合唱/音楽  〖過去ログ〗 2002~2005


2005年

 2月01日 「金賞を発表します」
  2005年埼玉ヴォーカル・アンサンブル・コンテスト (SVEC)


2004年
10月20日 『さいたま合唱ニュース』創刊10周年
9月26日 青春を想いださせるコンサート  
JOLLY ROGERS 2004 Autumn Concert
8月01日 
真夏のコンサートツアー  春日部市民合唱祭、ニューヨーク・シンフォニック・アンサンブル前橋男声合唱団埼玉第九合唱団
5月29日 
思川のほとりで 創作オペラ『小山物語』   
5月11日 
創作オペラ『小山物語』
4月19日 風の心を聴く パンフルートの魅力

3月09日 皆様の台所 たじま桜庵
2月01日 
バーバーショップを広める関学グリー
1月11日 
JORDAN会 第4回合同演奏会
1月04日 
ア・カペラの響きをもとめて

 


2003年
11月15日 <コンサート・レヴュー>結城市民音楽祭 第13回手づくりコンサート
9月21日 
<コンサート・レヴュー>椿 姫 決 算 書
8月12日 “
The Glee Club
6月12日 「
茨城に新しい男声合唱団誕生
3月28日 「
民謡の指揮は『さん、ハイッ』で声高らかに
3月25日 
<コンサート・レヴュー>「埼玉県合唱連盟創立45周年記念演奏会」
3月21日 
スバンホルム・シンガーズ コンサート案内
3月15日 
<コンサート・レヴュー>「SALZBURG Concert」ライナー・シュミット ヴァイオリンコンサート
3月14日 
<コンサート・レヴュー>「イリス合唱フェスティバル」
2月27日 
ACOUSTIX Show in Tokyo アクースティクス日本ツアー2003はじまる
2月09日 「
埼玉県合唱連盟創立45周年記念演奏会の練習始まる」
1月27日 
<コンサート・レヴュー>「イル・カンパニーレ第9回演奏会」
1月25日 BARBERSHOP HARMONY

 


2002年
11月27日 「第71回関西学院大学グリークラブ リサイタル情報」
11月04日 「詩人 そして 皮膚科学者」
10月23日 
<コンサート・レヴュー>「Master Players,Wien を聴く」
10月14日 
<コンサート・レヴュー>「第3回 潮の音 コンサート」
9月11日  「第弐回<秀ちゃんを囲む会>」
9月03日  「関東おとうさんコーラス発祥の地 サッポロビール埼玉工場閉鎖」
8月24日  
<コンサート・レヴュー>「Flute Fantasy in Across」
8月11日  「関東おとうさんコーラス大会 in 小出郷」
7月21日  
<コンサート・レヴュー>「埼玉第九合唱団:ドニゼッティ“レクイエム”指揮/宮寺勇」
5月26日  
<コンサート・レヴュー>「埼玉中央フィルのショスタコーヴィッチ5番を聴く」
5月04日  「コンクールを考える 《2》」
5月02日  「コンクールを考える」
4月06日  「我が家恒例のお花見」菅野哲男(バーバーショップ・ハーモニー協会会員)
3月31日  
<コンサート・レヴュー>ロッシーニ「スターバト・マーテルを聴く」
3月30日  
<コンサート・レヴュー>「イリス合唱発表会賛助出演」野口享治(コール・グランツ トップテナー)




 

The Glee Club

 

加 藤 良 一

 

男声合唱に詳しい諸氏にはいまさらの話で恐縮だが、その男声合唱の呼び名について気になっていたので調べてみた。
 いわゆる大学の男声合唱団を「グリークラブ」と呼ぶが、「グリークラブ」はかならずしも「男声合唱」を表すものではないと聞いたこともある。混声合唱でグリークラブを名乗るところもけっこうある。では、いったいグリークラブとは何なのだろう。

音楽辞典“ENCYCLOPAEDIA MUSICA”によれば、そもそも“グリー:glee”とは、18世紀のイギリスの世俗合唱曲の一ジャンルだったそうだ。言葉としては、「楽しみ」とか「気晴らし」などを意味するもので、かなり気楽な雰囲気である。はじめは文字どおり余興のための音楽と位置づけられていたらしいが、だからといって陽気な曲ばかりではなかった。
 グリーの特徴をまとめると、3声部以上の男声無伴奏合唱で、最上部はカウンター・テナーであること、ホモフォニックで短い楽節からなり、歌詞がまじめで健全であることとされている。どれをとっても現代からすればぴんとこないものばかりである。

1787年、ロンドンのニューカスル・コーヒー・ハウスを定期会場として“The Glee Club”という合唱クラブが結成された。このクラブでは、学者や知識人などのグループがロンドンのある家に集まって夕食をとったあと、モテット、マドリガル、グリー、カノンなどを歌って楽しんだ。1761年以来の「貴族とジェントルマンのキャッチ・クラブ」の卑猥で退廃的なあり方に対する反動としておこったものらしいが、残念ながらキャッチ・クラブとは何かがそもそもよくわからない。とにかく、このようにグリークラブはもともと固有名詞であったが、これがアメリカに伝わって男声合唱団を意味する一般名詞として用いられるようになったという。

ちなみに日本で最初にグリークラブを名乗ったのは、1899年(明治32年)創立の関西学院グリークラブで、その後、同志社が1904年(明治37年)にグリークラブを創立している。関西学院グリークラブ Kwansei Gakuin Glee Club は、あの超有名な『ウ・ボイ U boj 』を日本に広めた由緒ある合唱団だ。常任指揮者広瀬康夫氏は、SPEBSQSA (全米バーバーショップ保存振興協会)会員であり、日本バーバーショップ・カルテット協会代表も勤めていて、日本におけるバーバーショップ普及に大きな貢献をしている方でもある。

 (2003年8月12日)




 



茨 城 に 新 し い 男 声 合 唱 団 誕 生

 

 さる6月1日、第58回茨城県合唱祭が大宮町文化センター・ロゼホールで開催された。大宮町は水戸の北西に位置する町である。

 今回の参加は70団体で昨年より多いとのこと。ところが、県の合唱祭にもかかわらず高校がわずか3校(4%)とはどうしたことだろう。さらに参加団体の数だけでなく、地域的にも偏りがある。茨城県は交通の便が悪いから、それに影響される地域的特性などが絡んでいるのかもしれないけれど、県レベルの催しにあまり興味を示さない傾向が見受けられる。気になる男声合唱団は、5団体(7%)の参加だった。
 講師は、箕輪久夫氏と小高秀一氏のお二人が担当された。箕輪氏は前新潟県合唱連盟理事長で、関東おとうさんコーラス大会を小出郷で開催していただいたり、男声諸氏はなにかとお世話になっているはず。また、小高氏は、埼玉県合唱連盟顧問(前埼玉県合唱連盟理事長)をされており、11月の男声合唱プロジェクトYARO会で合同演奏『富士山』の指揮をお願いしているお馴染みの方である。

 

 今年誕生したばかりの「つむぎの里 ゆうき男声合唱団」が、この合唱祭でデヴュー演奏した。指揮者は、ほかにも「女声アンサンブルノイン」、「ゆうきエコー女声合唱団」、「つむぎの里ゆうき混声合唱団」を指揮した笠井利昭氏。いずれの合唱団とも茨城県の西のはずれにある結城市に本拠を置いている。結城市は結城紬で知られた町である。

 ゆうき男声は、今年1月発足の若い(歴史が…)団で、初めてのステージには総勢26人が出演した。平均年齢は計算したこともないだろうが、30代から80代までと幅が広い。半数はそれなりの経験者だが、今回初めてステージに立つ人が4~5人、初めてではないがまだ経験が浅いという人も同じく4~5人という構成である。

 



 発足以来、月2回の練習をこなして本番に臨んだ。発足当時の練習では、正直なところ不安があったが、比較的短期間で仕上げられたのではないだろうか。笠井利昭氏のやり方は、計画的で用意周到である。練習の進め方は、企業秘密に属する部分もあるので、差し障りのない範囲でご披露し参考に供するとしよう。

 本番ではできれば暗譜で歌いたい。ではどうするか。暗譜でオンステージするには、ここで楽譜を放さねばならないというリミットのような時期があるだろう。笠井氏は、暗譜の秘訣というか、ある種の機微のようなものを掴んでいる。

 「じゃあ、今度は楽譜を見ないで歌いましょう。さぁーて、どうなるんでしょうかね。あんまり期待してませんので、気楽に歌ってください。」
 その合図で椅子の上に楽譜を置き、立ちあがった団員の視線が指揮者に集まる。
 「あ、楽譜は手に持たないで下に置いてください。もし歌えない人は遊んでてけっこうです。」

 暗譜は失敗をくりかえすことで学習するものだから、四の五のいわせずむりやり窮地に追い込むのがよい。こうやって強制的に楽譜を放して歌わせれば、暗譜が怪しい部分は本人がいちばんよく理解できるのである。
 デヴューの出来はどうだったのだろうか。自分たちで客観的な評価はできないが、聴衆の声によればまあまあの出来だったようである。つぎのステージ、8月の関東おとうさんコーラス大会(秩父市)に向けて、また新しい曲を仕込まねばならない。

参加男声合唱団(出演順)
つむぎの里ゆうき男声合唱団(26人、結城市)、常磐ひたちメンネルコール(25人、日立市)、流通経済大学合唱団(15人、龍ヶ崎市)、おとうさんコーラス ぺぺ(20人、ひたちなか市)、あひる会男声合唱団(16人、水戸市)

 

2003年6月12日 加藤記



 

  民謡の指揮は「さん、ハイッ」で声高らかに

 大勢で唄う民謡のグループを何と呼ぶのか知らないが、先日初めてステージできちんと聴く機会があった。ステージの上で唄われる民謡とはどのようなものか、大いに期待した。
 揃いの艶やかな着物を着た男女が山台に二列に整列し、三味線と太鼓のお囃子をつけて、「貝殻節」、「宮城野盆歌」、「関の鯛釣り唄」を唄った。袴姿の指揮者が中央の指揮台に立ち、「さん、ハイッ」という大きな号令をかけて唄い出しを指示していたが、あの号令もおそらく唄のうちではないだろうか。

 民謡と合唱──ここでいう合唱とは、クラシック音楽の発声に基づく歌唱形態のことであるが、それぞれに外見上は似ていても、やはり根本的にかなりのちがいがある。まず、民謡の発声は、そもそもが地声である。あの力強さや素朴さは地声でないと表現できないかも知れないし、合唱のような歌い方は土着的要素が強い民謡にとって本来ではないはずだ。
 そして演奏形態はつねに斉唱であった。民謡にハモるような唄い方があるかどうかまでは知らない。また、曲の造りとして、民謡は、合唱よりはるかにデュナーミク(音の強弱、抑揚)が少なく、一定の音量とテンポで歌うことが多い。

 発声の仕方をとらえて良し悪しを論議するのは意味がないだろう。民謡には民謡の、合唱には合唱のそれぞれ異なる味わいがあるからだ。

2003年3月28日 加藤記

 


 

埼玉県合唱連盟創立45周年記念演奏会

 3月23日(日)、大宮ソニックシティ大ホールで開催された県連創立45周年を祝う集いに埼玉県全域から多くのシンガーが勢揃いした。

 下は中学生から上は熟年の男女まで多彩な顔ぶれが、それぞれの演奏を披露した。細かいことは県連HPを見ていただくとして、ここでは、現場で起きたことや感じたことをお伝えしよう。今回の演奏会は、会場(2500席)の制限もあっていわば関係者と招待者だけの内輪のものであった。

 中学校(ジュニア含む)同声・混声、高校混声・女声・男声、おとうさん、あかあさん東部・南部・西部・北部、一般(大学含む)混声の11の団体が演奏した。それぞれ2~4回の練習を経て本番に臨んでいる。

 司会進行は、県連事務局長・笠井利昭氏(コール・グランツ)が務めた。宮寺理事長、土屋県知事などの来賓挨拶のあと、全体合唱を歌って演奏がスタートした。



 トップを切って歌った中学生同声の「ずいずいずっころばし」は、声のよさに加えてテクニックのうまさもあわせもったもので、ただただ脱帽せざるをえなかった。高校混声の「We are the World」では、聴衆から手拍子が入り、会場がひとつになって大いに盛り上がった。埼玉の中学生や高校生の歌唱力はじつに高く、全国レベルの大会でもつねに上位に食い込んでいるが、優れた指導者がたくさんいる証拠であろう。

 さて、筆者が出演した一般男声合唱のおとうさん部門は、「組曲『雨』より雨」と「最上川舟歌」の2曲を披露した。どちらの曲もテナーソロが出てくるが、誰に歌ってもらうかなかなか決まらない状況で本番まで進んできた。指揮者の小野瀬理事はソリストを決めかね、ソロではなくソリ(soli は solo の複数。複数でソロパートを歌うこと)でやろうとずっと言い続けてきたが、本番当日の朝、参加各団体の主要メンバーから一つの提案がなされた。
 「最上川」はソリでもよいが、やはり「雨」はソロに限る、ついてはコール・グランツの野口享治氏に歌ってもらってはどうか。ということで、いきなり本番直前にソロを指名された野口氏は少なからず驚いた。しかし、もともと実力者であるし、何度もソロで歌っている曲でもあったので、無事この大役を果たし終えることができた。

 ソリストは舞台上では、合唱団よりも前で歌っていることもあって、我々にはどのように歌っているかよく分からない部分がある。そこで、座席にセットしておいたMDレコーダーで録音したものをあとでチェックしてみたが、野口氏のテナーは、芯のある声とでもいったらよいだろうか、ピアニッシモでも大ホールの隅々まで届くだけの響きを備えていた。埼玉を代表する素晴らしいテナーだ。

 野口氏は、いわゆるテナー・ロブストというような強靭さを感じさせる声質ではないが、かといって線が細いわけではなく、十分なパワーを備えている。

 合唱祭のようないつもの演奏会とちがい、すべての合唱分野から参加しているので、会場内外で図らずもいろいろな交流が生れた。本番直前の会場の外では、高校生とおじさんたちが一緒になってハモる場面もあった。これなど、すぐ一緒に歌える男声合唱ならではの魅力であろう。
 同じようなことは、演奏会終了後のロビーでもあった。そちらは、中学生とおじさんたちの輪となった。孫とおじいさんのような年齢差を忘れて、ハーモニーを作り出せる男声合唱の魅力をつくづく感じた一日となった。

 

2003年3月25日 加藤記 (写真:関根盛純氏・男声あんさんぶるポパイ)

 




スバンホルム・シンガーズ

来日コンサート

 1998年スウェーデン最南部の都市ルンドに結成されたア・カペラ男声合唱団。メンバーはルンド大学OBを中心にした若手で構成され、1998年には「スウェーデン合唱コンクール」優勝、1999年「宝塚国際合唱コンクール」グランプリ受賞など数々の成績を残している。指揮者のソフィア・ソーダベルグ・エーベルハルトは2002年ポーランドの「ホーラ・カンターヴィ2002」で指揮者賞を受賞している。

2003年6月29日(日)2:00開演

結城市民文化センター・アクロス大ホール (茨城県)
S席:3000円

世界の歌より: ダニーボーイ、カリンカ、ジェリコの戦い、見上げてごらん夜の星を 他
ヨーロッパのロマンティック合唱曲: 歌い手の挨拶(グリーグ)、フィンランディア讃歌(シベリウス)、海辺の夜明け(アルヴェン)、サルタレッロ(サン=サーンス) 他


 

ザルツブルク・コンサート
   
  
“ブラームスとその仲間たち”

 

   ライナー・シュミット (ヴァイオリン)    佐々木彩子 (ピアノ)

           ゲスト:鷹栖光昭(チェロ)、鷹栖章子(ヴィオラ)

                            2003年3月15日 久喜総合文化会館大ホール


 ヴァイオリンのR.シュミットは、1964年ドイツ・ハノーヴァーに生まれた。1987年以来、ザルツブルクの音楽一家が中心となって結成したハーゲン弦楽四重奏団の第二ヴァイオリンとして世界中で演奏をしている。

 今回のコンサートは、ハーゲン弦楽四重奏団の来日に合わせて企画された。このコンサートは、サブタイトルにもあるように“ブラームスとその仲間たち”と題されたもので、昨年に引き続き行われた。

 プログラムは、佐々木彩子のピアノ伴奏によるドヴォルザーク「4つのロマンチック小品」とブラームス「ヴァイオリンソナタ第1番“雨の歌”」、それに鷹栖光昭のチェロと、鷹栖章子のヴィオラが加わったシューマン「ピアノカルテット変ホ長調」と、全体的に渋めの選曲となっていた。とくにシューマンの「ピアノカルテット」は、演奏される機会がすくないとのこと。

 シュミットの弾いていたヴァイオリンは誰の作によるものだろう。冒頭のドヴォルザーク小品で、紡ぎだされた優しくそして柔らかな音は、なんともいえないふくよかさと上品さをもっていた。

 シュミットは、比較的ビブラートを多用しない奏法が好みのような気がしたが、それはカルテットをやる奏者に共通しているのであろうか。また、ときおりホール全体の響きを確認する遠くを見るようなしぐさがみられ、アンサンブルにつねに気を配りながら他のメンバーを引っ張っていた。

 休憩のあとの第二部シューマンの「ピアノカルテット」開始に先立って、プログラムにないポピュラーなヴァイオリン曲が二曲演奏されたが、趣旨がわからない演出である。結果としてそれまでの雰囲気が損なわれてしまったと感じたのは私だけであったろうか。あまりに馴染みの少ない曲ばかりが続いたので、多少は皆が知っている曲でもいれようとの配慮だったとでもいうのだろうか。あれはどう見ても蛇足であった。

2003年3月15日 加藤記

 






イリス合唱フェスティバル      

2003年3月9日 栗橋町総合文化会館イリスホール

  <出演団体>
1 イリス少年少女合唱団  指揮:土井ゆかり、ピアノ:山田昌代

2 イリスシルバー合唱団  指揮:魚水愛子、ピアノ:山崎美佐江

  魚水ゆり(ヴァイオリン) ゲスト演奏
  長原博生(ピアノ)       〃

3 イリス合唱団       指揮:鎌田弘子、ピアノ:臼井江里子
   + セルバティーカ

4 川の辺コーラス  指揮:持木弘、ピアノ:松山ゆり

5 久喜混声合唱団  指揮:齋藤映二、ピアノ:椛島明子

6 コーラスGクレフ  指揮:新井香代子、ピアノ:菅原忍

7 コールさくらだ  指揮:大岩篤郎、ピアノ:関根操子

8 大利根町さわやかコーラス  指揮:嶋田龍太郎、ピアノ:平井由美

9 栗橋花村連合会  指揮:加藤大政

10 レ・コンソグラ  指揮:岩田正彦、ピアノ:植村由香里

11 ヴォーチェビアンカ   指揮:鎌田弘子、ピアノ:宮地麻里子、魚水愛子
   + コール・グランツ
   + ピノキオ
           

2003年3月14日 加藤記


 

ACOUSTIX
日本ツアー2003

 ACOUSTIX“アクースティクス”は、1990年のバーバーショップ国際大会優勝という輝かしい歴史を誇るカルテットである。
 今回の日本ツアー仕掛け人である菅野さんは、『
バーバーショップ・ハーモニーへの招待』という著書を書かれた方である。日本公演の話しは以前から聞いていて、とても楽しみにしていた。

 メンバーはいずれもアマチュアではあるが、玄人はだしの歌声を聴かせてくれる、まさに一級品である──とはいうもののまだ実物にはめぐり合っていないので、あくまで菅野さんからの伝聞であるが…。

 今回の日本ツアーは、下記の日程で計4回開催される。
 ① 東京(5/29大田区民ホール・アプリコ)
 ② 金沢(5/31金沢市文化ホール)
 ③ 福岡(6/2アクロス福岡家イベントホール)
 ④ 京都(6/4京都コンサートホール)

 プログラムは、“バーバーショップ・ハーモニー”、“ジャズ・ナンバー”、“スクリーン・ミュージック/ミュージカル”などのお馴染みの曲となっている。詳しいことは菅野さんのHP「からくり工房」に掲載されているので、ご覧あれ。

 東京公演のチケットは全自由席、3000円であるが、10枚以上で2500円に17%割引される。そこで安く聴かせていただくために有志を募っている。ご希望の方は、加藤までご一報下さい。

2003年2月27日 加藤記




埼玉県合唱連盟創立45周年記念演奏会  練習始まる


 埼玉県合唱連盟創立45周年記念演奏会が来る3月23日、大宮ソニックシティ大ホールで行われる。 
 今回は、中学校同声・混声、高校女声・男声・混声、おとうさん(一般男声)、おかあさん東・西・南・北(一般女声)、一般混声(大学含む)の11ステージが予定されている。そのうちの女声合唱・東部と男声合唱の最初の練習が、本日(2月9日)春日部高校音楽室で行われた。残る2回の練習は川越で行われることになっている。(演奏会の詳細は県連HPを参照願いたい。)今後順次本番までにそれぞれのグループが各地で練習を繰り広げてゆく予定である。

 男声は、各合唱団から何名かの抜粋(選りすぐりというわけではない…)で参加するだけなので、総勢100名弱にしかならないらしい。コール・グランツからは8名が参加している。曲目は男声合唱の定番「組曲『雨』より雨」と「最上川舟歌」の2曲。ほとんどの人たちが歌えるので練習はかなりスムーズに進行し、これなら仕上がるのは早いだろうと予想されるものだった。

 「雨」は比較的遅いテンポのため、かなり苦しい箇所もあった。とくに33小節目からの「雨が上がるように静かに死んでゆこう…」 p → pp → pp → rit. → smorz. と続くフィナーレは、細心の注意をもって小さいけれども芯のある音を出さねばならない。一方対象的な曲想をもつ「最上川舟歌」は、勇壮ではあっても随所に繊細な神経を配らねばならない。指揮者の小野瀬氏(県連理事)は、できれば東北弁・山形弁を強調した面白い表現がしたいと要望していたが、今回参加した人で東北方面の人はいなかった。次回の練習に出てくる人の中にはいるかもしれない。

 男声合唱プロジェクトYARO会のメンバーの中には、「雨」のハモリがイマイチだったと漏らすものもいたが、最初としてはこんなところであろう。本番ではもう少しテンポを速くしてはどうだろうか。

2003年2月9日 加藤記



コンサート・レヴュー   イル・カンパニーレ  第9回演奏会

 小江戸とも呼ばれる埼玉県川越市の中心地に木造三階建ての「時の鐘」がある。もとは寛永年間に建てられたものだったが、明治時代の大火で消失し、翌年場所を変えて再建されたという。
 男声合唱団
イル・カンパニーレとは、この「時の鐘」にちなんで付けられた「鐘」を意味するイタリア語である。通称「イルカン」と呼んでいる。立派な団歌を持っていてその名も「時計台の鐘」と鐘づくしである。創立以来、小高秀一氏(前埼玉県合唱連盟理事長)がずっと棒を振っている。

 今回のコンサートは、去る1月25日(土)川越市市民会館やまぶきホールで開催された。
 1ステの多田武彦「追憶の窓」は、イルカンの持ち味がよく出たしっとりとした演奏であったが、惜しむらくは暗譜でやりたかったところである。宇佐美団長の言葉によれば、だいぶ前に暗譜したので忘れてしまったためやむなく譜持ちになったとのこと。
 2ステは、「新春歌謡ショー~昭和偉人伝~」と銘打った美空ひばりなどの歌謡曲集。「真赤な太陽」、「いい日旅立ち」など懐かしい曲が披露された。

 続く3ステ「世界の歌~Songs for World Cup~」では、昨年のFIFAワールドカップに因んで、全員がいろいろなチームのユニフォームを着て登場し聴衆を楽しませた。外国のチームより浦和レッズのユニフォームが多かったようだ。やはり埼玉県らしいところである。(私に一言相談してくれれば、コレクションの中から海外チームのユニフォームを何着かお貸ししたものを…)

 最後のステージは、中田喜直・磯部とし作曲の組曲「おかあさんのばか」。これは小学校6年生で突然母を亡くした女の子の詩にもとづいたもので、ナレーションが付いている。けっきょくアンコールの2曲を含めて全部で32曲を歌い切ったことになるが、これだけ多いとやはり暗譜は困難だったかもしれないと納得した。しかし、ちょっとだけ辛口な批評をさせていただくと、できればポピュラー曲くらいは暗譜でやったほうが楽しさがもっと伝わってきたのではないだろうか。(もっとも他人事ではないのだが…)

2003年1月27日 加藤記




B
ARBERSHOP HARMONY

 最近バーバーショップの楽しさが音楽愛好家のあいだで受け入れられるようになってきた感じがする。昔のことは知らないが、『バーバーショップ・ハーモニーへの招待』の著者である菅野さんによれば、本当のバーバーショップ・スタイルで歌っていたグループはほとんどいなかったそうだ。
 バーバーショップをご存じない方のために簡単に紹介しよう。音楽を言葉で表現するのはじつに難しいが、まず見た目をいえば、いかにも“アメリカンスタイル”であり、そのステージはショーマンシップに溢れている。
 
 バーバーショップは、ふつうの男声合唱にはない(日本人には特殊なと聴こえるかもしれない)ハーモニーと、とびきりのエンターテイメントが特徴である。つねに笑顔を絶やさず、そしてさまざまな動きを採り入れながら歌う姿勢が欠かせない。これは日本人演奏家にはちょっと馴染みにくいことだろうが、最近は芝居っけの多いひとも増えているのでさまになってきたようではあるが。

 先日(1/19)、関西学院グリークラブがコンサートの中にこのバーバーショップを採り入れていた。どうやらこのステージが日本の大学グリークラブにおける最初の演奏といってもよいらしいことを菅野さんからお聞きした。

 私の大学グリーの最初の演奏と捉えてもよいのかとの質問に対する菅野さんの答えはつぎのようであった。

 同志社グリーOBのクローバークラブは好きで歌ってますから、学生も歌っていないとは言えないでしょう。ただ、市販のバーバーショップの楽譜で歌うのと、歌い方を知って「今」のバーバーショップを歌うのとでは、雲泥の差があります。
 はっきり申し上げれば、市販のバーバーショップの楽譜で歌うだけでは、バーバーショップを歌ったとは言えないと思っています。関学グリーでは、広瀬さんが身をもって会得した今のバーバーショップを歌わせている、と申し上げたらご理解いただけるでしょうか。 
 すぐ戦後にバーバーショップが日本に紹介され、多くの大学男声合唱団で「正しく」歌われたのは、本に書いた通りです。その後1960年ごろから、バーバーショップは衰退しました。
 昔のことを覚えている人もほとんど居なくなった今、1990年代になって見直されてから、という時代観では、正しい歌い方でバーバーショップを歌った大学男声合唱団は関学グリーが最初、と言って間違っては居ないと思います。私は一生懸命やっている合唱団は応援したいと思っており、何の抵抗も感じずに「関学グリーが最初」と言いたいです。

2003年1月25日 加藤記

 



第71回
関西学院大学グリークラブ
リサイタル

 東京 2003年1月19日(日)14時30分開演
           昭和女子大学人見記念講堂

 大阪 2003年1月26日(日)15時00分開演
           ザ・シンフォニーホール

 今回の出し物は、
 “Disney Collection”
 男声合唱組曲“草野心平の詩から”
 “バーバーショップの世界”
 男声合唱のための“アイヌのウポポ”
 となっている。
 バーバーショップをどんな風に歌ってくれるか大いに楽しみである。

 詳細は下記HPをご覧下さい。
            http://www.kg-glee.gr.jp/


 関学グリーは泣く子も黙る「ウ・ボイ」の本家本元、そして日本最古の男声合唱団である。かなり前に「ウ・ボイ」の楽譜でお世話になってから、毎年リサイタルのご案内を送って頂いている。

 チラシの絵柄はいつも同じ作家のものと思われるちょっと風変わりなデザイン。なんともいえない雰囲気を醸し出していて、コンサート会場へ誘(いざな)われるものがある。

2002年11月27日 加藤記


 



詩人 そして 皮膚科学者

 

 

 ある雑誌のページをパラパラとめくっていたとき、結核菌検査などの話しにまじって突然「詩人」という文字が目に飛び込んできた。おや、医学雑誌に詩人とは何だろう、と、もう一度ページを戻ってみた。そこには「詩人・木下杢太郎と皮膚科学者・太田正雄」と書かれていた。

 男声合唱組曲「木下杢太郎の詩から」は、作曲家の多田武彦が木下杢太郎の詩に曲をつけたもので、男声合唱をやる者にとっては馴染み深い曲である。その木下杢太郎がもとは医者であったとは、ちょっとした驚きであった。
 杢太郎(1885~1945)は、静岡県伊東の素封家「米惣」の末っ子として明治18年8月1日に誕生した。若いときから文学熱が旺盛で、東京帝大医学部在学中より明星に参加し、鉄幹、晶子、白秋、啄木らの詩人と親交を深めたという。杢太郎の詩集「食後の唄」の序文に白秋が「比類稀な詩境の発見者」と書いているそうだし、森鴎外や夏目漱石にも絶賛されたという。

 臨床検査という側面から皮膚科をみると、ほかの科とは若干趣が異なっている。いまでこそ大きな検査室では皮膚科関係の検査も採り入れているが、ひと昔まえはあまり行われていなかった。その理由は、皮膚科検体からの真菌の培養による検出、同定(菌種を特定すること)自体がかなり専門的で、一般の検査室では対応不可能だったからである。
 真菌とは、一般にいう酵母とかカビのことで、その培養は細菌に較べて時間がかかることと、真菌に効く薬がすくないことなどから、長いあいだ一般の検査室に定着しなかったのではなかろうか。効く薬がなければ検査をして原因菌がわかってもよい治療にはつながらないからである。そんなことから、皮膚科の医師すなわち真菌の専門家だったのだと思う。杢太郎も皮膚糸状菌などの専門家だった。


 近ごろは、昔にくらべて、畑ちがいの世界からいろいろなことをやる人物が出てこなくなっているような気がする。

 

加藤良一 2002年11月4日



 





<コンサート・レヴュー>


Master Players,Wien
を聴く

東京芸術劇場/10月20日

加藤良一 OCT.23, 2002

 2005年-愛・地球博-(愛知万博)にちなんで企画された今回の一連のコンサートは、ウィーン・フィルの主席奏者を中心にした特別編成の「マスター・プレーヤーズ、ウィーン」並びにウィーン国立歌劇場メンバーとが名古屋フィルとの競演も含めて、全国で11回の公演を予定している。
 今回聴くことができたのは、リカルダ・メルベートのソプラノ独唱、古川展生によるドヴォルザークの「チェロ協奏曲」、リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」という プログラムで、指揮はクリストフ・エーベレだった。

 リカルダ・メルベートは、「ラ・ボエーム」のミミ、「フィガロの結婚」の伯爵夫人などで高評を博しているというドイツ人である。モーツアルトの歌劇「コシ・ファントゥッテ」より“恋人よ許してください”、「フィガロの結婚」より“楽しい思い出はどこへ”を歌った。
 リカルダの歌唱力はじつにみごとなもので、その表現力とパワーには目を見張るものがあった。素人ながら歌唱に苦労している身としては、とくに腹筋の使い方に注目した のは当然である。
 リカルダはやはり、高音を出すときには目に見えないていどだが、重心が下がるというか踏ん張っているのがわかった。さらにぼくにとって意外だったのは、腹部から腰の周りをしっかりと支えているからだろうか、下半身が小刻みに震えていたのが衣装を通して見られたことである。筋肉を緊張させればわずかながら震えることは、 いつも歌っているときに経験していることだが、プロも同じようになることを知って驚いた。世界がちがいすぎるが、よいものを見たと思う。

 古川展生は、桐朋学園大学卒業、チェロを井上頼豊や山崎伸子などに師事し、ソリストとして活躍している若手のチェリストである。
 チェロ協奏曲といえば、代表として出てくるのがドヴォルザークのロ短調だろう。この曲は、ドヴォルザークが新大陸アメリカで黒人霊歌や民謡などの新鮮さに触発され、望郷の念にかられて作曲した交響曲第九番「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」などと同時期に作曲されたものである。
 古川は、緩徐な第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポではときに楽器をじゅうぶんに歌わせながら、ときにパワフルに熱演した。1995年日本音楽コンクール第2位入賞、97年ドイツ・マルクノイキルヘン国際コンクールでディプロマ賞受賞などの経歴に恥じない素晴らしい演奏だった。

 さて、最後の交響組曲「シェラザード」は、アラビアン・ナイトの妖艶でエキゾチックな雰囲気をリムスキー・コルサコフらしいドラマティックな展開で聴かせる代表作である。
 マスター・プレーヤーズ、ウィーンと名古屋フィルとの100人を超す大編成の合同演奏であったが、巧みなオーケストレーションが存分に楽しめる好演だった。弦楽器もさることながら、管楽器群の呼吸がぴったりあったアンサンブルには思わず唸らずにはいられなかった。
 

 

 




<コンサート・レヴュー>

第3回 潮の音 コンサート  10月11日       加藤良一 OCT.14, 2002  

 「上手な演奏は出来ませんが、私も団員も一生懸命にやりますので、そんな姿をみにいらして下さいませ」と、指揮者の潮千代子先生からご謙遜のご招待状をいただいたのは、秋のはじまる頃だったと記憶している。

 潮の音コンサートが行われたのは 埼玉県川口市のリリアホール。このホールは、規模はさほど大きくないが、内装に木をふんだんに使っており響きがよくて歌いやすい。

 潮の音は、潮先生が指導される上尾女声合唱団、コーロ・フェリーチェ、アンサンブルX・Oの三団体の合同合唱団である。
 ステージ構成は、三団体がそれぞれ順に、「われもこう」(新実徳英)、童謡メドレー「どこかで春が」(島頼子)、「アヴェ・マリア曲集」を歌い、休憩後に 合同演奏として女声のための合唱ファンタジー「みすずこのみち」(鈴木憲夫)を披露するかたちとなっていた。
 島頼子氏と鈴木憲夫氏も会場に来ておられ、壇上に招かれて紹介された。

 コンサートは、潮先生の気さくで飾らない人柄がよくでていて、終始アットホームな雰囲気に包まれていた。潮先生は、一見派手そうにお見受けするが、じつはけっこう素朴な方である。これは、以前、埼玉県合唱連盟で同じ時期に理事をさせていただいたとき から抱いている印象である。
 今回のコンサートも気取らず、自分たちの音楽をそのままステージにのせていた。決して背伸びはしないけれど、ちょっとだけ高いところに目標を設定しているのが、聴いていてとても好感がもてた。
 いろいろな時代のアヴェ・マリアを6曲並べた「アヴェ・マリア曲集」は、歌詞が単純なだけに歌い込むのはなかなかたいへんであったろうと察するが、ハーモニーもよく 整っていて、実力を感じさせる演奏だった。また、最後の合同演奏は、詩人・金子みすずの詩にもとづく「みすずこのみち」を、 よくまとまって演奏していたし、ソプラノのソロも詩的な表情が豊かで、思わず引き込まれるような気持ちのよい演奏だった。
 それぞれキャラクターも実力も年齢もさまざまな三団体が、ひとつにまとまった楽しいコンサートであった。

(潮の音は、山根明子先生が指導される “Ladies Choir 潮の音” というア・カペラの現代曲を歌う団とは、違うので念のため申し添えます。お間違いなく。)

 




第弐回
<秀ちゃんを囲む会>

加藤良一 SEP.11, 2002  

 残暑が残る9月10日、今年で二回目となった<秀ちゃんを囲む会>が大宮で開かれた。この会は、秀ちゃんこと前埼玉県合唱連盟理事長・小高秀一氏に馴染みの新旧理事が集う同窓会のようなもの。
 第1回目は、昨年8月、ちょうど台風が直撃したひどい嵐の中、川越で催された。あのときは、囲む会の前途に不安を憶えたものであったが、どうやら雨降って地固まるの格言どおり、なんとか生き延びたらしい。

 小高氏は、いまも音楽活動に精力的に取り組んでおり、まだまだお若い。今回のイデタチは、 奥様の進言によってイメージチェンジしたというとおり、一段とスマートである。


右端が小高氏

 

 和気あいあいの宴会であったが、このメンバーで歌を歌わないわけにはいくまい。小高氏の思い出の曲ということで、「赤とんぼ」を歌った。




お疲れさまでした。(お店の仲居さんは心得ていて、ちゃんと手ブレでぼやかしてくれた。めでたし、めでたし。)

 




      関東おとうさんコーラス発祥の地

        サッポロビール埼玉工場閉鎖

 

加藤良一 SEP.3, 2002  

 埼玉で産声をあげ、いまでは関東一円にまで広がったおとうさんコーラス大会が初めて開催されたのが、京浜東北線の川口駅そばにあるサッポロビール埼玉工場であった。

 その工場が来年の夏をめどに閉鎖されてしまうらしい。景気が厳しい昨今どこの会社もたいへんな思いをしているようだ。この工場は、大正時代末期に操業を始め、もう78年にもなる長い歴史をもっている。
 飲んで歌いたいという男どもの我儘な希望を叶えてくれたビール工場が閉鎖されてしまうのは、ビールが飲めなくなる悲しさだけでなく、音楽文化を支えてくれた理解者がまたひとつ減ることでもある。

 おとうさんコーラス大会の第1回目が開かれたのは、この工場内にある講堂、平成2年(1990)8月のことだった。プログラム(写真)もいまではずいぶん煤けてしまった。
 参加団体は演奏順に、グリー・ナインス、イル・カンパニーレ、ハゲマス会、コールゾイファー、三郷市民合唱団、ビール工場で富士山を歌う会、浦和メンネルコール、コール・グランツ、アンサンブルひびき、所沢メンネルコールの10団体だった。
 今年の新潟の大会が33団体であるから、けっこう大きくなったと感慨深いものもあるし、またいっぽうではビールにありつくまでにずいぶん待たされるようになったものだと、すこし恨めしい気もする。
 第1回目の大会では、けっこう怪しい団体もあった。ビール飲みたさでにわか作りで出演してきた団体もあったからだ。それでも、黄色い声の応援団とともに大いに盛り上がったことがまざまざと思い出される。

 県連の理事としておとうさんコーラス大会を担当したこともあるから、この大会にはひとかたならぬ思い入れがある。大会発祥の地でもあるサッポロビール埼玉工場が閉鎖される前に何かやれることはないだろうか。

 




<コンサート・レヴュー>

Flute Fantasy in Across         加藤良一 AUG.24, 2002  


尚美学園大学フルートアンサンブルオーケストラとともに歌う土井ゆかり(Sp)、
笠井利昭(Br)の両氏。左端が齋藤賀雄氏。

 近所迷惑もかえりみず一日中フルートを吹いていたのは、かれこれ30年も昔のことになる。そんなに長いあいだやっているなら相当の腕前ではないかと思われてしまうのが、じつは辛いところである。
 いま、手元に一冊の古いフルート用テキストを開いている。題名は「フルートとともに」、1975年に出版されたNHK教育テレビのフルート教室用テキストである。講師は、齋藤賀雄(東京芸術大学器楽科)であった。ドイツに留学し、マルセル・モイーズやオーレル・ニコレに師事したという経歴をみただけでも天上の人のように思えたものである。

 その齋藤先生が指導する尚美学園大学フルートアンサンブルのコンサート「フルートファンタジー in アクロス」(8/23)が結城市民文化センター・アクロス(茨城県)で開かれた。「フルート公開レッスン」も併設したイベントで、学生たちの合宿も兼ねている。
 プログラムは三部構成となっており、在校生によるヴィヴァルディの協奏曲集「調和の霊感」作品3 第8番で幕を開けた。出だしは、ちょっと硬くなっている様子で落ち着かなかったが、次第に調子を取り戻していったようだった。
 2曲目のロレンツォ「シンフォニエッタ」の終曲アレグロは、アルトフルートが効果的に使われていて、フィナーレに向けてみごとに盛り上げ、フルートの楽しさがじゅうぶんに出た演奏となった。

 第二部では、「フルート属の楽器」について齋藤先生から紹介があった。フルートには、小さい順につぎのような楽器がある。

・ ピッコロフルート
・ ソプラノフルート(今回の説明にはなかったが、日本で開発された比較的新しい楽器)
○フルート(いわゆるふつうのフルート。頭部、胴部、足部管の3つに分解できる)
・ アルトフルート(ここまではふつうに構えて演奏できる)
・ バスフルート(J字型に曲がっている。つっかえ棒で支える)
・ コントラバスフルート(上の写真で後ろに立って演奏している4の字型のフルート。6つの管に分解できる。チェロのようにピンで床に立てる)
・ ダブルコントラバスフルート(全長5メートル、重さ12kgにも達する。音域はフルートの3オクターブ下)などがある。

 これらの同属の楽器によるアンサンブルは、異種の楽器によるものとはちがった均質性があり、それぞれの楽器から出される音が相互に馴染みやすく、よく溶け合ったアンサンブルとなる。ふつうのオーケストラを混声合唱とするならば、フルートアンサンブルは女声とか男声などの同声の合唱にあたる。
 さて、出色の演奏は、なんといっても齋藤先生のソロとオーケストラによるアルビノーニの「アダージョ ト短調」であった。ゆったりしたテンポで、長い息づかいを求められる曲はフルートにとってなかなかむずかしいものであるが、みごとなアンサンブルのバックに乗り、静謐さを感じさせるすばらしい世界を創り出した演奏であった。

 また、賛助出演の土井ゆかり、笠井利昭のお二人による珍しい“歌とフルートオーケストラによる”「イタリア歌曲集メドレー」のステージもあった。誰にも親しみやすい歌曲で楽しませてくれた。フルートと歌は、じつはけっこうマッチするものだと再認識した。
 
 




関東おとうさんコーラス大会 in 小出郷

AUG.11, 2002  加藤記

 埼玉で生まれた「おとうさんコーラス大会」は、「関東おとうさんコーラス大会」へと成長し今年で13回目を迎えた。今年は、夏空に入道雲が沸き立つ、米どころ酒どころ新潟県 ・小出郷文化会館で行われた。エントリー33団体、ミサ曲から男声合唱定番、果ては替え歌「明日があるさ」も飛び出す盛りだくさんのステージとなった。
 コール・グランツは、クジ運が悪く(良く!?)トリをつとめることになってしまった。ダシモノは組曲「今でも…ローセキは魔法の杖」より『溢れる泉は日々を巡り』。暗譜で望むことができた分だけに仕上がりはまあまあというところだろうか。けっこうな拍手を頂戴したが、これで第二部のパーティに行けるぞという喜びの意味合いがかなり含まれていたことは否めないだろう。とてもいいアンサンブルだったとお褒めの言葉もいただいた(シンパの方から…)。


ピンクのシャツで歌う CHOR GLANZ (指揮:笠井利昭)

 

 本番前日の夜、先に現地入りしていた埼玉県連事務局長笠井氏(↓右端)から一通のメールが入った。「ハゲマス会で歌ってもらうことを言い忘れていた。よろしく頼む。」と。
 ハゲマス会は、新旧理事による“おとうさんコーラス用アンサンブル”で、ほとんどが音楽専門家だから、練習らしい練習もせずにいきなりやってしまえる面々ばかり。そんな中にわたしのような素人が潜り込んでいるんだからたいへんである。それにしても、もっと早く言ってくれればいいものを。練習は自分でやる以外ない。本番直前、楽屋の控え室で3~4人でかんたんに合わせただけで、ハイおしまい。
 さいわいだったのは曲がオナーティンの「ふるさと」だったこと。これなら知らない曲ではない。ただしきちんと歌ったことはなかったので、ちょっぴり心配だったが、 なんとか無難に歌い終えることができた。


ハゲマス会の面々。筆者(中央)の右がハゲマス会代表小高先生(前埼玉県連理事長)。
本人は代表にされるのを嫌がっている。指揮は写真には写っていないが、宮寺勇理事長。

 


 フィナーレとなった「遥かな友に」を指揮した宮寺理事長(右)と前理事長小高先生。

 ♪ しずかな夜更けに、いつも思い出すのはお前のこと。おやすみ、安らかに、辿れ夢路。おやすみ、楽しく、今宵もまた ♪

 妙なカッコをしているのは、♪今宵もマタ♪に合わせた小高先生お得意のパフォーマンス。
 これにはほかにも宴会の最後にやるヴァージョンがある。全員が輪になって肩を組み、マタを広げて首を右に倒し、“又ねー!”とやるのだ。
 なんとも情けないが、ユーモラスで底抜けの明るさがあって、楽しいものである。皆さんも一度お試しあれ。

 来年の大会は埼玉で行われる予定である。ますます参加団体が増えることを期待している。

 

 




埼玉第九合唱団:
ドニゼッティ“レクイエム
指揮/宮寺勇

 2002.7.21 加藤記

 埼玉第九合唱団は、1973年に結成されたその名のとおりベートーヴェンの第九を歌うために集まった合唱団である。第九以外にもいろいろな合唱曲にチャレンジしている。団長の新祖さんの元にしっかりした運営をしている手堅い合唱団である。規模からしても県下一であろう。

 昨日(7/20)行われた第58回演奏会(大宮ソニック大ホール)を聴いた。出し物はオペラ「愛の妙薬」で知られるドニゼッティの「レクイエム」。
 “Requiem”、“Kyrie”から始まり、“Libera me Domine”まで合唱とソリストの歌唱を交えて16曲を演奏した。オケは東京芸大有志による若手中心で、ソリストも芸大の若手が担っていた。
 同合唱団は来年30周年を迎える老舗であり、新たな飛躍に向けての今回の演奏会であった。指揮者宮寺先生は、気心の知れた手兵・埼玉第九を相手に思い切ったタクトを振っていた。迫力のあるいかにもベルカントといったレクイエムであった。

 




意欲的な取り組み


埼玉中央フィルのショスタコーヴィッチ5番を聴く


 指揮者の宮寺勇先生から招待券を頂き、埼玉中央フィルハーモニーオーケストラの第6回定期演奏会(5/26)を聴いた。昨年はブラームスの交響曲第1番を聴いたが、 今年のメインプログラムはショスタコーヴィッチの交響曲第5番だった。

 プログラムは、 第一部にヨハン・シュトラウスなどのワルツやポルカを6曲集めた楽しいオムニバス風ステージ。立ち上がりの第1曲目「こうもり序曲」はやや硬さが感じられたが、 演奏が進むとともにのびやかさが出てきた。ふだんの演奏をよく聴いているわけではないが、昨年よりもさらにアンサンブルに磨きがかかっていて、楽しめる演奏だった。

 休憩をはさんだ第二部では、ショスタコーヴィッチの「交響曲第5番ニ短調」が演奏された。意欲的な姿勢が感じられる。曲の全体的な印象としては、東洋的な雰囲気 があるからすこしは馴染みやすい。

 この曲は、1937年のソビエト革命20周年を記念して作られた。ロシア民衆の永く苦しい時代を映し出すような悲愴な雰囲気に包まれている。第一楽章の弦楽器による悲痛極まりない主題で始まり、第3楽章でも緩徐な部分が延々と続く。聴くほうもたいへんだが演奏するほうはもっとたいへんだ と思う。とくにピアニッシモの抑うつ的な部分では、かなりの緊張感がある。

 このピアニッシモが聴かせどころのはずだが、隣の席のおじさんは、第3楽章ラルゴで小さいけれどイビキをかいていた。このおじさんはオケの初めの音合わせのとき、オーボエに合わせて自分でも「アー」と声に出して正確に「ラ」の音を確認していたから、それなりに音楽に詳しい人だろうが…。聴衆が一緒に音あわせをするのもどうかと思うが、見方によっては、これこそ奏者と一体感を持つためのよい工夫なのかもしれない。

 正直言って、たいへん重い曲なので疲れた。しかし、オケのメンバーは自信をもって演奏していたようだ。昨年よりも、さらにうまくなったという印象を受ける。若い団員が多いからこれからが楽しみである。

 最後に、会場運営に関する他人事ではない苦言を少し。

 どこでも見られることではあるが、会場内にマナー違反がはびこっていた。とくにひどいのが子供の騒ぐ声であった。 おまけに走り回っているのではないかと思うような騒音もあった。そんな子供の保護者はたぶん常識をわきまえない人なのであろうが、それを非難し たところですでに遅い。ここは心を鬼にして未就学児童の会場内への入場は、断るべきである。
 会場内の管理は難しい。演奏が始まったら扉を閉めておしまい、ではないのである。せっかく本気で聴きに来ている聴衆を落胆させない ためには、どうすればよいか。音楽を取るか、それとも知人友人家族へのサービスを取るか、じつに悩ましい問題である。決して他山の石とはできない問題だ。

    (2002年5月26日 加藤記)

 





コンクールを考える 《2》

加藤良一


 所沢メンネルコールの長谷川邦夫氏が、下記の「コンクールを考える」に書かれていた Tokyo Cantat(※) に関連した話しとして、以下のような追加情報をお寄せ下さった。

 ハピエル・ブスト氏の話が載っていたので、ついでにお話します。
 4月30日、ブスト氏のレクチャーを聴いたのですが、自分の生い立ちを語る中で、「8つの作曲コンクールで優勝したが、どれも楽譜が複雑で高度な演奏技術が必要なものだった(後で聴いたとき、自分の曲であることを忘れてしまっていたものもあった)が、その後、アベマリアというシンプルな曲を出品したところ、審査結果はビリだった。それで、コンクールはやめた。」という話もありました。

 これはあくまでプロの世界のコンクールのことであって、われわれアマチュアのそれとは区別しなければならないが、コンクールというもののある一面を現していないだろうか。

※ Cantat(カンタート)は、一定の期間に集中して合唱のためのコンサート、講習会、講演会などを行うイベントを意味する新しいことばである。合唱音楽の浸透と合唱活動の振興を目指した Tokyo Cantat 1996年から毎年開催されている。

 




コンクールを考える

加藤良一

 2002年4月29日に行われた Tokyo Cantat オープニングコンサートで、スペインのブスト氏とハンガリーのサボー氏がコンクールについて語ったという話しが、埼玉県連HP掲示板に紹介されていた。両氏は、演奏者と審査員の両者の立場から国際コンクールに関わった経験があるという。
  以下は、筆者が紹介者の言葉にレスして、県連HP掲示板に書き込んだものである。
 
①「集中して練習に取り組む機会になるのは良いことである」
  これは松村氏のご意見と同じで、コンクールに向けて真剣に取り組むことでレベルアップにつなげようという一つの方法だと思います。
 
②「採点をするというのは不条理ですらある」
  芸術を採点することはたいへん難しいことです。
 
③「課題曲のあるコンクールは審査が簡単」
  課題曲を設定するのは、審査を簡単かつ少しでも公平にしたいための便法で、審査結果がばらつくことを前提としているためでしょう。
 
④「コンクールが終わって疲れ果ててしまってはいけない。指導者はそうならないように注意深く活動していかなくてはいけない」
  当たり前ですが、コンクールがすべての合唱団では寂しい。そんな芸術活動があってはなりません。
 
⑤「そんなに審査結果、賞をまじめに考えなくても良い」
  参加することに意義を見出すというのでしょうか。それなら無理にコンクールに出なくともほかに方法があるかもしれません。
 
⑥「結局は指揮者の勝負、良い指揮者のもとに悪い合唱団はないし、悪い指揮者のもとに良い合唱団があることもない」
  これは当然のことですが、たとえばマエストロ小沢が市民オケを振るとしたら限界があるでしょう。指揮者と合唱団が相互に刺激し合えればベターです。
 
⑦「コンクールでは良い合唱団よりも、コンクールに良く適応した合唱団が評価される」
  そう、コンクール向けの団があるかもしれません。④の「コンクールが終わって疲れ果てて」しまうこととも共通するでしょうか。
 
⑧「審査基準の最後は『審査員の好み』である」
  芸術の行き着くところはここでしょうか。②の「採点をするというのは不条理ですらある」ことと共通していることです。
 
⑨「ヨーロッパにはめったにグランプリが出ないような厳しいコンクールもあれば、様々な賞があり多くの団体が受賞できる簡単なコンクールもある。どちらのコンクールもあったほうが良い」
  けっきょく様々なレベルに合わせた、ピンからキリまでの“コンクール”があったほうがよいということでしょう。こうしてみると、プロの世界のように楽壇への登竜門ではなく、アマチュアでは合唱を普及促進するためにコンクールがあったほうがよいということになるようです。ここのところをしっかり押えていれば、コンクールの捉えかたも変わってくるような気がします。

 





我が家恒例のお花見

菅野哲男

(バーバーショップ・ハーモニー協会会員、男声合唱団東京リーダーターフェル1925休団中)


 庭の桜と二階の居間から庭に張り出して作った約14畳のベランダがある我が家では、毎年別々のグループを招いてお花見パーティを開く。

 以前は、東京リーダーターフェルの古手メンバーの年や同年輩のメンバーを招いた年があった。昨年は、自由が丘の飲み屋のオネーサンとその店の常連客。

 さて今年のお花見は、長期予報が次第にずれて、奇跡的に朝から夜まで好天に恵まれた3月30日。男声は東京バーバーズとフォアローゼズから、女声はスウィート・アデラインズ・インターナショナルの東京コーラスから、とバーバーショップ関係者を招いて開いた。ベランダに座布団を敷いて車座になり、歌、酒、料理が揃ったパーティでは、女声は4パートをチャント揃えて次から次へと歌い、パートが片寄っている男声はもうタジタジ。

 バーバーショップの歌声が午後1時から暗くなるまで外で響いた。暗くなってからは、居間でバーバーショップのチャンピオン達のビデオ鑑賞。時間を忘れてのパーティは午後10時過ぎまで続いた。(好きだなー!!)
(ご近所の皆さん、騒々しくてゴメンナサイ。)

 




ロッシーニ「スターバト・マーテル」を聴く

加藤良一

 埼玉県羽生市の文化センターで、「ロッシーニの世界」と銘打つコンサートを聴いた。(3月31日)

 ソリストにフィレンツェ歌劇場若手メンバーのグラハム・リスター(テノール)、ディエゴ・バレッタ(バス)を迎え、ソプラノに関根道子と萩原みかが出演。合唱は和声会、指揮増田和典、オケは東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団。指揮の増田氏は、東京音大声楽科卒業後、東京芸大指揮科に入りなおした経歴の持ち主。音楽評論なども手がける。

 弦楽合奏のみでアルビノーニ「アダージョ」を演奏して幕開け。続いて合唱が、ナブッコ「行け思いよ、黄金の翼に乗って」を演奏し、その後ソリストが1曲づつ歌った。まずは長身バレッタによるシモン・ボッカネグラ「哀れなる父の胸は」はこれぞベル・カントの感あり。将来性を感じさせる歌いっぷりだった。つぎに萩原みかのジャンニ・スキッキ「わたしのお父様」、リスターのトスカ「星も光ぬ」、関根道子のトゥーランドット「氷のような冷たい姫君の心も」と、ヴェルディとプッチーニのオペラでまとめられていた。

 休憩のあと、「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)全10曲が全員で演奏された。この曲は比較的演奏されることがすくないと聞く。現在使われているテクストは、公教会祈祷書によるもので、ロッシーニ以外にも、古くはパレストリーナ、ペルゴレ-ジからハイドン、ドヴォルジャーク、ヴェルディ、プーランクなどが作曲している。

 増田氏は、じつに歌いやすい指揮をする(じつは以前彼の指揮ですこしだけ歌ったことがある)人だ。より歌わせることを強く前面に出し、的確な指示を出す。今回の演奏もオケを的確にコントロールし、全体をよくまとめていた。

 




「イリス合唱発表会」賛助出演

野口享治(コール・グランツ トップテナー)記

 3月24日(日)、桜の花も満開の埼玉県栗橋町イリスホールで開催されたイリス合唱発表会に、女声合唱団ヴォーチェ・ビアンカと男声合唱団コール・グランツが急造の混声合唱団としてゲスト出演した。

 演奏曲目は、

1.「すべての山に登れ」…ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」より

2.「ふるさとの四季」…日本の懐かしい唱歌を四季の移り変わりとオーバーラップさせたメドレー集

3.「黒猫のタンゴ」…確か原曲は「Vorevo un gatto nero(黒猫が欲しかったのに)」だったか?

4.「きらめき・トキメキ・彩り」…栗橋町町民愛唱歌

 当日はコールグランツの新井 元会長も聴きにいらっしゃっており、「観客として聴くグランツの演奏を楽しみにしていた」との激励のお言葉を頂いた。

 今回は、混声合唱+ピアノだけでなく、ヴァイオリン、クラリネットのコラボレーションでの演奏という初の試みであった。また、「黒猫のタンゴ」では、S氏とD女子の寸劇が演奏を盛り上げた。


 個人的な感想であるが、当日発表会の主役である「イリスシルバー合唱団」、「イリス合唱団」、「イリス少年少女合唱団」のうち、「イリス少年少女合唱団」は、栗橋町という地域を考えると40人近くもいて予想以上の人数に驚いた。高学年になるにつれて、合唱を離れる人も多いと思うが、この子供たちがまたいろいろな音楽、スポーツを経験して、将来、合唱に親しんでもらう時期がくればいいなぁと思った。

追伸
 バリトンの田渕さんが蝶ネクタイを忘れて買いに走るところであったが、バスの埋橋さんが予備を持っていて事なきを得た。(予備を持っていたということは、毎回誰か忘れているのかなぁ?)