ダルマじょうしょうダルマ〜未来に繋げる株式投資〜

ご挨拶| 筆者紹介| Blog| 各種サービスのお申込| 過去のパフォーマンス| 銘柄レポート| FAQ| 掲載すべき事項|

施設の父その後

 

転んで頭をぶつけ、脳の手術を受けてかれこれ9年以上施設に入所しているうちの父親ですが、これまでは何とかリハビリなどで歩行器を使いながらも自力で歩いていましたけれど、遂にそれも難しくなってきました。

先月から「足首の辺りが痛い」ということで、リハビリ訓練を自重。確かに今までもハッキリとした足取りで歩けていたわけでもなく、色々な部位に負担がかかっていたのだと思いますが、1ヶ月以上経過した今も痛みが残る様子。医者にも見せたのですが、結局は安静にしている他ないということです。

一応車いすなどには移乗して食堂には行けるのですが、そうなってくるとベッドの上で何もせずにテレビをぼーっと見ている毎日になります。

すると2週間ほど前から遂に父の様子が悪くなってきました。元々ご飯を食べるのに1時間以上かかって一番最後まで食べている人だったのですが、更に一層遅くなる。コップなどを持っても手に力が入らずすぐ落としてしまう。トイレでも自分の足で立とうとせずに介助が2人必要になる。遂に車いすも普通の車いすでは無くなり、より介護度が重い人用のものに変わってしまいました。飲み込む力も弱くなって、お茶なども容易に飲めない状態。

父本人の気持ちとしては「リハビリを積み重ねて歩けるようになって、いずれ家に戻りたい」という気持ちがあったようです。が、私はもう無理だろうとは内心思っていました。82歳で年々身体が弱っていく中で、今より状態が劇的に良くなることは難しく、現状維持がせいぜいだと。

その気持ちが遂に切れてしまったということでしょうか。ハッキリと診断してもらったわけではないですが、私が見る限り父は鬱病になってしまったようです。過去にもそういう話はありましたが、それは軽度で一過性のものに過ぎませんでした。が、今回ばかりは私の目にもその症状が明確に出ていますし、ちょっと深刻度合いが強い感じです。

元々しゃべる人では無いですが、それでも話しかけたら今までは「うん」という応答くらいはしましたが、全体的にぼんやりと反応が薄いです。目線も虚ろでどこを見ているのかわからない感じ。ヒゲも電気ひげそりで自分で毎日剃っていましたが、今では剃る気力も無くなり、母が剃るまで伸ばし放題。車いすも放っておくと自分で動かす気も無く、誰かに押してもらうまではいつまでもそこに居ます。

今までは歩いていたことで、脳にも何らか良い刺激が加わって精神的な安定も保たれていたのかも知れません。フィジカル面の弱さが遂に精神面を蝕んできたような感じです。昨日も気分転換にと父を今年初めて外に連れ出して福祉車両でドライブしてきましたが、ほとんど笑顔も無く空虚な感じ。本当に何もしたくないような感じで、むしろ連れ出さない方が良かったのかなとも思いました。

 

ただ私の正直な気持ち、よく今まで父は頑張ってきたなとも思います。頭の方は比較的しっかりしていて、認知症の気は無く、昔のことや前に話したことなどもしっかり覚えています。むしろ母の方が危ないんじゃないかと思うほど

逆に言うと、なまじ頭がしっかりしている分、9年間も施設の中で閉ざされ、毎日無為無策に寝起きし、たまに外出したり年に一、二回家で一泊して帰ってくるくらいしか楽しみが無い中で、よく今まで耐えてこられたなとも思います。私だったら「一体何のために生きているのか。もう死にたい」と思うでしょう。

昔「火の鳥」の「未来編」において主人公のマサトが永遠の命を与えられ、人類が滅亡した後何十億年と一人で生きなければならなくなったという壮絶な「苦しみ」が描かれていましたが、まあそこまでスケールは大きく無いものの、毎日適切に栄養や薬まで管理され、身体が不自由だから逆に飛び降りたりもできない。「死にたくても死ねない」という辛さは肉親として察して余るものがあります。ただ幸い父の口から一度も「死にたい」という言葉を聞いたことはありません。

無論、父には出来る限り長生きはしてもらいたいですし、こういう状態でも父が生きているという事実は母の支えにもなっています。が、家族のために本人が長生きを「強いられる」とすれば、それは本意では無いなとも。

まああまり書くとまた「鬱ブログ」になってしまうので現在のところはこの辺にしておきますが、CYBERDYNEとかiPS細胞の研究に頑張ってもらって、テクノロジーや医療の進歩でこういう部分をフォローできないのかなとも思います。一方、命が延びるのは勿論素晴らしいことだと思いますが、本来死ぬべきタイミングを逸すると、様々な部分で歪みが生まれるのも事実でしょう。そういった高齢社会だから起きた事件や話を聞くたび、ついそう考えてしまいます。

究極的には「心」に行き着くんだろうなとも思います。どんな状況でも置かれた状況に対して幸せと感じられるのかどうか。そこに集約されるのでしょうね。そこに化学や技術の進歩がどこまで食い込めるのか。難しい問題だと思います。

 

お問い合せ radi.res@gmail.com  北陸財務局長(金商)第23号 Copyright (C) radish-research. All Rights Reserved.