人生の1発
気ままなガゾーにっき
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今週の1発■番外「教習所日記」

と、いうわけで、自動車免許を取りにいきました。
僕がトラック野郎にならない限り、こんな経験1度しかないと思うので
備忘録としても残しておくことにしました。
これから免許を取る方、

世界崩壊ぐらいの割合で

役に立つかもしれません。
つまりは、閑な人だけ読んでくださいって、そゆことです。

1日目■はぢめての自動車学校(以下自校)

自校が最も混む弥生3月、僕は湯本自動車学校に普通車免許の教習を受けるべくやってきた。
ウィーンと、自動ドアが開く。はぢめの感想『…煙草臭い…』。
大体20歳前後の若人が通うだけあって、吸いまくり、若気のいたりすぎ?
まぁ精々身も心もドズ黒くなって、後悔してくれってところ。

さて、煙から非難しつつ、受付で『原簿』をもらう。いわゆる個人データ帖みたいな。
学科をうけるにしろ、乗車するにせよ、この原簿って奴を携帯しなければならない。
MT車、AT車、他に大型など、色別されていて、MT車の僕はピンクだ。なんて春らしいんだろう(異)。

さて、今日ははぢめてだし、様子見も兼ねて学科@だけ受講した、
というか、それしか道がなかった。始めに述べたように、ただ今自校はラッシュ真っ盛り、
乗車予約は前日に入れるというのが湯本自校のシステムなのだが、すべてキャンセル待ち。
朝早くに来たってキャン待ちなのだ。
これは、主に関東圏からの「合宿生」&「短期生」の影響である。
この2種生は自動的に予定を組まれている。よって通いの「地元生」は後回しなのだ、なんて卑劣。
ま、自校は今がカキ入れ時、同じ商人(アキンドと読む)として、後日許容することにした。

2日目■適正してるようでしてないヒト

今日も乗車はできなかったのだが、「適正テスト」なるものを受けた。
巷でもウワサの(ウソつけ)自動車運転に適してるとか適してないとか調べる奴だ。
僕の友達で、16で原付をとろうとしたとき、このテストの為通えなくなったってヒトがいた。
だから僕は、久しぶりにテストで「ドキドキ」する気持ちを味わった。
大体筆記試験というのは、日ごろの成果がそのまんま出るもんだから、
受ける前から結果がわかってる、そんな感じだった、最近。
だけど、これは違う。
僕が今まで生きてきたセンスと勘が試されるのだ…!!
僕はこの知能検査に似たテストを必死にやった。

後日わかった結果は「どちらでもない」だった。僕の半端な性質とドンピシャリだ。
自己主張が強い、プライドが高い、なんて本当当たってる―――
と、思ったんだけど、誰にだってそういうトコ、あるんじゃないか?と思ったり。
当たってるような感覚にさせる、巧い雑誌の占い、みたいなテストだった。

3日目■ついに初乗車!!!

3日目にしてやっと乗車できた。
緊張と興奮、不安感と好奇心、ああ青春してる気分になった(いくつなんだよ…)。
はぢめての先生は「有賀」先生。原簿にも手帳にもハンコを押してくれるので、一見明瞭だ。
実は僕はこの先生に、2段階(路上。1段階(場内で最低15時間乗車)と2段階(路上で最低19時間乗車)にわかれている)でも
はぢめにお世話になった、あらゆる意味でヴァージンを捧げた方なのだ(語弊ありまくり)。

てなわけで「はぢめてなんですぅ優しくしてくださいねん」的に頭をさげた(どんなだ)。
実際、有賀先生は優しかった。「親切丁寧」を実践してる方ってかんじ。
1度ぐるりと場内を回り、隅っこの方で交代して前進&後退。
少し慣れた所で、場内のトラック状の外回りをぐるぐるぐるぐる回っていた。
こうして、僕の自動車学校生活は、順調に回りだした、そんな感じだった。

4日目■ガンコ爺さん

この日は2回乗車できたのだが、どちらもご年配の先生であった。
片方の「石部」先生は、僕が2段階にあがったころ退職なされたぐらいだ。
そして、お二方とも厳しかった、というか不機嫌だった。
正直、これは同じ客商売に携わるものとして憤慨の意を抱いた。
僕は本当に心が狭い奴なので
「誰がテメェの給料だしてると思ってんだ! 何様だよ!?」
て、思った。そりゃぁ教習所って特殊な客商売だよ、
僕だってまだ車に乗って2日目、運転だっておぼつかない。
だけど商人は『お客様第一主義』だろうよ、腐っても。
そこんとこ、分かってない、いわゆるガンコ爺さま方であった、と、この日は悶々と思った。

5日目■アサカラ、バンマデ

ついにこの日は、8:30から19:30まで自校にいた。
学科の時間割の間に乗車予約(もちキャン待ち)を入れたら、家に帰る時間がなくなったのだ。
僕は空時間に、はぢめて2階(建物は3階建て)の「休憩室」に足を踏み入れた。
大体20畳ほどの締め切られた部屋に、テレビと漫画棚があった。
室内の教習生は、注意書きにあるようにシーンと静まり返っており、
テレビから生み出されるワイドショーの音声だけが響いていた。
ほとんどのヒトが漫画に読みふけっており、僕も早速漫画を漁ることにした。

さて、これをお読みになっている貴方もご想像のとおり、
こういう場所にある本は、申し訳なさげな古本、古雑誌である。
タッチに朱雀王、こち亀もあったかな…? 雑誌はサンデー、ジャンプ…
このあたりのメジャー作品は読済の僕は、「銀色のハーモニー」に手をかけた。
懐かしい、懐かしすぎる、僕の乙女時代を象徴する作品だ(リボンっ子)。
僕は日頃の焦燥感からしばしの自由を手に入れた――ちょっとした休憩室。

6日目■受付嬢

6日目も1日中自校にいた。5日目とダブるのも難なので、今回は受付嬢について書いておく。

受付嬢とは、まんま予約などの受付をしてくれるお姉さんをさすのだが
とりあえず愛想がない。色白の可愛い系の方で
笑えばきっと素敵なのだろうに…と思わせる整った顔立ちをしてらっしゃる。
別に無理して笑わなくていいけど、いつも眉を寄せているのは頂けない。
(もちろん他にも受付の愛想のいいおばさまなどいらっしゃります)
性も年も違うのに、以前のガンコ爺さんと類似系。
そこに惹かれる奴もいるのだろうが、僕は、ヒトの笑った顔が好きだ。
日本人の悪い癖かもしれないが、笑顔を見るとホッとしてしまう。
ヒトが笑わなくなったら、僕はぜったい人類は滅亡すると思う。
だから笑って、ねぇお姉さん。(最近わがまま大爆発だなぁ自分)

7日目■なかなか消えないモノ

原簿の乗車の欄には、「教習事項」と「復習事項」がある。
前者には行った課題の番号、後者にはその中で出来なかった課題の番号が書かれる。
僕はこの復習事項の欄から、なかなか4と8が消えなかった。

4;速度の調節/8;カーブや曲がり角の走行で、
「矢内」先生という重量級のオシャベリな先生が、4と8はワンセットみたいなもんだと説明して下さった。
つまり、曲がろうとしたときの減速(or減速チェンジ)がイマイチよろしくないのだ。
マニュアルなので、減速したらそれに見合ったギアチェンジを、曲がり角の車1個分前に
終わらせなければならない。これが僕は、クラッチを踏んだまま曲がってしまっていた。
しかも、車1個分先にまた曲がり角があったりすると、僕はテンテコマイだった。
そして、僕はしばらくこの課題に悩まされることになった。

8日目■自動変速自動車?

オートマ教習である。
クリープ現象にキックダウン、シフトロック。なんだかとってもオートマってかんじである(どこが)。
用語はさておき、運転は楽ちん。なんてったてペダル1コ少ないし、勝手に動くし。
世の中80%は既にAT車だと、「高橋」先生がおっしゃっていた、世の中みんな宇多田ヒカルだと。(怖)
しかしエンジンブレーキがあまり利かないのが、ちょっと運転しにくかった。

9日目■ふざけてんの?

今日は上々にショッキングな出来事があった。
『狭路の走行』という課題で、S字とクランク(S字を角張らせたもの)コースを走行したのだが
1回目「工藤」先生は「次で復習事項から消えるよ」とおっしゃっていたのに(脱輪は1度もしなかった)
2回目「千葉(和)」先生には「ぜんぜんダメだね」と言われてしまった。

ハプニングは勿論2回目に起きた。
「アンタはポールばっか見てる。でもそんなん見てても当たるもんは当たるでしょ」
おっしゃいたいことは重々承知できる。だが実際やってみると、上々に脱輪しまくり。
ついには「アンタふざけてんの!?」とまで言われてしまい、上々に凹んだ。
千葉先生は、爺さん系とは違った厳しい方なので、それが言葉のアヤなんだって、
先生だって僕だってわかってる。
それでも凹む自分が、まだまだジャリだと思って、僕はさらに凹んだ…

10日目■送るヒト、送られるヒト

さて、僕の家から自校まで、自転車で約20分の距離なのだが、普段は送迎をお願いしている。
乗車予約と同じように「○○銀行の前に8:00」とお願いすると、バスか教習車で
迎えに来てくれるのだ。僕の家の隣は某企業なので、ほぼ家まで迎えに来てもらったようなものだった。

で、今回は、その送迎してくれる方の話。
朝一番と最後の送迎は主に教官さんがバスで送迎してくれるのだが、
昼間など半端な時間にお願いすると、教官候補生の方が教習車で来てくださる。
この方々は資格試験の勉強をしながら、主に送迎の仕事をしている方なのだ。
その中で、海部さんという方がとても印象強かった。
軽く言えば「ホスト系」なのだ。
会話が巧い、ついつい無口な僕が(ウソつけ)オシャベリになってしまう。しかも声質も◎。
さらに運転も巧い。(以前サーキットもやってらっしゃったらしい)
きっと良き先生になられると思います、頑張ってください。(なんですかこのオチは…)

11日目■闇に潜むモノ

今日は「踏切の通過」をやったのだが(場内に踏切がある)、初の夜間教習となった、しかも雨。
担当教官は「蛭田」先生。蛭田先生自体には何の問題もないのだが、
蛭田先生がご使用になる教習車が、エンジン始動時の回転数が低い車で、
踏切で、ばりエンストしました。僕は死にたいわけじゃありません。
いや、車の所為でも夜間の所為でもない。これは僕の足が悪いんです。

で、夜間で雨、わかりにくかったのが停止線など、路上にペイントされた標示。
前哨灯が水に反射して分からないこと分からないこと…
夜間の雨の日が危険であることを、僕は身をもって体験しました。

12(〜15)日目■ミキワメ地獄

僕は稀にも誕生日に15時間目の乗車となった。
この15時間目は「みきわめ」というやつで、仮免試験と似たような、今までの総復習をするのだ。
で、はっきり言って自信のなかった僕は予想通り1回目のみきわめは×。
同日誕生日に2回目のみきわめを受けたが、かえって緊張してハンドブレーキ忘れて×。

そんなこんなで、僕は5回ダメだった。友人に怪記録と言われました。
20時間目、1度目のみきわめであたった「工藤」先生で、(当たるのは3回目で最も多かった)
ついには「ハンコやるから落ち着いてやんな」と言われ、なんとかミキワメ地獄、脱。

16日目■勝負!

みきわめでずいぶん奮闘したが、本当の戦いはこの「仮免許検定」である。
採点は100点からの減点法で、70点以上で合格である。
だが、脱輪したままバックせずに前進したり、停止線を越えたりすると、そこの試験は終了する。
あるヒトは、路上に出す前の試験だから、卒検より厳しい、と言ふ―――
その仮免に、僕は二人の欠席者のおかげで、1番に運転することになった。
しかも検定員は「金沢」先生という、ちょっと僕が畏怖の念を抱いている先生だ。
なんてったってこの先生、ロン毛のパーマで声はドモって何言ってるか聞きづらい上に
乗車時は(僕は当たらなかったけど)太陽にほえろ調のグラサンで決め込むのだ…!
(あ、笑ってるなっ君! 僕はそのときは全然笑えなかったんだぞ!!)

それで、試験開始である。踏切に進路変更、坂道発進、ことは順調に進められていた、
―――が! 僕のトラウマとでも言えるクランクで脱輪っ!!
ぎゃーーーっ!! 僕ぁ心の中でそう叫びながら急いでバック、
金沢先生が何やらチェックしてるっ! ちくしょーこんにゃろーー!!
僕の頭は『やっちまった』で埋め尽くされたまま、停留所にたどり着いた。
しかも前がつかえていて所為もあって、停止位置を超えた気がする!!!
お、終わったかも…
心に吹き荒れる木枯らし風に顔を引きつりつつも、僕はハンドブレーキを上げ
ギアをRに入れるとエンジンを切りクラッチ、ブレーキの順で足を離した…

合格発表までの時間は、なかなか息苦しいものだった。
『もうダメだ、明日こそ受かろう』なんて思いながら、受かったときのため学科の勉強をしたり。
勉強の手を進めるも、脱輪してバックだと何点減点なんだろう…とか
頭の中に余計なことが茫々と浮かんで―――人事を尽くしても、天命には任せられなかった。

De、結果は『合格』。
僕の中では阪神が巨人に逆転ホームランかました気分、やったよタイホウ!(ミラーは?)
もちろん学科は自信があった、筆記試験は日々の積み重ねだからね。
そんなわけで、僕は形式上『仮免1発でとおったよ』とは言える事になった(~_~;)。

17日目■すべてが例外

早速僕は、仮免合格後乗車予約を入れ、翌日路上へと出た。
前にも述べたように、担当は有賀先生、なんとか問題なく帰ってこれた。

が、実は僕はこの前に、早速僕の親父に横に乗ってもらい路上を走って、
鋭角で減速チェンジせずに曲がり、交差点では脱輪していた。
なんで、問題らしい問題はもう済ませちゃったかんじ。車も家にぶつけて凹んでるし(爆)。

18日目■なんだか優しい…

路上2回目の原簿を受け取ったとき、僕は血の気が引いた。
担当がアノ「千葉(和)」先生、僕に狭路のトラウマを与えてくれた先生だ。
その日は春のくせして寒かった所為もあり、ハンドルを握る手が震えた…

僕は場内をぐるりと一週後、路上へと出た。
始めの交差点で信号待ちをしていた車により過ぎて、思いっきりブレーキを踏まれた。
ああ怖ひ…「アンタだめ」の5文字が頭を過りまくる。
―――が、『減速と減速チェンジは何が違うかわかる?』から始まった千葉先生のギア講義は
走行中も停車中も延々と降り頻る雨のように説明され続けた。
しかも言い回しがきつくない、おかげで以後減速&減速チェンジで悩むことはなかった。
(もちろん操作的な面では色々やってしまいましたが…)
なんだか優しい、僕は「わかるか?」と何度も聞いてくる先生を見ながらそう思った…。

19日目■オヤコ

今日は親父に横に乗ってもらい、あちこち数時間練習した。
「なんで出来ねぇの?」とブツる親父に「出来ないから練習してんの」なんて言いながら
僕は気がついた。
僕は自校に通うずっと前から、親父にPCを教えている。
これがなかなか覚えが悪くて、それなりに頑張っているのは認めるのだけど
いいかげんメールの送り方を覚えない中年親父に業を煮やしていた。

今、僕らは立場が逆になっている。
僕は明日から少しぐらい出来なくても、優しく教えてあげようと思った。

20日目■ぴんぽーん

今日ははぢめて乗車で、「金沢」先生に当たった。
僕が畏怖の念を抱いていた、僕の仮免の検定員だった先生だ。
だが、僕は仮免の時ほどの「恐怖」はなかった。仮免の合格をくれた事もあるのだけれど、
僕は前にも述べたように、ヒトの笑った顔が好きだ。
パラフレーズで『弱い』とも言える。

それは、少し前の事になるのだけれど、僕が模擬試験の問題集が置いてある、
2階の奥の部屋で一人黙々と問題を解いていたときのことである。
たぶんその時間学科が入っていて、学科ビデオを見せている間に
煙草でも吸いにきたんだと思う。「高橋」先生も一緒にいらっしゃって、
教習生の話をしていた、どこの『先生』も生徒の話がお好きらしい。
なんだか問題児君が、路上ですっ飛ばしやがった、的な内容だったが、
「ったくあの野郎」なんて言いながら思いっきり笑ってる顔を見て、僕のランプは点いてしまった。

路上にでてから、つくづくどの先生もおおらかだった。
ガンコ爺さんの「吉野」先生も、あの態度は好きになれないが、説教が、相手を想った説教だったし。
はぢめは色々あったが、今は『(ある意味)命を懸けて他人にモノを教えてくれるヒトだもの。
悪いヒトなんているわけないよな』なんて、健全な中学生のような意見を持っている。

だから、「恐怖」は、無かったのだが…
それ以降、僕は「一度金沢先生に当たってみたい」なんて考えながらも
一段階では全く縁が無かったので、まさか本当に当たるとは思ってなかった。
だから妙に緊張してしまって、田んぼに落ちそうになった。(恥)

21日目■闇に潜むモノA

今日は、春とは思えぬ天気だった。
僕の居住地域は、冬にだって稀にしか降らないのに、今日は雪だった。
しかも何故か夜間にドッピンシャン、抜けた―らドンドコソ…
夜間の雨の日が危険だって、僕は身をもって体験していたけど、
まさか雪とは…はぁ(まぁ霙ぽかったので、路上に積もったりはしなかったけど)
路上はまさに中央線も横断歩道も霞んでいて、途中で左に入るのに右によって行って
厳しさではなかなか定評のある「齋藤(直)」先生にハンドルを引っ張られた。
タイヤも滑ってる感触(ブレーキがききにくい)もあったし、
いやはや、天気の愚図つく夜間は出掛けないようにしようと、心に固く誓いました。

22日目■んふ

縦列駐車、方向転換(車庫入れ)は一段階から人気のある「大坂」先生に当たった。
(ちなみに「矢内」先生は女の子に人気があるらしいけど、僕は単に、太ったヒトは
女性に安心感を与える傾向があるからだと思う(ヤキモチ?))

大坂先生の説明は実に明瞭で、僕は難なく覚えることができた。
まぁ僕が好感を抱くのは、やっぱり『笑顔』がポイントになるのだが、
この先生、笑う癖があった。
よく、文頭に「えー」とか「まぁ」とか何度もしつこく癖でつけるヒトがいるけれど、
大坂先生は文頭によく「んふ」と笑う癖があった(なんか文字にすると変態チックですが、
全然そんなことありません)。そんなわけで、僕も大坂先生は結構好きだ。
方向変換でかなり脱輪したのに、いい方にいい方に話をしてくれるのでやる気も出た。
先生の面子にかけて、僕は卒検(&みきわめ)で失敗するわけにはいかない。

23日目■結構楽ちん、高速道路

と、いうわけで、北茨城まで行ってきた。
2時間連続だったのだが、複数教習で3人乗っていったので、30分程しか運転しなかったのだけど
どんどん加速チェンジできるのはなかなか爽快だし、ハイトップまで入れちゃえば
あとは道なりにハンドルを動かせばいいので、下手な交差点より全然楽だった。
普段の2倍近い速度、というのも恐怖に感じなかったし
「性格の割に運転が雑だね(他人にはマメに写るらしい)」と言われる僕には天国だった。

ちなみにこの教習は3時間連続で、3時間目は自主経路設定をしたのだけれど、
またしても金沢先生に当たってしまい、今度は電柱にぶつかりそうになった。(爆)
どうやら僕は、別の意味で金沢先生が『苦手』になってしまったようだ(-_-;)。

24、25日目■ミキワメ地獄、再び?

そんなわけで僕は卒検前のみきわめで3時間オーバーをくらった。
特に2回目の「赤津」先生には「慎重さが全くない」と言われ、復習項目が倍増(T_T)。
みきわめをくれた「江尻」先生に「赤津君と仲悪いんじゃないの?」と言われたし…
(前に当たったときにも増やされた、しかも友人に聞いても「厳しかったっけ?」という返答)

だがしかし、
僕は正直複雑な気分だった――卒業したいようで、したくない。
1ヶ月も近い時間を懸けてきた、この学校に後ろ髪ひかれるのだ。
免許を取る、という同じ目的で、今まで全く縁のなかったヒトとも友達になれた。
嫌な先生もいたけど、そのぶんイイ先生にすごく救われた。
例えば、ヒトの命に限りがあるから、生への渇望があるように、
いつか卒業するこの学校への想いは、日に日に増しているのを感じていた…
明日の卒業検定の申し込み時、僕は持ったペンを強く握り締めた…

26日目■The DAY of the END

春の、心地よい日差しが当たるベンチで、僕は最後の送迎車を待っていた。
僕は、これが最後であって欲しいような、欲しくないような、茫々と晴れ渡る空を眺めていた。

卒業検定は終了検定と同じように2人1組となり、路上に出て、ある程度走り、自主経路設定
(地図でスタートでゴールのみ記され、経路は自分で決めてゴールまで運転する課題)が
終わったところで交代し、別の道で2人目も同じ検定をし、自校に戻ってくる。
自校に戻ってきた時点で、まだ合格圏内のヒトのみ、縦列駐車か方向変換を場内でやる。
(検定コースは当日くじ引きで決められるので、検定が始まるまでわからない)

僕の検定番号は4番で、3番の合宿生「西山」君といっしょに乗車した。
彼とはAT車や高速などの複数教習、学科でよく顔を合わせたヒトで
しかもお互い同じ程度の時間オーバーでここまで来ていたので、とても親近感があり、
彼が運転している間、僕は心の中で彼を応援していた…彼ができれば、僕もできると。
幸いお互い、縦列駐車に進めたのだが、西山君が確認しなかったのに試験官は懸念の色をしめいていた。
運転を交代したとき、彼は少しまずそうな顔をした。
僕の縦列駐車は問題なく終わり、車を降りたとき、彼は「駄目かな〜…」と首を傾け、
続けて僕を指して「受かったよ、たぶん」と言ってくれた。僕は彼に「たぶん…大丈夫だよ」と頷いた。
その後、発表を待っている間も、僕は彼の合格を肯定した。縦列駐車は入れば、何度やり直してもいいのだから
きっと大丈夫だと、自分に言い聞かせるように話していた。

そして、僕らの番号の電光掲示板が光った――どちらとも!
僕は感極まってパチンッと強く自分の手を叩いた。
彼に目をやると、緊張の糸が切れたように、イスに横たわっていた。
起きあがって僕に「俺、3番だよね」と確認するように聞いてきたので、僕は大きく頷いた。
そして僕は、差し出された手を握り、喜びの握手を交わした―――

こうして僕は、今帰宅し、この日記の最後を締めくくっている。
あと本検があるのだが、これは個人で勝手に受けてこいとのことなので、自校は卒業した事になる。
春休みに入ると同時に通い始め、卒業の今、休みも終わろうとしている。
休み中に取れて良かった、以前はその安堵感を目指していたものの、
今はそれよりもっと大きな、充実感、達成感、そしてほんの少しの静寂感を残している。
確かだと言えることは、「自動車学校は1つのドラマだ」なんてね…
だけど本当、ここまで喜怒哀楽を堪能するとは思ってなかった。
こんなかんじで日記をおわらそうと思う。ここまで読んでくれた方ありがとう。
関係者の方、いらっしゃらないと思うけど、いたら僕に関して深く検索しないで下さい(~_~;)。
ご意見ご感想メールは大歓迎です。(pura50@hotmail.com)




後日談

なんと僕のゲームで遊んでくれた方に、ここに通われてた方がいらっしゃって
最近の湯本自校について知った。
どうやら自校にもネットが導入されたようで
このページも先生様方に読まれているらしい(汗)。
えーと…

この日記は事実に基づき面白ろ可笑しく記載してまして
お客さんにもウケのいいページです。
微妙な宣伝もあると思って、どうか勘弁して下さい(爆)。