グランド・ゼロからウォール街編からの続きです。
翌日また身支度を調えてロビーに集合した我々は早速出陣
その日は朝から取材スケジュールが詰まっていました
あちこちで取材をこなしつつ、合間合間に土産の買い込み
まあNYの土産といってもコレといったものがないですから、ゴディバとかハーシーズとか、チョコ主体。軽くてあんまりかさばらないですし無難ですしね
↓ハーシーズといえばキスチョコ。直径8センチ、高さ7センチ、重さ約200グラムの特大版も買ってみました通常サイズは右のやつですが、イマイチ伝わらない・・・
その日のお昼は多国籍なニューヨークならではのカンボジア料理をチョイスファーストフード的な感じのお店でした。そこのメニューに「catfish」の文字が
猫魚・・・ということで食べる者、食べられる者が合わさった奇妙な単語ですが、まあ一応私は正解を知っています
ずばり「ナマズ」ですね
猫のようなヒゲを蓄えた魚ということでしょうか
アメリカの特に南部で養殖が盛んだというそうですが、近年はベトナム産などに押されて苦しいのだとか
というわけで、アメリカで一回ナマズ食べたいな、と思っていた私は、ナマズサンドを注文味はまあ普通の白身魚のフライが挟まったサンドイッチのようで美味しかったですよ
むしろかかっているソースの方が甘辛い感じで、個人的にはイマイチでしたが
それからロックフェラーセンターの辺りまで移動して、地下にあるブルーボトルコーヒーで一服一年前に日本にも上陸して大人気のコーヒーチェーン店ですね
丁度お昼時でもあったことから、店内は大賑わいでした
ただ私は引き続き時差ぼけによる体調不良と胃もたれ感から、注文はせずにスタンドの立ち飲みコーナーから外の様子を眺めていました
先の取材先でもコーヒーをいただき、恐らく次の取材先でまたコーヒー出るでしょうから
すると、派手に真っ赤なコスプレをした男女が職質を受けているのが見えましたどこの国にも変わった人がいるもんだ
特に今テロでピリピリしていますからね
で、皆コーヒーを飲み終わったので地上に戻ると、何か見慣れたラッピングを施したライトバンが停まっていて、商品のPRをしていましたそれはグリコのポッキー
ポッキーの真っ赤なパッケージに模したライトバンに大量のポッキーが積まれており、キャンペーンの可愛らしいお姉さんが道行く人に販促のポッキーを配っているではありませんか
さっき職質されていたコスプレの男女は、これのキャンペーンスタッフだったようです
ポッキーはアメリカでどのくらい知名度があるのかわかりませんけれど、日本のお菓子は是非海外で頑張ってもらいたいですねと言うわけで、親近感満面に近づくと「ポッキー
」と可愛らしく言いながら、笑顔のお姉さんになんと2箱もいただきましたよ
うーん、さすがアメリカ。ダイナミックですね(?)日本人が食べても仕方無いという説もありますが、ともあれ私は「ラッキー
」でした
最もスタンダードなタイプのポッキーで、早速一箱食べてみましたが、日本と全く同じ味でしたまあ日本のポッキーは更に進化して色々な種類のが出ていますから、自分の好みのものを選べますね
もう一箱はお土産用にしました
で、その日は夜に国連の付近で最後の取材があり、それでNYでの取材は全て無事完了お疲れ様でした
取材が終わった途端、師匠は気が楽になったのか、ダジャレを連発するようになりました
そんな師匠のダジャレを横目に、夜の国連をパチリ夜のため、よく写真で見るような各国の国旗がズラリ・・・というシーンが撮れなかったのは残念
一般の人も見学できるみたいで、入り口では当然ながら物々しい手荷物検査などが幾重にも行われるようです
ともあれ今回は時間の都合上見送りましたが、今度来たときは中も見学してみたいですね
その国連の近くにはあの「ユニセフ」がありました土産物屋があるようなので、ついでに寄ってみることに
ところが、その土産物屋にすら厳しいボディチェックがあるんですよね
靴すら脱いで金属検査を受け、ようやく土産物屋に入りましたが、10m×5mくらいの小さなお店
世界各地のボランティアが作った土産物が並んでいましたが、ものの5分も見れば十分
結局何も買わずに出てきました
無事取材が終わったということで、その日の夜は旅行会社のオプショナルで「ハーレムジャズツアー」を予約してありましたやっぱりNYというとジャズですよね
私は全然嗜みが無いですが
一旦ホテルに戻って着替えると、集合場所のヒルトンホテルまで皆で歩いて向かいますヒルトンホテルはロビーが広く、知名度も抜群ですからこういったツアーの待ち合わせ場所として使われることが多いようです。明らかに宿泊客でないであろう人混みでごった返していました
待ち合わせ場所に着くと、40歳くらいの男性のガイドさんと30歳くらいの女性のガイドさんがお出迎え。我々の他には親子でしょうか、初老の男性とやはり40歳程の男性が二人のみ。全員日本人でした。移動は男性ガイドさんが請け負い、現地では女性のガイドさんが案内してくれるとのこと。ちなみに彼女はジャズピアニストなのだそうです
「では皆さんお揃いのようなので、早速参りましょう」とガイドさんの誘導で、路上に停めてあったトヨタのSUVに乗り込みます
定員いっぱい7人を乗せ、車は夜のハーレムに向けて走り出しました
車はセントラルパークの脇を通り抜けて北上しますセントラルパークは日本で言うところの皇居のような、大都会のど真ん中にある自然豊かな別天地
リスは勿論のこと、コヨーテなどもいるそうです
翌日またゆっくり行ってみることにします
男性のガイドさんは、ずっとニューヨーク話を続けながら運転していました自分は10数年前にアメリカンドリームを追いかけてこの街にやってきた。今はこうしたガイドの仕事をしながら生計を立て、まだ夢を追い続けている、と。
物価がバカ高いNYですが、それでも人を惹き付けて止まない都市道ばたを見やると、若い浮浪者がスタバの前や不動産王で大統領候補トランプ氏のホテルの脇など、アチコチで物乞いしています
ところが彼らに悲壮感は無く、本を読んだり案外のほほんとしています
そんな彼らにビジネスマンが買ってきたサンドイッチを手渡したり。この浮浪者達も、それでもNYから離れる気はなく、やはりアメリカンドリームでの一発逆転を夢見ています
セントラルパークの脇にはコンドミニアム(分譲マンション)がズラリと軒を連ねていますこちらは億ションなどという次元ではなく、100億円という物件もザラ
先にも紹介したように、マンハッタンの不動産価格はとんでもないバブルで、家賃が平均で月額3000ドル(約34万円)とかの世界です。その中でもking of kings達の住処がここセントラルパーク周辺
貧富の差が激しいのはよく知られていますが、この界隈はスーパーが5個くらい付く勝ち組のアジトです
見た感じ、それ程新しいものではなくて低層なものも多いのですが、それもこの周辺の環境を意識してのものでしょうか。高い建物を建てると、後ろの建物からセントラルパークが見えなくなってしまいますからね
この辺りのコンドミニアムで最も有名なのがダコタ・ハウス。セントラルパーク西側の丁度真ん中辺りに位置し、最上階からはセントラルパークを一望できることでしょうもう130年以上の歴史がある古い建物ですが、かつてジョン・レノンとオノ・ヨーコが暮らし、そしてジョン・レノンが玄関口で暗殺された場所として有名です。
そのジョンとの思い出や歴史を守るため、オノヨーコはこのコンドミニアムの大部分を所有しているとのこと。その資産価値は数千億円規模とも。ひぇー
そしてこのコンドミニアムは株式会社のように、所有者が所有割合に応じて入居希望者を審査することができるのだとかというわけで、このダコタ・ハウスに関してはオノ・ヨーコがいわば大株主で、どんなに大金を積まれても、どんなに著名人であっても、オノ・ヨーコがウンと言わなければ入居を拒否されるのだそうです
かつてマドンナやビリー・ジョエル、アレックス・ロドリゲスといった有名人がオノ・ヨーコのお眼鏡に適わず入居を拒否されたのだとか
それら高級なコンドミニアムは当然警備も厳重入居者の許可が無いと、一切訪問者は入ることはできないようです
今このダコタハウスに住んでいる日本人はオノ・ヨーコともう一人。ドイツ人医師と結婚して、今は未亡人として一人で暮らしている80過ぎのお婆ちゃんだとか。
で、そのお婆ちゃんの知り合いということで、とある日本人が一度ダコタ・ハウスの中に入れて貰える約束まで取り付けたそうですが、当日になってお婆ちゃんが「やっぱりダメ」と言ったために入れず
非常に神聖不可侵な場所のようです
NYの各コンドミニアムの入り口にはどこも門番が立っていて、住民全ての顔を覚えているのだとかそうやって不審者を中に入れないような仕組みになっているようです
治安は昔に比べて良くなったとはいえ、まだまだ危ない国ですしね
そんな門番達はこれからクリスマスの時期になると住民達からボーナスが出るので、丁度今頃の時期から張り切り出すのだとかこの辺りの高級なコンドミニアムの場合、クリスマスのボーナスだけで10万ドル(1000万円超)規模になるので、非常に書き入れ時なのだそうです
その話を聞いていた女性のガイドさんが「えぇっ、クリスマスにはボーナスを渡さないといけないんですか」と初耳だった様子。自分の住んでいるコンドミニアムで渡したことがないとのこと
男性ガイドさんは「そりゃまずいよ。何かあった時助けてもらえないよ
」と言って車内に笑いを誘っていました
そんなこんなで車はいよいよハーレムに向かいますハーレムはセントラルパークの北側に位置する、黒人達の地域。日本でハーレムというと何となく桃色なイメージ(?)ですが、ご存じのようにニューヨークのハー レムはそんな雰囲気とは真逆です。語源もそもそも入植してきたオランダ人が祖国の都市名を付けたことに由来しているとのこと。
約400年前にアフリカから奴隷として連れて来られた黒人たちは、長い間、南部で過酷な労働に従事させられ、南北戦争後の奴隷制廃止によってNYにやってきました。そしてこの街に落ち着きますが、奴隷制を廃止されても結局生きていくための仕事や技量が無い彼らは、白人の屋敷に召使いとして仕えながら、普段はこの街で身を寄せ合いながら生活していました
黒人の料理として有名なソウルフードは、白人達が残した残飯、例えば肉の骨の部分をどうやったら美味しく食べられるのか、コーンでどうやったらお腹を満足させられるのか、という知恵から生まれた料理なのだとのこと
そういうNYの影の部分で生きてきた彼らが、この地でソウルミュージックなどに代表される独自の文化(ブラックカルチャー)を築き上げてきたことは有名です。一方、貧困から犯罪率が高く、ドラッグも横行し、行ってはいけない街としても有名ではありました
ただ近年は再開発が進むと同時に治安も良くなってきて、そこまで危険視されるような地域では無くなってきたようですまあ良くなってきたと言っても、当然日本のように夜間に一人歩きが出来るレベルでは無いのですが・・・
そんな黒人の歴史が詰まったハーレムですが、今これだけセントラルパーク周辺の地価が上がってきたので、段々と黒人以外の人種が浸食しつつあるようです。 実際、移動中に説明してくれたガイドさんが大きく開けた空き地を指さし「ここも私が初めてNYに来た時からずっと空き地でしたが、今度資本家の投資によっ て大きなビルが建つことが決まった」とのこと。
かつてハーレムの地に追いやられた黒人達は、今やそのハーレムからも追いやられる皮肉。そんなことを思っていると、車は間もなく目的地に到着しました。
夜のハーレム「シルビアズ・レストラン(Sylvia's Restaurant)」前で車は停まり、皆降りますここで早速写真を一枚撮ろう・・・と思ったら、すかさず黒人の中年くらいの小太りの女性が「Give me money」と懇願しながら迫ってきました
ガイドさんが「Get out
」と追いやろうとしますが、敵もさる者(?)しつこく食い下がってきます
「皆さん写真を撮ったら早く店内に入ってください
」とせかされます
↓そんなわけでブレまくりの写真です(中央の日本人女性は無実です)
ドアを開けて店内に皆入り込むと、その黒人女性は諦めたように闇夜にゆっくり消えていきました申し訳ないですが、個人的にはゲーム「バイオハザード」のセーブポイントの小部屋に逃げ込んだような気持ちになりました
許されよ
そんなこんなで改めて店内を見渡すとバンドの生演奏をBGMに、大勢の人がテーブルについて賑やかにディナーを楽しんでいましたここ「Sylvia's Restaurant」は50年以上ここで営業している老舗のソウルフードレストラン
非常に人気のお店で、マイケルジャクソンからオバマ大統領まで各界の著名人が訪れているそうです
店内にはそれぞれの写真も飾られていました
案内されたテーブルにツアー参加者5人が着席。料理は既にコースで注文済みだそうです。それを待っている間に、ツアーの我々以外のグループである男性2人組とようやく話をします。まず最初に向こうから「家族旅行ですか?」と尋ねられました。一瞬の間をおいて、師匠が「えぇっ
我々が親子に見えますか
」と大変ショックを受けた様子
どうも師匠が父、私が子供だと思われていた模様ちなみに師匠と私は17歳差があり、まあ物理的には(?)あり得ない年齢差ではないですが
私はその分若く見られたということでラッキーではありましたが、まあ服装が年齢に相応しくない若者のような服装をしていたからかも知れませんね
まあ確かに精神年齢は中二ですが
返す刀で「そちらこそ親子ですか?」とお尋ねしましたが、こちらもやはり親子ではなく。どうも鎌倉シャツの関係者の方々らしく、NYで2店舗目のオープンにちなんでやってきたのだとか
へぇ〜。
http://www.shirt.co.jp/news/info/151217bfpopen/
そんなこんなでお互い話をしていると、間もなくソウルフードが運ばれてきましたまずはカステラのようなコーンブレッド
小麦が高くて買えないため、黒人が代用品として作り上げたパンです。が、代用品と呼ぶのに相応しくなく、十分カステラのようで美味しいです
その他にもフライドチキンや日本の高菜に似たようなもの、マカロニなどソウルフードがこれでもかと次々運ばれてきますが、やはりアメリカらしく、それぞれの量が多いこと多いこと
どれも本当に美味しかったのですが、またいつものパターンで私は時差ボケでやられていたものですから、普段ならパクパク食べるものを、残念ながらそれぞれ数口食べただけでお腹いっぱいでした
そんなこんなで本場のソウルフードを堪能した我々は「Sylvia's Restaurant」を跡にしました。
「Sylvia's Restaurant」を出た我々は、次はJAZZの生演奏が聞けるバー「Paris Blues」へと移動します手段は徒歩
夜のハーレムも決して安全とは言えないはずですが、まあ集団で居れば怖くない?
店の外に出ても、さすがにもう物乞いは居ませんでした辺りを十分知り尽くしている女性ガイドさんの先導で、夜のハーレムを進みます
歩いて5分程度の距離ということですが、途中遠くにあの「アポロシアター」の看板が見えました
アポロシアターはアメリカで最も有名なクラブの一つかつて黒人が舞台に立つことを許された唯一のクラブということで、ジェームス・ブラウンやスティービーワンダー、マイケルジャクソンといった超が付くほどの有名人をここから輩出しました
日本で言うところの「照和」のような場所でしょうか
↓中央にギリギリ見える「APOL」が「アポロシアター」の看板の一部
↓交差点にあった謎の像
そして信号を渡って間もなくのところに目的地「Paris Blues」がありました
こぢんまりとした小さなJAZZバーですが、地元の人も訪れネイティブな雰囲気が楽しめるところ既に演奏は始まっており、そこでお酒を飲みながら小一時間本場のJAZZを鑑賞します
正直私はJAZZに造形はないので、JAZZというとしっとりした大人のムーディーなテンポの曲ばかりだと思っていましたところが、結構アップテンポでドラムもバンバン激しい曲が続きます
また、全員黒人でスーツと蝶ネクタイのイメージがあったのですが、キーボードの人は普通に白人でした
というわけで、ちょっと思い描いていたJAZZ像とは異なりましたが、それもそれでアリですね
実は最初肝心のサックスの人が居なかったのですが、途中で遅れてやってきてセッションに加わりましたうーん、このルーズさもなかなか味があって良いですね
ともあれ、音の種類が拡がって、また一段と曲に深みが加わります
そのうち、サックス、ドラム、ベース、キーボード各パートがそれぞれ見せ場を披露する時間に移りますそれぞれのソロパートがバシッと決まると、それに合わせて我々も拍手で応えます
正直しばらく知らない曲が続きましたが、最後の最後に最も有名な曲「Take Five」が流れました皆でうっとり酔いしれ、それで締めくくりました
↓TVCMなどでよく流れます
そこからまた車でヒルトンホテルまで送ってもらい、今夜のツアーは無事終了そしてまた宿泊先のキタノホテルまで歩いて戻りました
仕事もようやく全て終了し、色々解放された私はその日の夜はようやくぐっすりと眠れたのでした
(つづく)