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嫁との広島

 

ようやく前回の沖縄話が終わったところですが、その後3月に広島、宮島、江田島と行ってきたものですから、その話をまたとめどなく綴っていこうと思います随分時間が経過したので、うろ覚えな部分も多いのですが

広島で私がずっと昔から追っているソフトクリエイトHDのIRセミナーがあると聞いたので、以前から嫁も宮島に行きたいと言っていましたし、私は仕事で、嫁は観光ということで、勝手に第三の故郷と思っている広島に約13年ぶりに行くことになりました

富山から特急サンダーバードで新大阪へ。新大阪から山陽新幹線で広島へと目指しますお昼は新大阪で駅弁を買おうということに。新大阪と言えば以前「人志松本の○○な話」で紹介されていた和風焼肉弁当「じゅうじゅう亭」これを一度食べてみたいと思って乗り換えの10分をフルに使って探し回ったのですが・・・どこで売っているのかわからず

結局諦めて帰りの乗り換えの時に探すとして、普通の焼肉弁当を買いましたにしても駅弁って高いですよねー量も少ないですしまあ特急や新幹線で食べる駅弁も醍醐味ではあるのですが。そう言えば子供の時にあったプラスチック容器のお茶って今は全く売ってないですね。無茶苦茶熱く、プラスチックが溶けていそうで身体に悪そうなところが思い出(?)です

それはそれとして約5時間半かけて広島に無事到着懐かしの広島駅は13年前とあまり変わっていませんでした。変わっていたのは新広島市民球場のマツダZoom-Zoomスタジアムとコストコが出来たこと(ちなみに丁度その日が開店前日だった様子)。特に新幹線の車窓から見る球場の緑が素晴らしく鮮烈に映えて、ちょっとテンションが上がりました

旧広島市民球場は今は無くなってしまったのですが、私の旧市民球場との思い出と言えば、中日を応援しに行って佐々岡にノーヒットノーランをされたことと、外野手なりたての福留のサヨナラエラー中日サイド的にはロクな思い出がありませんが、思い出すたび頭に流れるのは「カープ、カープ、カープ広島〜広島カープ」という「それ行けカープ」の応援歌

広島駅から出ると嫁は観光の定番原爆ドームへと行きました。私はIRセミナーへと向かいます。その辺りのくだりは省略。

夕方になり市電の駅で待ち合わせした我々は、宿泊する宮島へと向かいますそのまま「広電」で1時間程。広電は広島を網羅している日本で最も発達している市電で、わずか150円でほぼどこでも行けますかつて原爆が投下されて壊滅した三日後に早くも運行を再開した世界一すごい伝統のある電車。

しかし相変わらずスリリングですよねまず駅が国道のど真ん中ですから、当然トラックもビュンビュン走っていますちょっとでも駅から道路側に身を乗り出そうものなら大惨事

実際に電車もこの幅で走るかねぇ、というレベルの車幅のところでも走っていきますし路駐なんてあったら一発アウトですよ地元の車も慣れたもので、スレスレのところを併走したり

富山にも市電が走っていますがここまでではありません。もし接触事故でもあったら全線に影響してくるわけですから大事です場所によっては山手線よりも短い間隔で走っているわけですから。

そんな心配をよそに西広島で乗り換えて、宮島駅に到着。で、そこからはまた数分間隔で出てるフェリーで宮島までいやー、さすが観光の広島は交通網が発達していますね。スムーズに陽が沈む前に宮島に到着しました

 

宮島は古来「神の島」とされ、かつては人が上陸することも許されない土地だったとのこと。その外観が「寝観音」、つまり山や谷の形が「観音様が寝ている」ように見えることから、そのような信仰が生まれた様子。

↓寝観音が確認できるHP
http://tabetainjya.com/archives/hatsukaichi2/post_108/

その後、かの有名な天下人平清盛が厳島神社を深く信仰。現在の海上に建つ立派な社殿が整えられました。ちなみに何故社殿や鳥居が海にあるかご存じですか?上述のように「神の島」とされていることで、その陸地に人の手を加えることが畏れ多い、ということで海に造られたそうです。へぇー、と思った方は、お手元の「へぇ」ボタンを連打してください

そんな平清盛の願いは大河ドラマの視聴率までには及ばなかったようですが、お陰様で厳島神社は今では世界遺産。外国人観光客も多数訪れる神秘的な日本のパワースポットとなっています

そんなこんなで宮島に到着した我々を、鹿と旅館のバスがお出迎え。実は私は宮島はこれで3度目です。そのうちの一回は短艇という船を皆で漕いで、宮島の裏の方で皆でテントを貼ってキャンプをしました。その辺りのお話はまた後述

今回はちゃんと「岩惣」という老舗旅館に二泊。宮島で泊まるなら是非ここで泊まりたい、という嫁の強い希望がありました。その日はちょっと空模様が宜しくなく、小雨がパラつく感じフェリー乗り場から旅館までは歩いても行ける程度の距離なのですが、やはり迎えにきてもらって正解でした

夕方以降は車の移動が制限されるということで、山側をぐるりと遠回りして旅館へ山道でも至る所で鹿を確認できました。恐らく島に住んでる人間の数よりも、鹿の方が多いのではないでしょうか?ちなみにかつて宮島の鹿といえば凶暴で有名で、観光客の紙幣とかを食べてしまう悪逆非道ぶりを発揮していましたどうやら今は大人しくなったような感じでしたが

我々が旅館に辿りついた頃には既に陽も暮れかかっており、長旅の我々もここに来てようやく腰を落ち着けることができました

 

我々が泊まった「岩惣」は、宮島で150年以上営業されている老舗旅館。歴代の首相や文豪、詩人、俳人といった著名な方々が泊まった由緒正しいお宿だそうです。そこに今、私の名前も追加されようとしています←自己満足また、ここの女将が最初にあのもみじ饅頭を作ったのだとのこと(B&Bではありません)。
http://www.iwaso.com/

丁度宿の入り口で我々と同じく今日から宿泊するのであろう若い女性が二人、岩惣の外観を見ながら「へー、なかなか良いところじゃん」などと言っていました。私は内心「アホかむちゃくちゃ良いところやろ」と毒づいていました。

我々が泊まったのは新館の方で、ここの中では比較的お手頃プライス。しかし上手く角部屋で、眼下に小川がせせらぎ、時折鹿が小道を往来していくのが見える絶景でしたルームキーには宮島名物しゃもじがくっついている懲りよう。

早速浴衣に着替えると、まずはやっぱり夕飯前にひとっ風呂浴びにいきます風呂は普通の大きな風呂と露天風呂の一つずつで、正直ちょっと味気ない感じまあ風呂がウリではないですから仕方ないですけれどね

観光名所なのでお客さんは外国人の方が多く、その時も外国人の方と二人きり。外国人の方は物珍しそうにキョロキョロしながら入っておられました今日の報道によれば訪日外国人は7月に100万人を突破ということで、着実に外国からの観光旅行客は増えていますね

で、風呂から上がると夕飯日本らしい一品一品凝った料理が次々と部屋に運び込まれてきますこれは外国人の方にも喜ばれるでしょうね

そしてやっぱりメインは広島名物の牡蠣。実は私、あまり牡蠣が好きでは無いんですカキフライがせいぜいなのですが、目の前にはドンと身の大きな焼き牡蠣が二つ仕方ないので同じく広島名物であるレモンを搾り、南無三とばかり食べましたが、ここの牡蠣は美味しくいただけましたやっぱり本場は美味いですね

食事をした後は嫁と夜の宮島散歩。浴衣姿のまま草履を履いて厳島神社の方まで歩いていきます。夜に浮かび上がる鳥居はとても幻想的。あぁ、日本に生まれて良かったなーという瞬間でした

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翌日外に歩く鹿を眺めながら朝食をとった我々は、離れの喫茶店で目覚めのコーヒーをいただくと、宮島散策に出発です

その日はまず朝から宮島で一番高い弥山に登る計画でした弥山は標高535mの小高い山で、宮島信仰の象徴とも言える場所。かつて私は競技会で荷物を背負いつつ20分程度で駆け上がったことがあります今から15年近く前の若かりし頃の武勇伝ですが

なので今回も駆け上がる・・・なんて無茶はしません昨年住民運動会で思い切りすっ転んでしまったトラウマがあるので、己の限界を知っています大人になるということはそういうことですというわけで、今回は大人しくロープウェイで山頂を目指します

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ここのロープウェイには初めて乗りましたが、高所恐怖症の私にとっては怖いまあ私は歩道橋ですら恐怖を覚える人なので、普通の方は全然大丈夫ですちなみに、でも高い所は結構好き、という人でもあるのですが。バカと○○は・・・

20分くらいおののきながら乗るとやがて中継地点に到着し、そこで15人乗りくらいのロープウェイに乗り換えて山頂を目指します。やはり外国人の方が多かったですね。そしてようやく山頂へ当日はすっかり晴天で眺望は最高宮島の周囲の島々を一望できます

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ちなみに後日ラジオを聞いて知ったのですが、当日はラジオNIKKEIの鎌田記者もたまたまスーツ姿で登っていたとのことでした。残念ながら遭遇することはありませんでしたが

 

弥山山頂からの景色を眺めて清々しさを感じた我々は、そのまままたロープウェイで帰ろう・・・と思っていたのですが、何となく他の人に連れて歩いて行くにつれ、成り行きでそのまま歩いて降りようか、ということになりました所々に点在する鹿を見ながら、色々神社や岩場などに寄り道しつつ下ります

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それにしても下りながら感じたのですが、登ってくる人は若い女性が多い多い今「山ガール」とか言ってちょっとした女性の登山ブームではありますけれど、8割くらいは若い女性の集団でした。皆体力ありますねーそして男子はどこで何してるのやら私は10数年前に駆け上がった体力も今はすっかり無く、途中で休み休みこの下りのみで無茶苦茶疲れました

あと、山道ですれ違う時は人は自然とお互いに「こんにちわ」なんて挨拶を交わしますが、普通に町ですれ違っても、見知らぬ人に挨拶なんてしないですよね。何ででしょう?これが山の魔力でしょうか

何てことを思いながら滝の脇を通り過ぎ、ようやく麓に付いた我々ですが、丁度降りきったところでお昼の時間になったので、どこかで昼食を食べようということになりましたで、昨日の夕飯に出なかった宮島名物と言えば穴子だということで、穴子を食べられる店を探します

ただ既に疲れ果てていたので、どの店が良いかなんて選ぶ気力は残っていません最初に見付けた穴子丼のお店にそのまま吸い込まれるように入っていきます穴子丼が1800円という結構なお値段はちょっと躊躇しましたが、ここまで来て穴子を食べずに帰るわけにはいきませんしかし1800円ってウナギとほとんど変わらないような・・・

そんなケチ臭いことを思いながら食べたせいか、もしくは疲れ果てていたせいか、残念ながら穴子丼はあんまり美味しくありませんでした私は元々大の穴子好きなんですよ。サザエさんの中でも一番好きなキャラはアナゴさんですから(嘘)

それなのにガッカリだったのは好きだからこその反動の表れかとにかく今回の旅で一番後悔したのが、この穴子丼のチョイスでありました

 

食べ物のショックは引きずるものですが、どうにか気を取り直した我々は、引き続き午後の宮島観光に繰り出します。次は大聖院を見学。ちなみにどうやらその大聖院で薬膳カレーを食べられたらしく、まあ結果論ではありますが、こっちの薬膳カレーにしておけば良かったと激しく後悔した我々でした

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正直詳しくはわかりませんでしたが、やたら地蔵や仏像が多いお寺でした。帰ってきて調べてみると、厳島神社の別当寺ということで、色々な祭事を司っている宮島の中心的お寺であるとのこと。

で、ここを見学したあとは、いよいよ昼の厳島神社へと向かいます。ご存じ、宮島と言えば厳島神社、厳島神社と言えば宮島、というようなところです。昼は干潮の時刻になると大鳥居の下を歩けるということで、昼過ぎの干潮時刻に合わせて我々は向かいました

丁度その日は「清盛まつり」というイベントをやっていて、平清盛の役をした方が実際に輿に乗り、厳島神社の周りを練り歩いていました。そのため、観光客もぎゅぎゅうの満員の大盛況っぷり。こんなに昼と夜の人口の増減が激しい島も珍しいのではないでしょうか昔は立ち入ることさえ許されなかった神の島は、様々な人種の観光客を迎えて大にぎわい。

↓すみません。全然遠くからで見えないですが、真ん中の方にいて赤い傘の下に居る人が清盛公です
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そんな人の群れをかき分けて、我々は厳島神社の中へと入っていきました。


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今まで3度厳島神社に来たことがありましたが、実際に中に入ってみるのは初めて。映える朱塗りの建築物は、日本様式の美をいかんなく感じさせる造りになっています観光に来ている外人さんもテンションが上がって大喜びさすがは世界遺産パワー

中は当然床も含めて全部木でできており、渡り廊下には隙間があって1m程下の砂浜が見えます。敢えて隙間を作ることで満潮時に海水が入り込んでも、また排水できるようになっているのだとか。なるほどーしかし当日は祭りの影響もあって大量の観光客が押すな押すなの大混雑こんなに人が乗って、床が抜けたりしないものかしら

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奥に進むと本殿があり、皆お賽銭を入れて思い思いに祈願しています。そんな本殿を背にすると、遠くに大鳥居を眺めることができます。干潮なので、大鳥居の下を豆粒くらいの大勢の人が歩いていました。

更に奥に進むと能舞台もあります。夜の満潮時にここで薪でもしながら能を鑑賞するとまた格別なんでしょうねぇ天下人清盛の贅沢さが伺い知れます

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ひとしきり神社内を堪能した我々は大鳥居の下に行ってみます。干潮丁度の時刻でしたが、ギリギリ大鳥居の下から水が引いている程度で、鳥居の向こう側に回り込むと靴がびしょ濡れになってしまいますしかしどうしても向こうから本殿も含めたアングルの写真が撮りたかった私は「ええぃ、ままよ」とばかりにバシャバシャ強引に入り込んで、一枚パチリ

↓その結果がコレ。ほとんど本殿写ってないんでやんの(-。−;)
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大鳥居の柱はよく見るとトックリ状になっていて、まっすぐではないんですね。本当に自然の木をそのまま使った感じ。そして普段海水に浸かっている根元にはフジツボがぎっしりで「うぎゃーっ」て感じです何故か皆そこにお賽銭を挟むので、5円玉とかがフジツボの間にたくさん挟まっていました(写真を撮ってきたものの、ややグロなのでアップしません。あしからず)

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ぐしょぐしょになった靴と共に、我々は陸地へと戻ります陸の方では地元の有志が格好良く踊っていたりして非常に賑やかその喧噪に後ろ髪を引かれながらも、我々は厳島神社を後にしました。(つづく)

↓その後潮が満ちてきた厳島神社
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その後は宝物館を見学したり土産物屋を覗いたり宮島名物の8m近い巨大な「しゃもじ」や、五重塔も見たりして、岩惣に戻りました。

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結局その日の夕食にはしっかりと穴子が出てきましたそしてこっちの穴子は美味しいマーベラス・・・なら昼に穴子丼食べなけりゃ良かった、とより一層深まる後悔の念

ちなみにエビの刺身も出たのですが、あまりにも新鮮過ぎるので、なんと殻を剥かれているにも関わらずぴょこぴょこ動いていますアンビリーバボー恐るべきエビの執念私と嫁はきゃーきゃー言いながらそれでもパクリ私活き作りって初めて食べましたが、何かグロテスクで・・・美味しいような美味しくないような人間は業の深い生き物です合掌

そんなこんなで無事ご飯を食べた後は、夜の屋形船で厳島神社の大鳥居の下をくぐることにぶっちゃけ既に散々大鳥居を堪能したのでもうよかったのですが・・・来た時に予約を入れてしまったので

でも屋形船ではガイドもあって、それはそれで良かったです色々と宮島のこと、厳島神社のことについて教えてもらいました。今まで書いてきた知識も大体ここで仕入れましたあと、ガイドの人から教えて貰ったのは「関西人はデパートのことを百貨店と言う」ということでした

こうして二日目の宮島での夜も無事更けていったのでした

 

3日目。岩惣をチェックアウトした我々は、宮島からおさらば鹿に見送られながら朝にフェリーに乗って広島本土へと戻ります

で、3日目の目的地は江田島。旧海軍兵学校跡は現在海上自衛隊幹部候補生学校になっているのですが、実は私の母校でもあります。もうここを出てから早いもので10年以上経過していますが。と言うわけで、今回広島に行ったついでに14年ぶりに訪ねてみたいと思っていました。それで嫁の友達で自衛隊好き女子がいるので、ここからは彼女も誘って3人の旅。私がガイド役です。

広島駅で彼女と待ち合わせると、広電で宇品港へと向かいます。そしてまずビックリしたのが、宇品港が滅茶苦茶キレイになっていたことおー、何か国際線のターミナルみたいになってるやないかー私が最初にやってきた14年前は地方の小さな駅みたいなターミナルでしたが、前の道路もキレイに広く整備されています

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そこからフェリーに30分くらい乗って切串港に到着江田島は牡蠣の養殖が盛んなので、港には牡蠣の処理場がずらっと並んでいます。フェリーからもたくさんの「牡蠣筏(カキを養殖するもの)」が見えました。

実は丁度訪れる数日前にその一画で悲惨な殺人事件が起きまして、全国ニュースになっていました。色々複雑な事情があったと思いますが、心の中で手を合わせてながら、我々は車で幹部候補生学校へと向かいました。

まあ折角なので当時の思い出を語りますと、14年前に私が初めて江田島に着いたのは幹部候補生学校着校予定日の前日の最終便で。ものすごく気が重かったので、子供じみた感じで一秒でも遅く行こう、と

で、23時頃に江田島に着きまして、港からはタクシーか何か拾えばいいだろう、と思っていたのですが、島をなめていました。23時頃にタクシーなんて港には一台も待っていません

途方に暮れかけた私でしたが、突然車が一台私の前に停まって「あんちゃん、明日着校予定の人やろ?後ろに乗ってけ」と言われ、見知らぬ地元の方にいきなり送ってもらえることに

まあ今考えると本当は色々警戒すべきなのかも知れませんけれど、当時は素直に「ありがとうございます」と渡りに船に感謝しました。やはり田舎の人は優しいものです

そんな江田島も当時は江田島町でしたが、今では合併して江田島市に昇格しています。しかしだからといって急激に発展したわけでもなく、港以外は今でもほとんど当時のまま。細かいところは当然色々と変化があって「懐かしいなー」とか「あそこが変わったな」とか感じましたが、14年前の若かりし頃の記憶が蘇ってくるのでした。

 

そんなこんなで幹部候補生学校(以下幹校)に到着ここは一般の方も見学できるので、すっかり下野した私も見学することができます正門で警備の隊員に受け付けを済ませると、ガイドさん役の隊員が案内してくれますかく言う私も休日の当直の際には案内していました。今回はされる側

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キレイな赤レンガの校舎は、かつて山本五十六など近代史に登場する軍人さんが実際に修練していた時と同じものが現存していますそういった歴史上の人物が歩いていたところを歩き、掴んだであろうドアノブを押し開いて、同じ机を使ったと思うと色々と感慨深いものがありました(ただしさすがに机は変わったでしょうけれど)。

ちなみに校舎がキレイに残っているのは、候補生達の日々の厳しい掃除の賜物であります常に物品を大切に扱い偉容を正すというのが自衛官の仕事の一つでもありますから、落ち葉一つ、塵一つ残さないようにかなり毎日大変な思いをして掃除をしておりますそういった影の苦労にも思いを馳せつつご見学ください

そんな校舎の遠くには古鷹山を望みます古鷹山は幹校と色々関わりが深く、まず着校した時に最初に行うイベントは古鷹山山頂まで登って、山頂から隊歌を大声で歌うというものそれが麓の幹校まで届いたら旗が揚がり「下山してよし」ということになります周りの民家にしてみればはた迷惑かも知れませんが、これも一応伝統ということで

その後も弥山登山の練習に使われたり、基礎体力養成の場として縁の多い場所でした
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/etajima/spot/1507.html

で、話を幹校に戻しまして、見学のコースはこの赤レンガ校舎と(注:赤レンガの中には入れません)教育参考館。結局この教育参考館が見学のメインになってくるわけですが、ここには東郷元帥の遺髪や神風特攻隊に参加した兵士の遺書などが保管されており、太平洋戦争などの資料館となっています。

教育参考館は老朽化の改修工事が行われ、すっかり新しくなっていましたギリシャ神殿風の建物で非常に特徴的。中はシンとしていて、歴史が重くのし掛かってくるような重圧をいつも感じさせてくれます。

展示物の一つ一つが紛れもない歴史の証人であり、教科書などではわからないリアルさが伝わってきます。特に神風特攻隊で帰れないことを覚悟した軍人の家族に宛てた手紙は各都道府県毎に展示されており、見る者の涙を誘います是非皆様も一度訪れてみてください。彼らの犠牲の上に成り立っている今の生活の有り難みがよくわかると思います。

 

そうして幹校の見学を一通り終えた我々は、帰りに自衛隊グッズなどの限定お土産品を物色して帰路に帰り際に私が下宿していたアパートを一目でも見ていきたかったですが、時間が無く断念残念

帰りは小用港からフェリーで呉港に。フェリーからは呉港に停泊中の護衛艦が数隻見えました

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呉には海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」があり、無料で入れるのですが、残念ながら寄っている暇は無くこちらも断念せめてもと入り口の方までは行って、外に展示してある潜水艦をパチリ

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ところでその入り口へと向かう途中の出来事。道路を挟んで向かい側には大和ミュージアムがあり、丁度「ヱヴァンゲリヲンと日本刀展」なるイベントが開催されていて、そちらの方が賑やかでした。で、その資料館を見学し終えたであろうお祖父さんと小学生くらいの男の子が、横断歩道ではないところを横切って渡ろうとしていました

確かにそこは横断歩道までちょっと距離があったので、渡る時には遠回りしないといけない感じでした。しかし車は結構なスピードでビュンビュン飛ばしています片側一車線ずつの道路で、ちょっとカーブがかっており、若干見通しが悪い道。中央分離帯などはありません。

お祖父さんは男の子の手を握りながら何度か渡ろうとしては、車が結構なスピードで来るので躊躇していました私は「何か危ないなぁ」と見ていたのですが、意を決したお祖父さんがついに渡ろうとしましたしかしその時、結構微妙なタイミングで、車が猛スピードで突っ込んできました

それを見た私が思わず「危ない」と叫ぶと、お祖父さんは引き返して歩道に戻ってきました車も急ブレーキ正直、逆に戻ってきた方が危ない感じで、お祖父さんは苦笑いをして私を見つめました

その時、手を握られていた男の子が私に向かって「なんで行けたじゃんか」と怒りの矛先を私に向けてきたのです。えぇ俺が悪いの

 

田舎の方に行けば行くほどその傾向がありますが、大抵お年寄りは横断歩道の無いところを平気で横切ろうとします地元富山でもその傾向が強く、私自身車を運転していてヒヤヒヤすることが多いです確かにお年寄りの気持ちはわかります。身体がしんどくて、横断歩道まで歩いていくのが我々以上に億劫に感じるのでしょう

しかしまずお祖父さんが自分の孫に負う責任をどれだけ理解しているのか、ということが解せませんね孫に何かあったら、一体どうやって(孫の親の)子供に謝罪するのか。孫が可愛くないのでしょうか?それを考えると、まず孫を危険な目に遭わせても楽をしようと考えた思考回路が解せません

そしてその孫も、普段から平気で道路を横断しているかも知れませんし、結構足に自信があるのかも知れませんしかしお祖父さんと一緒に居て、最高のパフォーマンスで渡れるわけはないのですから、それを考えないといかんでしょうまあ子供にそこまで求めるのは酷かも知れませんが。

ひょっとしたら子供の方が「じいちゃん、ここ渡ってしまおうよ」と提案して、孫に逆らえないお祖父さんがそれに従ったのかも知れません。何か人の良さそうなお祖父さんと気の強そうなガキんちょだったので。

しかし例えそうだとしても、ここはじいちゃんの威厳を示してバシッと横断歩道を利用しようと孫に言うべきでしょう。もしくは「じいちゃん早く渡る自信が無いから横断歩道で行こう」と。可愛い孫に煙たがられても、それが孫のためであり教育です。

海外に行くとよくわかりますが、日本は特に歩行者に優しい設計になっていますし、車対人の事故の99%は車が悪いことになりますもし万一のことがあったら、ドライバーに過失が無くともドライバーは罪を背負って生きていかねばなりません。ドライバーが若ければ若いほど、その人の人生も大きく狂わせてしまいます。大人はそこまで考えて、そして子供に教える義務がある。

何か余計なお節介をした感じになりアホらしくなって「もう知らんわ」と、それ以上振り返りもしなかったので、その後その二人がどうやって向こうに渡ったかは知りませんしかし彼らは万一の結果と共にそれが周囲の人に及ぼす迷惑に関して、ほんの少しだけでも想像力を働かしてみるべきではないでしょうか。

そんなことをずっと考えながら呉駅に到着した我々は、疲れ果てて電車で3人共に眠りながら広島駅へと向かいました今は呉駅の発車ベルが「宇宙戦艦ヤマト」になったそうですが、我々が行った時はまだだったので、ちょっと残念

そんなこんなで最後はやや後味の悪い感じになりましたが、広島旅行は無事終わりを告げました私は勝手に広島も故郷と思っているので、これに懲りずにまた行きたいですね今度は時間が無くて行けなかったマツダZoom-Zoomスタジアムに是非行ってみたいです(完)

 

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