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防衛大学校物語 着校

 

 

防衛大学校物語からの続きです

 

翌朝、ホテルを出てA君と二人で防衛大学校に向かいました毎年4月1日が着校日と決まっています。正門をくぐると正面に「本館」がデンと威圧感タップリにそびえ立っており、遂に防衛大学校に来たんだなぁと身が引き締まる思い誘導に沿って受付に並ぶと、自分の所属が既に割り振られていました。

私の配属は「441小隊」。数字の最初の「4」は大隊を表します。全部で4大隊あるうちの最後の大隊の所属ということです。真ん中の「4」は中隊を表します。各大隊の下に4つずつ中隊があるので、全部で4×4=16中隊ある中の第44中隊であり、正に最後の中隊という意味です。

そして最後の「1」は小隊を表します。これは各中隊の中で3つの小隊が存在するので、全部で4(大隊)×4(中隊)×3(小隊)=計48小隊あるうちの、つまり111小隊〜443小隊まであるうちの、後ろから3番目の小隊という位置付けになります。所属先は完全にアットランダムで振り分けられています。

ただし女子学生は部屋の関係上、3中隊か4中隊に所属する形になります。つまり私の441小隊は女子学生も居る小隊です(勿論部屋は男女別です)。

ちなみに私が入った時は、防衛大学校に女子学生の入校が許されてから4年目。つまり当時4年生の女子学生が、記念すべき防衛大学校女子学生第1期生だったのです。詳しい人はこれで私が何期生かわかると思うのですが、一応プライバシー上私が第何期生なのか言及は伏せます。推測してみてください。

それはともかく、一緒にやってきたA君は2大隊所属ということで、その受付でお別れA君とはその後なんだかんだで長い付き合いになり実は今でもかなり近い距離に住んでいるのですが、当時はその瞬間から連絡がプツッとシャットアウトされました。携帯電話も無い時代でしたしですから、その瞬間から私は完全に誰も知る人の居ない独り身となりました

 

 

4大隊は正門から最も遠いところにありました。防衛大学校の敷地は日本の大学で最も広いのですが、渡された地図を頼りに歩いて10分以上かかります通りの両脇は見事な桜並木になっており、やや高い標高なども関係してか、見事に毎年計ったように4月5日の入校式に満開になります実はこれが将来新入生を苦しめることになるのですが、それはまだ預かり知らぬところ

そして示された宿舎に着くとまた受付があり、そこでまた名前を照合。すると一人の上級生がやってきて「私が君の対番です。宜しく」と。

ここでまた単語の説明の必要が生じます。「対番(たいばん)」とは教育係のことを言います。1年生一人に必ず上級生一人が付くようなシステムになっていて、普通は2年生が付くことになります。私の対番はBさんという人でした。

この対番というシステム、当時の私が知る由も無いですが、2年生にとっては本当にその後の生活を大きく左右する重要なものです。というのも、1年生の出来・不出来の責任の全てを対番が負うことになるので。こちらも完全にアットランダムで振られますけれど、実は当初私はBさんが対番ではなかったのですが、Bさんの対番が来なかった(着校しなかった)ので、私がBさんの対番になりました。

後々わかりますがBさんは優秀な人で優しく、本当に呆れて怒られたのは一度だけしか記憶にありません。私は中隊で一、二を争う程に手のかかる「できていない」後輩だったのですが、私にとっては最高の対番で本当に良かったと思いますこの辺りの運、不運もその後の生活を大きく左右します。

その対番に連れられて到着した部屋には、同部屋となる同期二人C君とD君が居ました。各部屋2人〜3人の編成ですが、私は3人部屋。この同部屋の巡り合わせも、今後の生活を大いに左右するものです。実は当時はまだ同部屋=同期で構成されていましたが、私が3年生になった途中から1学年〜4学年一人ずつの構成に変わり、私の期はまだ恵まれていたと思います

 

 

それぞれ簡単に自己紹介や挨拶を済ませると、まずは届いている宅急便の荷ほどきになります。荷ほどきをしながら、慌ただしく色々とレクチャーを受けることになり、全く休むヒマはありませんとにかく初日からもう忙しい日々のスタートなのです

そしてある程度荷ほどきが終わり、生活に足りないものが把握されると、PXと呼ばれる防衛大学校の敷地内にある購買店に必需品を買物に行くことになります。対番に連れられて、例えばハサミだとかネクタイピンだとか、そういった細々したものを買い揃えることになりますちなみに私はこの思い出の校章入りネクタイピンを未だに大事に使っています。

実はこれは対番のポケットマネーで買って貰うことが伝統になっています私もまだ勝手がよくわからない中、言われるがままに買いそろえてもらいましたまああくまでも伝統であり義務では無いので、ケチな対番も居るには居ます同小隊のある同期は、対番に買って貰ったのが洗面器一個だったというのは、我々の間で語り継がれている笑いぐさです

その日は一斉に新入生が着校するので、PXは鬼混みまた床屋「汐入理髪店」も鬼混みになりますというのは、4月5日の入校式までに男子学生は全員「防大生カット」と言われる角刈りの短髪にしないといけません

多少短めに切って着校しても防大生カットが求められるので、結局二度手間になることもありますから、大人しく「汐入理髪店」でやってもらった方が良いと思います。なお、丸坊主(スキンヘッド)は原則禁止です。かつての囚人の髪型ということなので。まあ防大生も囚人みたいなものなのですが・・・

ちなみにマンガの「あおざくら」は皆ロン毛ですが、あれはあくまで架空のお話ただ今回これを書くにあたり読んでみたのですが、あれは実によく取材されています登場人物以外のエピソードは95%くらい事実です噂では私の同期が監修しているとかしていないとか道理で既視感がハンパありません・・・

ただ唯一マンガで募金しているシーンがあったのですが「(少なくとも制服姿で)募金をしてはいけない」という決まりがありました(※主旨は国民の税金で貰った給料を、行き先のわからない団体に投じてはいけないというものかと)。今は変わったのかも知れません。

ともあれ、個人的には角刈りにされて、電話ボックスの鏡で自分の頭を見ながら実家に「無事防大に着いた」と連絡した瞬間が一番心が折れました人生でこんなに髪の毛を短くしたことなんて無かったですから。もう出家して俗世間には戻れないというような、不退転な覚悟を強いられたような気持ちになりました

 

 

それから部屋に戻って、アレコレと今後の生活のための準備をします。一番厄介なのは作業服2着に名札を刺繍すること。刺繍なんて家庭科の時間以外ほとんどしたことがないのに、いきなり針と糸で名札を縫うことになりますなお作業服というのは、訓練などで使うカーキ色の服です(※いわゆる迷彩服とは異なります)これが寮内で生活する場合の普段着となります。

名札の付け方が雑でも今はとりあえず良いのです。あくまで入校式が済むまで「お客さん」ですから4月1日〜4月5日まではお客さんなので何をミスっても、どんな無礼を働いても許してもらえます。それが入校式を終えた後に豹変し、何度も名札を縫い直すことになります・・・

また、アイロン掛け(プレス)も防衛大学校では必須のスキルです。自衛官たるもの、容儀を正して偉容を正すことが重要で、とにかくシワの無い服装を要求されます。

中でも作業服には「カンターチ」というアイロン用スプレーのりでパリパリに、袖や裾の折り目に線を入れることが求められます。その線が二重線(前回付けた折り目からズレる)になったりするとアウト。またとにかくシワが無いようにする必要があるので、田舎のヤンキーがリーゼントを過剰にカチカチに決めるような不自然さが求められます(?)

ですから、裁縫やアイロン掛け、更には後述するように掃除といった全ての家庭的なスキルを求められ、防衛大学校出身者は良い奥さんになれますし(?)、結婚した後に奥さんのアイロン掛けにケチを付けてケンカになるというのは、防衛大学校出身者のあるあるですえ、私?私は当時の反動で、これらを極力避けるようになってしまい、今はだらしない生活で毎日怒られています・・・

他にも色々あるのですが、個人的に当初一番難儀したのは「敬語をちゃんと使え」ということでした。これは当たり前なのですが、人生それまでずっと富山県で過ごし富山弁で過ごしてきた私にとってはかなり手こずりましたというのも、富山弁は例えば先生に向かって問いかける時も「○○なんですか?」ではなく「○○ながけ?」と聞いたり、敬語の区別や概念が薄いのです。

同部屋のC君、D君はそれぞれ埼玉、千葉と共に関東出身のため、私の苦労はなかなか理解してもらえずそもそも端々に出る富山弁も「え?何て言ったの?」とからかわれる始末まだ関西弁の方が「寄せやすい」ので、普段使いは関西弁チックに寄せて、そこから立て直すことにしました

 

 

そうこう忙しなく取りかかっていると、あっという間に夜になりました我々はまだ「お客さん」ですし、ベッドメーキングも上手くできないので、対番が毛布やシーツでベッドを上手く作ってくれています。これもホテルのベッドメーキングも真っ青の完璧さを要求されるのですが、今はやはりまだその恐ろしさを知る術はありません。

当日の夜は新入生歓迎会が各ブロック毎に行われることになっていました。各小隊毎に1年〜4年各1部屋ずつでブロックを構成し、そのブロック単位で家族的な感覚で生活していこうというイメージです。先述したように今は既に1年〜4年が同部屋になっているのでブロックという概念がそもそも無いようですが、当時はそういう感じでした。

ブロックの4年生の部屋にブロック員全員が集まることになり、対番が1年生に作業服の「着こなし」を教えながら身支度を調えてくれます。この「着こなし」というワードの説明をなかなか文字では書き表し辛いのですが、とにかくだらしなくないよう、偉容を正すために背中にシワ一つ見せないビシッとした作業服などの着衣法です。

肩の力を抜いた状態で作業服の両脇を引っ張って背中のシワを伸ばし、ズボンのベルトをきつく締め、作業着のチャック(ジャンパーのようにお腹から首まで一直線に止めるタイプ)を上げて完成着こなし後は、決して前屈をしてはいけません。シワができるので。ですから靴を履く時は背筋を伸ばして下を向かないようにしながら、器用に履かないといけません。

着校初日の私にそれが理解できるはずもなく、対番のBさんに「とりあえず上着の前のチャックを開けて」と言われるがままに全開にし、背中のシワ一つ無いようにびしっと伸ばされた状態で緩まないようにキツくギュッとズボンのベルトを締められ「じゃあ4年生の部屋に行こうか」と促されます。新入生で「お客さん」の我々はわかりませんが、対番の2年生達は全員緊張の面持ち

防衛大学校のヒエラルキーは体育会系なので絶対ですすなわち4年生は「神」であり、3年生は「人」であり、2年生は「奴隷」であり、1年生は・・・「ゴミ屑」なのです。2年生はつい前日までは「ゴミ屑」だったのが、ようやく4月1日その日から「奴隷」に昇格(?)されたものの、まだ1年生は無敵の「お客さん」なので、現状ヒエラルキーの一番下は2年生なのです。

その対番は致命的なミスを犯します。着こなしをした後の私に「チャックを上げて」と言わなかったので、私は訳が分からないまま上着のチャック全開で白い下着のシャツをオープンにしたまま、4年生の部屋に招き入れられました。対番は緊張のあまり、また時間に急かされていたせいもあってか、着こなし後の私の姿(背中のシワは無いけれど、前方が・・・)を確認する余裕が無かったようです

 

 

ブロックの4年生の長は見た目は飄々とした感じでしたが「鬼のカッター総長」と言われる、44中隊で2年生に最も恐れられていた人でしたカッターというのは詳細はまた後日に回しますが、短艇という10人で力を合わせて漕ぐものその競技会がGW前に行われるのですが、それを終えて初めて「一人前の奴隷」に昇格します(成人していれば喫煙も許されます)。

その1年間の総仕上げとも言える防衛大学校4年間の中で、最も辛い行事のリーダーが我々のブロック長でしただから中隊の2年生全員が恐れていた番長的な存在2年生全員が緊張するのは当然です

一応、その夜は(表面上は)非常に和やかな「新入生歓迎会」。私を含めた新入生は気楽な感じで4年生や3年生と話します。しかし私の上着全開の作業着姿を見て、「あぁっ」という声が出ない表情のまま2年生全員の表情が凍り付き、青ざめてしまっています最大限の容儀が求められる中でチャック全開という、最大限の非礼の姿がそこにありました

しかし3年生、4年生はニヤニヤと笑って「なんだそれ?」と言うに止まっていました。とりあえず表面上は。その約1時間の新入生歓迎会の間、2年生はずっとヘビに睨まれたカエル状態でした

サッパリ状況がわからないうちに新入生歓迎会はスタートジュースやお菓子が振る舞われ、(表面上は)和気あいあいとしたものでした私は呑気に自己紹介で何かウケないかと「私の父が藤子不二雄と同級生で・・・」と言ったものですから、ブロックの中で私のあだ名は「フジオ」になりました対番は何か失礼な発言が出ないかとヒヤヒヤだったことでしょう

そんな感じでその日の夜は更けていきました。消灯ラッパが流れ、(基本的には)一斉に部屋の電気が落とされます対番が敷いてくれたベッドに入りながら寝よう・・・と思ったら、対番ら2年生が部屋にやってきて「夜話」タイムとなりました。

 

 

この「夜話」というのは公式的には認められていませんが(消灯後は速やかに就寝して明日に備えるべきなので)、暗黙の非公認行事みたいな部分があります週番(学生の生活規律維持のための当番)がライト片手に見回りで回ってきて、ベッドから離れてごそごそ何かやっていたら注意されますが、夜話なら「早めに寝ろよ」程度言われて終わりです。正直、私は眠いのでさっさと寝たかったのですが

電気が落ちた真っ暗な部屋の中で1年生3人、それぞれの対番である2年生3人が今日の感想などを聞いてきます。また、防衛大学校の真の怖さなどを伝えにきます真っ暗の中で話合うので、心理的に覆面座談会みたいになり、皆の本音が出るので結構面白いシステムにも思います。

対番が「さっきは焦った〜」などと、先ほどの「作業服チャック全開事件」の意味を教えてくれました。その「しでかしてしまった」ことの大きさは、今でなら十分過ぎる程理解できます

普段はその「夜話」は対番や同期と行われるのですが、初日ということもあり部屋にブロック長もやってきました部屋に上級生が入ってくる時は直立不動で正対し迎えないといけないので、部屋のドアが開いて上級生と認識した途端、電流が走ったように2年生はピンと立ち上がります

ただ「夜話」は多少無礼講な部分もあるので、4年生が「いいよ」と言うと、2年生はホッとした感じになり、やや緊張が解けます幸いにして、先ほどの私の「作業服チャック全開事件」も不問のようで、対番は大きく安堵新入生の前でいきなり刺激的なことはできないという配慮もあったかも知れませんが、対番にしてみれば本当にラッキーだったと思います

 

 

ぶっちゃけ初日に何の話をしたのかまでは覚えていませんが、とにかくここでの生活の心構えについてあれこれアドバイスを貰いました。というよりむしろ、我々そっちのけで2年生と4年生が色々話合っていました2年生にしてみれば、4年生とこうやって「夜話」でざっくばらんに話す機会が無いので、奇貨として今のうちに色々と聞いておこうということでしょう。

そもそも所属中隊は4年間ずっと固定ではありません。2年生に進級する時に「学科」と「要員」が決まり、「学科」に応じて所属中隊が変わります。

実は一般大学と違って学科は1年生の時に決まっておらず、理系と文系で分かれているのみ。2年生になって成績などを考慮して希望の学科に振り分けられます。ですから今の2年生はつい数日前に寮内での「引っ越し」を済ませ、他大隊などからやってきたばかりで、3年、4年とは面識が無かったりします。それ故、余計に未知の3年、4年が怖いのです

要員というのは「陸」「海」「空」の別のこと。それに応じて名札の色が変わり(陸は茶、海は紫、空は青)やはり入校時は1年生に陸海空の区別が無く、名札の「色」は真っ白です。これから1年間様々な研修、訓練を受けて希望を出し、2年になって陸海空に振り分けられます。ちなみに一般的に「空」は人気なので、空は成績が優秀でないとなれません

当時、各部屋の決め方としてなるべく偏らないように、同じ部屋に陸海空一人ずつ配置されるような部屋割りになっていました。ですから、我々の対番もそれぞれ陸海空に分かれていて、これは偶然なのですが、それぞれ対番と同じ進路を希望していました。すなわち私の対番は「海」で、私も海を希望していました

とりあえず初日は色々刺激的過ぎて疲れたので、程々に「夜話」は解散。ようやく就寝となりました(つづく)

 

 

防衛大学校物語 入校

 

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