問題発生の原因特定はとても大事なプロセスで、ここが適切になされたら問題の7割は解決されたも同然と言っても過言ではない。 なのでそれを行った人は相応の権利を持つべきだが、発明の実体では無いので、それだけで名前を連ねるのは無理があるだろう。 同じ人が問題解決にも当たるというのが、権利関係をややこしくしないための必要条件なのかも知れない。
技術的解決策を考えることが発明の主たる活動だという考え方は、多くの人が同意するところだろう。 僕自身もそれに異論は無い。 ただ、本当にちょっとした一言がアイデアに繋がったりすることもあって、それでも実際に問題解決に当たったわけでもないのに権利を持つのはおかしい、という感情が働くことも一般的にある。 悪質な人の場合、他者が特定した問題の原因に対し、実際に手を動かすことなく解決策(の案)だけ思いついて、検証もろくにせず出願しちゃうとかいうこともあるだろう。 心情的には、そんな安易なプロセスで出願・受理された特許が有益なものになるとは思えないが、原因特定した人の発明を阻害することはあり得る。 ここはリスペクトというか、モラルの問題になると思う。 アイデアを出した側としては、権利を主張したいならば、実際に手を動かさないまでも検証プロセスまできちんと踏み込んで関与すべきだと僕は考える。 研究会で学生の発表にちょろっとコメントするだけで学会発表に名前を連ねる大学教員も多いと聞くが、大きな間違いだ。
解決策の実装や検証は、それ自体が権利を持つ根拠になり得るか。 色々な意見があるだろうが、僕の意見は「ならない」である。 それらは作業に過ぎず、発明行為では無いからだ。 ただし発明に不可欠な行為ではあるので、リスペクトは必須である。 例えば学生さんが先生に言われるままに手を動かしデータを取って、考察は先生にお任せ、とかだったら、それによってなされた発明があったとしてもその学生さんは権利を持つべきではない。 逆に大学教員は、学生さんにそのような行為をさせるべきではなく、必ず解決策の考案にまで踏み込ませるべきだ。 実装や検証が請負仕事になっている場合は、権利の有無は契約で確定される。
発明の効果の明文化や権利範囲の画定は弁理士さんの仕事に負うところが大きいだろう。 なので、弁理士さんが発明の権利者とならないように、それを発明に携わらなかった第三者が行ったとしてもその人に権利は生じないはず。
あと、多分著作権にも同じことが言えるのだけど、権利を取得するに当たって必要経費を負担することは、権利を有することと直接関係しない。 金を出すから俺にも権利を持たせろ、という主張は罷り通らない。 経費負担するのが個人ではなく組織であってもそうで、 組織からアサインされた業務の範囲で創出された発明ならば組織も権利を持つ、というのは理屈になるのだけど、仮に個人が業務外に創出した発明に対し、金を出すから業務内でやったことにしろ、と組織が言ってきたとしたら、その組織は辞める方が良い。 もっとも、業務内か業務外かという判断もそんなに綺麗に線引きできないことが多いので、やはり相互リスペクトがないと健全な交渉は出来ないと思う。
ミーティング7件、そのうち2件は軽めで1件は重め。 体制の話が多めで技術の話は少な目。
記事。 ちゃんと理解できてないが、謎過ぎる。
記事。
今日から仕事始めの人も結構いて、何人かから「あけましておめでとうございます」と言われた。 年始気分はとうに無くなってたので不思議な気分。
ミーティング7件、論文化相談1件、人事面接1件と、ミーティング多めな一日。 出張時はいつもそうだが、自分の席にいる時間が出社直後と昼休みくらいしかない。
RoKi-GL、兼田くんからPRいっぱいもらったので夜対応。
成人とは関係なく過ごす。 こないだのリズと青い鳥に続き、これを観るとか。 今度は金管多めで良かった。
実装一段落。 NURBSの制御点をマウスで簡単に動かせるようになったよー。
記事。 トルクセンシング機能を付けることで優位化を図るか。 量産できるのかな。
すっかり大河ドラマ好きになった我が家。 三石琴乃さんの登場に盛り上がる。 国仲涼子さんの役どころがいきなり害されて驚く。 玉置玲央さんは、割とアレな役ばかりやらされてる感があるな。
息子と一緒にレゴランドに行く。 場所が場所なので高めに値段設定せざるを得なくて、その下でどう面白いコンテンツを用意するかが考えどころなんだろうけどね。 やっぱりレゴ大好きな子供たちが来る所なので、レゴ作りコーナーをもっと充実させるのが正道なんじゃないかな。
その後、こないだ2時間待ち行列が出来てて入るのを断念したダイバーシティのGUNDAM BASEへ。
朝、セレクションバッファまわり実装した後で、SINIC理論の理解の続きをやろうかと思ったけど、ぐうたらしたくなったので録画を幾つか消化、夕方にドコモショップに行ってプラン変更するなど。
ミーティングの一つで、SINIC理論に考えを及ぼす機会があった。 これは一応弊社の羅針盤となっている考え方なのだが。 1970年に予言の意味も込めて出されたこれによれば、2023年現在の社会は「最適化社会」と呼べることになっていて、その意味するところは、上のページには次のように書かれている。
物質的豊かさから、心の豊かさや新しい生き方を求めるといった精神的な価値観が重視され、新しい精神文明に基づく生き方を行動に移していく、そんな動きが顕著になるのが最適化社会です。 効率・生産性を追求するという工業社会の価値観が相対的に低下してくる一方で、人間として生きている喜び、生の歓喜の追求という価値観が相対的に大きくなってきます。その2つの価値観と、それに基づくいろいろな社会システムやパラダイムの葛藤や軋みが顕在化し、新たな社会システムやパラダイムへと消化されていくプロセスが、最適化社会の20年間であるといえます。
最適化とは言わずもがな、制約条件の下で利得を最大化=損失を最小化することである。 利得/損失の定義に、互いに競合する複数の性質が含まれる時、最適化という語が意味を持つ。 上の文章は大変分かりにくいが、「物質的豊かさ」と「心の豊かさ」、あるいは「効率・生産性」と「生の歓喜」が競合関係にあると言っているように読み取れる。 本当にこれらの対は互いに競合するのか?
SINIC理論では、社会の変遷はGNP増加と相関があると説く。 物質的豊かさや効率・生産性は単調増加し、それと関連して社会の在りようが変わると言うことである。 それに加えて、心の豊かさや生の歓喜を求めた結果これらが減少する、というニュアンスがあるのか?
一方、こんなページを発見。
「最適化社会」とは、情報化社会の次に到来する社会であり、たとえば個々人の嗜好や用途に合わせた製品を大量生産のボリュームを持って生産する「マス・カスタマイゼーション」のように、情報テクノロジーを中心とする技術を個人や社会課題の解決に向けて最適化することを志向します。
と書かれている。 そもそも様々な物事の情報が容易に入手できるようになり、それらがつながることで、全体の最適化が図れるようになるということか。 「情報化社会」の次に来るもの、と位置付ければロジックはシンプルになる。
本当はどう定義されていたのだろうか。 そういえば原著論文(ここで読める)を読んだこと無かった。 調べてみることにする。
さて、「最適化社会」の次に来るのは「自律社会」であるとされている。 上でリンクを張ったデータのじかんには、次のように書かれている。
最適化社会を経て、物質から人間中心の社会へシフトした私たちの社会は、2025年以降、「自律社会」となり、人々は社会や組織からのコントロールを必要とせず、それぞれの新しいものを創造することへの自律した志向によって社会は発展していくことになります。これはたとえば、組織のメンバー一人一人の自律した意思決定により存在目的を発揮する「ティール組織」の概念と重なります。
「ティール組織」というのは初めて聞いたが、組織の存在意義を個々の構成員が自ら見い出し、それに従って行動規範を自ら形成している組織、というような意味合いらしい。 「組織」を「社会」と読み替えれば、要は法でなく道徳によって秩序が形成される社会ということか。 これが「最適化社会」の次に来るロジックがまだ分からないが、個々人が自分で自分の生活を最適化出来るのが「自律社会」ということなのかな。 そこも原文ではどう説明されていたのか調べてみる。
今日もミーティングが幾つかキャンセルになったので、3件のみ。 合間にNURBS空間曲線のレンダリングを少し。 これは既にある空間曲面のレンダリング機能を元にするだけなので楽勝だが、インタラクティブに形状修正できる機能をつけるためにセレクションバッファまわり見直す必要があると気づいた。 あとは、来週また京都に出張することになったので、その事前手続きとか。
出勤した。 有休とって12/23~1/9まで連休にしているメンバーも多いので、オフィスはかなり静か。 ミーティングも少なく、遠隔で実験助言、勉強会1件、技術相談1件、あとは宿題になっていた社内教育関連の仕事とOpenGLハンドルクラスの修正。 日々このくらいの忙しさだと有難いんだがな。
これを見て来た。 昼前に行くと空腹感が増幅されるので要注意。 食べられるキノコ・食べられないキノコのコーナーや、サザエさんに見られる食に関する話題のコーナーが特に面白かった。 あと、このミニ企画展とコンクール作品展も。 皆さん筆致が見事。
OpenGLのハンドルクラスは出発前に出来たと思ってpushしたのだが、外出している間に兼田くんにダメ出しされた。
こんな記事が出ていた。 デザイン少し変わったな。 記事内ではワルキューレと呼ばれているが、どっちでも良いはず。 なにげにAtlasより大型で重かったりして、怖いんだよね。
下の娘の自転車練習、録画消化、息子と折り紙ズゴック折るなど。 録画のうち一つはリズと青い鳥。
夜、OpenGL続き。 ハンドルクラスが出来てきた。 並進量の変換に少し頭を使う必要がありそう。
元日からえらいことだ。 渡辺先生、辻さん、関本さん、関本さん、無事だろうか。
年賀状書きを持ち越してしまった。 朝から書き、昼過ぎにはなんとか終わる。