Sentimental
JourneyU 500マイルも離れて 2009〜
※このページの写真以外のリンク先の多くはクリックしていただくと音楽がながれます。
勤務中、また、深夜にご覧頂くかたはスピーカーのボリュームに注意してください。
Sentimental Journey 2004〜2008
Sentimental
JourneyU
2009 2010
ilove.cat(被災した動物たちの為の情報をまとめられています)
リンク うちのとらまる
2021
9/7
Desolation Row 米
もう地上にはいないのかと思われがちなのですがまだ地面の上にいるのです(^_^)
何年か前からバイオリンを始め信仰心などはないのですが讃美歌のメロディーなど好きなので
なんとか自給自足で。
「絶望は希望への近道であるけれど希望とは心の病いの一種」というのがわたしの思いなので
今までも(できるだけ)そうしてきたように残りの時間もそういうことにかかわりなく過ごしていこうと
ねこに話しかける。
コスモスの花が咲き夜には虫たちの声、南の空にはひときわ明るい木星と土星、夕暮れの西の空には金星が輝く。
2021年の秋、わたしたちは皆タイタニック号の船客かもしれないな。
それではまたね。
この何年かいつも支えてくれた美々とチャに
米Dylan
2013
12/24
日が暮れてからの散歩、宵の明星は本当に綺麗。
あの男のウォーキング・テムポ

12/09

とっても急ぎ足。

11/27
ひみつのアッコちゃん。
皇帝ダリア。
映画は『嘆きの天使』
教授の真っ逆さまの転落人生、その描写の無残さ。
演じたエミール・ヤニングスの実人生の晩年とか。
もうすぐ6年。

10/27
キンモクセイの香り、不定愁訴。
トラブル・イン・マインド byマキさん
Trouble in
mind byジャニス

10/15
久しぶりの知恵熱、保冷剤を額に当て冷やすもナカナカ。本日、風雨強し。
この夏から秋にかけてムカデに咬まれる、蜂に刺されるなどの痛い思いが多かったです。
ときどきキャットフードの残りを浅皿に入り込んで食べていたゴキブリが
見つかるとどやされるので、ある日その一粒を運び出しお皿の影でゆっくりいただくという能力を
身につけた現場を目撃、感心する。

9/30

見上げる

9/23
なかなか、お腹のぽっこりがいうことを聞かないので
今夜の食事を与えないことにしました。
気が短いので「早く良い子にならないと、一週間くらいなにもやらないよ」と我が身を脅す(^o^)

9/20
散歩に出たきり帰らない


8/7 Outlaw Blues
「あんときゃ目先が真っ暗になっちまった。 真っ暗なはずだよ、あんときゃもう○くらだった。」米
米続・座頭市物語から
自分の人生をみつめるにはこれくらいの距離感のようなものが欲しいなと忘れられない「名言」
市のまぶたに浮かぶ母親はいつも市の視力が失われる最後に見た28歳の姿なのです。
夜の散歩どきにはもう虫の声が聞こえたりします。
ショージョーが進行しているので最近は歩くときのひとりごとも人間の言葉ではなく
「ニャオ、ニャオ」とか「ニャーオ」とでたりです。

5/29

雨

5/28
この地方、梅雨入りとのこと。
観た映画「心中天網島」 つられて思いだしたりの唄

5/26
20日 レイ・マンザレク 23日
ジョルジュ・ムスタキ
満月を空に五寸釘で打ち止めると赤く流れ出るものなどありの幻想。

5/15 Fare thee well my nightingale
ナイチンゲールはとても小鳥らしい声でさえずり、歌や詩によく名前を見かける小さな鳥です。
Webでフィンランドの映画を観ていたら「愛する人を失うのも愛の一部だ」というセリフがありました。
「そうかなー、そーかもしれないなー」と素直に沁みてきたのは、これが歳を重ねるということなのかな。
cohen
RC
5月、ローズマリーとレモンバームを根伏せで鉢に新しくの予定。

3/24
モクレン、桜、歩けば花の便りばかり。
来ん世には犬と生まれてわれもまた尾を
うち振りてマルと遊ばな米
米 荒畑寒村 「ハラスのいた日々 -
中野孝次 から孫引き」

2/17
誰かさんとか誰かさんの受け売りではないのだけれど
人間がかかる三大精○疾患は「希○」「恋○」「宗○」であります。
パンドラの匣 - 作 わたし
「ようこそ、私の名前は『希望』 です。
あなたを恐ろしいところにご案内するのが役目です。」
散歩中に好きな小さな青い星の花、オオイヌノフグリを見かけることが多くなりました。
追記 「私の名は朝子です」(^o^)
「ようこそ」と言えばRC。
青い花

2/1
大人なのですが、うつ伏せ寝をよくするので
そんな時には大抵ねこが背中や頭の上に乗ってきて
わたしはなにか漬物にされる白菜やら大根のキモチが理解できたようなで
特に頭の場合キキメが強いです。

1/21 我が闘争(Beautiful Dreamer)
某日、コーキュー料亭に別入り口より入り込み、横の通路より案内され
体よく追い出される夢、何の暗喩でありましょうか。思い出しても腹が立ちます(^o^)
観たものはコレクションから「毛皮のマリー」1994年、「身毒丸」1995年、生前のインタビューなど。
明日の日の出は約束されてはいないというのがわたしの認識なので「最新」とかの
キャッチコピーには惹かれることがないのです。10年、20年など誤差の範囲ではなかろうかと思います。
●以前のリンクが削除されていたので大好きなうた、再掲載 「戦争は知らない」
夢の中の自由とは、つまるところ日常の時空からの解放であって、そのなかで
革命史を分析するなどできる相談ではない。
否、むしろ、革命史を分析できない、あるいはそのような手続を飛びこすところに
夢の真価があるので、夢見る人は、学者の机上や、歴史の特殊性より、知られざる
深さをもって夢見るのであるから、そのような批評は少し的外れである。米
米武田 泰淳「夢と現実」
- 福岡哲司「深沢七郎ラプソディ」から更に。

1/7
タイトルに惹かれて検索してみたらトンデモナイ歌詞なのでございました(^o^)
http://www.youtube.com/watch?v=AcOfO4rOG70

1/3
年の暮れあたりから来年は2014年くらいになるのかしらと思ってたら
明けてみると今年は2013年なのでした。
多少そのあたりの数字とかいつもアヤフヤなのですが特に関心事でもないのでいいのです。
年末からの映画 『がんばれ、リアム』 『都会のアリス』
『ダンス・ウィズ・ウルブズ 4時間版』 『山の郵便配達』
ダンス・ウィズ・・は2度目なのであの懐かしいオオカミ「トゥー・ソックス」、フルストーリーのなかでは
もうわたしは彼に会うことはないでしょう。さよならを言いながら観ました。
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2012
12/21
冬至、朝起きて一番に芥川の『歯車』を数十年ぶりかに。
こころをおろし金ですりおろすような文章は冬の朝にお似合い。

12/18
目線を限りなく低く精々地面から15cmくらい。
日に何度かは空も見上げて、そんな心持ちと暮らしかたがいいな。
と、これではまるでねこではないか(^o^)
ピンと立てる尾がないのがザンネン。

12/8 Deep River
1
2

神帰月

11/23 転倒(^o^) 肩など強く打ち深夜までイタタ、足の反乱。 参考
11/20 好きな牟礼慶子さんのサイトができていたのでリンク
米

10/10

視線 (^o^)

9/21
夏の夜、見かけた台所の床に落ちた折れたそうめんを食べるゴキブリくんを
想いだしながら丁寧に描いてみました。

ちゅるちゅる
うまうま
どちらかといえばミュージカルはニガテなほうなので若いときに途中で挫折して
ストーリーもあいまいにしか残っていなかった映画「シェルブールの雨傘」を思い立って見なおしました。
ラスト、それぞれ幸せなはずなのになぜか哀しくそれは
晴れた日、青空と遠い雲など見ているとさみしくなってくるようなこころに似ているなと思いました。
それから少しばかり「哀れさ」のようなものを感じたのはわたしが
再会してもなお若い二人ジュヌヴィエーヴとギィ達よりも
ずっと歳をとってしまったからでしょう。

9/18 紅い花
昨晩、キッチン鋏の手入れをしていて指の腹をつまみ出血、流れる水に当てながら
止血したのですがついでにサイコのシャワーシーンなど思い浮かべ立ちくらみ。
横になって30分ほど呼吸が荒くなる・・弱し(^o^)
あかいあかいヒガンバナの時期ももうすぐかな。
遅くなって可愛いやもりの赤ちゃんが侵入してたので、誘導して窓の外側に引越してもらう。

8/9
昔「餓えて死ぬ子に詩は役立つだろうか?」という寺山修司さんの質問に
「詩にとって餓えて死ぬ子は役立つことがあるかも」と答えた詩人がいたように記憶していますが
暑い夏の午後、蛇口から冷たくもない水をコップ゜にうけて喉を潤すときなど
わたしはこの歌を思い出してしまいます。それから夾竹桃の赤も。
死んだ女の子
http://www.youtube.com/watch?v=N60kClkHaKc
わたしはわたしがこの歌を知ったこの人のシンプルな歌唱が好き。
すべての子供たちや生き物たちが「生きているということ」米に
ほんの一瞬でも喜びを感じられる世界であればいいなぁと思います。
2012
立秋を過ぎて 記す
米谷川俊太郎さん

7/28

夕暮れ

5/26
庭ともいえない裏の空き地で昨年見つけて枯れ枝ごとよけておいたカマキリの卵から
本日(たぶん)誕生、ココロマチにしていたのです。
とてもいっぱいなのだけれど成虫になれるのはわずからしいです。
先日蒔いたるこう草も本葉が出てきて、こぼれ種のコスモスも少し伸びてきました。

ちびっこ・・クリックで巨大化?します

5/8 逢魔が時にアイマショウ その2
この世にしっかり根付いているという自覚は0なので身のおきどころは
「此岸」と「彼岸」の境目あたりなのかしらと
思うのだけれどこれもまたボンノーなんだろうなとも。
わたしはここ何年か暖かい日、暑さを感じる日にはいつもこの歌。
夕凪のとき マキさん

4/18 お花見を見た話
花が少し散りかけた頃、近くの神社の境内で
小さな女の子たちが何人かで、ままごとのようにシートを敷いて
お花見をしていて、それはなにか「遠野物語」の一篇にでもあるような
もしかしたら狐の子たちがと思わせる可愛らしい
もう今の時代がどこかに忘れてきてしまった懐かしさでした。


4/1 さくらんぼの実る頃
気が短いので花の咲く前に実のことを思ったりです(^o^)
わたしはマンドリンかブズーキのような音の入ったアレンジのこのヴァージョンが昔から好き。
Nana
Mouskouri - Le temps de cerises
男性ではやっぱりこの人かな。
Yves
Montand - Le temps des cerises
甘酸っぱい○の思い出とかのあるような人生でもないのに何かしら懐かしいような
でも「ワスレヨウトシテモ
オモイダセナイ」米という言葉もあるのでそのままに。
細川ガラシャの「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」の「花」は
桜ではないかもですが、季節のせいかわたしのなかでは桜なので
今年の桜との出会いの前にもう「別れ」のことなど思うのは、短気の原因ばかりでなく歳のせいかしら(^o^)
米by バカポンのパパ - (赤塚不二夫さん)

3/23 奴婢訓

『ガリヴァー旅行記』で最後に訪れた馬の国で過ごすうちに
ガリヴァーはすっかり人間嫌いになって母国に帰ってからも
「ヤフー」=「人間」に馴染むなどということは到底できずに、その老年を生きることになってしまうという
とてももっともなお話しで、作者であるスウィフトが語っているのか、ガリヴァーが語っているのか
わからなくなるくらいの溢れる「ヤフー」に対する罵詈雑言の真摯さが胸を打ちます。
で、パク○の一句を(^o^)
モノイエバ クチビルサムシ 沈丁花

3/6
米
わたしは時々ここに腰を下ろしてみる。
晴れた空、曇った空を見上げる。
周りの木々を眺めてそれから
足元の地面を見る。
季節季節に咲いていた花たちのことも、時には思い出したりもする。

3/3
連載企画 家庭菜園

スクスクノビテ
ゲンキニソダテ
ワルイオトナニ ツカマッテ
「モミジノ オテテデ タイせイヨクサン米」ナラナイヨウニ
米戦中のSPレコードの童謡にあったフレーズ

2/22 ブンブクチャガマの話
イノチを助けられた狸が茶釜に変身、お寺に売られて我が身で湯を沸かされ
余りの熱さに胴だけ残し狸の姿に戻ってしまうのですが、過剰なまでの律儀さというか
また恩人のところに帰っていき「ここ掘れ、ワンワン」ではなく
それは狸なので「ワン、ワン」でないのはもちろんなのでありますが
綱渡りの曲芸でお金をかせいで再度の恩返しという展開のブットビカタに
この歳になって改めてカンドウしてしまいました。
アルジャーノンではないですが○細胞の退行著しく、これくらいのストーリーが快いです。
狸つながりで
…更に大好きなレオン・ラッセルでもう一曲(^o^)

1/27
旧正月も終わって鬼くん受難の日近くの雪の朝です。
「価値観の底が抜けているのに、そうではないように皆が見事に演じている世の中」米だけれど
大人たちに未来はないにしても、若い人たち、子供たち、それからニンゲン以外の
すべての生き物たちに、なにかステキなときの流れが来るといいなァと思います。
今年最初の読書はオーウェルの「1984年」の読み返しでした。

・クリックで大きくなります
米 辺見庸さん
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2011
12/26
雪の日のスケッチ


雪だるまもあちこちに・・「遊ぶ子供の声きけば」でありました。
MILAGROS
DEL CHA CHA CHA
このバチアタリな(^o^)作詞の世界はある意味理想郷。
懐かしい人、懐かしい声、懐かしい訛り、懐かしい夕暮れ

12/3

皇帝ダリア
空蝉の生きて歩きぬ誰も知らず 鷹女

11/29

ひかり

11/19

寝子眠る

11/8 When I'm Sixty
Four
twelfth birthday

11/7

朝靄 少し色づいてきた山 6日撮影

11/1 賢治再訪
若いころに馴染んだ文章から抜き書き。
わたしは今でこそ××××ですがムカシはトテモ真面目だったのです(^o^)
“そこに堕ちた人たちはみな叫びます
わたくしがこの湖に堕ちたのだらうか
堕ちたといふことがあるのかと。
全くさうです、誰がはじめから信じませう。
それでもたうとう信ずるのです。
そして一そうかなしくなるのです。
こんなことを今あなたに云ったのは
あなたが堕ちないためにでなく
堕ちるために又泳ぎ切るためにです。
誰でもみんな見るのですし また
いちばん強い人たちは願ひによって堕ち
次いで人人と一緒に飛騰しますから。”
宮沢賢治
『春と修羅』補遺 「堅い瓔珞は…」から

10/30 よいこのためのお話
さるかに合戦 - プロローグ
ある日の昼下がりのことでございます。
3丁目の角のファミリー○ートで○メてきたおむすび(品名不明)を両手(両ハサミ)で頭の上に持ち上げて
蟹がいわゆる「蟹歩き」で歩いておりますと、通りの向こうから蟹の古いダチの猿がやってきて
それをひょいとつまみあげ、代わりに柿の種
(亀田の―にあらず)を1粒差し出して
「これと交換しようぜ」などと言うではありませんか。
俗に「モモクリサンネン、カキハチネン、ユズノオオ○カジュウハチネン」と申します。
その様子を青い透き通った空のずっと上のほうからお釈迦さまがご覧になっておりました。
…続きはいつか(^o^)
米蛇足ではありますが柿の種は「早く伸びぬとちょん切るぞ」と理不尽にも蟹に脅されるのですが
わたしの覚えではやっと生った実も言葉を発することはありません。
柿のこのような扱いはディ○ニーのアニメーションのなかでプルートはあくまでも「犬」であり
同じ犬でありながらグーフィーとはキャラ設定が大違いといったあたりに通じるものがあるなァとわたしは思います。
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「すきとおった」という言葉など書きつけたりするとわたしはいつも賢治を思い出してしまうのですが、
ちょうど先週あたりは1940年に撮られた『風の又三郎』とあのステキな猫版の『銀河鉄道の夜』を観ていました。
仕事を始めた頃は彼の『農民芸術概論』を繰り返し読んだものですが
賢治は透き通った青い光を放つ鉱物のように、いつもわたしなど手の届かないところに
(そこが空のずっと高いところなのかそれとも深い深い山の奥なのか判りませんが)静かにひとりでいるようです。
米

10/11

初めて育てたコスモス、味わい深し。

10/9
工房の水槽にやってきて5年を過ぎるくらいの中国生まれのどじょうが
最近凝っているのは「脱力ごっこ」です。
「脱力ごっこ」というのは白いお腹をこちらに見せて水槽のガラス面に縦に密着して
ボーとしていて「あらあら、もうそろそろかしら」とこちらに思わせといて指など近づけると
普通に砂地に横になる遊びです。
米本日より「ぽっこりお腹」の解消ストレッチなど開始(^o^)

10/1
朝


9/25
ゆ め は か れ の を か け め ぐ る
シミジミと(^o^)

9/12
本日は
http://www.youtube.com/watch?v=ViK5iUTWzhs
です。

9/5

夕暮れの少し前 西の空

9/2 秋
いつもこの時期には「The last
rose of summer - 夏の名残りのバラ」なんてのをご案内しているのですが
今年はもうひとつ好きなこんな歌も。
海無し県に住んでいるのだけれど、聴くとこころは「小島の秋」の砂浜に瞬間移動。
錆びつくことや錆びついたもののことを思うのにふさわしい季節です。

8/20
夕方くらいには少し秋の空のようすにもなったりのここ何日かですが
夜になっても暑かったころ、何本か映画を見ていました。
「大人は判ってくれない」「長距離ランナーの孤独」「地下鉄のザジ」とか
すこし新しめ?のところで「クリクリのいた夏」
少女クリクリの思い出という形で語られる子供のような大人たちの暮らし。
時がながれること、過ぎ去ることへの優しい思いの映画でした。
番外

「クリクリ」と呼びたいようなサマーカットの彼女(^o^)

7/4

きのうの夕方 軒下で雨宿りのねこ

6/29

夏の朝の散歩

6/21
裏山散歩


6/17
猫たち

6/13 ラスカル君、現るのご報告
自然観察が続きます。
きのうの夜はアライグマが開けた勝手口からご訪問、台所を散策していました。
尾の縞々と顔の縁取りがチャームポイント。
30秒ほど見詰め合った後、ゆっくりとご退場。
わたしのご近所では側溝をルートにしているとの情報です。

雨に打たれてずぶぬれ・・野生に生きるのもタイヘン。

6月といえば桜桃忌ですが、きょうは彼が暗い水の中に姿を消した日でもあります。
わたしは『お伽草紙』などの彼の健康さ、明るさが昔から好きでした。

6/12 アゲハチョウの観察

夏ミカンの苗木が食卓です。
クリックで大きく観察・・ニガテなかたにはおすすめしません(^o^)

6/10 波の音が聞こえる植物学

クリックで更に瑞々しく
ユスラウメ (バラ科 サクラ属)
レモンバーム、パイナップルミント
いただいた後の種まきで果樹園経営ヲ、メザス(^o^)
ユスラウメの花言葉は「郷愁」だそうです。
コクトーの詩なんかも思い出したりして。
あかいとり ことり

6/3

6月ねこ

5/31 In memory of Bonnie and Clyde
ステキな不良カップル、ボニー・パーカーとクライド・バロウがハチの巣にされて
この世を去ったのは80年近く前の今月の23日です。
わたしの知ってる史実では2人が町の通りを運ばれていくとき
集まった人々のなかには「記念」に息絶えたボニーからその髪をハサミで無残にきりとったものも多いようです。
でもネットで見る2人の墓には可愛らしいきれい花が新しく供えられて彼女たちが
「忘れられる」ことなく、今もなにかしらある種の人たちに愛されていることがわたしにはすこし気持ちの休まるところ。
高田渡「鎮静剤」
米

5/19
喪失と残されることについての文章は胸をうたれるものが多いのですが
鴨沢祐仁さんの「酒と犬の日々」にはお会いしたこともなく、もうそんなことも
かなわぬ人だけれどずいぶん。
わたしはよく言われる「時の薬」などは目をそむけて知らんぷりなんだけれど
それでも夏までにはひとつ歳を増やしてしまうのはショウガナイコトナノカナ。

5/17 再掲 グレープフルーツ・ムーン
グレープフルーツのような月、光る星ひとつ
僕にはおおいかくせない
柳かの子さん 訳詞
Grapefruit
Moon by Tom Waits

5/14
夕暮れ


4/26 Mother's Day
もうすぐなので張っておきます。
時には母のない子のように

4/16

さ ま ざ ま の こ と お も ひ だ す さ く ら か な 芭蕉

4/9

続・家庭菜園 アブラナ科です、

4/4 桜アルバム

クリックで大きくお花見いただけます。

4/2 桜便り
近くの神社、公園チラホラ薄いピンクが眼につくようになりました。
知らしめず 生かさず殺さず
ブンダントウチの桜花・・・なんちゃって君主論

写真は白木蓮(^o^) クリックで大きく

3/28 酔いどれ船 - しりとりでないしりとり
海といえばかもめ、かもめといえばさよなら
さよならといえば… サンカク、シカクにサクラかな?
かもめのシーサン

3/26
TV画面の夕日に染まって金色に輝く海面を見ていたら
昔々のそのまた昔にもうひとつおまけの昔を+した頃に読んだ小説「渚にて」を思い出しました。

実は写していた18年に1度という「スーパームーン」
3月20日未明・・この写真では「いつもよりずっと大きく明るく」もフメイ(^o^)

3/23 『バージニア・ウルフなんかこわくない』
好きなオールビーの原作の映画…暗い夜道を歩く2人のシーンから始まる
絶望、絶望、ののしりあいの果てのラストシーンのほんの少しの救済と希望。
わたしは手持ちのコレクションを去年見直したのだけれど、シミジミ「人生だなー…」と感じたのでした。
コントラストの強めなモノクロの画面がとてもよかったな。
ヴァージニア・ウルフなんかこわくない

3/19

家庭菜園

3/15
十代のころにずいぶん馴染んで今月はじめから読み返そうと思っていた安吾の「堕落論」を開く。
まだ「大本営発表」などという言葉がそれなりに実感をもって
人々の気もちに沁みていた時代にわたしは生まれたということ。

3/9
深沢七郎さんのことを何かと思っていつも手の届くところにあるはずの一冊を探すと
「風流夢○」ではないけれど、どこかに潜伏中(^o^)
積み重ねた本のなかから、しばらく開いてなかった「山之口貘詩集」をパラパラと。
わたしのは1973年刊の第7版なので親友のこの詩集を編まれた金子光晴さんも
まだお元気で武蔵野の街をハイカイしてたころかな。
訃報の記事を目にした朝の空はたしか薄いとても薄い水色だったなと。
「猫」 by yamanokuchi baku

3/3
桃の節句
Woman Is
The Nigger Of The World

3/1 夢の街の夕暮れの話
夢のなかで通りに佇んでいました。
午後の10時を過ぎていたのだけれどあたりは夕暮れの明るさで
高架には電車が走っていて街はどこか懐かしい下町の風情。
通りの両脇の商店には灯もともっているのに
気がつくと歩いている人などは一人もいなくて
動いているのはわたしと高架を走る電車だけで
わたしは急に「アノヒトモ、モウ、イナインダナ」と感じて
もうそろそろこの街を出ていこうかなと思ったのでした。
禁 夢判断(^o^)

2/13

1月猫図

2/11
「リバーズ・エッジ」 「ヘルタースケルター」米読了
ホワイト・アルバムはずいぶん聴き込んだアルバム・・当然LPなのですが・・
なかでも「Helter
Skelter」の浮遊感はまるでプテラノドンの飛翔かなにか風で
何度聴いてもよかったなと。
「リバーズ・エッジ」の若者たちは計算すると35歳くらいになって
ケータイの電波が飛び交うこのシラけたさみしい時代を呼吸してるのかな。
で、わたしはそういう場所からも遠く離れて「十牛図」やら「九相図」のそのずっと先までを見つめようとしているところ。
米岡崎 京子さん
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