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防衛大学校物語 訓練

 

防衛大学校物語 イベントからの続きです

 

 

年間のイベントとして夏の定期訓練の話を書きましたが、遠泳と合わせて1学年時のもう一つ特徴的なイベントとして富士登山訓練があります目的はやはり自衛隊員としての体力錬成と山岳訓練、また日本を象徴する名山に登ることでの愛国心養成というところでしょうか。元々麓に演習場があるので、自衛隊員には縁のある場所でもあります。

迷彩服に似た作業服を着て、頭にはテッパチ(ヘルメット)を被り、足には半長靴というブーツ状の安全靴を履き、背嚢(リュック)や水筒を身につけます(総重量は記憶が定かでは無いのですが15kgぐらい?)。まあよく自衛隊が災害派遣でするような姿で富士山の山頂を目指すわけです
https://www.mod.go.jp/nda/information/20170725001.html

もっとも時間の問題もあり、さすがに一番下から登るわけではなく、5合目辺りからスタートします。全員で列を作って1時間おきに10分程の休憩を挟みながら登っていき、そして下山。丸一日かけるイベントです

こちらも遠泳同様、男女の別なくあまりリタイアする人はいなかったように思います。寝不足が祟って高山病などの危険もありますが、その辺りの管理も慎重に行われているので、大きな問題はありません。

私自身は富山県出身ということもあり、小学生の頃から立山登山などやらされていましたから、慣れていたというのもあるのかも知れません。たださすがに重荷を背負ったり、歩き辛い半長靴で靴擦れを作りながら登っていくというのは、体力的にしんどいのはしんどいですね

ただ個人的にも辛さよりも楽しさや達成感、充実感の方が強いです上級生のいない訓練がとにかく辛くないのは日々の訓練の賜(?)。皆と話をしながら楽しく登れます

 

 

富士登山スタートの時点で対番からの助言に従い木製の杖を購入。「こんなもの必要あるのかな?」と思いましたが、やっぱり効果的でしたあるのと無いのとでは、足の疲れが段違いですねただ登山というのは結局「慣れ」です。我々が登っている脇を、60〜70歳くらいの男性が杖も無く軽々とひょいひょい登っていくのを観て、益々そう感じました

当時はまだそこまで登山ブームが到来していなかったので、大混雑という程では無かったのですが、やはり山頂はそれなりに混んでいますそれでも昼食を食べたり、まとまった休憩が与えられました標高3,776mの富士山頂から雲を見下ろし、澄んだ夏空の絶景をおかずにミリ飯を食べるのは、やはり格別

今でこそ携帯が使えるかも知れませんが、当時はまだN102などの携帯が発売されたばかりで持ってる方が珍しい頃山頂に設置されている1台の公衆電話が、下界と唯一交信が可能な手段でした。私は登頂記念に実家に電話をしてみることに

「オレオレ。今富士山山頂」なんて母に言ったらさぞかしビックリするだろう・・・と思ったのですが、「へぇ〜そうなんけ。大変やねぇ」とあんまりピンときていない様子ものすごいスピードでみるみる減っていくテレフォンカードの残量が馬鹿馬鹿しくなって、さっさと電話を切りました

山頂の小屋でトイレを済ませると「もう下山するルートにトイレは無いからな」と言われました。ただやはり夏とはいえ富士山山頂は寒く、私はすぐにまたオシッコにいきたくなりました

 

 

富士山の下山には3時間要した記憶がありますが、2時間くらい経過したところでもう膀胱がパンパンに下腹部が痛くなってきて、疲れの汗というより脂汗的なものが出てきて、我慢の限界が近づいてきました

それで引率の指導官に「す、すいません・・・。トイレに行きたいです・・・」と訴えたら「しょうがない。神聖な富士山だけれど、背に腹はかえられない。ルートから少し外れたところで用を足せ」と言われました。

私は列から離れて小走りで駆けて行き、ズボンのチャックを降ろして放水準備。丁度雲の霧の中だったので視界はやや不良だったのですが、一方で標高が高いですから背の高い樹木など一切無い開けた茶色の荒れ地。私が今からしようとしている行為が、(背面からとはいえ)ほぼ丸わかり。男子学生は元より女子学生も居ますし、一般登山客もチラチラ混ざります。

皆に見られている思うと緊張して、これだけしたいのにも関わらずオシッコが出ず「長いな、あいつ。そんなに溜まってたんか」という揶揄の声を背後に浴びながら、何とか最初の一滴を絞りだそうとしましたが、全く出ません

結局諦め、残り1時間我慢することにしましたなのでなるべく早足で、汗として水分を体外に放出しようと(※医学的に正しいのかどうか知りません)。一番先頭を目指すようなスピードで一目散に降りていきましたお陰で(?)疲れや靴擦れによる痛みを感じている余裕がありませんでした

ようやくトイレのあるロッジに着くと、無事放出この「トイレを我慢した」という思い出が一番鮮烈に残った富士登山でありました

 

 

1学年の訓練としては、夏期定期訓練に続いて秋期定期訓練というものがあります。世の大学には秋休みなるものが存在するようですが、我々防衛大学校にそんな軟弱もの(?)はありませんまあ給料が出ていますから仕方無いですけれど・・・

秋期定期訓練はまた富士山にやってきますその富士山の麓で今度は陸戦の訓練をやります1学年はまだ陸海空の所属が決まっていませんが、陸戦は陸上自衛隊のみならず、海上自衛隊だって上陸したら陸戦の必要性がありますし、航空自衛隊だって飛行機から降りたら陸戦に巻き込まれる可能性があるのですから、最低限必須の科目です。

いわゆる匍匐前進などは、防衛大学校の広い広い敷地内で行うことができるのですが、所詮お遊びのようなもの。この富士山の麓にある天然の訓練場では、より本格的な訓練、すなわち戦闘訓練や宿営、20kmの徒歩行進などが行われますサバゲーのようなものをイメージされるかも知れませんが、1学年はまだ基本の段階で顔にドーランも塗りません。それは2学年以上の陸上要因になってからですね。

ちなみに匍匐前進には5段階あり、一般的に知られているのは第4匍匐というやつです。
↓これの終盤30秒くらいにあるやつ


先に「夏の訓練は上級生が居ないから楽勝」という話を書きましたが、秋の訓練はさすがにキツいですというのは、訓練はやはり肉体的にハードですし、また訓練支援の助教として曹長クラスの現役バキバキに怖いおじさんが付いてきますまあ夜に宿舎に戻ってしまえばあまり助教も関与してこないので、その点は普段の防大生活よりはマシなのですが・・・

 

 

秋期定期訓練の中でも一番のイベントはいよいよ小銃で実弾を撃つこと。一歩間違えば自他の命に関わるわけですから、当然ながら最大限の緊張と心構え、そして準備が求められます

一方、特に男子が子供の頃から無邪気に憧れる「弾を撃つ」という行為が本能的な部分を刺激し、ワクワクする気持ちがあるのも隠しようが無い事実。武器というものは持ってしまうと使いたくなる魔性を帯びています。アメリカで銃乱射事件が絶えないのも当然です

それを律する意味でも何より大変なのは銃の扱い。当時、私の期が使っていたのは「64式小銃」という1964年に製造された、戦後初の国産小銃(豊和工業(6203)製)。入校して程なく、銃貸与式が行われ、一人一人にこの年期の入った小銃があてがわれます。それからこの秋の定期訓練が行われるまで、ひたすら分解、手入れ、結合を繰り返して熟知させ、この日を迎えるのです

銃を扱う以上、構造を熟知した上で分解して組み立てられないといけません。分解するのは手入れが必要だからで、手入れを怠ると暴発のリスクが生じるためです。そしてこの手入れが本当に本当に大変

64式小銃は最新のものに比べ部品点数が150点と多く、重さは4.3kgとズッシリ重くこれまではこの小銃を掲げて行進したり、訓練の時には持って走り回ったり。単なる重荷として使われるのみの存在でした銃を大事に抱えたまま走るのは相当きついですし「ハイポート」といって掲げて走るようなことになると更にきつい

ですから軽量化されていると、随分楽になるはずです。どうも今は2世代後の最新式になっているようですが、当然今や民間の私は触ったことなどありません。

 

 

小銃には小さな小さな「ピストン桿止め用ばねピン」という部品も含め、当然ながら何一つ不必要な部品はありません。ですから、この直径数ミリの円筒形の部品すら欠かすことができません。万一紛失してしまうと、全員で見つかるまで何時間も捜索しないといけないという大惨事を引き起こしてしまいます

何故そこまでしないといけないのか。銃という非常にセンシティブな代物であり部品一つで使用不能になる恐れに加え、部品を一個ずつ150個紛失してしまうと、それを拾い集めた誰かが小銃を完成させてしまうからです。殺傷能力の高い武器が不特定の誰かに渡ってしまう。そんな不祥事を起こすわけには絶対にいかないのです。

まあ現実的にそんなことがあるわけはないだろうとも言えるのですが、逆に100%絶対無い・・・とは言い切れない以上、たった一つの部品すら絶対に無くすわけにはいかないのですですから激しい訓練時も、本当に部品が脱落していないかどうか気になって気になって仕方有りません

そして手入れも大変雨の中で訓練を行ったら、絶対に錆びさせるわけにはいかないので、隊舎に戻ったらすぐさま分解しお手入れ。拭いて油を塗り直しますやはり実戦で使う場合、弾詰まりなどがあったら手早く直さないといけませんし、手入れ中に敵襲があっても素早く対応しないといけないわけですから、手入れにも丁寧さに加え一定の素早さ、的確さが求められます。

また実弾を一発撃つと、もう銃筒がススで真っ黒になりますそれを布で拭いて、その布の繊維一本すら残っていないか確認し、助教の点検を受けないといけませんそれが本当に厄介です。そうすることで「銃を撃ちたい」という衝動を抑えているのかも知れませんね・・・

ちなみに私はその武器の管理を任されていた武器係を担当していて、非常に神経をすり減らしていました私みたいなビビりがやるので、厳重に管理されるだろうと思われたのかも知れません・・・

 

 

そしていよいよ小銃での射撃訓練が開始されます順序としてはまずは空砲で予行演習を行います。姿勢や照準の合わせ方など実弾射撃の本番に向けて練習し、翌日いよいよ実弾での本番となります。

ただ空砲といっても侮ってはいけません。空砲の風圧も相当なもので、万一銃口付近に指を置こうものならば、指が吹き飛ぶと言われていますですから当然助教は最大限に厳しいいわゆる「鬼軍曹」となり、自動車教習所なんかよりも100倍厳しいです(当たり前)一挙手一投足に厳しい目が向けられ、少しでも間違おうものならば怒号が飛んで来ます

(以下、もう四半世紀前の体験なので正確ではないと思いますが、記憶を頼りに。)
射撃の態勢に入るには、まず直立不動で立った状態から小銃を腰の高さにまで引き上げ、そして身体をかがめて左肘から地面について伏せます。そして小銃の二脚を立てて銃を固定。照準を立ち上げて右肩に銃床を乗せ、頬を小銃の横に合わせると、照準から的まで一直線になるように視線を合わせます。足はハの字型に開いて地面にベッタリと張り付き、安全装置をゆっくりと解除・・・

そして諸々の準備が整い照準を的の中心に合わせると引き金を引きます。すると「ドン」という鈍くて大きな音と共に、右肩に強い反動が加わります空砲でも十分な音と反動の衝撃です。

その際、硝煙の臭いと共に薬莢が小銃から飛び出しますが、バディ(相方)が決められていて、一人は小型の柄の短い虫取り網のようなもので、どこか遠くに飛んでいかないように射出部分を抑えてキャッチします。薬莢が出た直後を素手で触ろうものならば、熱くて火傷してしまいます

二発目からは薬莢同士が網の中でぶつかる「チャリン」という音も加わります。無論、実戦の際にはこのような配慮は必要ありませんが、この薬莢も紛失してしまうと大問題です

一通り空砲を撃ち終わると、伏せた時の逆手順で立ち上がります。一つ一つの動作を確認しながら、重要な動作は大声で確認。慌てて間違うのが最大の御法度です

順序を一つでも間違えたり、姿勢が悪かったりすると、助教から容赦無い「蹴り」が飛びます私は3回蹴られた思い出がありますしかし実際問題、装填されている銃を持っている相手を蹴る助教の方が、なかなか勇気が要るのではないかと思うのですが・・・

 


そしていよいよ実弾を用いる本番に。基本的には前日の空砲の時と流れは同じです。

実弾射撃は10名ほどで横一列に並び、それぞれに用意された200m先の動かない的に向かって伏せ撃ちで10発の実弾を発射。その命中精度を競うわけです。流行りの「全集中の呼吸」ではないですけれど、一回大きく息を吸ってそのうちの7割を吐き出し、そこで止めると身体の震えなどが一番収まり、安定した弾道になります。
(※繰り返しになりますが、四半期前の記憶なので内容の正確さは保証できません)

引き金には「遊び」の部分があるので、抵抗力を感じるくらいのところまで指を引いてかけておき、あともう少し指に力を入れれば発射・・・という状況で構えます。照準と呼吸が揃ったところで、あとは引き金を引くだけです。

まず本番の射撃試験に入る前に「零点規正射撃」というものを行い、照準にズレがないかどうかを確認します。各小銃毎にクセが存在し、どんなに精密に作られても分解結合を繰り返すことや劣化もあり、どうしてもコンマ何mmのズレが照準に出来ます。そもそも二脚を置く地面が完璧な水平でも無いわけですし、ズレは確実に生じます。

しかしそのコンマ何mmのズレも、200m先まで延長させると、数十cmのズレに繋がるわけですから、修正しないと当たるものも当たらないということになります。そう考えるとゴルゴはやっぱりすごいですね

というわけで、まずその「零点規正射撃」を行うことで、一体どれだけズレているのかを把握します。双眼鏡で弾着(的に空いているであろう穴。空いていなければ近くの土を穿った穴)を確認。そしてどうすれば正確な命中率になるのかを自分で考えて補正し、そして本番に挑むのです。

 

 

発射の音や感覚は空砲とほぼ違いがありません。ただ弾着と同時に200m先の的からわずかな土煙が上がるので、「あぁ、本当に実弾を撃ったんだな」というのがわかります。一度撃ち始めると、自分の好きなタイミングで10発撃つことができますが、周りも同時に「パパパン」と撃っているので、あんまり慎重にやっている場合でもありませんそもそも実戦向きではないですし

そして助教が双眼鏡を使って的を確認。「おぉ、結構良い線言ってるなぁ」などと感想を述べます。これは自慢ですが、私「のび太くん」なので、結構射撃は上手かったんです。昔ファミコンの「ワイルドガンマン」や「ダックハント」で鍛えただけのことはあります(※全然違います)。とりあえず中隊では2番目の高成績でした。確か全弾的に当たりました

もっとも、自分の最も照準に合ったタイミングで、動かない的に狙い撃つのですから、実戦でどこまで有効なのかは甚だ微妙ですけれど・・・

射撃が終わった後に本当に大変なのは手入れ銃身の中がススで真っ黒になっています今までは所詮使っていない銃を分解して手入れしていただけなので、本質的に汚れなんてほとんどありません逆に手入れ甲斐が無い程。

ところが今回は遂に火薬を使ったのです。何度銃身の中に布キレを突っ込んで擦るように拭いても、ススがくっついてくるのです当然助教の点検があり、助教が布キレで拭いても黒いものが付かない状態でないと合格はありません布の繊維すら銃身に残してはいけません。もうこの手入れが面倒臭いので、一度射撃を体験してしまったら、もう射撃は結構です、となります

ところで、少年工科学校出身のE君は、既に射撃経験者ですから我々よりも相当上手いだろう・・・と思ったのですが、何とほとんど外して「補射」(射撃の追試)に

本人は「いや、この銃は銃身が曲がってる。おかしい」なんて色々言っていましたが、この頃から彼のメッキが剥がれ出し、周囲の目は白くなっていきました単に「基本教練」(回れ右や敬礼などの動作)が上手いだけのやつではないのか・・・と以後「補射」とからかわれ、自分も自虐的にネタとして使っていました

 

 

射撃以外で特徴的なものは野営訓練があります。一週間程の訓練期間中の大半は老朽化の進んだボロボロの宿舎で寝泊まりするのですが(今は女性も増えてきましたし、多少キレイになっているかも知れません)、そのうちの1泊はテントを張って野営訓練というものがあります。今でこそ世の中アウトドアのキャンプブームですが、ガチのキャンプを行うわけです

テントの設営を行い、飯ごうにお米をセットし、たき火で炊いて食べる。芸人のヒロシならばお茶の子さいさいでしょうどんな過酷な状況でも野外で寝ないといけない場合が当然あるので、これも陸海空問わない必須の訓練ですね。

さすがに我々の段階ではヘビや野ウサギなどを捕まえて食べるようなことまではしませんが、陸上自衛隊に進んで特殊部隊のレンジャー部隊になると実践で行われます。サバイバーに興味のある方は是非この道を選んでください

↓レンジャー訓練はこんな感じ。私は結構です



そうやって夜には就寝。当然余計な灯りを煌々と付けるわけにはいかないので、日が暮れて食事を済ませると早めの就寝となります。そもそも日中の訓練で十分疲れていますし、翌日もあるのですから、すぐ寝るに限ります

ところでこの訓練に必ずセットになっているのが「非常呼集」です。非常呼集というのは読んで字の如く「常に非ず」の招集。つまり敵襲や緊急事態が起きた場合に、突然夜中にラッパで叩き起こされ、すかさず軍装を整え整列緊急事態に対する即応力が求められます

これは訓練期間以外にも、防衛大学校で日常生活している際にも年に数回行われます当然訓練のためにやることなので抜き打ちですただし教務のある日の夜中に叩き起こされると、授業中に睡魔に勝てず勉学に支障を来す・・・などの事情を考えると、仕掛けられるタイミングは限られますまた、ぶっちゃけ「そろそろかかる」というのが噂で流れます

この秋期定期訓練の一週間のうちに最低1度はかけられます。ただこちらも正直、訓練日程を考えると「この日しかないな」と裏読みされてしまい、そしてその通りにせざるを得ないので、大体わかります我々の時も、あるいは毎年そうかも知れませんが、野営訓練の時がそのタイミングに当たりました

 

 

普段の生活からして低血圧の人はなかなか大変だとは思うのですが、非常呼集のラッパを突然聞くと心臓に悪いです朝から一気にボルテージを上げて、最速で着替えて指定された装備を用意し、集合しないといけません一番集合が遅かった中隊は銃を抱えてランニングという罰ゲームが設定されていますから、自分が遅れるわけにはいかないというプレッシャーが半端ありません

勿論、事前に予想して準備をしておくというのは反則ラッパが鳴り始めたと同時に起床し、それから支度を整えないといけません私は出来が悪い学生でしたから、憂鬱な気持ちのまま眠りにつきました

翌朝の午前4時頃、私は自分が寝ていたテントがほんの少しだけ開いたことで目が覚めましたビビりの性格が幸いして普段から眠りが浅いのですが、どうも指導官がちゃんと寝ているか、ズルして準備していないかどうかをテント一つ一つ見回っていたようなのです

この瞬間「 我、天啓を得たり」とひらめきましたこれは非常呼集の前触れだと。そして一度確認に来たということは、つまりもう確認に来ないということです。

「皆起きろ、(非常呼集)来るぞ」と小声で同テント内の皆に教えます。すると皆も「マジか」と言いながら寝ぼけ眼でゴソゴソ動き始めました。非常呼集のフライング、すなわち「ズル」です。もう四半世紀経ってるので、この辺りは時効です前向きに捉えれば、諜報術に長けていたということです(?)

ただ当然派手に大きく音を立てて準備するわけにはいかないので、一番時間のかかる半長靴を履き始めましたそうして5分後くらいに非常呼集のラッパが大音量で鳴り響きます。「非常呼集非常呼集携行品は弾帯、飯ごう、水筒満水(少しでも水が足りないとチャプチャプ音がしてNG)・・・」と次々に指示された装備を不備無く装着して、指定された場所に集合します

そんなわけでまあまあのアドバンテージがあった私ですが、あんまり早く行き過ぎても逆に怪しまれるので、程々に集合できるくらいに時間調整して整列しましたお陰で(?)私の中隊は罰ゲームを免れました(つづく)

 

 

防衛大学校物語 四方山話

 

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