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防衛大学校物語

 

 

【まえがき】

 

入校してからもう四半世紀も経過して令和の時代に入ったことから、そろそろ私の防衛大学校話を解禁し、今後不定期で色々書いていこうかなと思います丁度「あおざくら」という防衛大学校を舞台にしたマンガ・ドラマも話題になって、色々とオープンになってきましたし。

皆さんのご想像通り、人生で最も「中身の濃い」4年間でしたし、正直辞めた後にも毎週のように夢に出てきたトラウマもあります実は今でも月に一回くらいのペースで当時の夢が出てきます

当時は本当に毎日毎日キツかったですが、卒業してみれば「行って良かった」と思っています。人生や生き方、考え方が良い方に180度変わりました(と私は思っています)。同期は一生の友人であり辞めた今でも絆も交流も深いですし、もし娘が将来進学希望をしても止める理由はありません。

なお、内容的に現代の風潮にそぐわない点があるかも知れませんが、それはもう過去の話としてある程度ご容赦いただきたいということ、またもう20年以上も経過しており、現在は恐らく時代に即した教育方針になっているであろうこと、加えて私の記憶が色々美化、あるいは盛られている可能性もあるので「一部フィクションが入り込んでいる可能性があります」とお断りさせていただきます。

あくまで私の体験談なので、別に今年の新入生や進学希望者を怖がらせたりする意図は更々ありません。「こういう世界がある」「こういうことがあるんだ」という程度に読み流していただければ幸いです。クレームは受け付けませんし、変に炎上したり面倒臭いことになりそうだったらさっさと打ち切りにします。予めご承知おきください

 

 

【受験】

まず私が何故防衛大学校に入ったのか。一つは現役時代に大学受験に失敗したというのがありました高校時代の私はハッキリ言って世の中を舐めており、ほぼ受験勉強をせずに「どこの大学でも行ければ良いやー」と思って、適当に行けそうな大学を受験したのですが見事全滅地元富山大学の後期日程(試験は無く、センター試験の結果だけで判定するもの)すら落ちました

私は「富山大学くらいは受かるだろう」と滑り止め感覚で高をくくり(富山大学の皆様申し訳ございません)、合格発表すら見に行かず、家で呑気に寝ていました。どうせ後日郵送で合否が届きますし。

一方、父は大学の掲示板までわざわざ見に行きました。息子の合否を気に掛けていた様子。特に富山県は進学率が高いので、学歴がステータスになりやすい県でもあるのです。

そんな父が帰ってきて、2階で寝ている私に声もかけずに黙って居間に行き、テレビを付けた音で目覚ましたその瞬間、私は「あぁ、落ちてたんだな」と感づきました。もし合格していたら私を起こしにきたでしょうから。

その時、私は自分自身が本当に情けなく思い、起きて居間に行くことができませんでした。布団に潜り込んだまま「父にこんな気を遣わせてしまって、自分はなんてダメなやつなんだ。高校受験に続いて大学受験も落ちるなんて。浪人すると特に裕福でも無い我が家に無駄金を使わせることになるのに・・・」と。

その瞬間スイッチが入り、改心して本当に浪人の一年間はただひたすら受験勉強に勤しみました。そこで一生分の勤勉さを使い果たしてしまった感もあります結構、そこが人生のターニングポイントだったと思っています。もし父に「落ちてたぞなんでもっと勉強しなかったんだ」と叱られていたら、当時の私の性格上ひねくれて、引き続き勉強しなかったでしょうね・・・

 

 

浪人時代のとある一日。予備校に自衛隊地連の人がやってきて「防衛大学校の入試説明会」が行われ、少し面白そうだなと思って何気なく参加してみました。学生当時私は「銀河英雄伝説」「沈黙の艦隊」が大好きだったので、正直その影響が大きく興味がありました。

自衛隊というとすごい固いイメージがあったのですが、その地連の人の説明では「まあ模試感覚で入試だけでも受けてみてはどうか」というような軽い感じの勧誘でした。実際、防衛大学校の入試は秋に行われ、他の受験と被ることはありません。また筆記試験の内容も一般大のものと差異はありません。一般大より先に合否判定も出るし、受験料も無料。

今でこそ自衛隊のステータスは高くなりましたが、当時自衛隊といえば駅でガタイの良い兄ちゃんを無理矢理勧誘しないといけない程に不人気職種でもありました私の受験の年に阪神大震災が発生し、そこでの災害派遣で一躍好感度が上がったのですが、丁度その端境期。(地域差はありますが)学校教育でも自衛隊に対して嫌悪感を持っている教師の割合が多い時代でもありました

私も最初は模試感覚の気軽な気持ちで受験してみることにしました。その1次筆記試験が受かると、自宅に地連の人がやってきて、手続きを優しく色々と指南してくれるのです当時私は学力にはそれなりに自信があったのですが、贅肉多めの運動音痴で、理想の自衛隊員とは真逆の体型でした「体力に自信が無い」「視力が悪いので身体検査で落ちるのでは」という不安が。

前者については「どんなに体力の無い人でも訓練でしっかり体力が付くから大丈夫」とのこと。「でも厳しい訓練なんでしょう?」と聞くと「いや、大丈夫大丈夫」と、軽い感じ。半信半疑でしたが、一応地連の人の言うことを信じることにしました(ただ後日わかったのですが、その説明に来た地連の人は防大出ではありませんでした

後者に関しては「じゃあ富山に良い針の先生が居るので、そこで視力回復の施術をしてもらいましょう」ということでした。何と地連の人が鍼灸師のところまで送迎してくれるのだそうです正に至れり尽くせり

地連がここまでやってくれる裏には、富山県出身の自衛隊員が少ないので、何とか確保したいということがあったのでしょう。特に1次試験に合格しても2次試験にいかないという受験者も結構居るみたいなので必死なようです。

 

そんなわけで、私は生まれて初めて針治療を2次試験までの間に何度か受けて、視力が0.1未満→0.3くらいにまで回復しましたそして2次試験の小論文と面接、身体検査を突破面接では「陸海空どこに行きたいですか?」との質問に、当時読んでいた沈黙の艦隊の影響で「海です。海は世界の7割と繋がっていてどこにでも行けるから」などと答えて通りました

2次試験に挑んだ際にはマイクロバスいっぱいの人数が居たものの、最終的に当時富山県で合格したのは私を含め4人だけでした。合格した段階で私は「ここまで地連の人にも色々お世話になったし、折角浪人までしたのに一般大学に行きました・・・では面白く無い(一般大の人ごめんなさい)。一度きりの人生刺激的なものにしたい」と思い、基本的にはその時点で決断していました。

また純粋に金銭的な面もありました。我が家はあまり裕福な家庭ではなかったので、浪人させてもらった上に大学まで行くとなると金銭的な負担も大きい。特に理系は学費が多くかかります

そのため国立ならばまだ良いけれど、私立の場合はいわゆる新聞配達の奨学金を貰いながら通おうとさえ考えて、実際申し込みも済ませてありました。防衛大学校であれば、学費が無料な上に給料も出る個人的な事情として、これは大きかったです。

ただこれは私なりのケジメとして、これで「あー受験勉強から解放されたぜあとは遊びまくるぞ」・・・と思うのではなく、当初本命としていた大学はバシッと受かっておこうとは思いました。

そうしないと将来もし防衛大学校に行って「あぁ、こんなはずじゃなかった」「あの時もっと勉強して別の大学に行っていたら」と思った時に絶対後悔すると思ったので。また本命を蹴って防衛大学校に入校したというのでないと、防衛大学校にも失礼でしょう。全部合格した上で、きちんと自分の意思で選んだ大学に行きたいと思いました

その後も勉強を続け、きちんとセンター試験も受けて某国立大学他、受験したところはほぼ合格しましたが(一個だけ落ちました)、最終的に自分で防衛大学校を選びました

 

 

結局1人辞退し、富山県からその年に防衛大学校に入校を決めたのは私を含め3人だけでした。そして全くの偶然なのですが、もう一人は私の高校の一年後輩のA君。現役で合格した彼とは高校時代に全く面識は無かったのですが、何かの縁ということで二人で上京することになりました

3月31日。それまで19年間暮らしていた親元から初めて離れて寮生活することになります。大半の荷物は宅急便で予め送ってあり、数日分の下着などだけを持っていざ出発。やはり期待より不安の方が大きかったです

ちなみに話が逸れますが、以前ブログで書きましたけれど、この出発前日の夜に母から初めて「実はお父さんとお母さんは再婚で、(お母さんの連れ子の)お姉ちゃんとは父親が違うし、お父さんには前妻との間に男の子、つまりあなたにお兄さんがいる」ということを打ち明けられました。その日の夜はとても眠れたものではありませんでした

当時北陸新幹線は無かったので、特急を乗り継いで品川駅までそこから京浜急行に乗り換えて横須賀中央駅へ。道中の電車でA君と何を話したのか全く覚えていません。ただ確かに見知らぬ土地に一人で行くよりは心強さはありました

横須賀のホテルで一泊し、翌日の着校に備えます夕方にホテルでテレビシリーズの「ルパン三世」を見たこと、近くのカレー屋でカレーを食べたことしか記憶にありません。(つづく)

 

 

防衛大学校物語 着校

 

 

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