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防衛大学校物語 四方山話

 

防衛大学校物語 訓練からの続きです

 

 

主要な話はもう大体書いてきたと思うので、あとは純然たる私の1学年当時の毎度馬鹿馬鹿しい思い出話を少々。ここから先は防衛大学校のOBや関係者などが聞いても全く共感を得られない話ばかりになりますから、予めご承知おきください

時系列的にはまた入校当初に戻ります。学生寮の生活が大変過ぎて、上級生の居ない課業時間が憩いの時間になることは既に解説した通り。そのため学生は授業中に猛烈な睡魔に襲われますし、教官は学生を授業中に寝かせないようにアレコレ手を尽くすという熾烈な攻防が繰り広げられています三浦瑠璃さんのお父さんが防大教官だそうですが、苦労されているのでしょうね・・・(私が在籍していた当時から教官をされていたそうですが、文系の方なので接点無し)。

私のそんな憩いの時間(?)を邪魔する男が居ました。それが度々登場する強烈な個性の持ち主である少年工科学校出身のE君。まあ本当に皆が皆個性的な集団である441小隊の中でひときわ異彩を放った変人が彼でした

当時は丁度オウム真理教によるテロの年だったので「毒を入れられるかも知れないから水に気を付けるように」という達しがあった程。私は「都会っちゃー、なんちゅー怖いとこだっぺー」と(?)ビビりながら生活しておりました。

ただ少年工科学校(略して少工)出身の彼は「しょーこー、しょーこー、しょこしょこしょーこー」と当時のヤバイ歌に合わせて口ずさんでいました他にもえげつない下ネタを言ったりして、周囲には苦笑以外の笑いは一切起きませんでしたが、それでも意に介さず嬉々として繰り返す変態ぶりをフルに発揮する鋼の精神力を持ち合わせていました

そんな彼でも同期でありながら自衛隊では先輩なわけですから、4月の入校から皆が生活に慣れる夏休み前までは、色々頼りにせざるを得ませんなので多少の変態ぶりには目を瞑って、適当な距離を取りつつ付き合っていくのが正解のように思われました

 

 

そんなE君が本当に変態だなと心底強く感じた出来事がありました。私は入校のために針治療を受けた程に視力が悪かったという話は書きましたが、そのため授業は一番前の真ん中の席を選んでいました当時メガネはしていましたけれど度が合っておらず、黒板が見えませんでしたからE君も弱視でメガネをかけていて、やはり教場の一番前の真ん中の席を選んでいました。

なのでE君と私は並んで座ることが多かったのです。特に教場は一般的な大学同様に机が繋がっていて、イスが3〜5席ずつくらいあるタイプ。今のご時世では一つずつ離れて座らないといけないでしょうけれど、当時はそんなルールありませんでしたから、隣の人と足が触れるか触れないくらいの距離で授業を受けていました。

まだ4月で入校式からそんなに日が経っていないある日の授業中、E君が机の下の私の太ももに手を置いてきましたまだ高校生気分が残っている学生ですから、単なる「おふざけ」だと思い「やめろよ」なんて小声で払いのけると、また手を乗せてくるのです。「やめろって」と幾度となく払いのけていると、キッとした目で睨むような顔をしてくるのです

私が内心「えぇマジなんか、コイツ」と思っていると、今度はこっそり小さな紙を折り畳んで渡してきました。開いて見てみると「今晩、8号舎の屋上で待っているわ(ハート)」などと書いてあるのです引きつった顔でまたE君の顔を見ると、何かニンマリしたような表情を見せています「いやいや、マジか・・・

授業の度にこのようなやりとりが続きました「昨日何で来なかったの?」などと言われ「行くわけないだろ」と応じると、また冗談なのか本気なのかよくわからないような反応「やっぱり自衛隊には・・・」と思い、本当に4月末頃にはこれが原因で辞めようかとも脳裏をよぎった程でした

結論を言うと、いじられキャラだった私に対して、おネエキャラでからかっていただけだった模様。全然面白くありませんが、当人はそれで面白がっていた様子。まだ互いの本当の性格などがわからない日が浅い段階で、そんなリアリティのある冗談を繰り出してくるところに、センスがおかしいと思いました

私も5月以降はこのセクハラ行為に対し、普通にグーで肩の辺りを殴ったり、後頭部をはたいたり、尻を蹴り上げたりして応戦するようになりましたこの辺りが私の専守防衛による自衛権の発動でした

 

 

本当に書いて良いのかどうか悩ましいところですけれど、四半世紀前の時効という言葉の便利さで公表しますが、私の防衛大学校人生で転機(?)とも言える最も大きな事件がE君絡みで起きました。思い出を語る上では決して避けて通れない、それはそれは衝撃の大事件でした

夏休み、冬休みの度に引っ越しが行われ、前期、中期、後期で部屋替えが行われますなので同部屋の人間も一年で3回変わります。全て同小隊の中での部屋替えなので、後期には遂にE君と同じ部屋になりました。他にもJ君が居て3人部屋。

正直E君との同部屋は嫌でしたが、まあその頃には彼の取り扱い方にも慣れていましたし、射撃でも補射だったE君のメッキは剥がれていたので、彼が偉ぶることもありませんでした思ったよりは平穏に過ごせておりました

E君は銃剣道部に所属していて、ある冬の土曜の夜にその銃剣道部による飲み会が行われた模様21時前に彼は酔っ払って帰ってきました体育会系の飲み会ですから、かなり深酒で顔が赤く、意識はあるけどグデングデンな感じ

土曜は夜間の点呼も室内で行われるため並ばなくても良いので、1学年でも別にベッドで寝ていても構いません。なので酔っ払って帰ってきても、土曜ならばとりあえず支障はありません。

私は趣味でJ-POP音楽を集めるのが好きだったので、当時はまだCDか録音ならカセットテープが主流でしたけれど(MDやDATが出始めた頃)、たくさんのJ-POPミュージックを網羅して取り揃えていましたなので娯楽に飢える防大1学年は、私のところでパソコンゲームをするか音楽を聴くかということで、結構たまり場になっていました

その時は同小隊のK君が遊びに来ていて、私と音楽談義をしたり「誰々の曲貸して〜」などと休日の時間を楽しんでいました我々が楽しく話をしている横で、E君は机にうつぶせて寝ていました

 

 

同部屋のJ君はいつも点呼ギリギリまで外出しているタイプだったので、部屋には私とE君、K君の3人。ちなみにJ君は当時その場に居合わせなかったことを未だに悔やんでいます。

私は「おいE、寝るんだったらもうベッドで寝たら?」と促すと、フラフラと立ち上がり、彼はベッドの方に向かっていきました。そして倒れ込むように寝入りました

何か寝言だかうなされているのかわかりませんが、色々と「あー」とか「うー」とか言っています。うるさいなと思いながらも、私とK君はそのまま話しを続けていました。そんなに苦しそうな顔もしていないし、まあ一晩寝れば翌日に二日酔いが少々残る程度だろうと。

それから2〜30分後私とK君は話しに夢中になって、E君の事をすっかり忘れていました。途中でフッと「そういえばEは大丈夫かな?」と思ってベッドの方を見ると寝ているはずのE君の姿が見えません。「あれ?」と思って視線を部屋の隅の方にやると、ベッドの横の段ボールが置かれている小さなスペースにチョコンと座り込んでいました。

「おいE、そんなところに座り込んで何してるの?」と聞いても返事がありません。寝ているような起きているような酩酊状態。「おいE、大丈夫?」と彼に近づきました。

すると私は妙な違和感を覚えました。「あれ、E、何でズボンを脱いでるの?」遠目ではベッドの影に隠れて見えませんでしたが、彼はパンツも下ろしてお尻を出した状態で座り込んでいたのです。まるでトイレでもしているかのように・・・。

私が「E、ひょっとしてウ○コでもしてるんじゃないの?」と冗談っぽく言いました。K君も笑いながら「ははは、まさか」と。しかし私は心の中で急速に不安の翼が羽を広げていくのを感じました。

 

 

「おいE、ちょっとお前立ってみろ」と慌てて促すと、嫌な予感が的中。そこには茶色くて異臭を放つ物体が鎮座していましたよりによって段ボールの上に置いてあった自分の作業帽の上に座り込んで出産した模様。作業帽の上に乗っていたのは紛れもなく彼のウ○コでした

その瞬間、私とK君は凍り付きました。それまでE君のお尻で封印されていた邪悪なものが解放され、半瞬後には強烈な異臭が鼻孔を襲います。その刺激で氷解すると、K君が「おえーーーっ」と言いながらものすごい勢いで部屋を飛び出していきました取り残された私はとりあえず意識のハッキリしないE君をベッドに俯せで寝かせると(仰向けだとお尻に残っているウ○コがベッドに付いてしまうので)、廊下に飛び出しました

そして大声で「441小隊の1学年全員集合」と、皆を非常呼集します。部屋のドアを開けた瞬間、刺激臭が廊下中に広がり、私の部屋で起きた緊急事態を嗅覚を通じても届けます。

K君が在室している1学年を集めて来てくれて、5〜6人の勇者が私の部屋に集いました(ある部屋の3名は固く扉を閉ざし拒否されました)。皆鼻を摘まみながら「うわっ」「遂にやったか」などと部屋の惨状を眺めながらも口々に感想を述べます。

私はまず彼の作業帽の端を持ち、諸悪の根源である異物本体をトイレに流しに行きましたその間、勇者達にE君の監視と床に新聞を拡げておくように指示。トイレで流すとそこからトイレットペーパーでなるべく作業帽についてる残滓を拭き取り、そしてある程度水で流してから洗濯機に突っ込んで洗濯開始(次に使った人は知らなくて良い都合の悪い真実)

トイレットペーパーを持って部屋に戻ると、床に敷き詰められた新聞紙の上でE君に「四つん這いになれ」と指示。E君はフラフラしながらも四つん這いになり、我々にこれ以上無い恥ずかしい姿を見せつけます。そして「皆、ここは一人一拭きや」と同期の団結を促しましたが、同意は得られず、結局同部屋の責務として私が彼の介護をすることに。意を決して名実共に尻ぬぐいをしました

 

 

そうやって一通りの後処理が終わると、私には賞賛の嵐「お前は本当に偉い」「Eの尻よく拭けたな。いくら同期の絆でもオレはそこまでしてやれんわ」「非常時の即応力が凄い」などなど。一躍時の人となり、本当にそれまで小隊で1、2を争う出来損ないだった私の株が、一気にストップ高2発付けたくらいの急騰ぶりになりました一方で大暴落はE君の株でした

その時突然部屋の内線が鳴り響き「3年の○○だけど」と次期カッター競技会総長である超怖い先輩から電話がかかってきました「おい、Eが部屋でウ○コしたって聞いたけど本当か」私は「ヤバイこの騒動でシバかれる」と心が凍り付きました

回避する術も無く、私は意を決して「ハイ」と応じました。すると受話器からは大きな笑い声が「ハッハッハEのやつ部屋でウ○コしたかそうかハッハッハ」と豪快にご満悦で電話をガチャリ。その○○さんは銃剣道部で、正にE君を酔わせて潰した張本人なのでした。私はホッとすると同時に、内心「あんたのせいでこっちは大変な目に遭ったんやぞ・・・」と怨み節

そんなE君とは何とかして距離を置きたいと思うものの、その後学科も同じになったので、腐れ縁は4年間続きましたE君は鋼の精神を持っているので、むしろ4学年の時には大隊全員の前で自身のエピソードを披露してネタにしていました・・・また話にも尾ひれがついて「私が作業帽でウ○コを床に落ちる前にダイビングキャッチした」などと面白おかしく拡散していきました

そんなE君も、なんだかんだで卒業後にちゃんと伴侶を見つけられた(しかも学校の先生だとか)ようでビックリ一昨年に再会した時は面影はありましたけれど、別人のように大人しくなっていました。「また機会があったら会いたいね」と言われましたが、私は「もう結構です」と丁重にお断りしておきました

※これら一連の話はあくまで特異例です。他の皆は幹部候補生としてもっとちゃんとしています。

 

 

これは一応非公式行事なのですが、横須賀の防衛大学校から靖国神社まで歩いて参拝し、戦没者の慰霊に行く「靖国行軍」というイベントがあります(※我々の時はそう呼んでいましたが、今は「東京行進」という言葉になっているようです)。70km程の行程を24時間夜通し歩くというもの

あくまで自由参加で11月後半の土日を使って行われるのですが、校友会(クラブ)の対外試合などのイベントが無い限りは半強制参加です。特に1学年はほぼ強制参加。大体毎年400名から500名程の参加があります。

非公式行事なので服装は歩きやすさ重視。ジャージでリュックを背負っています。傍から見ると何の集団かはわかりません。ただ集団で歩いては一般市民に迷惑なので、小隊単位で小分けに発進していき、先頭と最後尾で時間差を付けています

一時間おきに10分程休んで行くペースですし、基本自由なので休憩中には飲酒も可天気が良ければ思った程しんどくはありませんこういうイベントの時は上級生もケンタッキーやドーナツを買ってくれたり優しいので、皆で和気藹々と喋りながら歩いて行きます。むしろ親睦を深める機会だとも言えます。私は皆と「謎かけ」をしながら歩いた思い出があります。

普段は京浜急行で1時間もかからずにビュンと通り過ぎていく景色達歩きながら見てみると、それまで見えなかった色々な移り変わりが楽しめて新鮮です前半はまだ体力的に余裕があるので多少ふざけたりして楽しく行きますが、夜も更けて深夜ともなると疲労や寒さで黙る人と変なスイッチが入ってテンションが上がる人と分かれます

 

 

そんなこんなで陽が沈んでまた太陽が昇り、明け方には大体皆さすがに疲れ果てています最後の気力を振り絞って黙々と皆で歩き、まず千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に到着。気持ちをシャキッと切り替えて皆で黙祷し、戦没者の御霊を慰めます

しかし戦時中は当然こんなハイキングに毛の生えたような行軍ではなく、重装備を背負ってロクな飲食もできず、国や家族を守るために疲労困憊の末に命を落とした方々の上に今の平和と繁栄がある。感謝してもしきれません。

ちなみにさすがに帰りはバスです昼前頃にようやく靖国神社に着くと、まずバスに予め預けておいた制服に着替えます手は白手の正装。そして昇殿参拝します。宮司の講話も聞きますが、正直疲れであまり耳に入りません・・・

しかし本当に靖国神社を政治問題にして腫れ物扱いするのはいい加減止めにしましょう。他国が何と言ってこようとも、政治家は毅然と全員参拝すべきです。私利を捨てて国のために命をなげうった人に感謝しない国が、世界のどこにあるというのでしょう。彼らの犠牲がなければ、政治ごっこすらできないのです。余計な思想のノイズが入り込む余地もない、単純な道理です

ともかくそれらが終わると帰路に着きますあんなに長かった道のりが、バスの中で泥のように寝て瞬間的に防衛大学校に戻ります

実は私、参加したのは1学年の時のみ。あとはバドミントンの試合がある・・・と言って無理矢理対外試合を入れてサボっていました皆で行ったら行ったで楽しいんでしょうけれど、やっぱり大変なので・・・以降はプライベートで靖国神社に参拝しています。電車で(つづく)

 

 

防衛大学校物語 裏話

 

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