ダルマじょうしょうダルマ〜未来に繋げる株式投資〜

ご挨拶| 筆者紹介| Blog| 各種サービスのお申込| 過去のパフォーマンス| 銘柄レポート| FAQ| 掲載すべき事項|

防衛大学校物語 学生生活

 

 

防衛大学校物語 入校からの続きです

 


その後も慌ただしく時間が過ぎていき、夕飯の時間になりました3度のご飯は必ず食べに行かなければなりません体力維持のためであることは勿論のこと、国民の税金を使って供されるものを残飯にするわけにはいきません(ただしアレルギーや人それぞれに適量もありますから、残しても構いません。けれど体力を使うのでむしろたくさん食べる人が多い

勿論お腹が空いているので行きたいのは山々ですが、それ以外にやらなければいけないタイムリミットがあって、できれば行かずにそれらを処理していきたいのが本音ですしかも我々の「8号舎」は食堂まで最も距離がありますもっと言えば44中隊は3階だったので、全中隊の中で最も遠いのです(女子は4階だったのでもっと遠いのですが)。

距離があるというのはどういうことかというと、まず単純に時間がかかりますまた同時にそれだけ上級生とすれ違う回数が増える=敬礼が増える=何らかのミスがあった場合「シバかれる」回数が高くなる=時間が更にかかる、ということです

しかも移動する時は必然的に走りますが、敬礼する時に走りながら敬礼はできないので、敬礼の瞬間は歩いて、また数歩走って→また敬礼・・・というループになります短距離ダッシュで一旦止まり、また短距離ダッシュで止まり・・・を繰り返すのはキツいです

ですから、ぶっちゃけて言えば食事を抜いたことは幾度となくありますただ私は純粋にお腹が空いたら何も出来なくなる人間だったので、中隊の中ではまだ食事に行った方ではあります早食いには自信がありましたが、今でもそのクセが残っているのはあまり良いことではありません

なお、食事に関しては個人的には特段美味い、不味いは無かったです。元々そんなに肥えた舌は持っていないので、基本的には何でも美味しくいただけます

純粋に好きなメニューや、その時無茶苦茶お腹が減っていたら美味しいですし、夕食後に「呼び出し」があってシバかれるスケジュールになっていたら喉を通らずに不味く感じる、という具合ですただ当時一番人気のメニューは「吉野家の牛丼」だったのは確かです(業務用の具で供されるもの。遅く行ったら具が無いこともありました)。あとは定番のカレーですね

 

 

夕食ともう一つ絶対にしなければいけないのは入浴です勿論尋常じゃ無く汗をかく機会がありますし(肉体的にも精神的にも)、幹部自衛官たるもの常に清潔であることが求められますそもそも集団生活ですから、公衆衛生を守るためにも必須です。

なお、食堂内、浴場内での敬礼は不要というルールです(したら逆にシバかれます)。また余程酷いことが無い限りシバかれません。バイオハザードで言うところのセーブポイントみたいなセーフティゾーンです(?)あとこれは公式ルールかどうかは謎ですが、浴場内で「前」を隠すことは禁止です(タオルなどで隠していたらみっともない?一応、それでシバかれた人は知りません。なお女子は知りません。あしからず)。

ただ、脱衣場には定期的に週番が見回りに来て、決められた通りキレイに作業服を畳んでおかないと「整頓不良カード」なるものが入れられます。その場合、週番室に呼び出され「シバかれ」ますなお、私はカラスの行水作戦で、週番が見回りに来る前に風呂から上がってしまっていたので、整頓不良カードを入れられたことはありませんでした

食堂と浴場は当時隣接していましたから、やはり「8号舎」の連中にしてみれば遠いのですなお、各号舎にはシャワー室があるので、そこで済ませるのは可能なのですが、一学年が使うのは厳禁ですから、結局夕飯を食べて入浴をするため、どうしても号舎の外にいかないと行けません

もっとも、上級生にしてみれば、この時間帯に一学年がいない確率が高いので、また部屋を点検して「飛ばす」ことができる時間帯ですから、部屋に残っていたら「お前夕飯食べたのか?」と聞かれ、当日のメニューを聞かれて言えなければ行ってないことがバレてシバかれるので、結局行った方が身のためでもありますが

 

 

入浴が済むと走って戻ってきて、結局また汗をかくのですが、初日は「1900(ひときゅーまるまる=19時)から「入室要領演練」がありました。本来、入浴から戻ってくると自習時間になるのですが、まだ教務の方は始まっていません。なので自習時間などという悠長なものは無く、ただひたすら寮生活やこれからの自衛隊でのルールを叩き込まれる時間になります

この「入室要領演練」は、先ほど私がシバかれた際にも出てきた、上級生(上官)の部屋に入る時のルールです。一挙手一投足決まりがあり、その通りにしないといけません。まあ現実的には馴れ合ってきたら多少の省略はあるのですが、少なくとも一学年の最初のうちは基本が求められますから、省略されるはずもありません

一口に入室要領といっても、色々なパターンがあります。一人で入るものから複数人で入るもの、上級生の部屋に複数人居るケースや、週番室などの執務室に入るパターンなどなど。それに応じたやり方が求められるので、一筋縄ではいきません

今回の「入室要領演練」では、その各パターンをクリアして、ハンコが全て貰えればクリアというものでした。ダメだったらハンコを貰えません。ルールとしては小隊の自分のブロック以外の4年生の部屋に行ってハンコを貰うという形になっていました。現実的にブロックの一学年に対してはどうしても甘くなってしまうので(しかし何故か私は同ブロックの3年生にシバかれたわけですが・・・)。

そういう意味で私は非常にラッキーでした「鬼のカッター総長」のブロックっ子だったので、最大の難関に挑む必要がありません実際、隣のブロック長の部屋からはえげつない怒号が聞こえてきていました

正直言って、私の小隊で怖い4学年はブロック長だけでした。もう一人見た目がすごい怖そうな4学年は居たのですが、実は見た目よりは随分優しい人でした勿論、最初なのでそれなりに「シバかれ」はしましたが、まあその後の生活の中ではまだ全然ソフトなものでした。

 

 

一日の最後を締めくくるイベントとして「夜間点呼」があります生活は概ね中隊単位で動きますが、点呼などはまず小隊単位で管理され、小隊週番が中隊週番に報告し、中隊週番が週番室などに報告が行き、大隊全ての点呼が揃えば無事終了となります。

夜間点呼は朝の点呼と異なり、各号舎内の廊下で行われます。廊下は狭いので、各小隊毎二列に並んで行われます。この時は朝とは違い、きちんと上下の作業服を着ています。

この点呼で「足りない」とどうなるか。基本的にそのようなことは起こらないのですが、ごくごく稀に「脱柵」、つまり寮生活に嫌気が差し、突発的に夜逃げなどで脱走する人も居るのです

誰かが脱柵したらどうなるか。まず何としてでも探します警察などの捜索届けではなく、隊内の警察的存在である「警務隊」があの手この手で探します噂では自衛隊ヘリなども総動員して捜索するそうですが、実際のところはよくわかりません。見つかれば当然連れ戻されます。どういう手段で捜索されたのか知りませんが、沖縄で見つかって連れ戻された人も居るようです

そして脱柵行為はなんと中隊の連帯責任となり、全員で一ヶ月大声で号令をかけながら朝ランニングなどの非常に厳しい罰があります脱柵した人間は背嚢などの重い荷物を背負わされて走ることになり、当然責められ周りからは冷たい目で見られ、散々なのですですから決して脱柵などは考えないように脱柵するくらいなら、正式に辞めるべきです。皆に迷惑かけるので

まあこれは伝説レベルの話で私はその人のことも知らないのですが、消灯時に「脱柵」→富士山の麓まで車を飛ばし→そこからUターンして帰寮→何事も無かったように朝の点呼に参加、という強者がいるそうです見つからなければ罰せられないのですが・・・。何のためにそんなことをするのかは知る由も無いですが、よい子は絶対マネをしてはいけません

 

 

点呼が終わると「容儀点検」なるものが実施されました基本的には月曜の点呼の後は容儀点検があり、一週間の始まりをビシッとした服装で過ごすためのチェックがなされます一学年の最初の頃は、基礎を身につける意味合いもあって基本毎日行われます容儀の乱れは心の乱れ

容儀点検でチェックされるのは基本的に「作業服にシワが無いようにアイロンがけがなされているか」「靴はちゃんと曇りなくピカピカに磨かれているか」「着こなしがきちんと出来ているか」がポイントです。チェックは4学年が行うのですが、特に最初は別小隊の4学年に厳しくチェックされました同小隊の4学年だと甘くなりがちなので

「容儀点検」が開始となると、まずは「休め」の姿勢で自分の番が来るのを待ちます目の前に4学年が立つとすかさず「気を付け」そこで上から下までなめるようにチェックされますそして「回れ右」と言われると180度回転し、今度は背後を隅々調べられます視線が物理的な圧力を伴っているかのように、チクチク刺さる時間です

そしてもう一度「回れ右」を命じられ、改めて4学年と正対すると、審判が下りますそこで例えばシワがあれば「プレス(アイロンがけ)不備」と言われ、それを指摘された1学年は大声で「プレス不備」と復唱します。

その他にも「短靴の磨き不備」とか「着こなし不備」、最上級は「全部不備」とか色々ありますが、やはり一発目ですから色々難癖付けられて全員落とされるのが通過儀礼です基本的にアイロンがけは同部屋とアイロンを奪い合いながら、丁寧にやりますからそんなに露骨なシワがつくはずもありません。それを着る時にちょっと曲げたりしてしまうとシワになってアウト、というケースはありますが

で、実際の私はどうだったのか。勿論不備でしたしかも最初は背は低いけれど合気道部の怖い4学年にターゲットにされ、徹底的に狙われました「お前、これでプレスしたと言えるんか」などと詰め寄られます。

しかも作業服に縫い付けた名札の「糸」の間隔が大きいと指摘。なかなか説明が難しいのですが、縫い付けた糸と隣の糸との間隔に関して、ボールペンの先っぽが入るようではアウトなのです普通のミシンで縫うよりも細かい間隔で、もう絶対に名札が作業服から剥がれないように細かく細かく細かく縫い付けないといけないのです。しかも糸が極力わからないように。多分うちの母親もここまで細かいのを手縫いでやったことはないのではないかというレベル

というわけで、自分では細かく縫ったつもりでも「おい、ボールペンの先が入るぞ」と指摘されると、そこから胸の名札を引きちぎられましたそして投げ捨てられ「お前はプレス及び名札不備だ」と宣告され「プレス及び名札不備」と復唱。気持ちはどん底に沈んでいました

 

 

そして不備になったらどうなるか。まず純粋に再点検が求められます結局一ヶ所の不備のために全部改めてやり直さないといけないですから(服は一度着たらどこかしらシワが出来るし、靴も多少はツヤが鈍るので)、それに時間を割かれます

加えて「報告書」というものを書いて提出しないといけませんその報告書とは結局反省文のことです定型文があるのですが、それを一々真っ白なメモ用紙サイズの紙に、ボールペンでキレイに定規で線を引いて、文字のサイズを統一しながらラインが右下がりにも右上がりにもならないように、行間もきちんと空け・・・ということをアナログで行わないといけません

対番がお手本を書いてくれたものを紙の後ろにおいて、透かした状態で上からなぞっていきます。そうすればとりあえず書き間違いやズレは生じません。

ところがここで泣かせるのが書き間違いよりも「インク溜まり」の発生すごい細かい話なのですが、ボールペンの場合、時々インクが多めに出て、黒色が滲んだりします。出来てしまうと一から書き直し修正液などは勿論厳禁。やっとの思いで最後まで書いたのに、最後の最後にインク溜まりが出来た時にはもう絶望の深淵で死にたくなります
(※今はボールペンの性能も上がり、そもそもデジタル化が進んでこういう報告書の記入は無いのかも知れませんが)

私の場合、更に極度の字の下手さもあって、余計に完成度の低い報告書が出来上がってしまうのですこれが何度も何度も書き直し何故子供の頃に日ペンの美子ちゃんに弟子入りしなかったのか。己のうかつさを呪うばかり

容儀点検の報告書を出しに行って再点検を受けるので、プレスやり直し→報告書記入→点検を受ける、で通ればひとまず終わりですところがまたシワの指摘や、容儀が良くても報告書の書き直しを命じられると、全て一からやり直しなのです・・・

そもそも私の場合、名札を引きちぎられてしまったという最悪のスタート名札を縫うのは2時間くらいかかりますこれを済ませないと再点検どころか廊下に出ることもできません他にもやらなければいけないこと山積みの中で、更に2時間の時間を捻出するのは並大抵のことではありませんPX(購買)に名札も買いにいかないといけませんし本当に絶望感しかありません

 

 

ともあれ、報告書の提出や再点検はまた時間をおいて明日以降の話になるので、次はすかさず掃除の時間に移行します掃除は朝と夜の点呼の後に行われますから一日二回。時間は大体10分程度。とにかくスピード感を持って手早く丁寧に、そして基本通りにやることが求められます

毎日毎日担当部署は変わります。ある日は集会室、ある日はトイレ、ある日は階段・・・施設の広さなどに応じて、一人でやる場合もあれば複数人で掃除する場合もあります。例えば中央階段などは広いので確か3人くらいでやったような記憶があります(※私の中隊の一学年は人数が多めだったので、その分掃除の割り振りは若干楽)。

各部署毎に「申し送りノート」というものがありますそこには、歴代にその部署を担当した一学年達の、血と汗と涙の歴史が詰まっています別の意味でのデスノートかも知れませんこれを事前に読み込んで、申し送りノートに決められた通りの手順で、なおかつ塵や汚れを残さずに終えないといけません

例えば集会室の担当の場合、持ち物は「バケツ、雑巾、ホウキ」・・・などのように、決められています。部署毎に持って行くアイテムが異なるので、必要なものを持ってこなかったり、逆に不必要なものを持ってきたりすると、監督する長(やはり4学年)に「シバかれ」ます

ホウキで掃くのも適当に掃けば良い、というものではありません。廊下を掃く場合、まず廊下の左半分を掃く、終えたら右半分を掃く。左半分を掃く際は、ホウキの柄の上部に左手を添え、右手をその下に拳3つ分くらいの間隔を開けて、後ろ向きに進みながら掃く・・・などなど、図解で示された通り、一挙手一投足その通りやらないといけません

 

↓ちなみに丁度昨年の開校祭で面白おかしく展示されていた防大での掃除。勿論、実際はもっとガチです。我々の時代には「激落ちくん」などという最先端ハイテク製品(?)は無く、普通のスポンジと金たわしでした。




それをその担当部署の配置に就く前に通読し、暗記しておかないといけません掃除中に申し送りノートを読み返すなんてもってのほか一応掃除の際に持っていくのですが、それは監督する長のために持って行くだけ

監督する長も勿論同じ苦行を通して上級生になったので、清掃手順はほぼ頭の中に入っています。ただそのノートに前回の担当者が、注意されたことをどういう風に記入して後任者に伝えているのか、ということなどを確認したりするために必要ですもし前回シバかれた内容をノートに書かずに後任者に渡していようものなら、そしてその後任者が同じミスをしようものならば当然シバかれます

私の記念すべき第一回担当場所は集会室(小)でした。小なので一人。点呼が終わると同時に清掃道具を取りに部屋まで戻り、申し送りノートに指定されたアイテムをかき集めます「バケツ、雑巾、ホウキ」・・・と選んでいると、「おい、一年何タラタラやってるんだ早くしろ」などという威嚇が廊下に響き渡り、更なる電流が流れてきます

諸々のアイテムを揃え、清掃場所にダッシュで到着作業帽に汗が染み込んだまま「気を付け」の姿勢で呼吸を整えながら監督長がやってくるのを待ちます。そしてやがてゆっくりと視界に現れたのは・・・タイ人でした

 

 

防衛大学校には各国から留学生がやってきて、日本人と一緒の訓練や教務を受けています勿論「西側」の国でないと留学は許されないわけですが、我々の時代はタイがほとんどでした(その他東南アジアの国々)。現在ではモンゴル、ベトナム、韓国など多国籍になっているようで、今や防衛学の教官となった同期曰く「戦史の授業になると留学生がいるので色々気を遣うのよ」ということでした。

タイからの留学生は同期で10名弱程度。それが0学年〜4学年までいるので、全体では40名強程度という規模でしょうか。「0学年」というのは日本語研修生の期間が1年間あるためで、そういう意味ではタイからの留学生は2年間も下級生として厳しい指導を受けないといけないのです(※ただし留学生には必殺技「ニホンゴヨクワカラナイ」で逃げる手があります

ただ日本に派遣されてくるくらいですから、留学生は皆スーパーエリートですたった一年で難しい日本語を完全に習得してしまい、会話をしていて「え?それどういう意味?」と聞き返されたことなんて一度もありません(ですから「ニホンゴヨクワカラナイ」は本来あり得ない)。ハッキリいって字も私よりキレイに書きますから、報告書を提出した際に「お前の報告書の方がタイ人のものかと思った」とよく言われました

少人数コミュニティなので、食堂などではタイ人同士で学年の壁関係無く仲良く食べている風景をよく見かけます。お米文化ですし、日本の食事も比較的問題無く受け入れている様子。ただ味噌汁に無茶苦茶七味唐辛子を入れて辛くして飲んでいましたけれど

というわけで、私の最初の清掃の長は4学年のタイ人でした。名札にはカタカナで名前が書いてあります。恐らく、私の人生で初めて会ったタイ人。私はなるべく動揺を隠しながら清掃に取りかかります

私はその時、申し送りノートに書かれていないモップを一つ余計に持ってきてしまいました。
「お前、モップなんか持ってきたの?」と言われ、清掃の動作を止めて「はい」と応じたものの「ふーん」と鼻で笑われそれっきり。本来であれば激しい雷が落ちるところでしたが、お咎め無しでした

私はちょっと拍子抜けして、再度清掃に取りかかり、最後に一通り点検を受けた後に、特に何事も無く終了となりましたぶっちゃけて言えば、タイ人の上級生はあまり怒りません(※人によりますが、やはり人種的な壁があると思われる。あるいは微笑みの国の人達だから?)。タイは文化的に「頭に神様が住んでいる」ので、頭を叩かれることも決してありません。

逆にタイ人とはいえ容赦無くシバかれますけれど、0学年時にコツを掴んでいるのと基本優秀なので元々そんなにシバかれる素地がありません。

ですから私はとりあえずその日はラッキーでした他の清掃場所を担当した同期などは、掃除の時間が終わってもなかなか戻ってきません掃除が終了した後に散々詰め寄られ、何度もやり直しを命じられ、消灯時間ギリギリまで帰って来れませんでした。

 

 

そうやって掃除が終わると、ようやく就寝準備に入ります。もっとも、消灯ラッパが鳴って辺りが暗くなるまでは、いつ上級生が怒鳴り込んでくるかわからない緊張感は続きます歯を磨きに洗面所に行きたいのですが、出来るならば廊下に出たくはありません

そもそも消灯ラッパギリギリまでシバかれて歯を磨きに行く時間が無いこともありましたので、消灯後に室内でこっそり磨く(ペットボトルに水を用意して、うがいした水も別のペットボトルに出す。見つかれば勿論シバかれる)、歯磨きガムを噛む、などといった裏技もしばしば風呂に行けない時のために「水で流さないシャンプー」なども重宝するアイテムでした

とにかく激動の一日が終わりました厳密に言えばお客様モードが終わってたった半日しか経過していないのですが、ドッと疲れがでますただ一日は終わったものの、今後続く長い長い防衛大学校生活の、最初の一歩でしかありませんでしたそう考えると、先の長さに思いやられます

消灯後はやはり対番がやってきて夜話モードに。「どうだった?」と聞く対番たちの顔は、どこか嬉しそうでもありますというのは、これでいよいよ本当に下級生が出来たので、自分達よりも下の存在が誕生したこと、またこれで3、4学年の矛先が1学年にも分散することで、幾分自分達の生活が楽になりますから掃除もしなくて良くなりましたし。ただ2学年は厳しいカッター訓練もあるのですが

夜話は明日の朝起きた時の行動の確認。起床ラッパまでは基本ベッドから出てはいけないこと(※さすがに明け方にトイレに行きたい場合はトイレに行って問題ありません)、朝素早く毛布やシーツを畳んで、朝の点呼時は作業靴を履いて乾布摩擦用の手ぬぐいを忘れないこと、どこに並ぶか、などなどの再確認。ぶっちゃけ、私はまた眠くて仕方ありませんでしたが我慢して聞いていました(つづく)

 

防衛大学校物語 二日目

 

 

お問い合せ radi.res@gmail.com  北陸財務局長(金商)第23号 Copyright (C) radish-research. All Rights Reserved.