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近所のおじいさんの話

 

私の住んでいる町内は、今の時勢を映すようにやはり高齢化が進んでいます。ここ富山県は比較的3世代で住む家も多く残っていることで有名なのですが、とは言うものの時代の流れから核家族化は進みつつありますなので独居老人が増えてきているのが現状です。近くに大きな公園があり、警察がこまめに巡回してくれているので治安は良いのですが

私の班は特に高齢者が多く、ゴミ当番などは結局我々ともう一軒しかできないような状態で、隔年で班長の仕事が回ってきますあまりにも負担が大きいため昨年から遂に他班と共同でゴミ当番をやるようになりました。それでもその班も空き家や高齢者が多く、結局合わせても稼働できる人員が5人しかいないという有様

その同じ班に一人のおじいさんがいまして、7年前に我々が越してきた時から既に足腰が悪く、乳母車的なものを押さないと歩けないような状態でした。特に坂や階段が多い場所柄ですから、なかなか難儀したと思います。

元々この辺でメガネ、時計修理の職人さんをされていたのですが、馴染みのお客さんも高齢化からさすがに減ってきて、ご自身も衰えを隠しきれず、数年前に遂に店をたたまれました。

奥さんは随分前に死別され、当時は娘さんと二人暮らし。しかし、その娘さんは知的障害を持たれています。それ以外のご家族はおられない様子で、親類の方もお見かけした事はありません。

まだおじいさんが店をやっていた頃は、娘さんは普段は家から出ずに、おじいさんが店から戻ってくるまで留守番をするのが常でした。それでもおじいさんと二人で買い物に出かけたりする際は、とても楽しそうに並んで歩いている姿をよく見かけました。

娘さんはいつも大好きなお父さん(おじいさん)が帰ってくるのをとても楽しみにしていたそうです。そして玄関が開いておじいさんが「ただいま」と言うと「おかえりー」と二階から勢いよく降りてきた・・・までは良かったのですが、階段を踏み外して転んでしまい大けが。そのまま救急車で運ばれる事態となりました

それから、その娘さんは遠い山奥の施設に入ることになったそうです。事情はよくわかりませんが、娘さんのケガが大きいというよりは、もうおじいさんも身体が思うように動かないので、このまま娘さんと一緒に生活することができないと周りに助言されたのではないでしょうか。以後、おじいさんは一人暮らしになってしまいました。

大好きなお父さんに近づこうとしたあまり、お父さんと離ればなれになってしまった娘さん。その話を聞いた時、そして今もそれを思い出すと胸が締め付けられるような非常に切ない気持ちになります。

おじいさんは車を運転できないですし、タクシーだとものすごくお金がかかるので、本当に半年に一度くらいの間隔でしか会えなくなってしまったのだとか。何かできることはないかと思い「私に言ってもらえれば乗せていってあげますよ」とは言いましたが「ありがとうございます」と言われたきり、結局一度もお願いされませんでした。

これは私の推測でしかありませんが、私に遠慮する気持ちもあったのでしょうけれど、おじいさんにやや引け目があったのだと思います。以前、市の要請などで高齢者の家族構成をはっきりした名簿を作るように言われた際にも、娘さんの施設に関しては「皆さんにご迷惑をおかけしますから」と教えてくれませんでした。


ここ富山はご存じのように冬は雪が積もり、普通のところは融雪装置があって道が開けるのですが、この辺りだけ公園の関係上ありませんなのでおじいさんも身体が動く間はご自身で雪かきされていたのですが、近年は私がおじいさんの家の前の雪かきはしてあげていましたおじいさんはいつも「すいません」が口癖で、私にペコペコ何度も頭を下げられていました。

5年程前の話になりますか、おじいさんがまだご自身で雪かき出来た頃、私も雪かきしていて休憩がてらに立ち話をしていると「昨日家で転んでしまって腰が痛い」というようなことを言っておられたので「じゃあ後は私がやりますから」と言って残りを引き受けました。

ところが、それから数日間、全くおじいさんが家から出てくる気配がありませんでした家にはカギがかかっています。「ひょっとして中で倒れたままになっているんじゃないか?」段々心配になってきたので、町内会長などと相談して警察に連絡しました。

程なく警察がやってきて、どこか開いているところは無いかとか色々探し、最終的に何とかカギを開けて入ってみると、中には誰も居ませんでした。私はひとまずホッとしたのですが、じゃあ今度はどこに行ったのかということを突き止めないと一件落着になりませんその後色々と捜索していただいた結果、結局市内の病院に入院しているということが判明しました腰を痛めた件で、知り合いに病院に連れて行ってもらい、そのまま入院になったのだとか

そんな一騒動があったこともあり、私は町内の民生委員の方からお願いされ「高齢福祉推進委員」なるものに数年前任命されました。簡単に言えばおじいさんに付いて様子を伺う「バディ」と言いますか、そういう役目です。私は一応在宅の仕事ですし、引き受けることになりました。

それからおじいさんは次第に身体が弱ってきて、とりあえず冬は介護施設に入所、それ以外の時期はデイサービスを利用するというような感じになりました。ともあれ毎朝施設の誰かがおじいさんの家に行くので、私はホッとしていましたなので、私の仕事は週に一度おじいさんの家のゴミを捨てる程度で、それ以外は施設の人に任せていました。

 

今年の夏になる前に、おじいさんはまた家の中で転倒。腰を打ってしまったということで、冬ではないけれども介護施設に入所することになりました。

そのうち介護施設から高齢福祉推進委員の私に電話がかかってきて「○○さん(おじいさん)が施設で脳梗塞を起こされまして、今病院の方に入院されることになりました」と聞かされました。あー、脳梗塞は大変だけど、まだ家で一人でいる時じゃなくて良かった。腰を打ったのがある意味幸いしたな、などと私は考えていました。

と言うわけで一度お見舞いに行こうと思い、嫁と二人でその病院に出かけました。受付で病室を尋ね、教えられた病室に向かうと4人部屋の中でおじいさんがいびきをかいて寝ていました。特に頭の手術をしたような形跡もなく、脳梗塞でも軽い方だったのかなと思いました。まあ起こすのも悪いので、私は嫁と二人で待合室で時間を潰していましたが、結局起きる気配が無かったので、その日は黙って帰ってきました。

それから月曜に病院の近くまで行く用事があるので、毎週ついでの感じでお見舞いに行ったのですが、いつもおじいさんは寝ています。まあ食事か何かのタイミングで行けば起きているのかなと思い、また時間をずらして来てみようとか色々やってみました。

そして4回目のお見舞い。病室に入るとおじいさんの目が開いていました。そこで私が「こんにちわ」と呼びかけてみました。

ところが、おじいさんの目線はおぼろげに一点を見つめたまま「うー」とうなり声のようなものをあげ、私を認識している感じがありません。身体も一回目にお見舞いにきた時よりもやせ細ってきた感じがあります。その時たまたま看護師さんが入ってきたので「あの−、近所の者なのですが・・・」と容態を尋ねたところ、やはり意識がなく、ご飯も食べられない状態。いつ退院できるかどうかは見込みがつかないということでした。

勿論看護師さんがそんなことを言えるわけもないのですが、要するに半植物状態で、後はこのまま寿命が来るのを待つしかない状態だ、というようなことだと推察しました。うかつな私はこれまでそこまで重い話とは何故か考えていなかったので、帰り道に結構ショックを受けてトボトボ帰ってきました。


私の中で生じた心配ごとは娘さんのこと。あんなにお父さんのことが大好きだったのに、このことを知ったらどう思うのだろう?と。正直、知的障害を患っているのであれば、このままずっと永遠に黙っておいた方が良いんじゃないかと思いました。

が、嫁に話すと「それはやっぱり伝えた方が良い」と。確かにそれは私が判断することではなくて、娘さんやその後見人が判断することなんだろうなぁと。ただ一つ問題があって、娘さんは一体どこの施設に入っているのかがわからないということ。おじいさんが教えてくれなかったので、一体どこの施設におられるのかがわかりません。でも、そこはちょっと八方手を尽くして何とか調べてみようと思いました。

・・・結論を言うと、結局既におじいさんが入っていた施設の方が娘さんには知らせたそうです。入院には家族の了承が必要なので。まったく取り越し苦労でした

ただ実際に娘さんがお父さんと再会したのかどうかはわかりません。娘さんの方の施設の判断で、後見人にだけは伝えて本人は知らないのかも知れません。が、ともあれ、後の判断は娘さんの状態をよく知っている人に任せることにして、私は肩の荷が下りた感じがしました。

これ以上おじいさんのお見舞いに行くつもりはありません。もう意識が無いですし、正直段々痩せていって死を待つおじいさんにこれ以上感情移入してしまうと、私の方が陰鬱として参ってしまうので。ただ自分で何となく冷たいなぁと思う後ろめたさがあるので、今回は懺悔にも似たような形でブログに色々書いてみました。私がもう少し強い人間ならば良かったですけどね。自分の両親も老親ですから、正直手一杯です。

そんなわけで恐らくおじいさんの家にはもう誰も帰ってくることはないのでしょう。障子は古くなってあちこち破れが目立ち、雑草が覆いしげる感じになってきています。私が冬に雪かきをすることも無さそうです。

以前おじいさんが元気な時に聞いた話では「元々金沢の兼六園に似たこの公園が見える景色が好き、と奥さんが言ったので、この場所に小さな地面を買った。でも奥さんも亡くなり、足腰が弱ってくると住み辛くて大変だ」と。そんなおじいさんのご家族の色々な思い出や苦労が詰まった家の前を通る度に、ちょっとまた切ない感じになります。

 

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