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母の手術〜救急車で搬送

 

あの震災から丁度一年にあたるこの土日は嫁が実家に帰ることになっていたので、私も対抗して(?)実家の方に行っていました嫁は埼玉ですから実家に帰るとなると大仕事ですが、私は近所なのでいつでも行けます

それで土曜の昼から実家に行って、母と二人で昼ご飯を食べて少し落ち着いた頃。突然母が胸を押さえて苦しそうにしました。「大丈夫?」と尋ねると「ちょっとこのままにしておいて」というので、とりあえずコップに水を汲んできて渡しました。

5分程で落ち着いたようで「今までこんなことあったん?」と聞いてみましたが「いや、初めて」と言います。土曜だったので「救急病院に行く?」と聞いてみましたが「いや大丈夫そこまででは無いと思う」と言うので、とりあえず様子を見ることにしました。

私は心配になったのでネットで調べてみたところ、どうも狭心症のような症状にそれでも母はその後ケロッとしていたので、月曜には医者に行きな、と言っていました。

すると、日曜の朝も出先で同じような症状に見舞われたとのこと痛みの場所が若干違うので同じかどうかは分からないのですが、やはりしばらくすると収まったようです。

母はとりあえず「救心飲んでおく」と言って、その日は家で安静にし、その後はまた普段通りでした。「多分最近震災一年目の関連報道が増えたから、心が参ってしまっているのよ」ということでした。

 

でも突然「身体が何ともないのに汗が出てくる」とか言って汗を拭いていたりしたので、私は不安を感じて日曜もそのまま実家に泊まることにしました。母は「必要ないよあんたも心配性やねー」と余裕をぶちかましていました。

そして翌日、朝から母は病院へ。見た感じ大丈夫そうだったので一人で車を運転して行かせたのですが、昼に母から「今心電図を撮ったら、やっぱり狭心症じゃないかって言われて、このまま入院することになるかも」と電話がかかってきましたなので、私も急いで病院に向かって、一緒に先生の話を聞くことに

 

当初医者から「雪かきとか大変だったから首からきてるんじゃないか」と言われ、母も「そうですよね」と言っていたのだとか。しかし息子が狭心症じゃないかと心配している、と医者に何気なく言ったところ「じゃあ心電図撮っても良いけど」と言われ「じゃあ念のためお願いします」ということになったのだとか。

で、平常時の心電図と、階段を三段ほど上り下りを繰り返した後に撮った心電図の二通りを見て医者がビックリ平常時は問題ないけれど、階段を上り下りした時の心電図が異常だったそうです。

「あんた本当に何ともないの?」と聞かれ、母は「別に」と答えたそうですが、医者が3人ほどにわかに集まって相談し始めたのだとか。文殊の知恵の結果「そのまま即入院。今からあまり動かないように」と言われました。逆に自覚症状が無いのが微妙なようです

本人は至って普段通り(のつもり)なので「じゃあ一度家に帰って色々取りに戻りたい」と言ったら「ダメダメ。息子さんにとってきてもらいなさい」と言われて、そのまま車いすに乗せられて病室までドナドナと連行されていきました

手術自体はカテーテル手術ということで、腕や脚の血管から管を通して行う比較的簡単な手術で、胸を切ったりせずにできるものだそうです。一応ネットで調べたところカテーテル手術の成功率は98%以上ということで問題はなさそうです。

私自身は大事に至る前に見つかったので逆にホッとしていますが、母ちゃんはテンションダウンその後私は入院準備に家と病院を往復したり、夕方には母の代わりに父の施設に行ったりと大忙しでした

ただ、当初本気で手術があると信じていなかった母は「手術30分とかで終わらないんだって」「子供さんは皆呼んでください。そして手術が終わるまで待機してもらってくださいって言われた」などと、やや不安げ

 

その後は今日までずっと点滴を24時間打たれ続ける日々血管を広げる薬のようですが、その代わり頭の血管も広がってしまうので頭が痛いのだとか

まあ心臓の手術ですから、そりゃ色々と念のため言われるでしょうし、気持ちはわからなくもありません。しかし部分麻酔らしく、それで緊張してドキドキしたら手術し辛いんじゃないかと思ったりしますが

木曜の手術当日。昼に執刀医に呼び出され、私と姉と母の三人がカンファレンスルームで手術の説明を受けることになりました。

まず最初に言っておかなければならないのが心電図を見る限り、かなり「ヤバイ」場所に血管の狭窄が起こっているということ。

心臓からは冠動脈という心臓の筋肉に酸素と栄養を与える重要な太い動脈が二本出ているのですが、そのうちの左冠動脈の根元(主幹部)の部分が詰まりかかっているのだとか。

心臓は太い血管が何本か出ていて、それぞれが身体の主要部分に繋がっているわけですが、その太い血管が先でいくつもの中くらいの血管に分かれ、それが更に細い血管に分かれて・・・という形で、体中に巡らされているそうです。

その細い血管が詰まるのであれば、まだマシだとのこと。例えるならば大きな川が流れていて、その支流が堰止まるのであれば影響もその周辺だけなのですが、本流が堰止まると、当然支流全てに水が流れなくなります。

その場合は即死らしく、先日お亡くなりになられたサッカー日本代表松田直樹選手のお話も出てきました。他の部位ならばまだ緊急手術などで一命を取り留めることが可能なようですが、その主幹部の場合は一発でアウトだと。

そして、まだ造影してみない段階で正確なことは言えないけれど、母はその部位の可能性が高いと言われました。もっと簡単な手術だと考えていた我々は、突然の話に息を飲みました

 

執刀医の説明を受けて同意書にサインをした我々は、とりあえず手術開始の14時半まで2時間以上あったので、それぞれ昼ご飯を食べました

やがて、母の姉である伯母さんもやってきて、皆で話をしていました。ちなみに伯母も2年前に心筋梗塞でカテーテル手術を受けました。この心臓の疾患は遺伝的な要素が強いらしく、母の3姉妹は皆心臓に持病を抱えていました。なので医者からは私や姉にも「あなた達にもこれらの危険因子があるから、気を付けるように」と釘を刺されました

成功率がほぼ100%に近い手術ということで、皆母に「大丈夫だよ」と言って励ましていました。伯母の心筋梗塞に比べればワンランク下の症状だし、伯母もすぐ回復できたのだから、それに比べれば楽勝だよ、と

母もリラックスして「看護士さんに45歳になる娘がいる、と言ったら、じゃああなた何歳なのって言われた」と、お得意の自慢話をしていました母はよく外見若く見られるので、御歳71歳になりますが50代に見られると言っては喜んでいますこの類のことを言われると、必ず自慢します

手術の時間があと30分というところに迫ったところで、母はトイレに向かいました手術を控えて導尿の管を入れられる、というので、何となく恥ずかしいからなるべく先に済ませてしまおう、と。

ただ未遂で終わり、トイレで看護士に捕まると、ベッドに戻されて導尿の処置。「先に出してしまうと管が入りにくくなるのでダメです」と言われ、ガッカリの母導尿の結果おしっこは少しずつ出て袋に溜まっているのですが「何かずっと尿意がある」と違和感を口にしていました。

そしていよいよ手術の10分程前看護士さんが「それでは手術室までご案内します」と車いすに乗せて母を手術室まで連れていきました我々も並んで付いていきました。

すると、母が突然黙って私の右手をガッと掴んで、私の手のひらに何か堅さと柔らかさを併せ持つを置くと、そのまま私の手をぎゅっと握らせました私は「突然なんだ万一の事態を想定して形見でも持たせたのか」と思い、その手を広げて確認してみると・・・何とそれは母の入れ歯でした

どうやら「手術前に金属類を全部外しておいてください」と言われたのに、入れ歯を外し忘れたことを思い出したようでしたそれが恥ずかしかったので、黙って私に渡した様子。私はそのまま握っているのも気持ち悪かったので、一旦母の病室に走って戻って洗浄剤の中につけ込んでおきました

・・・と笑い話的に綴っていられるのはここまで。ここから事態が急展開しました。

 

まあ縁起でもないですが、母が車いすに乗せられて手術室に向かう間に、元気な母の姿を写真に収めておこうと思い、一枚パチリと写メを撮っておきましたさすがに手術を目前に控えて母は固い表情

そしてそのまま手術室に運ばれていきました我々は手術室の前で待つことに。大体2時間くらいの手術と聞いていたので、ここで2時間待つのか、と思いました。今までこういう経験はしたことが無かったですし、やはり我々も不安でしたから、色々と3人で話をして紛らわせていました。

すると30分後、手術室から先ほど説明をしてくださった執刀医の方が出てきました。「ご家族の方ですよね。一度中に入っていただけますか?」と言われ、我々は中に導かれました。3人とも緊張した面持ち。

そこは手術室に入る手前の小部屋で、様々なディスプレイが並べられていました。「これを見ていただけますか」と言われ映し出された画面を見ると、母の心臓が動いている造影動画が出ていました。

それを見ながら執刀医の方が解説。「やはり不安は的中して、一番難しい左冠動脈の根元(主幹部)の部分が詰まりかかっています」と言われました。確かに、その部分だけキュッと絞り込んだような状態になっていて、明らかに太さが違います。

「その他にも合計3カ所狭くなっている部分があります」と言われ、その他もそれぞれ部分的に細くなっているところがありました。つまりはここに血流の狭窄が出来ており、これらが完全に詰まると心筋梗塞ということになります。

「ここで一つご相談なのですが・・・」と、一刻を争う状況で要点だけ手際よく説明された先生から、この先の手術の方法について選択が迫られることになりました。

 

まず、当初予定していたカテーテル手術について。これはもっと簡単な部位ならばステントという金網状の筒を血管の狭窄部分に入れて、それで血管を広げた状態に保つことで血流を確保するというものです。先般心筋梗塞で手術を受けた伯母さんも同様の処置を受けました。

この方法のメリットは「部分麻酔でできる簡単な方法で、患者の身体に対する負担も小さく回復も早い。合併症のリスクも小さい」というものでした。

ただデメリットとして「3カ所あるから、最低2回は手術をしなければならない」「再発のリスクがある」「血液をサラサラにする薬を一生飲み続けなければならず、血が止まりにくくなるため、何か他の手術などを受けることになった場合は危険性が伴う」という話でした。

それに対してワンランク上の手術である心臓バイパス手術があり、先日天皇陛下も受けられた手術です。詰まりかかっている血管を迂回するために別の血管を新たに繋げて、狭窄部のバイパスとすることで血流を確保する、という治療方法。

これのメリットは「一度の手術で全てが終了する」「根本的に治すことができ、再発のリスクが小さい」「血液をサラサラにする薬はやはり飲み続けなくてはならないが、量を少なくすることができるのでマシ」ということでした。

一方デメリットは「合併症、特に怖いのが脳梗塞が引き起こされるリスクが高くなる」「難易度の高い手術だから、この病院ではできない。緊急的に隣の金沢の病院に転院することになる」「胸を開いて行う手術になるため入院日数は多くなり、回復に時間がかかる」。

ただ「カテーテル手術を行ってももし今以上に歳をとってから再発すると、バイパス手術は患者の身体への負担が大きくなるから、その時はもうバイパス手術できないかも知れない」ということでした。

昼に受けた説明の際にも聞いていたのですが、検査結果が出るまで実際にどうなるかわからなかったので、我々も真剣にはどうするか考えていませんでした。執刀医の先生にしても、どちらがベターとは言えない、とのこと。最終的な決断は私と姉が決めないといけません。我々は迷っていました。状況が状況なだけに、一刻を争います。

すると執刀医の先生に「部分麻酔で意識がありますから、ご本人様の意志を確認することもできます」と提案されました。我々は「ではお願いします」と言うと、そのまま手術室に通されました。

執刀医に誘導されて手術室に入ると、手術台の上に横たわっている母の姿がありました。検査のために腹部から管を通し、患者の上にかけられた手術用の緑色のシートの一部が母の血で赤く染まっていました。医療ドラマなどで見るワンシーンと同じで、私はかなり緊張しました。

母は正にまな板の上の鯉状態で、予期せぬ事態の展開に、表情を固くしながら我々を出迎えました。

 

手術台の上の母に、レクチャーを受けた手術の選択肢を私から簡単に説明し「こういう二つの方法があるけどどうする?」と聞いてみました。

ただ事態の急転に混乱している母は「わからん。あんたたちが決めて」と、自分の身体のことを半ば投げやり気味。確かに手術台の上で自分の命の行く末に関わる決断を、すぐに決められる意志の強い人もなかなかいないでしょう。

案の定、母の意見を聞いても事態は進展しませんでした。しかし、既にメスが入って血が滲んでいる母の姿を見ながら、いつまでも逡巡しているわけにもいきません。

このままでは埒があかないので、私は「もし自分ならバイパス手術を受けて、一気に治す。この先も再発するリスクに怯えて生きていくのも嫌だし、血液サラサラの薬による弊害にも悩まないといけない。将来再発してもバイパス手術受けられないかも知れないなら、今のうち受けて一発で治したら良いんじゃないか?」と提案しました。

そう言うことで母の意志を誘導しようと思いました。それは同時に、この先の母の命運に、私一人が責任を負うことを意味しました。父がこの場にいない以上、長男として私が決めないといけないんだろうな、という使命感も感じました。

母はそれを聞いて黙って何度か肯き、最終的な意志確認となりました。姉も伯母もそれで良いと言いました。

そうと決まれば隣の金沢の大病院への転院となるため、急遽母の傷口を塞いで、緊急搬送の手続きとなりました。救急車で運ばれることに。

救急車への同乗は家族一人ということで、姉と伯母は車で後から付いてくることになりました。姉と伯母に母の病室の退去作業を頼んで、私は救急車の到着を待っていました。

やがて遠くからサイレンの音が近づいてきて、救急車が到着。大勢の医者、看護師さんに囲まれながら、母はストレッチャーに乗ってそのまま救急車へと運ばれました。

救急車には救急隊員3人、医者と心臓の動きを補助する機械を操る技師、そして私と母の計7人が乗り込みました。金沢の病院への連絡が行われ受け入れの手はずが整うと、大勢の病院関係者に見送られて、救急車はサイレンを鳴らして動き出しました。

 

私自身は救急車に運ばれた経験が2回あります。一度は恥ずかしながら銀座で急性アル中で運ばれた時、そして以前も書いたアゴの手術の時。

ただ付き添いで乗るというのは今回が初めてでした。アル中の時は意識が無かったのでわからず、アゴの時は緊急の度合いが小さかったので、普通に赤信号でも止まりながら進んでいきました。

しかし今回は一刻を争うので、当然赤信号でも進んでいきます。先々の車も路肩に避けてくれて、我々を通してくれます。そして高速道路も顔パスで突き進んでいきました。約15分間隔で、母の血圧を測定しながら救急車は進んでいきます。

ただ救急車も結構揺れるので、患者に負担がかからないようあまりスピードを出せません。制限速度程度のスピードで走りながら行きます。母の寝台が揺れるので、救急隊員の方が揺れる狭い車内で立ちながら、必死に母の寝台を抑えてくれていました。私も抑えながら母を見守っていました。

母は終始緊張した表情で、祈るようにずっと目を瞑ったままでした。言葉を出すのもしんどいような感じで、周りからの問いかけに全て頷いて応じていました。ちなみに後日談ですが、誰かが鼻をすすっていたのが聞こえたので、私が泣いていると思って「あぁ、私死ぬんだと思った」と感じていたそうです。

実際には車内では医者同士がリラックスした感じで談笑していました。私自身はそれが逆に有り難いと言うか、そこまで深刻な事態ではないと受け止められて良かったですが。

こうして考えると、大勢の医者、看護師、救急隊員、そしてこれら道を譲ってくれる見知らぬ人々にもよって、母の命一つが守られようとしているんだな、と思いました。皆に本当に感謝感謝です。

ピーポーというサイレンはどうやら約1.5秒でワンセットのようで、私は「我々が聞いたサイレンの回数は2000回以上になるな」とか考えていました。正直、ちょっと集中力が切れていた感じ。私がそんなことを考えている間に、金沢の病院に到着しました。(つづく)

 

母の手術〜心臓バイパス手術

 


 

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