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防衛大学校物語 二日目

 

防衛大学校物語 学生生活からの続きです

 

 

1学年が「お客様」ではなくなってから初めての朝6時半の起床ラッパが鳴る前に、週番が1学年の各部屋を覗き込み点検しますズバリ、起床ラッパが鳴る前に「不正」で毛布やシーツを畳んだり、作業服に着替えたりする輩が居ないかどうかをチェックするためです。週番も週番で大変です(※今は全学年同室になったので無い?)

事前に「絶対やったらダメだ」と聞いていたので、実際は目が覚めてしまっているものの寝たふり(あるいはドアが開いた音で初めて目覚めたてい)で対応。ぶっちゃけ緊張で目が冴え、起床ラッパで起きる呑気な1学年はいません

ただある種、週番が通過した後であれば、物音を立てずに少しずつ「ズル」ができますまあできることはせいぜいシーツを完全に引き剥がすこと(もし見つかっても寝相が著しく悪いで誤魔化せる)、靴下を履くこと(同冷え性だと言って誤魔化す)、毛布を半分くらいまでは畳んでおくこと(同「最初から折りたたんで使っていました」と誤魔化す)、くらい。どれも細かい細かい話ですが、1秒を争うので、皆ごそごそと蠢きます。

そしていよいよ緊張の起床ラッパ。まずすべきはドアを開け廊下に向け「おはようございまーす」との全力での掛け声。それを済ませると、シーツや毛布を一斉にたたみ始めます

ところで三人部屋の場合、一人ベッドと二段ベッドという構成でした。しかも当時、二段ベッドは金属製の年季の入ったボロボロのもので、一人ベッドだけフランスベッドのような上質感のあるものになっていましたどうも女子学生が入校してきた辺りから、少しずつベッドの入れ替えが進んでいて、その過渡期だったので新旧混在していました。

そのベッドは着校順の早い者勝ちで選択権がありました。我々の部屋に関しては実家からの距離に比例し、すなわち千葉のD君が一人ベッドを勝ち取り、埼玉(熊谷)のC君は二段ベッドの下段を陣取り、そして私は余り物に福の無い二段ベッドの上でした

 

 

新旧ベッドの寝心地の違いもありますけれど、二段ベッドの上の何が不利かと言えば、やはり飛び起きてからの動作に遅れが出ることです下のベッドの人間はシーツや毛布をパッと床に全て拡げてしまい、空間に余裕を持って畳むことができます。しかし二段ベッドの上の人間は二段ベッドの上で全ての作業を行う必要があるので、どう考えても不利なのです

シーツを引き剥がして素早く八つ折り。その上に毛布を二枚重ねます(季節に応じて毛布を増やすことが出来ますが、増えるだけ難易度が上がるので、多少寒くても二枚で我慢)。この畳みにズレがあったり、重ねにズレがあったりすると、それだけでアウト後で強烈な嵐が部屋を襲うことになります(=毛布やシーツが飛ばされている)。

入校まで4日間、ひたすら練習を重ねた「起床動作」の本番です畳み終えたらズボンは作業服に着替え、上半身裸で作業帽を被り、作業靴を履いたらただひたすら寮の前庭に当たる「舎前」に向けて猛ダッシュ上半身裸なのは「着こなし」をしなくて良いので、その点のみ楽ではあります

「一年遅いぞ」と廊下から怒声が響き渡ります。手慣れた上級生は勿論早いです。1学年は特に畳み方の正確性も求められるので、どうしても出遅れます元々鈍くさい私はいつも同部屋の中では最後に出る形それでも何とかダッシュで点呼の列に並びます(※あとは以前書いたような朝の点呼のやりとりがあります。省略。)

全員が勢揃いして点呼終了。「おい、一年明日はもっと早く出てこい」と週番に叱責され、一年全員で「はい」と声を張り上げ返事。そして遅かった罰として、中隊全員で声を合わせて腕立て30回後列に並んだ2学年(対番)と向かい合わせで腕立てをすることになります。2学年は自分達も腕立てをしながらも、「頑張れ」などと1学年を励まします(一種の連帯責任)。

なんだ、30回くらい大したことない・・・と思われるかも知れませんが、回数というより時間です。大体こういう時の腕立ては30回やって「はい終わり」・・・ではなく皆で号令に合わせて同時に行います。「上」と言われると腕を伸ばした態勢で止まり、「下」と言われると今度は地面すれすれに腕を曲げた状態でそのまま10秒くらい(実際はとても長く感じる)キープ。腕がぷるぷる震えます

そしてアゴや腹が地面にくっついていないか確認されます。くっついていたらノーカウント。そこから「上」の号令がかかるとようやく腕を持ち上げるのですが、次第に上がらなくなってきます。それを根性(ある程度は膝を地面に付けて上げるズル。バレたら勿論ノーカウント)で上げます

と言うわけで実際には30回よりも多めにやることになりますし、出来が悪ければ追加のケースもありますし、起きがけの筋肉が完全に目覚めていない状態でやりますし、何日も続くと疲労が蓄積されて筋肉痛がきついです(人によっては個別のシバかれ方次第で一日累計100回などになりますし)また、入校から日が経過して慣れてきたら50回くらいまでは回数が増えますから、結局しんどいです

なお、女子は筋肉的な構造上腕立てが苦手なので、ぶっちゃけちょっと腕を曲げたくらいの状態で許されますが、それでも一緒にやる必要はあります。

 

 

そうして朝の爽やかな運動(?)が終わり、部屋に戻ると予想通りの台風一過折角畳んだベッドはグチャグチャですげんなりしますが、それを今の段階で直している余裕は無く、朝の掃除に向かわねばなりません昨日の夜にしたばかりなので、トイレや洗面所以外の清掃場所はそんなに汚れているわけもないのですが、一応やります。(※これも先般書いたような掃除のやりとりがあり。省略)
その後、部屋に戻ってベッドを直してから食堂にダッシュもし掃除で捕まりシバかれでもしたら、朝食を食べに行く余裕なんて無くなりますただ朝食終了時間ギリギリになると、最後に余ったものは自由に持って帰って良いモードになりますので、朝食に間に合わない同部屋の分を持って帰ってやったりするのが同期の絆(?)

そして今度は課業準備となります。課業とは授業のことです。一応大学生なので一般大学と同じように各教科の単位を取る必要があり、最終的には卒論を仕上げ、晴れて卒業できます一般の大学の内容に加え、訓練や防衛学の授業があるのが日中の学生の本分

なお、防衛大学校は留年が許されるのは1回だけただでさえ最悪の1学年をもう一年やると絶望的なのですが、もし学業が疎かで2回も留年することになると、国民の血税を使っているのにそう何回も失敗は許されない、ということで「放校」すなわち、強制退学になります(※ただしケガによる長期入院など、致し方無い事情がある場合は2回まで許されますが、基本2回も留年する人はいません)。

というわけで、学生生活以外にも学業も手を抜くわけにはいきませんまあ入校して間も無くはいきなり授業が始まらず、オリエンテーリングなどで色々な知識や仕組みの習得の時間。

課業では「制服」を着用することになります。漫画「あおざくら」の表紙などでお馴染みの紺色の制服で、旧海軍兵学校の制服をモデルにしたとされています。後述しますが外出時もこれを着ていくことになりますけれど、駅のホームで電車を待っていると駅員さんに間違われ「どこで乗り換えれば良いの?」なんて聞かれることがそこそこあります

↓こんなやつ
https://www.cmoa.jp/title/119774/

その制服姿も当然スマートでなければなりませんというわけで、月曜の朝は今度は制服の容儀点検が待っています

 

 

容儀点検はプレスは勿論のこと、埃が付いていることも許されませんから、埃取り用のブラシをかけたり、ガムテープでぺたぺたやったり(ただしガムテープは多用すると毛羽だってしまい、それもマイナス)勿論、きちんとすべきは制服だけではありません。

制服の他にも、帽子の制帽や襟に付いている校章に金属磨きの「ピカール」という液体を付け、ピカピカに磨き上げる必要がありますこの金属磨きの効果は大体2時間くらい。金属が酸素と結合して曇ってきます。ですから、前日の夜に仕上げておくというわけにはいかず、必ず点検前にやらないといけません

ちょっと話が逸れますが、制帽は紛失したら「退校」です他の衣類は着替えなどもあるので2つずつ貸与されるのですが、制帽だは一つだけ。それくらい重要なアイテムなので、風の強い日などは「あごひも」をしっかり付けて、決して飛ばされないようにしないといけません卒業式にはパッと皆で放り投げる映像が毎年の風物詩になっていますが、その鬱憤晴らし・・・ではありません

ちなみに私は卒業時、放り投げた後に真っ先に体育館から走り出て、当時取材に来ていた「めざましテレビ」に単独インタビューされて翌朝放送されたという武勇伝(?)があります

その放り投げた後の制帽は1学年が拾って回収し、卒業する4学年の下に届けます。制帽は再利用も出来ませんし、希望者が数千円で買い取る形になるので、普通皆記念に買い取ります(制帽以外は買取無し。なお買取はできないものの、制服のお値段は8万円という説あり)。勿論私も買いましたまあ、4年間の染みこんだ汗のせいで今やカビカビになってしまっているのですが・・・

更に余談を続けると、今メルカリで見たら制帽を2万円で売却しているヤツが居ましたまあ買取ですから、どうしようと自由ではあるはずですが・・・何か時代を感じますね買う方も汗臭い制帽を買って、一体何に使うやら(まさか現役学生が無くした?

 

 

だいぶ話が逸れましたが、朝の容儀点検を受けるためにプレスをして埃を完全に取り除いた制服を着て、胸の位置に名札を付け(制服の名札は安全ピンで留めるタイプ。傾かないように付ける必要アリ)、黒い短靴に靴墨を付けてピカピカに磨き上げ、黒い学生カバンを持って、朝の点呼同様に舎前に整列する必要があります

・・・と、これだけ頑張っても、制服では最初の容儀点検ですから、やはり基本全員落とされる運命にあります無論「どうせ落とされるから」と手を抜く命知らずは居ません

なお、ここに一つ難敵が現れます。それは「桜」です何故か。容儀点検の際に桜の花びらがヒラヒラと舞います。「うわぁ、キレイだなぁ」・・・などと思う呑気な学生はいません。花びらが制服に付くとします。そうすると「桜不備」という、全く理不尽な理由で容儀点検を落とされてしまいます「いや不備じゃなくて、むしろ桜備わっているじゃん」という無意味な抵抗は死を招き寄せるだけ

「いやいや、桜の花びら取ったら良いじゃん」・・・と言われるかも知れませんが、一度整列して「気を付け」がかかってしまうと、もう微動だにできません。できる動作は「休め」と「気を付け」のみ。それ以外の余計な動作はできないので、腰の辺りに付いた花びらならばドサクサに紛れて払いのけることもできるのですが、基本もうアウト。静電気か何かで案外しっかりとくっついています

この桜、丁度着校の4月1日に満開になりますし、入校式を終えた5日から盛大に散り始めます。まるで図ったかのよう(※温暖化が進んだ今はどうかわかりませんが、当時は新入生を苦しめるため、少し高い標高などを計算に入れ開花時期を絶妙にコントロールしているのかと思う程でした)。勿論、この散った花びらは舎前の掃除でも新入生を苦しめることになります

更に朝はヒゲをちゃんと剃らないと「ヒゲ不備」もあります。私は元々そんなにヒゲが濃い方では無かったのですが、この防大時代に過剰に剃りすぎたことで逆に濃くなってしまいました

私の小隊にはビックリする程ヒゲが伸びるのが早く、剃って30分後にはもう青々としてくるヤツも居ましたですから、なるべく点検直前に剃らないといけないとダメ、という体質のヤツもいます

その他、あるあるネタでは「目の輝き不備」とか無茶苦茶な理由で落とされることはあります。まあ目の輝き不備ということは、他に何も文句を付けるところが無かったということである意味名誉なことかも知れませんが・・・まあ結局再点検を受けないといけなくなりますから、全く何の慰めにもなりません実際これらは稀で、「ピカール不備」「短靴の磨き不備」などいくらでも難癖付ける要素はあるのですが

 

 

容儀点検が終わると、教務班毎に並び替えすなわち各学年の学科毎の集団で並びますそこで整列して隊列を整え、教場まで課業行進していくことになります班長が日替わりで交替し、その班をまとめて指揮をとる形。

この課業行進というのは「抜刀隊」という軍歌に合わせて、皆で足並みを揃えて歩いて教場に向かうことです。音楽は生演奏・・・ではなく、テープで毎回流れます。口で説明し辛いのですが、リズムの強い部分(指揮者の棒が下に来るタイミング?音楽用語がわかればもう少し上手く説明できそうですが・・・)で左足が地面に付くようなタイミングで歩きます。

↓「抜刀隊」はこんな感じの曲



自衛隊は「観閲式」などのイベントの際に、いわゆる「パレード」と呼ばれる行進を行いますさすがに北朝鮮の軍事パレードのような異常な動きは見せませんけれど、それでもパレードはある種軍の統率力を内外に誇示するために必要でもあります。確かにキレイに揃っているところは「しっかりしていて強そう」という印象は受けますね

というわけで、顔はまっすぐ前を向いて、足並みは当然として、手の振り、縦横一列にキレイに並んでいるか、を絶えず意識しながら歩かないといけません。当然隣とダラダラ喋りながら歩くわけにはいきません。授業に向かうことすら、訓練の一環なのです

一応、我々は幹部自衛官候補なので、将来的には行進する側というより先頭で指揮する側になるわけですが、隊員にやらせることを自分もできなければならないという訓練の一つまた純粋に姿勢が良くなるのは利点ですお陰で私は猫背がすっかり治り、今でも色々なところで「姿勢が良いね」と褒められます

音楽が流れている間は音楽に合わせて歩きますただ繰り返しますが、私の所属する4大隊は全てから最も遠かった大隊でもありますから、教場まで遠く、行進の時間が長い長いあまりにも長くて到着前に曲が終わってしまうので、その後班長は「イチ、イチ、イチニー」と歩調を合わせるための号令をかけながら目的の教場まで進んで行くことになります(「イチ」で左足を地面に付けます)

↓課業行進(音楽無し)はこんな感じ



お陰様で4大隊は「パレード大隊」という異名を持つ程に、パレード時の練度が高い大隊でもありました日々の鍛錬の賜です

 

 

私の小隊にはたまたま「陸上自衛隊少年工科学校」出身のE君が在籍していました。少年工科学校というのは、中学卒業後に陸上自衛隊入隊となり陸士の階級も得られる機関です。防衛大学校同様に文部省の管轄外ではありますが、一応卒業すれば高校卒業と同等の資格は得られます。

そして卒業すれば18歳から陸曹として各部隊に配属となるのですが、E君は防衛大学校の入学試験を受け、無事合格し、更なる上の階級を目指すことになったわけです彼のような存在は稀で、同期では彼一人でした。

↓階級に関してはこちらを参照
https://www.mod.go.jp/j/profile/mod_sdf/class/

ちなみに、現在「少年工科学校」という機関はありません。というのも、近年世界的にこの18歳未満の「陸士」が少年兵に該当するのではないかという指摘を受け、国際的に宜しく無いという流れになりました現在は同等の「陸上自衛隊高等工科学校」に改編されたそうですが、ここからの話は私も詳しくわからないので割愛。

つまりE君は既に3年間自衛隊の訓練を受けてきており、我々のようなポッと出の新人(?)とは異なりエリート的な、兄貴分的な存在なわけです私は1浪なので年上ではありましたが、彼は「出来る人」であり、一目を置かれる存在ではありました。

なので対番がいない時にわからないことがあったりするとE君を頼ったりできましたし、例えば班長など難易度の高い役目はE君にお願いすることが多々ありました。なお、このE君、かなりクセがあるキャラクターで、後々の裏話的な部分で多く出てくると思います。お楽しみに

私の所属した「441小隊」は、後々考えてみると、実にバラエティに富んだキャラクターの強い集団でした。その一員に選ばれた(?)私は幸運であったような気もしますし、不幸であったような気もしますただ、昨年の同期会で441小隊出身者の参加率が群を抜いて高かったのは、すごい嬉しかったですね(つづく)

 

 

防衛大学校物語 役割

 


 

 

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