皆様の台所 たじま桜庵
 


加 藤 良 一


 

大宮ソニックシティ前の「ビアシェンケ」がたくさんの人から惜しまれながら店じまいしたのは、2003年暮れのことだった。経営者ケンチャンは、食と文化について一家言ある人だ。彼のモットーは「町の文化の中心は店」であること。
 なぜ「町の文化の中心は店」なのかというと、以前別のところにも書いたが、レストランやカフェなどの店が、芸術や文化を語り合う場を提供するものだからだ。たとえば、コンサートを聴いたあと、あるいは絵を鑑賞したあとなどそのまま岐路に着いてしまってはいかにももったいない。あの曲はどうだった、あの歌手はいまいちだね、誰それの絵は色の使い方が印象的だった、と恋人や仲間や家族と語り合うことで楽しみ方が倍増するはずである。
 「ビアシェンケ」を大宮ソニックシティ大ホールの真ん前に構えたのも、そんなこだわりの表れであった。しかし長引く不景気の嵐には勝てなかった。何でもいいから客寄せしやすい店に変えることなど思いのほかだったろうし、必要以上に稼いだところでしかたがないという気風なのだ。ケンチャンは元来が商売っけのない人なのだろうか。いや、そんなことではなさそうだ。ただ儲けるのではなく「町の文化の中心は店」であることにこだわってやっていきたいにちがいない。

そのケンチャンが、さる二月、西浦和に新しい店を開いた。今度の店のコンセプトもやはりある意味で「ビアシェンケ」の流れと同じ方向を向いている。
 さいたま市桜区田島一丁目にあることから「たじま桜庵(おうあん)」と名付けられたその店は、閑静な住宅街の中にあるふつうの民家である。
 JR武蔵野線西浦和駅から歩くこと数分の距離にある。ふつうの民家とはいえ、レストランにするくらいだからかなり大きくて立派な建物である。厨房のある広いダイニングルームが調理室であり、事務所でもある。一階と二階にいくつもある和室や洋室が客室になっている。
 われわれの席は、ケンチャンの計らいでダイニングルームに用意されていた。ここなら、仕事しながらのケンチャンや板前さんと気楽に言葉を交わしながら酒が飲めるという趣向である。


 近くの交差点まで出迎えてくれたケンチャンに案内され、ま だ完成していない店まわりの造作など聞きながら玄関を入った。
 「ただいま」と思わずつぶやきそうになるほど、店というよりふつうの家なのだ。ふらりと通りかかった客は、ここがレストランとは気がつかないのではなかろうか。そもそもそんなに人の往来があるところでもなさそうである。口コミで広がるのを待つ以外ないような一種の隠れ家だ。
 「お近くに小さな庵を結びました。皆様の食堂・台所です」と挨拶状にしたためられていた。割烹着を着て店に立つケンチャンは生き生きしている。


  料金も手ごろ、家庭料理を意識して作っている。もともと北海道で蟹料理を扱っていたこともあり、ちょっと贅沢したいなら活蟹も予約すれば用意してもらえる。それと「ビアシェンケ」の延長としての手作りハム、ソーセージも楽しめる。

 「たじま桜庵」がコミュニティ・ダイニングとも銘打っているのにはわけがある。台所や家としての利用以外に、地域のコミュニティとしても自由に使える。たとえば、英会話、囲碁、読書会などの趣味の場として利用し、食事がしたければそれも可能というちょっとうれしい多目的空間だ。お近くの方はいちど訪ねてみてほしい。

 

(2004年3月9日)