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某(註:それがし:私の事)はイカ(烏賊)が大好きでござ候 特にイカの丸焼きが好物なり! ....漁港の観光用市場の脇でよく売ってるでござろう あの匂いがどこからともなく漂って来ると、 もういけません;;自然に鼻が、次に脚が、そしてしまいには、口がそちらの方に向いてしまいます 最近では都会のお祭りでもお馴染みなりね(しかし屋台の場合は高いし、ちょっと衛生面で..? 汗;) もちろん、居酒屋で頼むおつまみには、イカの丸焼きは絶対欠かせないでござる かつて、数少ないアレンジ(編曲)の仕事で 伊賀焼丸(いがのやきまる)というペンネームを使っていたことがあるのですが お察しの通り、大好きな『イカの丸焼き』をモジったのでござ候 キャハハハ(^_^) |
某(それがし)の好き嫌い========簡単な履歴は貝類に隠れているでござる 某の、イカ以外の好きなもの......絶対に忘れてならないものに、あさりがあるでござる スパゲッティのボンゴレはもちろん深川メシ、酒蒸し、網焼き.....あさりのカレーなんてのもゴキゲンなり そしてなんといっても、干しあさり;; これは知ってる人は少ないであろう、今では木更津港近くでしかゲットできないかも もしもデパチカ等で「ひも」をひも代わりにしていくつか繋げて干した「刺し連」をみかけたら、 是非ゲットしてみて下され 賞味方法としては、そのままカミカミ(笑)しても良いが、 某はフライパンで軽〜く油炒めして醤油を垂らして食すのが大好物なり 残念ながら、もう10年くらいゲットできていない;;;; あ〜〜〜、どなたか余り物を回して頂けないであろうか(笑) 「刺し連」という形以外には、バラもあるはずだが、ネットで調べてみても、もうどこも作っていないようだ あさりごときの小さきものを、いちいち手間をかけ、干して売ってみても商売にならないのだろうか 総じて、海のものが好きであるが、他には「あん肝」が好きである 某にとってはキャビア、フォアグラに軽く勝っている まぁ、新鮮な海のものなら嫌いなものはないでござるのぉ...... そこで、某の嫌いなもの......と、考えてみたら、嫌いなものは..むむむ‥‥、無いでござった(汗) 失礼、食い意地が張ってるでござるなぁ |
某(それがし)の簡単な履歴書その1 東京神田の生まれ育ち チャキチャキの江戸っ子........なのだが印象は全く違うらしい。 高校1年の時、最初のバンド(ザ・マミローズ)結成 ドラムを担当 ベンチャーズ、シャドウズ、ビートルズ等を演奏。 文化祭等で喝采を浴びヤミツキになる(笑) カバーだけではなくオリジナルも作り始める。 ‥‥‥‥ビートルズ来日!!! 授業をさぼって、武道館コンサートを観に行く‥‥音楽人生を積極的なものに....... 活動としては、フォーク団体に特別ゲストとして招かれたり、 タイガーズ、ブルーコメッツ等グループサウンズの前座もこなす。 TBSテレビの朝の人気番組「720」に黒澤久雄(黒澤明監督の長男)と共に出演 フォークとロックの中間サウンド故、活動の範囲は広かった。 大学(早稲田大学理工学部)入学と同時に東芝レコード(現EMI)よりデビュー(ザ・マミローズ) メンバーは高校時代の仲間。 このころ、学生バンドが流行っていて、他には ザ・リガニーズ、ザ・ラニアルズ、ジ・アマリーズ等、駄洒落バンド名が多かった。 途中メンバーチェンジしてバンド名がハローハピーとなるが、大学生故に、次第に活動もジリ貧。 某(それがし)以外のメンバーは無事大学を卒業、堅気になったでござる(笑) しかしついに某は中退!音楽の道一筋を選んだ。 1972年、マギーメイを結成 ややフォーク寄りになるが、曲によってはアフロサウンドを取り入れたり、 シャープで強烈なコーラスを展開したりで、当時の他のバンドたちの度肝を抜く。 |
某(それがし)の簡単な履歴書その2 実はマギーメイ結成の前の約2年は、某(それがし)としては、多くを語りたくない活動期間でござる(笑) .....ま、これに関しては別の場で....;;;; さて、マギーメイ解散(1975頃)のあと、数年の準備期間ののちソロアーティストとなる。 アーティスト名を実川俊(じつかわしゅん)として、ヤングジャパン(アリス、バンバン等)という プロダクションに所属 1979年、シングル「鬼にかえろう」,LP「ふりむけば50億」発売 フジTVの「夜のヒットスタジオ」に出演。 本人としてはTVに出ることに気が乗らなかったが、どうせならと、変な格好で登場(笑) (白装束に白はちまき、手にはミニチュアの琵琶を持ち、唄うは「鬼にかえろう」) 曲調も曲調だけにインパクトは最高でしたが見事に売れませんでした(笑;) 実は、少しだけ期待感もあったことはあったがアハハ‥‥(汗;) …実川俊としての作品群は当時、SF系の小説(国内)を読んでいた影響が濃い 半村良、筒井康隆、豊田有恒etc..........分かる人はなるほどだと思うでござろう |
某(それがし)の簡単な履歴書その3 「実川俊」としての活動はシングルとLPの発売以外は「夜のヒットスタジオ」出演のみという 「売れる気がないのか」と思われる相変わらずの某(それがし)であったが、 さらにその秘密主義めいた性格の度合いが増し、 1982年、名前も変え顔も出さずTOSHIHARUというアーティスト名で キングレコードからシングル盤を4ヶ月立て続けにリリース よくぞレコード会社も出してくれたもんだ(笑) (サンミュージックを退職した名プロデューサー、月野氏の功績でもある) その間、作詞作曲家活動は続けており、 アニメ音楽、CM等地味な仕事をこなしていた 『ワンルームへんだぁマンション』参照 Voiceトレーナーとしても少しづつ腕を磨いていた時代であるが、 何年か経つうちには作詞作曲の仕事は激減していた 歌い手だけではなく、作品作りについても、自分の好き勝手にしたいという我が儘が 原因でもあった(^_^) そうして自ら作り上げたのが「はじめてのチュウ」である....... え? 「はじめてのチュウ」は「キテレツ大百科」のテーマソングでは無いのかって? |
某(それがし)の簡単な履歴書その4 「はじチュウ」の感動的?誕生秘話;; 「はじチュウ」は、実は「キテレツ大百科」のために作ったのではなく、 最初は、なんとなく、ハツカネズミやビーバー、 ハムスターなどを主人公にした恋のストーリーを勝手に描いて出来上がったのでござる 最初から録音時には回転を変えようと計画してしていて、 『チュウ』という鳴き声を「キス」にダブらせようと考えました そしてイメージが浮かんだら、あっというまに曲は出来上がったのでござる ある夜更けに突然、思い立ち、 アコースティック・ギターを抱いて、歌詞も同時にスラスラと、一気に完成しました サビのところでは、おやおや、なんと涙が出てくるではござらぬか(汗) 次に、回転を遅くして録音(加工前)をしてもやはり感動しながら唄ってたなり..... 深夜に他の人に見られたら、それはそれは恐ろしい光景だったであろう(笑) さて、出来上がった「はじめてのチュウ」を、誰に聴かせようかと悩んだ末、 イメージがアニメっぽかったので 知り合いの、アニメ制作で名の知れた代理店プロデューサーに聴かせたところ、 なんとかというアニメのテーマソングに使わせてくれないかという話になり、 「おまかせします」と答えたら、それが「キテレツ大百科」だったというわけでありんす こんなイージーな誕生ストーリーですが、 最初にアコギを抱えて唄った時の感動はいまだによみがえる;;; いずれ、このホームページのどこかで、アコースティック・ギターの 弾き語りバージョンを載せたいとは思ってるでござる(2009.夏) →恥ずかしいでござるが、遂に掲載してしまいました→『ポケットいっぱいのプチソングス』参照(2011.1月) |