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無神論万歳

 

靖国神社参拝は夏場によく問題として取り上げられます。私は人がどう思って何を参拝しようが勝手じゃんと思うわけです国策として信仰の自由を謳っておきながらなんで周り(国内の人間)がガヤガヤ言うのか。周辺諸国に何を言われようがほっとけば良いと思っています。最大級の「ほっとけよ」です

 

逆に言うと日本はその程度の事しか攻撃出来ない程隙のない完璧な国か?とも思うわけです。中国政府や韓国政府も案外芸がない。ただ誤解のないように言っておきますと中国人や韓国人が嫌いなわけではありません。私の知り合いに中国人、韓国人留学生はたくさんいますし、非常に仲良く付き合っています。彼らは日本で日本人以上に努力しており心からすごいなーと思っています。

参拝の是非を問う論議に関しても良いか悪いかなんてどーでもよくて、私は「本人が行きたいなら行けばいいし、行きたくないなら行かなければいいじゃん。人が行こうが参拝しようが勝手じゃん」と思っています。そもそも是非を問う事自体がナンセンスだと思います。

世間一般的には先祖を敬う事が良しとされています。それは正に大陸から入ってきた儒教の精神である「ご先祖様、年長者を敬う」というところからきています。論語などでも繰り返し述べられていることです。それを何故大陸の人が否定するのでしょうか?

じゃあ例えば自分の先祖が犯罪者であった場合墓参りに行かないんですか?と言われると、少なくとも私は先祖が何人も人を殺した大犯罪者であっても墓が残っていれば墓参りに行きます。それはやはりご先祖様がどうであれ、ご先祖様の存在無しに私はこの世に生を受けなかったからです。自分が生きている事に喜びを感じるのであればどんなご先祖様であっても敬って然るべきでしょう。ですがそれは強制されるものではありません。それぞれの心の問題だからです。

信仰は麻薬に似ています。信仰によって心の平穏は生まれますが、強すぎると心を蝕み他の信仰を許さず攻撃すらします。世界では宗教による紛争が絶えません。

私はこの日本がどっちかといえば無宗教、無神論である事を誇りに思っています。勿論寺社仏閣は存在し、完全に脱却しているわけではないですが、一般的には正月の初詣や受験等の願掛けといった行事に形骸的に利用しているだけです。つまり神に頼らず人間の力で何とかしようという現実主義の無神論なわけです。その程度の距離感が一番適当だと思います。まあ日本の無神論は日本が少なくとも物質的、環境的に豊かであるから成立するわけですけどね。明日食べる物がなかったり、自然の脅威が著しい場合は神に頼るしかないわけですから。

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