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顎関節症で手術

 

昨日金沢で12年ぶりに友人と再会しました。お互い当然老けましたけれど、久しぶりに再会すると必ず言われるのは「顔変わったね?」「誰かと思った」というセリフ。私7年ほど前に整形したもので、それから会っていない人にとってみれば別人の印象のようです。

・・・と書くと「えっ」と驚かれるのですが、お隣韓国では日常的に行われていることなので・・・のいわゆる美容整形ではありませんあくまで保険適用有りの医療的な整形でして

昨日もその話からスタートしたのですが、ブログを読み返してみると今まで「アゴを手術した」としか書いたことが無かったようなので、これを機にまとめておきます

私は昔から顎関節症というやつで、口を大きく開ける度にアゴでカクカク音がしていました。中学生の頃からそうなったのですが、それまでは音だけで不都合はありませんでした。ただ大学の時に、授業中あまりにも退屈だったので「ふあー」と大きなアクビをした瞬間に外れてしまいました

その時は外れてしまったというヤバさと、アゴが外れたなんて授業中に言ったらアクビしていたことがバレてしまうという焦りから、何とか自分で治そうと試み、そしてかろうじて治りましたふぅー。

しかし、それからアゴに外れクセが付いて、年に一回くらい外れるようになりましたそれでもその度に自分で何とか治していました

大学を卒業してしばらく経って。大学でお世話になった教授が定年を迎えられたということで、お祝いパーティが催されましたそれに参加した帰りの電車で遠くから来た友人が泊めてくれと言うので、一緒に話ながら乗っていました

パーティでビールをたくさん飲んだので、眠気に襲われてまた大きなアクビを「ふあー」と一つ。するとアゴが戻らなくなり、また外れてしまいましたいや、ここは一つ落ち着いていつも通りやれば・・・あれ?あれ?治らない・・・

私が声にならない声で「あおご、あおご(アゴが、アゴが)」と外れたことを何とか伝えると、友達は大爆笑隣のつり革に掴まっていた見ず知らずの若いサラリーマンも「俺、アゴ外れた人初めて見た」と喜んでいましたおいおい、お前ら

必死に治そうとする私と、笑う周囲の人間そんな属性の違う人々を乗せて、電車はいつも通り進んでいきました

地元の駅に到着すると時刻はもう23時過ぎアゴが外れてしゃべれないので友達に通訳を頼んで駅前の交番で救急病院の場所を尋ねました。すると警官に「自分で行くなんてダメダメ救急車呼ぶから」と言われ、救急車で運ばれることに

私はアゴが外れたくらいで救急車を呼ばれるなんて恥ずかしかったのですが、付き添いの友達は「俺、初めて救急車に乗った」とテンションアップ私も初めてなのですが、こんな状態でテンションダウンただ救急車の方も緊急性を感じなかったようで、赤信号でしっかり停まりながら帝京大学付属病院に到着しました

当時、帝京大学付属病院というと薬害エイズ問題で悪評が高まっていたのですが、贅沢は言っていられません。当番医にあっさりはめて治してもらうと、翌日改めて受診するよう言われました。

翌日。レントゲンを撮って見てみると、根本的な解決には手術が必要だ、とのこと。私もアクビをする度に冷や冷やする生活が一生続くかと思うと嫌だったので、これを機に手術を受けることにしました。

それで早速入院の日程を決め、いよいよ明日入院だ・・・という日にアクビをしたら、また外れて戻らなくなりました病院まで口を開けながら行くと、待ち順を飛ばして診療してもらい「あー、惜しかったね。あと一日だったのに」と言われました

それで入院当日。入院前の説明では「右側のアゴの骨を一部削るだけで簡単な手術。2、3日もすれば普通にご飯も食べられる」と聞いていたのですが、突然「専門医の会議で検討した結果、あなたはアゴの骨格が人と違うから根本的に治さなければならない。顔の形も変わってくる」と言われました

えぇっ入院当日になって顔が変わるなんて言われたって・・・と思いましたが、こちらとしては医者の意見に従う他ありません既に入院してしまったところで手術拒否というわけにもいかないでしょう。なので「お願いします」と同意すると、医者には「きっと男前になるよ」と言われました。余計なお世話じゃい

 

手術前日の夜に麻酔担当医の方がやってきて「明日の手術は全身麻酔ですが何十万人に一人は麻酔で死んだり後遺症が残ったりします」という説明をしてビビらせてくれますしかし無論麻酔無しで手術できないので、私はサインをして同意する他ありません

そんなこんなで手術当日。全身麻酔をかけられ、気付いた時には無事手術は終了。人生で初めての手術でしたが、手術室に運ばれていく時も特に緊張しませんでした。どうせ全身麻酔だからわかりませんし。麻酔が効く前に手術室にTMNの曲が流れていたのが記憶の最後。こんなノリノリな感じの曲聞きながら手術するんかぇー・・・ぐぅ・・・

やがて目が覚めると無事手術が終わったベッドの上そして気付くとベッドの脇に母の顔が。えっ、母私は「別に命に関わる手術でも無いから、わざわざ富山から来なくて良い」と病院の名前も言わなかったのです。言ったら絶対見舞いに来ると言いそうですし。そんな母が何故ここに

しかしよくよく思い出してみると、何週間か前に私何気なくふと病院名を口に出してしまった事がありました。でもその時母は全く無反応だったので
「しまった、ちょっと口が滑ったな。でもあんまり反応も無いし、よく聞こえなかったんかな?ならセーフ
という具合でした。

ところが、うちの母は聞いていないようでしっかり聞き取り、覚えていたようなのです手術前日に富山から電話がかかってきた時も「明日行くよ」なんて一言も言わなかったのに・・・

しかも母は地図も読めないし、電車の乗り換えも一人でできません。東京の複雑な路線図を乗りこなすなんて無理なはず。なのに富山から東京までサプライズでやってきて、何とか板橋の帝京大学付属病院まで辿り着いたそうですこれで病院間違っていたら一体どうするつもりだったんだ

そして母は私を見舞うとそのままとんぼ返りで富山まで帰っていきました私はベッドから身動きの取れない状態だったので、満足に見送る事もできませんでしたが、この時30近くになって改めて自分の母の恐ろしさを思い知ったのでした

 

ところで、改めて母に当時のことを聞いたところ新事実発覚「たまたまあなたの手術の数週間前に東京にお父さんと一緒に行く機会があったので、その時に病院を下見してきた」とのことでした何て用意周到なうちの母恐るべし

手術後はアゴが安定するまで針金で口が開かないように固定されていました。起きている時は何ともなかったのですが、夜に寝ると口の中に出てくる血が舌や喉にこびりついて、尋常じゃなく喉が渇きます。本当に人生で一番喉が渇いて死にそうな状態でした

口を開いて見てみることができなかったので、あくまで体感なのですが、舌が水分を奪われて実際の半分くらいの大きさに縮んでしまったような感じでした。多分砂漠で本当に死にそうになると、舌なんて大部分水分ですから、こういった状態になるのでしょう。

そんな状況ですから苦しくてなかなか寝ることができません夜に巡回に来た看護士さんに「すいません・・・喉が渇いて死にそうです」と、何とか腹話術のように訴えると、「まだ水を飲むのはダメなんです」と言われました。仕方がないので何とか寝て、明日まで我慢しよう、と思いました

・・・が、もう本当に苦しくて苦しくて、なかなか寝れません永遠に感じられる夜このまま本当に死んでしまうのではないかと思いました病院のベッドの上という一番安全なはずの場所で死んでしまっては浮かばれませんなので夜中に申し訳ないですがナースコールをしました

そして来てくれた看護士さんに「何とかなりませんか?」とダメもとで訴えてみました。すると「うーん、ちょっと待ってて」と言われ、やがて戻ってきた看護士さんは「綿に水を染みこませてきたから、これを数滴口に入れる程度なら」と、口の上から数滴垂らしてくれました

わずか数滴でしたが、それでも私は苦しさから解放されて「あぁ、助かった」という気持ちになりました。「ありがとうございます」と言ってホッとしたのも束の間。しばらくすると、私はまたナースコールをしていました

やはり数滴で喉の渇きが潤うわけもなくまた看護士さんが数滴水を垂らしてくれました間もなく再度ナースコール・・・と、それを4回ほど繰り返し、ようやく私は眠ることができました

その時、白衣の天使というのは本当に上手い言葉だなぁとつくづく痛感しました。患者にしてみれば、こんなにも弱った時に助けてもらうと「惚れてまうやろー」そりゃ夜中に何度も呼び出して、本当に申し訳無いなーと思った私でした。それが今の嫁・・・ではありません

 

術後はベッドに縛り付けられ(寝る時は寝返りを打たないように本当に手首を縛られていました)、3日後に久しぶりに自分の足で立ち上がると、まるで自分の足が自分の足で無いような不思議な感覚に囚われました

ちょっと歩かないだけで筋肉はものすごく萎縮してしまうもののようです最初は数歩歩くだけでよろめいてしまいましたが、数時間後には普通に歩けるようにはなりました。それで初めて鏡で自分の顔とご対面したのですが、顔が茄子のようにアゴの部分が膨らんでいるのですゲゲッ整形して茄子顔になったらシャレにならん

これは術後で血がアゴの部分に鬱血しているからで、しばらくするとちゃんと元通りになるということでした。それを聞いてホッと一安心する私それにしても頭にもネットを被っていたので、本当に茄子みたいな感じでした

口は開かないのでご飯はおかゆのみ。歯の隙間から何とか汁物を流し込んで食事を取るのです。一週間程度の入院が終わると病院を放り出されて、約一ヶ月おかゆやスープ、ウィダーインゼリーなど、箸などを必要としない生活が続きました

実はこれが想像を絶するきつさで、もう死んでしまいたいと思った程お腹に溜まらないので常に空腹感にさいなまれ、動物性タンパク質も取れないから力も出ません歯も裏側まで満足に磨くことができないので、歯の裏にスープとかの固まりが段々とこびりついていくのです(汚い話ですみません)。

そして当時は一人暮らしだったので、孤独感にさいなまれて非常に心細い感じでしたそんな中で鏡を見る度に「あぁ、麻婆茄子を食べたい・・・」と思い続ける私でした。

 

当初は簡単な手術で終わる予定で一週間だけ休むはずだったのが、こんなに大がかりになってしまったので、当分仕事も休まないといけなくなりましたやがて職場に復帰して、皆に「おはようございます」と言ったのですが、最初皆に無視されてしまいました

どうやら別の部署の人が来てしまったと思われたようで、皆顔の変わった私に気付いてくれなかったのです。そして「あのー・・・」と言うと、ようやく気付いてもらって、大変驚かれました

それから数週間後、ようやく口の針金が取れる時がきました。ただ最初はやはりアゴの筋肉が適応していないので、指一本入る程度しか口が開きません。

医者には「今度受診する時まで、にぎり寿司一つ食べられるようになるくらいまで開けられるようにしてきなさい」と言われました。意図的に口を大きく開けるようにして、自分でリハビリしろ、と。

ようやく普通のご飯も食べられる、歯も磨ける・・・と思ったのですが、辛うじて歯ブラシが口に入る程度しか開かないので、しばらくやはり難儀しましたそれでも痛がりながら何とか少しずつ開くようになってきました。

しかし再度受診した時に「なんだ、まだ全然開くようになっていないじゃないか」と医者に怒られて、ペンチのようなもので強引に口を開かれましたギャーこれが拷問に匹敵する痛さで、「痛い痛い」と言いましたが止めてもらえず。

涙ながらに解放されると、確かに口が開くようになりました。人間の身体って案外単純なものです・・・

そんなこんなで現在に至ります。今では口も以前と同程度まで開き、お陰様で今ではあくびし放題ただ最近はちょっとまたカクカクいうようになってきたので、少しビビッていますまた顔の形が変わったらどうしよう・・・

後日談として、救急車で付き添ってくれた友人の結婚式でスピーチをすることになり、このいきさつを話したのですが、見事ダダッ滑りでした鉄板のすべらない話と思ったのに・・・(完)

 

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