ダルマじょうしょうダルマ〜未来に繋げる株式投資〜

ご挨拶| 筆者紹介| Blog| 各種サービスのお申込| 過去のパフォーマンス| 銘柄レポート| FAQ| 掲載すべき事項|


防衛大学校物語 入校

 

 

防衛大学校物語 着校からの続きです

4月2日。防衛大学校で迎える初めての朝は6時半に起床ラッパで起こされますラッパ終了と同時に2年生が真っ先に部屋の扉を開け「おはようございます」と廊下に大声を響き渡らせます無論、4月6日以降は1年生の仕事なのですが、それまでの間は1年生に「こういうことをするんだぞ」というような見本を提示する必要があります。

程なくして上半身裸の対番がやってきて、一年生の毛布やシーツを手早く畳んでくれますそこまでお客さん扱いしている・・・というよりは、そうしないと間に合わないからです1年生も同じように上半身裸で、ズボンは作業服のものに履き替えてタオルを一枚持って一緒に寮の外「舎前」に飛び出します

朝は「点呼」から始まります。自衛隊では隊員の把握が絶対で、朝と夜に点呼があります。戦時中に「居なくなる」ということはすなわち戦死。重要な確認です。

その際「週番」となっている4年生が数を数えて上部に報告します。全員が起床して舎前に集合するまで、夏は勿論冬でも上半身裸でタオルで乾布摩擦をしながら「号令」を連呼します。例えば「右へ倣え」とか「頭右(かしーらーみぎっ)」、そういう指揮官として今後かけることになる「号令」の練習をかねて、全員が復唱します。その号令はアットランダムに下級生が叫びます。

1年〜4年まで全員上半身裸だというのは非常に平等なシステムです。ただ念のため言っておくと、女子学生はシャツを一枚着ています。当たり前ですね

点呼は学年毎に並ぶ形で、背後には上級生が並びます。そして大体皆が揃ったところで「右を倣え」し間隔を等分にします。そして「番号」と号令がかかると、端から「イチ、二、サン・・・」と数字を続けます。ここの数字は声量はもちろんのこと、リズミカルに素早く行うことが求められます。

そして小隊の全員が揃うと一旦乾布摩擦を止めて「気を付け」。週番が上部に報告している間は微動だにできません。動こうものなら、背後から上級生の心温まる指導「蹴り」が入ることになるのですが・・・まだ1年生に刺激的なシーンを見せるわけにはいかないので、この日はまだ非常に穏やかなものですなお冬場は乾布摩擦を止めてしまうと、とても寒いです。

その後、朝の爽やかな体操として腕立て50回などがある場合がありますが、それは週番の気分次第です一連のやりとりが終わり敬礼で解散となると、下級生(現段階では2年生)がそれぞれダッシュで部屋に戻り、掃除に取りかかりますまず防衛大学校の朝はこうして始まります

 

 

1学年(※細かいですが防衛大学校では○年生ではなくて○学年と言います。今後それで統一していきます)の我々はその間教わったことの復習や貸与された品々への名前記入、名札縫いなどに引き続き追われます他にも現防衛大臣のフルネームから防大の学生歌(校歌)、宣誓文など暗記しないといけないこともあり、呑気に同部屋と話しているヒマは無く、とにかく時間が無いのです

特に酷いのは食堂までの移動。というのは私の寮である「8号舎」は食堂から最も遠いところに位置し、これで1年間何度も食いっぱぐれ、泣かされることになります勿論今はまだ小走りで食堂に行き、ご飯を食べる時間がありますその猶予は入校式が行われる残り4日間のみ

この間、公式的な行事として1学年の時間が取られるのは入校式の練習です4月5日まで毎日練習が行われ、防衛政務次官が来て粛々と行われる行事の練度を高めることに費やされます無論、これまでの高校までの入学式のようにダラダラと行うわけにはいきません。

そうは言っても、まあこの入校式に関しては、大部分の1学年は起立と着席を素早く繰り返し、暗記した学生歌を歌うくらいでそんなに難しいことはありません。1年生を代表して、試験でトップだったとされる学生(一応東大を蹴って入校したそうです。ただ勿論、部隊に行けば指導力などで評価されます)が答辞を述べます。

その答辞の最後に「○○年入校、600名」と言うのです。数字の細かいところは覚えていないのですが、ザックリ600名強。私は「へぇー、600人入ったんだ」と内心思いながら聞いていました。

それが翌4月3日に「○○年入校、550名」、4日に「520名」と段々減っていき、5日の本番当日には「500名」と、たった5日の間に100人以上が「退校」しました日に日に皆恐ろしくなって「お客様」のうちに脱落してしまうのですこのカウントダウンは恐怖心を煽るのに十分でした

5日の入校式の前までに「宣誓書」なるものを提出しないといけません。自衛隊員としての心構えなどを示した契約書のようなもので、それを出してしまうといよいよ正式な入校という形になるので、簡単に辞められなくなるのですですからその前にふるいをかけられ、ドンドン辞めていくことになります

幸い、私の小隊は誰も辞めなかったような気がしますが、中隊では何人か辞めていきました。私服に着替えて大きな荷物を持って帰って行くので、辞めたことは一目瞭然なのですその場合、単に頭を刈りにこの小原台(防衛大学校のある住所)にわざわざ体験入隊でやってきた、ということになるのでした

 

 

4月5日入校式当日式に参列するため両親が富山からやってきて、角刈りになった私と初対面となります。この頃になると、もうすっかり気が滅入っていました

何とか親の前では強がりというか「全然大丈夫だよ」的な雰囲気を出したかったのですが・・・丁度前日の夜話で対番のBさんから「この入校式の日が一番まいった。親が来た時に何でオレを連れて帰ってくれないんだよぉ・・・って思った」ということを聞かされて、私もすっかりそのブルーな気分に捕らわれてしまいました

無事入校式本番を終え、しばらくテンションは低いまま親に「元気出され」などと励まされる始末そんな感じで何とか耐えてはいたのですが、その後親との会食会「午餐会」があり、その場でご飯を食べながらいよいよ堪えきれず涙がポロポロそれを見た母は「あんたが自分で選んだ道やろ」などと言いますが、それは十分わかっています。

後悔しているとかそういう問題では無く(まあ全く後悔しなかったかといえぱ嘘になりますが)、今までの人生から180度違う世界に飛び込んだカルチャーショックを心の中で消化するのに、5日間という時間はあまりにも短すぎるのです。なのに両親という「これまでの日常」がこのタイミングで目の前に現れるものだから、そのギャップに心が揺れ動いてしまうのです

ちなみに母には未だにこのことについて「入校式であんた泣き出したんやぜ」と嫁の前でからかわれ、非常にイラッとします

やがて無事入校式が終わり、親も帰っていきます。とりあえず一ヶ月過ごせばGWになり帰省できるので、ひとまずはそこを目標に頑張ることに(※今年の新入生はコロナの影響で帰省できなかったと思われますが、非常にお気の毒です)。

そして新入生はそれぞれ宿舎に帰還。そして部屋に戻ると大変なことが起きていました

 

 

部屋に戻ると、留守中に泥棒に物色された・・・いや、局地的なハリケーンが発生したと表現される程乱れているのです既に対番から嫌という程聞かされていたので心の準備は皆出来ていましたただ、実際に洗面器や折角キレイに畳んだ毛布が床に散乱し、マットレスが壁に立てかけられ、ロッカーの中身はグチャグチャに・・・となっているのを目の当たりにすると、衝撃度合いは強いです

何故そのようなことが起きるかといえば「ベッドメーキングが出来ていない」「部屋の整頓が出来ていない」「決められた場所に物が置かれていない」などなど、諸々の理由を付けて4学年に飛ばされているのです例えばベットメーキングは、毛布やシーツの上に10円玉を落として跳ね返るくらいにピンとした張力で張られていないといけません。この瞬間から我々は「お客さん」ではなくなります。ぶっちゃけ、どんなにキレイにやってもとりあえず飛ばされるので、ある種成人の通過儀礼みたいなものです

なお一応ルールはあり、私物(パソコンなど)は壊されないように触れられないようになっているので、その辺りはご安心を

元々親と別れてテンションダウンしていたところに、げんなりした気分に輪がかかりますあぁ、これから長い長い防衛大学校生活が始まるのか・・・という絶望感を抱えながら、一方で途方に暮れているヒマも無く、素早く原状復帰に勤しみます

いずれにせよやらないといけないことは山ほどあります。まず夕飯までに4学年の部屋のベッドメーキングと、4学年の靴磨きをやらないといけません廊下に出ると上級生と顔を合わせるので、一歩出た瞬間から正に戦場です

実際、既に廊下から怒号や咆哮が聞こえてきます今までは「お客さん」を威嚇しないように抑えられていた上級生の肉食獣的な本性が、いよいよ全開に解き放たれたのですですから、廊下という広大なサバンナに出る前に、まずは深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、この5日間で習ったこと全てを頭の中で再確認する必要がありました

 

 

廊下で上級生をある程度の距離で視認した場合は、自衛隊の基本「敬礼」をする必要があります敬礼をスルーする「欠礼」は最大の非礼であり、「シバき」(指導。関西弁の「しばくぞ」から。)を受けて当然の行為です

部屋の外では、一年生はさながらサバンナに住む草食動物のように、360度に警戒信号を発しながら行動しないといけません人が接近してきた時、まず目線は胸の位置の名札です。名札には学年毎に色が付いていて、危険度は信号の色と同じですすなわち2学年は緑、3学年は黄、4学年は赤。ちなみに1学年は白です。つまり名札に色が着いている人にはとにかく敬礼をしないといけないわけです

私は入校前に視力回復の針治療を受けたくらいに弱視だったので、当時メガネはとにかく必須でした敬礼したら相手も一学年だった、曲がり角でバッタリ出くわし反射的に思わず一学年同士で敬礼しあった・・・というのも、最初の頃は「あるある」です

敬礼はいわゆる右手を帽子のツバにかけて曲げて行う「挙手の敬礼」と、帽子を被っていない場合には脇を締め、腰から頭にかけて一直線を保ちつつ角度10°のお辞儀する「10度の敬礼」の2パターンがあります。

それに朝(起床〜国旗掲揚時間まで)には「おはようございます」、夜(国旗降下〜消灯まで)には「こんばんわ」と大きな声を敬礼に付け足す必要があります。簡単なことですが、慣れるまでは組み合わせや緊張で頭が混乱し、しくじった場合は「シバかれ」ます

4学年の部屋の前で靴磨きをしていると、ブロックの3学年が近づいてくるのが見えました初日に歓迎会をしてくれた3学年です。もう国旗降下が終わり、私は帽子を被っていなかったので「10度の敬礼」と同時に「こんばんわ」と言いました。

すると3学年が怖い顔で「おいお前、そうやって対番から習ったんか」と詰め寄ってきました。私の記念すべき(?)初「シバき(指導)」でした

 

 

「おいお前、そうやって対番から習ったんか
と3学年に詰め寄られた時に、私は「一体何がまずかったんだろう?」とちょっと混乱したまま「いいえ」と答えました。下級生の返答は原則「はい」か「いいえ」しか出来ません。それ以外の「言い訳」「口答え」は一切認められないのです。

私の何がまずかったのか。それは「靴を磨きながら10度の敬礼を行った」ことがNGでした敬礼する時は全ての動作を停止し、(物は持っていても良いのですが)腕をまっすぐに降ろして脇を締め、敬礼をしないといけません。敬礼が終わっても、このように話しかけられた場合は、やはり正対しながら脇を締め、相手の目を見ながら元気よく応対しなければなりません。

「靴磨きしながら敬礼しろと教わったんか
「いいえ
「対番誰だ
「Bさんです
「Bを呼んで、オレの部屋に来い

あの歓迎会で終始笑顔だった3学年の豹変人間不信になるには十分過ぎるカルチャーショックでした

私は血の気の引いた感じで対番のBさんの部屋をノックし、Bさんに一部始終を話します。Bさんは「わかった」と緊張と覚悟を決めた面持ちで私と一緒に3学年の部屋へ「呼び出し」に応じてくれました。対番なら皆、当然心の準備は出来ている一日でもありました

 

 

上級生の部屋に入るときには「入室要領」というマナー的なものを守らないといけません。まず「着こなし」を完璧にして靴をドアの脇にキレイに脱いで並べておきます。ドアをノックし、中から返事があれば「入ります」と大きな声で言いながらドアを開け、入室すると同時に身体を半回転して静かにドアを閉め、両脇をビシッと締めた状態で回れ右をし、一旦正面に正対します。

そして要件のある人物の方向を向いて一礼。自己の所属などを明らかにします。
「441小隊○○(名前)学生は、△△さんに要件があり参りました」と言います。
そこで△△さんが「なんだ?」とか「おう」と返事すると、△△さんのところまで近寄り、また一礼して要件を言います。

なお今回、その一連の件を対番のBさんがやってくれるので(二人以上の場合は代表者が行う)、私はそれに合わせて付いていくだけでした。鬼の形相をした3年生の前に二人で対峙します

3学年「お前、こいつ(私)が何をやったか聞いてきたか?
Bさん「はい靴磨きをしながら敬礼をしたと聞きました
3学年「お前はそうしろと教えたんか?
Bさん「いいえ
3学年「できてないじゃないか教えてもできてなかったら教えていないのと一緒なんだしっりか指導しろ
Bさん「はい

私は隣でただひたすら申し訳ない気持ちでいっぱいで聞いていますこれが防衛大学校の一番「きつい」ところ。すなわち、自分の失敗で自分が怒られるだけではなく、連帯責任で誰かも一緒に怒られるシステムです特に1学年の最初の一ヶ月間は何かと対番がセットで怒られます

やがて解放され、私の初めての「シバき」は終了喉は渇き、胃液で胃の辺りがずしりと重く、そして痛くなりました今後も幾度となく味わう嫌な感じです

 

 

私の対番Bさんは非常に優しい人だったので「気にするな、次に失敗しなければそれで良い」と笑顔で許してくれましたその時期、2学年はカッター訓練があり、体力的にもかなりしんどい時期でもありますその中で1学年と一緒にシバかれるのですから、かなり辛い時期こういう逆境時に余裕が出せるかどうかで、その人の器量が測れるというものです

なお、この「シバかれ」るというのは、少なくとも我々の期辺りから幸いにして暴力は禁止でしたまあ禁止といっても現実的には胸ぐら掴まれたり、蹴られたり、肩の辺りを殴られたりくらいはしますただ顔面に鉄拳制裁ということはありませんでした基本的には思い切り顔を寄せられ大声で怒鳴られるのがパターンですパワハラの究極的なものですね(※わかりませんが今は時流的にもう少しマイルドでしょう)

「なんだ、別に口で言われるだけなら気にしなければ良いじゃないか」という鋼の神経(あるいは鈍感力)を持った人は確かに良いかも知れません。実際そういう強者も居ますただそれ以外のペナルティー(今回のような呼び出し)も科せられ、時間を大きく奪われることになるのがまず痛いです

そして自衛隊の集団生活の基本は「連帯責任」がつきまといます。あまりにも自分が「出来ていない」と、対番だけではなく間接的に同期にも迷惑をかけ、結果として自分の立場が苦しくなりますこれが私は本当に辛かったです

もう一つ「腕立て」などの肉体的な指導はあります。ただしコレに関しては上級生も一緒にやらないといけない決まりがありますつまり上級生は下級生に腕立てをさせる際には、必ず自分も傍で同じ数だけやらないといけません。そういう意味ではすごく公平ですし、上級生は大変です。「シバいた」人数分だけ自分の負担が増えるわけですから

一応上級生はこれまでの経験上、やはり体力があるので一学年よりは全然簡単に腕立てをします当たり前ですが、自分で「腕立て」を仕掛けてきて、自分がへばるわけにもいきません目の前ですからズルもできませんそういう意味では「腕立て」の指導を上級生がチョイスする絶対数は少なくなるのですが・・・

なお、その後私が上級生になった立場から言えば、指導する側もしんどいんですよね手本でもありつづけないといけませんし、怒るのもエネルギー要りますから正直、私は上級生になった時にはほとんどやりませんでしたが、それは下級生に対して人任せで無関心なだけで、本当は良くありません実際、筋が通っていて怖い上級生の方が、下級生からの人望も厚いです(つづく)

 

 

防衛大学校物語 学生生活

 

 

お問い合せ radi.res@gmail.com  北陸財務局長(金商)第23号 Copyright (C) radish-research. All Rights Reserved.