ダルマじょうしょうダルマ〜未来に繋げる株式投資〜

ご挨拶| 筆者紹介| Blog| 各種サービスのお申込| 過去のパフォーマンス| 銘柄レポート| FAQ| 掲載すべき事項|


防衛大学校物語 役割

 

防衛大学校物語 二日目からの続きです

 

 

随分話が逸れましたが、教場に着くと皆一様にホッとして気が抜けます何故なら上級生が居ませんから一気に緊張の糸が切れたようにワイワイと話し合います

勿論新入生だけでくっちゃべる時間ではありません。上級生よりも上の立場である「指導官」がオリエンテーリングの担当になります。勿論指導官が壇上に上がれば皆ビシッとする必要はあります

ここで組織図を簡単に解説します。まず防衛大学校のトップは学校長です実は民間人で、特に慶應義塾大学とパイプがあるので、歴代の学校長は慶應義塾大学の教授から招聘したりするケースも目立ちます。私の時の学校長もそうですし、現学校長もそうです。正直、慶應義塾大学では学生からどのような扱いを受けているのかわかりませんが、少なくとも防衛大学校では殿上人扱いです

その下には色々な人がいますが、あまり学生に直接的に関与しないので省略。ただ訓練部長は色々な訓練を企画したりするので、学生にも影響があります。「訓練部長、全く余計な計画立てやがって・・・」などと陰口を叩かれる対象でもあります

学生に直接関係するのは各大隊単位での組織図になります。大隊のトップは大隊指導官二佐クラス(昔で言うところの中佐クラス)が当たります。ちなみに今同期はこのレベルです。その下に中隊指導官(三佐、同少佐クラス)、小隊指導官(一尉、大尉クラス)と続きます。現実的にお世話になるのは主に小隊指導官になり、特に一学年の時には訓練指導官として直接指導を受けたりします。

指導官はそれぞれ現役の自衛官で、年齢もマチマチです。ただ指導官という名前のイメージと異なり、基本的に学生をシバいたりしません。あくまで監督官というような位置付けで、むしろ上級生が度を過ぎた指導を下級生に行っていたりする場合は注意するような立場でもあります。学生生活はあくまで学生の自治によるという感じです。

 

 

一方、学生組織の中での最上位は学生隊学生長。その下に各大隊学生長、中隊学生長、小隊学生長がそれぞれ4学年の中から選ばれます。任期は4ヶ月。春から夏休みまで、夏休み後から冬休みまで、冬休みから春休みまで、というような区切りになっていて、陸海空それぞれの要員の4学年からバランス良く一人ずつ選ばれます。ちなみにその区切りで部屋替え(引っ越し)があります

学生長になると名札に「線」が入ります。長方形の名札を囲むように四辺全てに赤い線が入っているのがステータス最強の学生隊学生長。三辺に赤い線が入っているのが大隊学生長、二辺は中隊学生長、一本だけは小隊学生長という具合です。

ちなみにカッター総長である部屋長は小隊学生長でした。特に最初(春から夏休みまで)の学生長は各隊のファーストインパクトになりますから、厳しく指導力がある人が充てられやすいですただ中隊学生長とカッター総長を兼任すると大変なので、指導力のある人が別々に就きます。中隊学生長とカッター総長の二巨頭で「締める」というような感じです

そして各学生長の下に補佐するため、3学年が学生長「付」として任命されます。小隊学生長付については、2学年、1学年も選ばれます。ちなみに2学年の小隊学生長付は私の対番でした。

1学年の小隊学生長付は入校からしばらく様子を見てから選出されることになるのですが(適正もありますが、その間に辞めてしまう学生も多いですし)、我々の小隊に関しては「少年工科学校」出身のE君が当然の如く決定。しっかりしていることも条件ですが、「あおざくら」の漫画でもありましたけど、小隊の1学年のミスを連帯責任で一緒にシバかれる役目でもあります・・・

ちなみに私は謙遜でも無く本当に「出来ていない」ダメな学生だったので、遂に4年間一度も「学生長」「付」を経験しませんでしたつまり名札に線を入れられませんでしたこれは逆に非常に稀な存在です。中隊で5人くらいしかいませんでしたから・・・ぶっちゃけ楽で良いのですが、その分「週番」とか面倒臭い雑用的な役は次々回ってくるのでした・・・

 

 

オリエンテーリングでは、まず中隊の皆の自己紹介などがありました。出身地や何故防衛大学校を希望したのか、などなど簡単に発表する形でした。私は(父が藤子不二雄の同級生だなどと言わず)無難な自己紹介をしたと思いますが、中には丁度阪神大震災の年だったので「災害派遣で自衛隊の人の有り難みを強く感じた。自分もそうなりたいと思った」という熱い思いを語る兵庫県人もいました。

そんな心穏やかな時間(?)はあっという間に過ぎ去り、昼食が近づくと1学年は皆駆け足で食堂に向かいます。昼食のみ会食形式になっていて、1学年が配膳する必要があるのです座席が決まっていて、自分のブロックの上級生のご飯をよそったりお茶を入れたり、ご飯のお供(「ごはんですよ」とか「ニンニクのだまり漬け」など)を用意したりしないといけません。

例えばご飯は飲食店のようにキレイによそい、いわゆる「おこげ」などが入ってはいけません。最初はやはり2学年がサポートしてくれますが、上級生が来るまでに整えておかないといけません。そして上級生が来るまで席について待ち、上級生が来てイスを引いたら着席するまで頭を下げて迎入れます。その後は基本的にブロック単位での会食なので、少なくとも表面上は楽しく世間話をしながら過ごします。

やがて正午になると号令がかかり、皆で一斉に食事をとります別に食事中はしゃべっても構いません。ただ上級生に話しかけられたら口の中のものは素早く飲み込み、上級生の方を向き、一旦箸を置いて手を膝に載せた状態で応答します。上級生が席を立つとやはり箸を置いて頭を下げ、上級生が立ち去るまで待ちます。

上級生が皆去った後、食器などを全て片付けます。というわけで、食べ終わった後にダラダラとくっちゃべることなく、早く食べて早く立ち去るのが上級生の優しさでもあります。

午後は午後でまた課業の時間。昼に一旦部屋に戻ると当然のようにまた部屋に春の嵐が到来し、物品が散乱しているのはご愛敬(?)一つ積んでは父のため・・・と賽の河原で積んだ石を鬼に蹴飛ばされ、また一から積み直しとなる有り様の現世版と言えます

 

 

ところで、各部屋の扉には部屋の住人の名札(+出身県と校友会(後述しますが部活)が併記)、そしてホワイトボードが付けられています。それは伝言板であり、住人が不在の場合そこにメッセージが残されるシステムになっていました。現在、これだけスマホやSNSなどが整っている中で、このシステムが残っているのかどうかは謎ですが、ともあれ当時はそういった形でした。

このホワイトボード、少なくとも1学年の時にはロクなメッセージが残されていません大抵上級生からの重い伝言で、「整頓不良」「○○(名前)、何時に△△(上級生)の部屋に出頭せよ」酷ければ「死」など基本的にブルーになるワードが書かれます

夕方に午後の課業が終わり部屋に戻ってくると、遠目にホワイトボードに何らかの文字が書いてあるのがわかります基本、最初の頃はホワイトボードが真っ白なままのことはまずありません

中でも一番気持ちを沈ませるものが「1900(ひときゅーまるまる、19時)からミーティング」というものでした。

「ミーティング」とは世間一般的に会議と訳されるものですが、防衛大学校では「公開ダメ出し」と訳されます会議室に集合し、上級生から全員まとめてシバかれるというものでした例えば前日に大きなミスをした者を中隊単位で公開でつるし上げる、非常に嫌なイベントです

こうなると哀れな子羊である1学年は戦々恐々「あぁ、昨日オレが掃除の時にシバかれたやつか・・・」「昨日私が入室要領演練でミスった話かしら・・・」などなど、皆がそれぞれ思い当たる節を抱えながら、悶々と19時までの胃の痛い時間を過ごさないといけません

ともあれ19時にミーティングがありますから、その前までに全ての要件を終わらせておかないといけません提出する報告書を書かないといけませんし、4学年のベッドメーキングや靴磨きをしなければいきませんし、プレスもしなければいけませんし、食事や風呂にも行かないといけませんし・・・とにかく時間は徹底的に潰される感じです

 

 

そして19時前には指定された会議室に1学年が全員集まります。容儀点検の時と同様にバッチリプレスと着こなしを行い、手にはノートとペンを持って直立不動のまま整列して4学年がやってくるのを待ちます1学年は40人ほど居ますから、会議室は嫌な熱気でムンムンです

19時に4学年が次々と部屋に入ってくると、緊張の糸がピンと張り詰めた空気になります基本は中隊、小隊学生長と、あとは有志で10名弱程度。中隊学生長を中心に4学年にぐるり囲まれると、代表者が号令をかける形で「宜しくお願いいたします」と全員で礼。4学年も黙って答礼。そして「座れ」と言われると、1学年は全員体育座りの形になり、ノートをパッと開いて言われたことを書き取る姿勢を整えます

「今日は何で集められたのかわかってるのか?」とは、ミーティング開始時の常套文句です。それに1学年が「はい」と応じ、「じゃあ何だか言ってみろ」と言われ、思い当たる人間が挙手をして立ち上がり「昨日、私が○○してしまい、△△さんから注意を受けました」と自己申告したりします。そこで余計な自己申告をしてしまい、新たな地雷を踏んでしまうパターンもありますが

そうやって、昨日誰がどのようなミスをしたのか、それが何故起きたのか、それを今後起こさないようにはどうするのか・・・などなどを全員に周知させる手段、それが「ミーティング」なのです。思い当たって黙っていたとしても、4学年が「おい、○○立てお前は何も無かったんか」などとチクられてしまうので無駄です

そして応答が悪いと、怖い上級生に胸ぐらを掴まれたりして詰め寄られます漫画「あおざくら」では空気イスという中腰の姿勢で数分間耐えるような罰を強いられていましたが、一応私の中隊でそのようなことはありませんでした

あと、個人的な見解としては胸ぐらを掴んですごんでくる上級生よりも、トーンの低い声で眼光鋭く睨んで詰めてくる上級生の方がよっぽど怖かったですね私の部屋長ことカッター総長は正にその「目で殺す」タイプでした

 

 

ミーティングで指名され、スケープゴートとなった者以外の1学年は体育座りの形で必死にメモを取りながら、上級生の発言者の方に一斉に向かなければなりません発言の都度あっちを向いたり、こっちを向いたり、正面を向いたり第三者から見れば異様で滑稽な行動かも知れませんが、当人達は至って真剣です

このミーティングの1時間、本当に針のむしろに座っているようで、一日で一番嫌な時間帯でした課業から帰ってきてホワイトボードに「ミーティング」の文字を見つける度にブルー

しかも後々わかりましたが、ほぼ毎日のようにミーティングが行われたのは我々8号舎くらいで、他の大隊はそこまで酷くなかったようです理由の一つとしては女子学生と文系の学生が居たので人数が多かった分、シバきネタの絶対数が多かったせいもあるでしょう。またやはり食堂や風呂など何かと遠いので、時間が無くてアレコレミスの機会が多いという点もあると思います

更に8号舎には43中隊と44中隊が同居していましたが、隣の中隊に負けじと、相乗効果で厳しかったという点もあるように思います

ミーティングが終わると、容儀点検の報告書を提出にいかないと行けません。ただ週番の部屋には長い行列が一人一人報告書の提出と再点検を受ける必要があるので渋滞しがちです部屋の中から怒声が聞こえてきたりして、待っている間も予防接種を受ける前のようにドキドキです

私はというと、そもそもその前に前日の容儀点検で名札を引き剥がされたので、自習時間を使って名札の縫い直し何度も引き剥がされ、遂には点呼で並ばなければならなかったので、絶対引きちぎられることを覚悟の上で縫っている途中の状態で並んだこともありました行かないことの方が罪が重いのでそして案の定引きちぎられてシバかれました

 

 

こういう生活を一週間程続けると、ある程度は慣れてくる反面、出来るヤツはもうシバかれなくなり、本当に出来ていない私のようなヤツはターゲットにされます同部屋がターゲットにされると監視の目がきつくなり、他の同部屋の人間も何かとトバっちりを食らうので嫌がられます

ターゲットにされると悪循環ですとにかく時間が削られ、同部屋に分担してもらえるもの(例えば上級生のベッドメーキングの仕事)はお願いし、それでも結局シバかれ、ため息と自己嫌悪と同期に対する申し訳なさと上級生に対する怒りとが混在し、効率が益々落ちます

唯一心の安まる課業時間も頭の中は「あぁ、今日も学生舎に戻ったらプレスして報告書を出しに行って・・・」とブルーなことばかり。課業時間の休み時間中に報告書を書いたり、少しでも時間を有効活用していきます。

もう本当に嫌だったので、課業時間中はずっと腕時計の秒針が進んで行くのを眺めていましたそして「あと○日○時間○分で休日だ」「今まで防大で過ごした時間の○○倍を過ごせばゴールデンウィークだ」ということばかり考えていました。本当に病んでますね

私の部屋の窓からの景色は「陸側」だったので、せいぜい弓道場しか見えませんでしたが、反対側の「東京湾側」だと、夜景で遠く遠くにディズニーランドの花火が毎晩見えた模様(ただしほぼ点ですが)ただ消灯後に東京湾を往来する船舶の灯りや、京浜工業地帯のライトを遠くに見ると、ロマンチック・・・を通り越して娑婆に対する憧憬がより大きくなって、余計にブルーになったようです

 

 

とりあえず何とか最初の一週間が過ぎ、初めての休日になりました土日祝日はお休みですが、最初の土日はまだ自由に外出できませんただ起床ラッパで起きる必要は無く、上級生はしばらくするとほとんど外出しますから羽を伸ばせます

暗黙の了解でも無いですが、基本土日は余程酷いことをしない限りシバかれることはありません掃除も「長」が居ないので、程々の掃除をすれば問題ありません鬼の居ぬ間になんとやら、1学年でも部屋で音楽を聴いたり、漫画を読んだりくつろぐことができます私は当時持っている人が少数派だったパソコン(PC98)を持ち込んでおり「信長の野望」や「大航海時代」で遊んだりしていました

ちなみに今は知りませんが、当時は部屋でテレビを観るのは禁止ところが各部屋に何故かテレビのアンテナと繋ぐ端子はあったんですね将来テレビを解禁する予定があったのかも知れません。私のPCも繋げば見られたのですが、1学年でそれはまずい(逆にいうと4学年などはこっそり見ている)ということで、この1年間は人生でほとんどテレビを観られませんでした

ですから、連休などで実家に帰った際、撮り貯めてもらっていたダウンタウンやウッチャンナンチャンの番組をひたすら消化していた記憶がありますまあ今は純粋にネットがありますし、ほとんどテレビを観なくても差し支えないと思いますけれど、当時は世俗との繋がりも無くなり辛かったですねもっとも、普段は見ている時間なんてとても無いんですけれど

土日は食事が選択制になっていました。つまり食堂で食べるか、弁当食を食べるか基本は皆外出するので、食堂は申請者の分しか食事を用意していません。食堂で食べない者には、その代わり弁当食と呼ばれるインスタント系中心の食材が2日分配布されました(ただし実際には全然もの足りない)。

当時の弁当食人気メニューは「スパ王」でしたアルファ米という水だけで食べられる乾燥米の非常食は正直美味しくないですが、食堂に行けない時の食事として重宝されました。あとは「ミリ飯」と言われる自衛隊独特の缶飯。混ぜご飯や牛肉のしぐれ煮など「こんなものまであるのか」とバラエティ豊かで、最初はミーハー気分で喜んでいましたが、すぐに飽きて「またミリ飯か・・・」となります。

ブロックの上級生が週末に食堂に行くか、弁当食にするかは、1学年が聴取して期限までに報告しないといけませんしかしなかなか上級生が部屋に居なかったり、また聞きに行く時間が無かったりすると賭けに出ないといけません。基本は弁当食で良いのですが、たまにクラブ活動の関係で「食堂」という上級生もいるので、1学年の誰かが念のため「食堂」を選択しておいて、人数を合わせないといけません。

かと思えば「オレ弁当食ね」と、予想外に全員弁当食だったりすると、人数合わせで1学年は弁当食を上級生に丸々譲ったりしますまた、弁当食を配布に行った時に配布物が一種類足りなかったりすると、烈火の如く激怒する上級生もいたりするので、これもこれでなかなか大変でした

 

 

初めての土曜は中隊学生長引率の下、最寄りの海岸である走水海岸に中隊の皆でピクニックとなりました入校後、初めて防衛大学校の敷地外に出る、つまり娑婆の空気を吸えるわけですぶっちゃけ、今のうちに名札を縫ったり、報告書の貯め(日付や不備内容だけを書き込めば良いようにしておくストック)を作ったりしておきたいのですが、強制参加ですまあ翌日曜は夜の点呼まで丸々自由時間ですが。

今の体操服はどういうものかわかりませんが、当時の体操服は上下水色の「水虫」という別名の付いたダサダサな体操服でしたそれに小学校の運動会で被るような白い帽子。一応中隊学生長もその格好なのですが、とても大学生の集団には見えませんまあこの辺に住む周囲の住民は慣れっこでしょうから、気にするような人は居ませんけれど。

この日ばかりは中隊学生長も怒ったりせずに穏やかなムード勿論完全無礼講というわけにはいきませんが、和気あいあいとしていました。平日が厳しすぎるので、緩急つける形になっています。上級生も怒ってばかりいるのは大変ですし、元々メリハリのある頼れる兄貴分的な人でもありました(そもそもそういう人が中隊学生長になります)。

今回のピクニックは息抜きと同時に同期同士の理解を深め、団結力を高めようというような主旨でもありました。やはり自衛隊というのは巨大な組織ですから、難局に当たった時に個々の力で何とかできるものではありません。集団生活の中で、きちんと自分の役割を果たして同期に認めてもらいながら自分が困った時には助けて貰う

自衛隊に限らず、民間でもどこの組織も多かれ少なかれそんなもので、結局は人間関係次第だと思うのですが、限界的な状況に置かれているので余計に人間性をさらけ出しやすく、それ故その人の本質や裏表がハッキリわかった上での付き合い方ができるのが防衛大学校の寮生活の特徴と言えますですから、余計に結び付きが強くなります

特に1学年の時はその傾向が強いです。最も極限状態に置かれやすいですから。ですからこの1学年の時の、特に最初の編成である小隊の同期は結びつきが強くなりやすいですし、今でも付き合いが続いている気心の知れた仲間が多いです。勿論、その後も陸海空に分かれた後の同期も、訓練で苦楽を共にするので、それぞれ結びつきは強くなりますけれど。

 

 

休日の話の流れで、時間軸を一週間進めます入校から2回目の土日になるといよいよ引率外出があります防大生は外出時にルールがあります。それを教えるために、最初だけはまずブロックの4学年が引率し、初めて横須賀の町に繰り出すことができるのです。着校日に初めてやって来た横須賀の町に、ようやく出かけることが許されます

外出時は制服で大学から出る必要がありますが、まず当然容儀を正した制服で外出しなければなりません。そして外部で制服着用時には行動に制限があります。主なものとして「電車やバスの公共交通機関で、余程座席が空いていない限り座ってはいけない」「自動販売機を使用してはいけない」「リュックサックタイプのカバンは使用禁止」などなど要は品位を損なうようなことはするなということです

上級生に関しては、各々下宿を取ったりして、そこで着替えて町に繰り出します(1学年はダメなのですが、夏から秋頃にかけてぶっちゃけ皆こっそり取っていた)。制服を脱がないと上述のような縛りがあって不自由極まり無いので、大体は着替えることを目的として下宿を取りますまあ、制服を脱いでも、横須賀周辺で角刈りでガタイの良い20歳前後のあんちゃんは皆防大生って一発でわかるのですが

勿論土日しか利用しないのに、それでまともに下宿をとっていたら高くついて仕方無いので、一般的に7〜8人ほどで割り勘して一部屋を借りています皆着替えたらとっとと外出するので、部屋に7〜8人常駐するようなことはありませんから。

ちなみに、私は某レオパレスの横浜支店で下宿をとりました。同部屋と一緒に契約に行ったのですがその際に受付の若い姉ちゃんに「自衛隊ってやっぱりホモが多いんですか?(原文ママ)」となかなか客に対して失礼な一言を言われました男同士で部屋を取るなんて、一般的には理解されないからでしょうけど、どうなん?今のレオパレスの惨状は推して知るべし。

まあ事実としてゲイの人が居るか居ないかと言えば、答えは「いる」と言わざるを得ませんただ自衛隊だからというより、2,000人も男が居れば、現実的に何人かはいるだろうという話です。問題はそれが上級生だったらどうするのか・・・ということ

私は自分で言うのもなんですが、そういう方面に狙われやすいタイプではありましたが、何とか被害に遭わずに4年間過ごせました実は狙われていたのが私の対番。上級生に毎週映画などに誘われて大変だったそうですが、何とかのらりくらいとかわして無事卒業できたようです

一応、誤解の無いように言っておきますが、皆が妄想するようなBL小説のような情事があるわけではありません少なくとも校内でそのような不貞行為が行われたら退校です私も無事貞操を防衛して卒業できたのでご安心を(?)。一方、(あくまで私の主観ですが)男っぽい女性は比率的に多いかも知れません。それが実際どうなのか・・・は知りません

 

 

話がまた逸れてしまいましたが、外出時には当然「外出点検」という容儀点検を受ける必要があります時間が決められていて、当初は大体30分おきに行われます各回受けるかどうかは各人の自由なわけですが、引率外出は4学年との必須外出なので、必ず全員合格する必要があります一人でも不合格ならば、昼近くまで引率外出できないというケースも勿論あります

外出時の容儀点検の要点は「名札を付けない」こと、「身分証をしっかりと携行すること」です。身分証も万一紛失するようなことがあればやはり「退校」ですから、チェーンの付いた身分証明書入れでしっかりと制服に結びつけておく必要があります。

無事外出点検が終わると、晴れて外出が認められます週番室の前に並んでいる自分の名前の木札を裏返して赤字にし、外出を示します。そしていざ出発となります

防衛大学校は小高い丘の上にありますし、また車などの保有、運転は原則認められていないので(※休暇中の自動車運転は事前届け出が必要。バイクは禁止)、町に出る手段は限られます。

最もポピュラーなのはバスの利用正門前から京急バスが30分に一本くらいのペースで出ているので、それに乗って京浜急行馬堀海岸駅で降りる、というパターン。バスの時間に合わなければタクシーで馬堀海岸駅まで(ワンメーターなので、4人で割り勘すれば結局バスと料金変わらず。上級生と同乗の場合は大体上級生のおごり)そうでなければ徒歩で最寄りの京浜急行浦賀駅まで20分ほどかけて歩く、という感じです

京浜急行に乗ってしまえば、まあ後は自由にどこでも行けるわけですが、最初の頃は大体横須賀の町の散策。あるいはその隣の汐入(米軍横須賀基地や通称「ドブ板通り」などがある。当時はイオン系のショッパーズプラザがあって映画などはそこで見たのですが、近年閉鎖された模様)が外出の基本です。

我々の部屋長であるカッター総長は、カッター訓練などがあって忙しかったので、総長の同部屋の4学年と、隣のブロックとの合同外出となりました。計10名程の大所帯。どこに行ったかは正直覚えていませんが、2〜3時間、横須賀の町を歩き、お昼をご馳走になったりしました

唯一覚えている、というより引率外出での「お約束」が、横須賀の町の中にある喫茶店「花櫚(かりん)」というお店でジャンボパフェを食べる、というもの。確か1000円近いお値段だったと思うのですが、かなりのビッグサイズのパフェがドンと出されます。それを一人で食べきらないといけないという通称「食いシバき」という慣例がありました

ところが、そのお店今はもう無くなってしまったそうです。残念ですね私は結局その時しか食べなかった(勿論自分が引率外出をした時には1学年を連れて行きましたが、自分は食べません)のですが、人生でもう一度くらい食べておけば良かったです

なお、防大生はとにかくよく食べますから、横須賀駅周辺の飲食店は「食べ放題」などを掲げる店が多かったです。一方、潰れた店も多かったです美味しくて食べ放題だったら防大生がワッと押し寄せて採算が取れなくなるので、程々の味で食べ放題にするのが横須賀の町の飲食店が生き残る方策でした

 

 

そして夕方くらいには防衛大学校に帰ってきます22時の夜間点呼にまで帰って来れば良いのですが、1学年は飲酒もできませんし(※11月の開校祭以降、成人であれば外出時の飲酒が許される)、そもそも帰ってやらなければいけないことが多いです夕飯を食べたり、あるいは夕飯をコンビニで買ったりテイクアウトして、さっさと帰って来るのが基本

帰ってきたら正門を通過する際に、複数名の集団であれば「長」を決めて隊列を作りますそして歩調を合わせて行進しながら正門を通過。「長」が守衛に敬礼して敷地に入ります通過後は隊列を解散し、普通に歩いて隊舎に向かいますそして自分の号舎に帰ってくると、木札をまた表側の黒字に戻して、在寮していることを示します。

なお、夜間の点呼に間に合わないと「帰校遅延」という非常にまずい状態になりますそれは例え公共の交通機関が遅れようとも言い訳にならず、何としてでも這ってでも点呼までに帰ってくる必要があります

万一「帰校遅延」となったらどうなるか。まず当然当分外出禁止となりますそして以前も書いたように中隊全員の連帯責任で朝から楽しい楽しい(?)ランニングという罰を受けることになります

帰校遅延者は当然上級生に怒鳴りつけられながら、同期には白い目で見られながら、下級生には面目ない情けない状態で、背嚢という重いリュック、また水筒などを身につけた状態で1ヶ月程度毎朝走り続けないといけませんですから帰校遅延は絶対にしてはいけない禁忌です

私の中隊では帰校遅延は一度も無かったように記憶していますが、隣の43中隊では当時1学年で2人も帰校遅延者が出て、早朝ランニングがよく行われていました実は二人とも私とすごく仲の良い同期なのですが、当時の失敗などものともせずに、大変なスピードで出世していますまあそれくらいの図太さがある人間が大成する・・・というのは、どこの世界でもよくある話です(つづく)

 

 

防衛大学校物語 成長

 

お問い合せ radi.res@gmail.com  北陸財務局長(金商)第23号 Copyright (C) radish-research. All Rights Reserved.