ダルマじょうしょうダルマ〜未来に繋げる株式投資〜

ご挨拶| 筆者紹介| Blog| 各種サービスのお申込| 過去のパフォーマンス| 銘柄レポート| FAQ| 掲載すべき事項|


同僚との別れ

 

今から約1年前になる昨年12月。久しぶりに証券会社時代の元同僚からメールが届きました年賀状はやりとりしていましたが、我々の結婚式パーティに参加してもらって以来、私的な感じでコンタクトを取るのは実に10数年ぶり。あまりにも久しぶりで、件名も「ご無沙汰しています。○○(名前)です」だったので、スパムメールかと思ってしまった程でした

「うわ、丁度年賀状書いていたところだよ」などと、メールでやりとりが続きました。嫁も同じく同僚だったので「久しぶりに会いたい」とのことで、もう一人の同僚も含め、埼玉で会うことになりました。そして3月に久しぶりの再会。当然皆一様に老けていましたが、私以外は皆女性なので、そのことはグッと胸の内にしまい込みましたまあ、私が一番老け込んだようにも見えますが・・・

その際、彼女は少し歩き方がおかしくなっていたので「どこか具合悪いの?」と聞いたら、「婦人科系の病気で手術をして、その後コロナで家から出なかったら足が少し悪くなった。でもリハビリとかしたらもう少し良くなるかも」とのことでした。その時は「そうか、大変だね」と返していました。

その後も度々連絡があり「よかったら、今度うちの会社でiDeCoとか資産形成の研修講師をやってくれないか」と頼まれ、「まあiDeCoの方はそこまで詳しくはないけれど、折角の依頼だし引き受けるよ」と返事し、早速私の方も準備に取りかかりました。

ところがそのたった3日後「昨晩、腹部に激痛があり、去年手術した病気の再発がわかった」「もう長くないことがわかった」とメールが来ました。どうやらガンだったようなのです。

私もショックでしたが、当然彼女も相当なショックを受けたようで「死んだらどうなるんだろう」「スイッチを切るみたいに何も無くなるのかな」と心情を吐露。同僚だった時は仕事に対してマジメで負けん気が強く、彼女によく怒られたりもしたものですが、病魔の前に随分と気が弱くなってしまっているようでした。

 

以前ブログにも書きましたが、3年前にも同世代の友人を胃がんで亡くしました。彼は少なくとも私の前では強い男であり続け「覚悟は出来ている」「もうやり残したことはない」と運命を受け入れた様子でしたから、私も普段通り接することができました。というより、普段通り接して欲しいからこそ、そういう態度だったのかも知れません。

今回の彼女は素直でした。私も病気になったら気弱になるでしょうし、普通はおよそ正気を保っていられません。というより、彼の精神力が強過ぎただけでしょう。

それだけに、私も随分言葉を選んで返事を続けました。希望を持たせる言葉を選ぶのは前提としても、ガンの再発は確率的にかなり厳しい状況です。3年前に他界した友人も、抗がん剤治療を受けても結局延命にほとんど効果がありませんでした。その体験が私の中でもわだかまっていました。励ます言葉も白々しさが出てしまうのではないか、変に受け取られたらどうしよう・・・と板挟みの中で悩みました。

それでも彼女が「セカンドオピニオンで色々と別の病院で検査や可能性を探ってみようと思う」と言うので「それは良い」と伝えました。勿論、別の結果になるかも知れませんし、どちらにせよそうやって動いている方が彼女にとっても前向きな気持ちに繋がるのでは無いか、と。

その後、しばらくして彼女は再手術を受けることになりました。ただ、結果的に腫瘍の切除は無理で、ただお腹を開いて閉じただけだった模様。

その手術で体力を大きく消耗した上に、精神的なショックも大きかったのかも知れません。次第にメールを返信するのも辛くなってきたようでした。

 

精神的なショックも重なってか、術後の体力が回復しないということで、抗がん剤の投薬もできない、食事も満足にできない・・・ということで、計画を変更し、自宅に戻ってくることになったようです。折しも今夏は強烈な猛暑で、健康体である我々ですら食欲が落ちる中、相当に辛い闘病生活だったと思います。

私は何度となくお見舞いの機会を伺い「体調が戻ったら連絡ください」と打診を続けていました。ただ「体力が戻らず、今月は無理」という返事を貰って以降は、もうあまり無理をさせられないと思い、お見舞いだけ送って、せめて遠くから痛みの緩和を祈るだけになりました。

やがて「通院すらままならなくなった。ご家族皆様、お体をお大事に」というメールを最後に連絡が途絶えました。そしてそれから2ヶ月後、妹さんから「昨日姉が他界しました」というメールが届きました。覚悟はしていましたが、あまりにも早すぎる死にショックで言葉を失いました。

文末に最後の彼女のメッセージが付記されていました。

「応援し、支えて頂きありがとうございました。
せっかくエールを頂きながら力及ばず、元気になって再びお会い出来たらどんなに良かったか…と思いますが……
でも、何より、出会いと今まで色々話し合ったり一緒に出来たことを本当に感謝しています。
本当にありがとうございました。
ご健康とご多幸をお祈りしています。」

自分が苦しむ中で他人の健康や幸せを願う。彼女の優しさが伝わってきた文面でありました。

 

 

結局、彼女との再会は果たせませんでした。亡くなったと聞いた途端に、10数年前に一緒に仕事していた当時のこと、仕事が立て込んでピンチの時も文句言わずに黙々と働いてくれていたこと、意見がぶつかり深夜にメールでケンカしたことなど、色々と頭に蘇りました。

私が退職した後に「まだ次の就職先が決まっていないなら、大阪チームの支援に2ヶ月だけ行ってくれ」と言われ、一時的に前職に復帰し、彼女のお陰で非常な好待遇で2ヶ月間仕事をさせてもらったことがありました。私の人生で一番仕事に恵まれた時期で、その時の恩をまだ返せていないのですが、そのまま彼女は旅立ちました。

後に共通の同僚から聞いた話では、彼女の正式な病名は「子宮平滑筋肉腫」という稀少ガンだったとのこと。ネットで調べてみると、子宮悪性腫瘍の中でわずか1%しかかからない非常に稀な病気。そして早期発見であっても 再発や転移を引き起こしやすく、5年後の生存率は15〜35%なのだとか。

つまり1年前に彼女が私にコンタクトをとってきたのは、自分の余命が長く無いことを悟ったが故の、最後のお別れだったのでしょう。それが当時わかっていれば、もっと色々と・・・何かできたのでしょうか?

結果論ではあるのですが「セカンドオピニオンで色々と調べてもらってはどうか」とアドバイスしたのも、全く余計なことだったのではないか。実際、再手術となってお腹をもう一度開いて以降、彼女の体力は急速に消耗し、死期を早めてしまったように映りました。

がん患者へのアドバイスは非常に神経を使うことを承知していたのに、全く余計なことを言ってしまったと後悔の念にかられました。もっとも、私の一言で彼女が決断したと考えること自体おこがましいのですけれど。彼女の最後の決断は、彼女の確固たる意思によって行われたもの。私ごときの一言が左右するはずがない。だけれど、ほんのわずかでも背中を押したかも知れないと思ってしまい、慚愧の念に堪えないのです。

 

これで私は同世代の友人を2人癌で亡くしました。二人とも抗がん剤の治療をしても、ほとんど延命に効果が無く、知らされてから半年程の時間しかありませんでした。我々の年齢だと進行も早く、医学は進歩したと言われますが、まだまだ病魔には勝てません。

私はまた一層「命って何なのか」と深く考えるようになりました。昔は漠然と輪廻転生を信じ、死んだら次の何かに生まれ変わると思っていました。ところが、じゃあもし本当に転生したりするのであれば、例えばコールドスリープとかして数年後に生き返る場合は、その間どうなんだとか、そもそも何をもって死んだということになって、次の体に移るんだとか思ったりすると、説明ができません。

輪廻転生も含めた宗教観は昔の人が簡単に死ぬ時代の宗教的な方便、結局死を恐れないようにする緩和ケアの一種でしかなく、うちの父が亡くなった時に嫁が言った一言「無でしかない」という言葉が全てのように思います。

一方で、地球上にも過去、現在、未来に無限の命があり、広い宇宙にも無限に生命体がいるんだから、それの何かになるんじゃないか、とか。AIが感情を持ち始めたら、本当にSFで言われるように、ロボットも同じように自我が芽生え、悩み始めるのか、とか(そしてそれは命とはどう違うのか?とか)。救いを求めるように色々と模索しています。

とにかく経験も無いし、また生き返った人もいないので、考えても全く答えは出てきません。だからこそ死ぬのは怖いのでしょうし、命の重みがあるのでしょう。今まで何億人の人々が考えて導き出せなかった問いに私ごときが答えを出せるはずもないのですが。

科学的に考えれば、DNAの中に組み込まれている情報の中に、今の自分のほんのわずかな一欠片が入り込んでいるのではないかと。娘と私がよく似ているのも、その一つの証拠です。だからこそ生物は子孫を残し続けたいのでしょう。とにかく残された我々は、今生きている時間を精一杯生きて、新しい命を繋いでいくことを大事にしようと考えています。

 

お問い合せ radi.res@gmail.com  北陸財務局長(金商)第23号 Copyright (C) radish-research. All Rights Reserved.