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防衛大学校物語 裏話

 

防衛大学校物語 四方山話からの続きです

 

 

学生達が生活する学生舎には、寮ならではの怪談話がいくつかあります消灯後の夜話の中でよく語り継がれており、話題になるのは恐らくデジタルな今の時代も変わらないかも知れません

一つは「飛ぶ生首」の話夜の学生舎の廊下を生首がフワフワと浮遊していて、部屋の扉の上部の小窓から皆が目撃したいという話(事実かどうかは知りませんが)かつて防大の敷地が処刑場だったので、そのように成仏できない霊がいるとかいないとか霊感が強い人は「あぁ、この部屋に何か居るわ」などと言うのは、どこの寮でもあるあるかも知れません

また「大量の手が出てくる」という話これは学生舎ではなく、PX(商店)が入っている学生会館での話ですが、(こちらも事実かどうかは知りませんけれど)かつて第二次大戦中に学生会館の地下は朝鮮人の収容施設になっていて、そこで亡くなった大量の調整人達の手の霊が出てくるとか出ないとか確かに学生会館の地下は雰囲気が暗いですが、事実だとするとそこで働く床屋さんやクリーニング屋さんなどはたまったものではないですね

一つは「緑の小人」の話。タイトルだけ聞くと白雪姫チックで可愛らしいですけれど。ただこれはもうほとんど覚えていないのですが、夜中に全身緑色の小人が包丁を持って刺し殺しに来る・・・という話だったと思います

怪談よりも具体的なのは、洗濯物をした後に洗濯物を干す「乾燥室」があったのですが、そこに干されている大量の洗濯物に紛れて首吊りをしていたという学生の話、○号舎の脇に植えてある木で学生が首を吊った、などなど。真偽の程は定かではありませんが、まあ現実味はありますね。個人的には全然気になりませんでした。上級生の方が圧倒的に怖かったので

ちなみによくあるイタズラとして、消灯後ベッドの下に隠れていて、その人が歯磨きやトイレから戻ってきてベッドで寝たら下からガッと腕を掴んで驚かせるというものがありますやられたらガチで怖いですね私は4年の時に、同部屋の4年がベッド下に、下級生がロッカーの中に隠れていて結託して仕掛けられた事があります。

ただ実は私、結構勘が良いので空気の異変を察し、別の部屋の同期を連れてきて「何か良くわからないけれど、この部屋おかしくない?」と言って、その連れてきた同期の方が引っかかったということがあります仕掛けた方もターゲットは異なったけれど、一応引っかかってくれたので、我々の部屋の全員満足して終わったということはありました。別の部屋の同期の彼を除いては。

 

 

幸い私の同期で殉職したという話は出ていません。2年前の同窓会でもそういった暗い話が出ずに済みました。ただ職場の特異性もあって、常に死と隣り合わせであることには違いありません。実戦モードの訓練では殺傷能力が高い武器を扱い、それ故に最高レベルの緊張感と慎重さが求められ、責任も重大です。

航空機などは単なる遊覧飛行では済みませんし、自然に極端に逆らった操縦を強いられる場面もあります。荒天時でも災害派遣・人命救助などの場面では多少の無茶は必要ですし「原発に水をかけてこい」というような、どんなに無意味で馬鹿馬鹿しい命令でも唯々諾々と従って、命をかけて日々任務をこなさないといけません。

甚大な災害時には遺体捜索といった辛い仕事もあります。丁度2年前の同窓会時も同期が「豪雨災害のご遺体が見つからないと参加できない」と。結局はギリギリ見つかって参加はできたのですが「忙しすぎてほとんど寝て無くて、酒を飲むと帯状疱疹が出来るから、今回酒は飲めない」と言っていました。日本酒の飲み歩きが好きな奴なのですが。

また活動範囲も国内に限りません。ジブチのような紛争地域にも出張っていますし、駐在武官としてイタリアやインド、アフリカといったコロナの猛威が凄まじい地域にも赴任しないといけない同期もいます。彼らの無事な帰国を祈るのみ。

日々のニュースで「自衛隊機が墜落した」などと出てくると、私はまずドキッとします。誰であっても胸は痛いですが、やはりそれが顔の知っている同期や先輩、後輩だと殊更ショックは大きいです。これまでヘリの墜落で顔のわかる先輩2名が殉職されました。本当に同期を含め、現役隊員の皆には頭が下がる思いです。

 

 

先に「同期で殉職した者は居ない」と書きましたが、それは部隊に配属されてからのお話。実は学生の際に、しかも1学年の時に2名の同期を亡くしています。

一人は事故で。というのは彼は山岳部に所属していたのですが、夏休みを利用した校友会活動の一環で、たまたま私の住む富山県の立山登山に行っていたのです。そこで滑落し、命を落としてしまいました。当然全国ニュースにも出る大事故でした。

同行していた同期の女子学生は隣の中隊の女の子だったので話したこともあったのですが、彼女も滑落して大ケガを負い夏休み中はずっと入院。私も帰省中にその事故を知り、本当はお見舞いに行きたかったのですが、どこの病院かわからなかったので断念しました。退院後もしばらくはリハビリが必要な状態で、訓練などは免除されていました。

そしてもう一人は残念ながら自殺です。秋〜冬にかけての頃だったと思いますが、学生会館の屋上から飛び降りたということ。遺書は無かったようで、同部屋などの話から、やはり上級生による厳しい指導に耐えかねて、突発的な行動だったのではないかとされています。

自衛隊には警察の代わりに警務隊という独自の警察機関があり、敷地内で起こった事件の捜査権があります。そのため外部のニュースになることもなく内々に調査され、処理されます。私が在籍していた4年間で自殺はこの1件のみでした。

ある土曜日の朝です。土曜なので、起床ラッパを気にせずに寝ていられるはずでした。しかし起床ラッパの代わりに鳴ったのが非常呼集のラッパ。先にも書いたように、非常呼集はぶっちゃけ事前に「ありそう」という空気があるので、無警戒だった我々は完全に不意を突かれました。ドキッとして跳ね起き、同部屋に「おい、非常呼集だ!起きろ!!」と促します。

ところが非常呼集ラッパの後に続いたのは「学生は着替える必要は無い。ジャージ等で構わないので直ちに舎前に集合せよ」というアナウンスでした。よもや土曜の早朝に起こされるとは思わず、上級生なども「なんだよー」と不機嫌そうな表情。ぶつぶつ言いながら眠い目を擦りつつゾロゾロと集まってきました。

 

 

土曜に異例の整列点呼が行われ、我々は特に問題無く解散。特に非常呼集の理由も告げられませんでした。その後、釈然としないまま部屋に戻った後に小隊一の噂好き早耳筋が「おい、聞いたか?学生会館から飛び降りが出たらしいぞ」と教えに来てくれ「えぇ」と我々は絶句。

防衛大学校という小さなコミュニティで、話はあっという間に広がります。非常呼集の点呼は自殺者(行方不明者を)特定するためのものだったのです。詳しく聞くとA君と同じ中隊の1学年でした。

先にも書きましたが一緒に富山から電車に乗って防衛大学校に入校したA君が、その厳しさから毎晩実家のお祖母ちゃんに電話をかけて泣き言を言い、お祖母ちゃんが毎晩電話がかかってくるのが嫌だった・・・という逸話がある程に厳しかった中隊。それ故に招いてしまった悲劇だったと思われます。

私はどうでしょうか?自分で振り返ってみて、幸い自殺しようと思う程に追い込まれたことはありませんでした。というより、自殺するくらいなら辞めようと思えるので(実際に辞めようとしましたし)、まだまともな精神状態を保てるだけの余裕がありました。しかし自殺した彼はそうできなかったのです。彼なりの辞められない何らかの事情があったのかも知れません。

他人に彼の気持ちなど知る由もありません。そもそも名前も知らない程に面識が無かったので、彼の性格も、一体どういう状況で、何がきっかけでそうなったのかはわかりません。ただ一つ言えるのは、例えばマラソンを走っていて苦しくなってくると視野は狭くなります。もう本当に目の前の真正面の風景くらいしか見えず、周囲に気を遣うことはできなくなります。

それと同じように、本当に精神的に苦しい状況に追い込まれた時には視野が狭くなり、正常な判断が出来なくなり咄嗟に行動を起こしてしまう。人間であれば誰でもあり得る性質です。もし本当に上級生の指導が厳しかったことが原因ならば、その厳しさは1年間乗り越えれば終わる話です。2学年になれば大隊も変われるので上級生も変わりますし、扱いも1学年に比べて随分楽になりますから。

ところがそういう理屈や合理性で考えられなくなってしまう視野狭窄。実際に自殺を考えるのと実行するのには1万光年もの開きがあるはずなのに、それをワープして超越してしまう瞬間、そういう「魔が差す」瞬間は誰にでも訪れます。たまたまこれまで私に起きなかっただけの話かも知れません。

また誰かに相談できれば、自分でため込むことなく、口に出して苦しさをはき出してしまえば随分と結果は違っていたのかも知れません。私は弱音を吐けるタイプの弱い人間だったのが幸いしていたのかも知れません。そして一部の上級生には可愛がってもらえるタイプの人間だったので、まだ救いがありました。

これは何も防衛大学校だけの話ではなく、学校でいじめられたり、あるいは職場で辛いことがあったり、家族と些細なことで言い合いになったり。人生の様々なステージでどの組織に属していても、我々は常に人と上手くバランスを取りながら生活していないと、風に強く煽られてバランスを崩してしまうことがあり得ます。

ですから、精神にはしなやかさが必要です。あまりに硬直するとポッキリ折れてしまう。芯が強く無いならそれを自覚して、柳のような柔軟さで強風が吹いても多少自分を曲げて受け流せる技や技術を体得することが必要です。これは完全に追い込まれる前に自覚する必要があるので、非常に難しい話ではあるのですが。

 

 

後日、全学生が制服を着て正装し、手には白手をはめて本館から正門にかけてまっすぐ伸びる道に整列しました。先に靖国神社を参拝した時と同じ礼装です。彼の遺体を乗せた霊柩車を見送るために。

通過する際に我々は脱帽し「45度の敬礼」をします。普段、帽子を被っていない時には腰から10度だけ前に倒す「10度の敬礼」が基本。しかし「45度の敬礼」とはより深くお辞儀をする最敬礼。天皇陛下と死者にのみ実施します。本当に残念なことに、私の人生で45度の敬礼を行ったのはこの一回のみ。

↓隊員の棺に対する敬礼は以下の「隊員の棺に対する敬礼」が第40条で定められています。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/b_fd/1961/by19620129_00003_000.pdf

全学生が45度の敬礼で見送る前を霊柩車が通り抜けていきます。通過後、敬礼を解き、最後は全員で制帽を掲げて振る「帽振れ」で見送ります。

その際、霊柩車に同乗していた彼のお祖母ちゃんが目をハンカチで押さえながら嗚咽し、震えながら泣いているのが見えました。そしてそのまま霊柩車は正門から外に出て行きました。これは本当に今も思い出す度に胸がグッと締め付けられるシーンで、鮮明に焼き付いています。孫は防衛大学校に入らなければ、死ぬことは無かったのに。こんな形で送り出される事は無かったのに。

あるいは自分を責めているかも知れません。自分はもっと孫にしてやれることはなかったのか、もっと話を聞いてやることはできなかったのか。恐らく防衛大学校に入る時、彼は誇らしげに将来像を語り、お祖母ちゃんも逞しくなったように見えた孫の姿を嬉しく思ったのではないでしょうか。それが1年も経たないうちにこんな姿になって戻ってきてしまった・・・。

繰り返しになりますが、私は彼がどういう人物像で、どういう家庭環境で、そして何が原因でこうなってしまったのか知る由もありません。しかし恐らく70年も80年も人生経験のあるお祖母ちゃんの感情を、ここまで激しく揺さぶる悲しい出来事が起こってしまった。

この責任が防衛大学校にあるのは間違い無く、私は同じ組織に所属しているだけなのに何か罪深いものを感じてしまった出来事でした。決してこのようなことを起こしてはいけません。

私自身は辛い日々の精神安定剤として毎日課業の休み時間に「日記」を書いていました。まあ日記といえる程大した話ではなく、一行程度「今日は○○があってどうだった」と書くくらいです。そんなに書いている時間も無いですからね。ただ「進め電波少年」でヒッチハイクをした猿岩石がそれをやることで精神安定を保ったという話もあって続けていました。今それがどこに行ったのかわかりませんが。

 

 

最後にどうしても避けて通れない話が、学生の任官拒否の話。例年大なり小なり任官拒否者が発生し、毎年平均して30〜40人が卒業と同時に下野します。卒業時は400人強くらいの学生が在籍しているので、1割弱という計算になるでしょうか。そして毎年新聞各紙に卒業式の記事に合わせご丁寧に「今年は○○人任官拒否した」などと書かれてしまいます。

この数字は非常に現実的に、世の中の景気動向とリンクします。話によると、バブルの色彩残る91年は過去最多94人の任官拒否が出たということですが、以降はグッと減ります。特に私の期は就職氷河期だったこともあり、20人くらいだったと記憶しています。3学年の後半辺りから、内輪でもそういった話がチラホラ出始めます。一般の大学ならば就職活動している時期ですから。

ここから先はあくまで私が在籍していた大昔の話。今は時代の流れもあってどうなのかはわかりませんので予めご承知置きを

とにかくこの話は当然非常にナイーブな話。指導官の耳に入ろうものならば、すぐに呼び出しを受けて尋問されます。そしてもしそういうつもりなら「今すぐ辞めろ」と圧力がかかります。実際、就職活動を始めていたことがバレた私の最初の同部屋D君は、3学年の終わり頃に退校させられました(あくまで自主退校という形)。任官拒否は世間体も悪く、指導官の評価にも響いてくるのでしょう。

企業名の入った封筒が学生宛に届けられようものならば、封筒を開けられて検閲されたりもする模様。一度封を剥がした跡があったという話も聞きました。まあ今はネットでしょうけれど、当時はスマホなんて無かったですし、まだメールすら黎明期。独自のメアドは防大のドメインでしたし、こちらも検閲されていた模様。

4学年になって秋頃になると、指導官との面談が各人毎行われます。そこで最終的な意思確認となります。実は私も当時は「このまま任官して良いのか」と悩んでいました。別に他に何かやりたいことがあったわけでも無いのですが、これまで書いてきたように私は「出来ていない」学生だったので、リーダーシップを取れるような幹部自衛官の資質があるのかどうか甚だ疑問でした

そういうことを口にすると、やはり「辞めるなら今すぐ辞めろ。卒業まで引っ張るな」と言われ鼻白んだこともあり、私は消去法的に任官することにしました。一方「学生と違って現場に出てみれば、新しい可能性が開けるかも知れない」と前向きな気持ちも持ち合わせてはいました。やってみてダメならいつでも辞めれば良いだけだ、と。この精神も防大4年間で培われたものではあります。

ちなみに越年してまで悩んでいたので、本来次のステップである江田島の幹部候補生学校の下宿を早く押さえないといけないのですが、あまり良い物件が残って居らず。制服を販売している業者の方が「うちで良ければ空いているよ」ということで、そこにもたもたしていた他の二人とお世話になりました。

 

 

任官拒否に関して「契約違反」だの「税金泥棒」だの色々批判があるのは感情論としてはわかります。多分私も防衛大学校に入っていなければ無責任にそう言っていたと思います。ですからまるで「抜け忍」や「前科者」のように後ろ指を指されないよう、その後の人生ではその事実を隠しながら生きていかないといけないのかも知れません。

ただ現実的な面から考えると、任官拒否というのは学生のみならず自衛隊にとっても必要な制度だと思います。一番大きい理由は、それで組織として健全な状態を保てるからです。ご存じのように公務員は規則を守り犯罪など起こさない限り、無難にさえ過ごすことができれば「クビ」はありません。また降格処分もありません。

幹部自衛官が有能でやる気があるならば問題はありません。しかし私のように適正が無いと自覚している人間がリーダーシップを取り続けることは組織にとって有害です。そう自覚し、やる気が無くなった人を縛り付けておいたらどうなるか。やる気の無さは他人に伝染しますし、ましてや命のやりとりをする非常にセンシティブな組織ですから、大きな事故に繋がる可能性があります。

自衛隊も常に人手が足らず、充足率が低いまま回っている組織で猫の手も借りたいのは事実です。しかしだからといって(原因は人それぞれ違いますが)モチベーションや使命感が著しく低くなってしまった者を引き留めて、無理に連帯感を求めても上手くいくはずがありません。自発的に組織から去るシステムを用意しておくのは必要でしょう。

先に殉職の話を書きましたが、実はもう一件「自殺未遂」の話もありました。これも同期の話なのですが、卒業を控えた4学年の時に突然消息がわからなくなりました。点呼で人数が合わない「脱柵」です。

単位を取ってもう自由な時間がある4学年は、空き時間を使って彼を探すようにと指令を受けて、私も構内を探しました。防衛大学校の敷地は訓練もするので、日本一敷地面積が大きい大学なのです。それ故、人の目が届かない場所がたくさんあります。

やがて彼は見つかりました。どこで見つかったかというと、敷地を離れて海岸沿いに海上要員の訓練施設があるのですが、そこで入水自殺を図ろうとしたのだとか。元々精神的に不安定感のある人物でしたが、幹部自衛官になることに対して何らかの不安を持ち、思い悩んだということでした。

記憶が曖昧なのですが、確か事情が事情なので「事故」扱いにはならず、また卒業も近かったので温情で「放校」ではなく任官拒否の形で卒業となったはずです。こういう彼のように追い詰めないためにも、もう少し任官拒否はオープンであっても良いように思います。

ちなみに任官拒否者は卒業式には出られません。なので有名な「帽子を放り投げて駆け抜ける」ようなこともできません。次に進む陸海空の制服を着て、後輩に見送られながら正門を出て行くことは出来ず、校内で私服に着替えて裏門からひっそりと出て行くのです。厳しい4年間を耐え抜いたのに寂しい最後になりますが、まあこれは仕方無いですね。

 

 

ぶっちゃけ防衛大学校に一般大学のように勉学のみを求めて来る人はまず居ません。防衛学や航空、海洋といったところは確かに専門性があるでしょうけれど、その以外の一般的な分野を学びたいならもっと上質な授業や研究を実施してくれる大学はごまんとあります防衛大学校で知識が身につきました、もう用は無いので辞めます、任官しません・・・という人は居ないでしょう。

また学士資格を取るために防衛大学校に入ろう・・・という人もまず居ません。一般的に学士の利用価値は就職でしょうけれど、例えば昔の防衛大学校のように学士が取得できなかったとして、企業の人事部が履歴書を見て「あぁ、最終学歴防衛大学校ね。でもここは学士が無いから不採用」なんて言う責任者は居ないでしょう。

むしろ防大卒は企業に人気があります。やはり体力があって、リーダー的なポジションも「出来そう」ですからね。確かにそれは有利ですが、その優位性を得るためにあなたなら厳しい防大を選びます?私は本当に一般大学に入っている友人を羨んだ4年間でしたよ。夏休みや冬休みは長いし、好きな時間に外出し好きな時間に寝て好きな時間に起きても誰にも怒られない・・・

つまり最初から任官拒否ありきで入る学生なんて誰一人居ないということです。ただ実際に入ってみて「思っていたのと違った」「他にやりたいことが出来た」ということは、どの組織だってあり得るギャップです。ましてやまだ世間を知らない高校を卒業したばかりの若者に、そこまで将来のビジョンをハッキリ持って、未来を見通せ・・・というのは酷な話です。

またこれは昔の自衛隊が特に不人気だった頃の話ですが、防大受験勧誘に来る「地連」の人も「防衛大に入校しても任官拒否できるよ」などと言って、受験者数を増やしていた時もあります。それで辞められないのなら、未成年に対する誤認勧誘です。

任官拒否に対して怒る人の大部分は結局は学費がタダだったのに、という金銭面での不公平感に対して文句があるのだと思います。単純に金銭の面で言うならば、まず誤解の無いように言っておけば、家族も本人も税金は負担しています。そして民間で稼いで納税し、それをもって実質的に返済する方がよっぽどマシです。自分の得意な分野で国に貢献する方法もあるはずです。

それでも尚自衛隊にしがみついて全うせよ、という人は、少なくとも投資家には向いていませんね。つまり「損切りできない人」だからです。サンクコストに縛られて、将来の利益獲得機会の逸失や、更なる損失拡大を招くだけ。やる気の無くなった自衛官に税金を投入され続けることを受けいれることが合理的・現実的とは思えません。

(※この件に関しては誰かを説得しようとする意図は無いので議論する気はありません。所詮感情の話ですからわかり合える可能性は極めて低く、時間の無駄です。ブログは「俺様メディア」なので、好きなことを書かせてもらっています。意見のある人は自身のブログなりSNSなりでご自由に書いてください。というわけでつづく)

 

 

防衛大学校物語 あとがき

 

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