2015年のYARO会




 深谷市立上柴中学校音楽祭ゲスト出演  11月14日
 夏の京都 合唱仲間と川床を楽しむ!  8月27日
 第4回全日本男声合唱フェスティバル in 京都~狐六法踏みゆかん!  8月22日
 埼玉県合唱祭に特別演奏  6月8日
 合唱の午後2015  4月25日

 





 深谷市立上柴中学校音楽祭ゲスト出演

20151029日、男声合唱団ヴィヴ・ラ・コンパニーVive la Compagnie は、埼玉県深谷市の上柴中学校音楽祭(深谷市民文化会館)にゲスト出演しました。上柴中は開校32年、「天まで届け伝統の合唱」 と名付けられたこの音楽祭は、クラス全員が心をひとつにして合唱を創り上げ、中学時代の楽しい思い出として残してほしいと、北川博校長はプログラムに書かれていました。

 出演依頼を受けてすぐに男声合唱プロジェクトYARO5団体のみなさんにお声掛けしましたが、当日は木曜日(学校行事だから当然ですよね)仕事を持っている若いメンバーはほとんど無理。そこで現役リタイア組を中心にご無理をお願いしたところ、快くOKしてくれたメンバー12人でオンステすることができました。イル・カンパニーレ、あんさんぶるポパイ、メンネルAEC、ドン・キホーテ、コール・グランツのYARO会に加えて埼玉第九合唱団のテナーパトリ・今村さん(元グランツメンバー)の参加を得て、各パート3人ずつの理想的構成となりました。(私は立場上仕事を休んで参加しましたが…)

 事前練習のためにみなさんのご都合をお聞きしたところ、九割が集まれる日が1日しかなく、やむなく1回だけの練習で本番に臨むことになり、一抹の不安がないわけではありませんでした。そうとなれば当然男声合唱の定番曲にするしかありません。
 中学生のみなさんに難しい曲ばかりお聴かせするのもどうかと思いますので、定番のなかから曲調のちがうものを選んだ結果、「いざ起て戦人よ」 「ふるさと」 「雨」 「里の秋」 「遥かな友に」 「斎太郎節」 というプログラムとしました。

 音楽祭は、朝10時開会式のあと1年生から学年ごとに 「学年合唱」 「クラス合唱」 を披露し、審査・表彰というコンテスト方式でした。午後2時過ぎ、すべて終わったところで我々のゲストステージとなりました。
 メンバーが交互に曲の紹介をしながら進め、途中で 「質問コーナー」 を設けたところ、予想に反してたくさんの質問者がステージの上に出てきました。このコーナーは質問がなければ飛ばすつもりでいましたが、あらかじめ担当の大澤千恵子先生が仕込んでおいてくれたようです。

 「どうすれば歌がうまくなれますか?」(究極の質問ですね、こっちのほうが聞きたい!とは言えないから、ああだこうだ…。分かったかな?)
 「歌をすきになるにはどうすればいいですか?」(
おじさんもね、子供のころは歌うのがいやでいやでしょうがなかったけど、繰り返し歌っているうちになんとなく歌うのが好きになったんですよね)
 「平均年齢はいくつですか?」(
そんなこと考えてもみなかったね。考えたくもない!)etc etc



 フィナーレは、3年生にオンステしてもらい会場の生徒や保護者の方々も一緒に 「翼をください」 を全体で歌って締め括りました。ピアノも指揮も生徒さんがやってくれました。音楽祭に至るまでには、おそらくたくさんの問題を克服しながら進んできたことでしょう。一生懸命きれいに歌おうと努力する女子、それに引き換えまじめに歌わない男子がいたりと、すったもんだがありながら、クラスがなんとか一つの方向に向かってゆく姿が目に見えるようでした。

 最後にメンバー全員に花束が贈呈されましたが、これにはいささか驚きました。けっこうな厚遇を受け逆に申し訳なかったような気がしました。

 とにかく、中学生のみなさんに男声合唱にかぎらず合唱の面白さや醍醐味がすこしでも伝わったらばこれ以上の喜びはありません。担当の大澤千恵子先生より 「生徒たちも大変楽しく鑑賞させて頂き、ありがとうございました。生徒からの感想では男声合唱の奥深さを感じられたという内容のコメントが多く大変好評でした。」 とお礼のお言葉を頂戴し、すこし安堵しました。


ゲスト出演を終えて一息入れるメンバー。2016年の全日本男声合唱フェスティバルに向けて話が盛り上がりました。

 






 夏の京都 合唱仲間と川床を楽しむ!

 
京都の夏の風物詩といえば祇園祭が一番にあげられるだろうか。祇園祭は平安時代にまで遡る歴史ある行事で、7月いっぱい開催される。われわれ男声合唱団ヴィヴ・ラ・コンパニー御一行は、これを横目で睨みながら、75日、6日に行われた全日本男声合唱フェスティバルin京都の出演後に高雄の 「川床」(かわどこ)へ出かけた。涼を求めて山あいの川べりを訪れるのも悪くない。

 川床は地域によって呼び名がいろいろあり、大阪北浜では 「かわゆか」、京都鴨川では 「ゆか」、貴船や高雄では 「かわどこ」 と読むのが一般的のようだ。いっぽう川床は、「納涼床」 とも呼ばれ、こちらは 「のうりょうゆか」 あるいは 「のうりょうどこ」 という。いずれも料理屋や茶屋が川の上や、川のよく見える屋外に張り出した座敷を作り、料理やお酒を提供する。

 日曜の本番終了後、われわれは京都コンサートホール前から川床の送迎バスに乗り込んだ。指揮者の南めぐみさんはすでに楽屋で浴衣姿へと着替えて出てきたので、一同いやが上にも雰囲気が盛り上がり、自分も浴衣を持ってくるのだったと惜しむ声も聞かれた。やはり女性は気が利いている。南めぐみさんとお呼びしてはあまりに他人行儀なので、ここではめぐちゃんと呼ぶことにしょう。

         



         

         


 高雄は、京都市街から北西の山の中にあり、市内より気温が3度から5度も低くまさに夏の別天地。ここは、日本でも有数の紅葉の名所もといわれ、秋には北山杉の林を背景に燃えるような紅葉が続く山里である。そこを流れる清滝川沿いに 「高雄錦水亭」 はあった。
 錦水亭は、清滝川に張り出すように一段高い位置に建てられた床で屋根がついている。一同座敷に落ち着き、一息ついてせせらぎの音に耳を澄ませばなんともいえない解放感に満たされ、まさに至福のひとときである。

 運ばれてくる料理はどれも手を付けがたいほど丁寧に仕上げられていた。天然鮎、京野菜など旬の食材を使った川床料理である。川床、京料理、浴衣姿の涼しげなめぐちゃん、いい取り合わせだ。極上の冷酒で酌み交わすうちに、昼間の男声合唱フェスティバル本番での演奏の出来などどこへやら、酔いにまかせて話が弾んでゆく。
 日もすっかり落ちた頃合いを見計らって川床一帯のすべての照明が消された。辺り一面闇に包まれる。聞こえてくるのは絶え間ないせせらぎの音だけ。すると、あちらでポッ、こちらでポーと光が飛び交いはじめた。ほたるだ。ずいぶん久しぶりに見るほたるである。ここには天然記念物となっている源氏ぼたるがいる。さすがに数は多くないものの、闇夜に流れるはかない光は幻想的で夢物語のよう。都会では味わうことのできない風情である。

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 その夜は、翌日も京都観光を楽しもうという残りのメンバーが平安神宮そばの宿へ向かった。そこは会員制の施設で、男声合唱団メンネルA.E.C.の中村さんの手配によるもの。二次会は合唱談義が夜更けまで続いた。合唱団によって台所事情はさまざまだから議論は尽きない。よくあることだが、飲み進むうちに話がどうやら堂々巡りしはじめ際限がなくなってきた。そろそろ潮時とみてお開きとなったが、もちろん午前様だった。


 翌月曜は朝から帰宅する人と別れ、残りのメンバーはバスの「一日乗車券」や電車を使って京都見物へ出かけた。男声あんさんぶる 「ポパイ」 の伊藤さんが観光スケジュールを立案してくれていた。しかし、梅雨どきでもあり、降ったりやんだりの雨模様だったから、時間と相談しながら欲張らずにぶらぶらと歩きまわった。

   



    


 松尾大社では社殿よりお酒の資料館のほうに目がゆき、鈴虫寺では漫才師のような坊さんの説教に耳を傾け、嵐山、渡月橋を渡って昼食のあと、龍安寺の石庭へと向かった。

 龍安寺方丈前庭の石庭は、東西25メートル、南北10メートルとさほど大きくない空間に白砂を敷き詰め、大小15の石を配した枯山水の庭だ。石庭は禅の極致を表現した永遠に新しい庭といわれ、時間・空間を超えて静かに自問自答するにふさわしく、見る人の自由な解釈に委ねられているという。その造詣の見事さに心打たれながらしばし静寂な世界に浸った。

 一日だけでは遊び足りないというメンバー4人はさらにもう一泊し、残りの京都見物を楽しんだはず──私は大して忙しくもない仕事だが、二日も休めないので後ろ髪を引かれる思いで泣く泣く帰宅した…(‘;’)






 第4回全日本男声合唱フェスティバル in 京都~狐六法踏みゆかん!

 全日本男フェスin京都のレヴューはこちら(音楽/合唱コーナー:M-131)


  

 男声合唱団ヴィヴ・ラ・コンパニーは丸で囲ったあたりにいます。






 埼玉県合唱祭に特別演奏

 今年で第60回を迎えた埼玉県合唱祭は、6月6日~21日までの5日間にわたり計251団体が出演するという一大イベントです。今回は特別演奏(招待演奏)やコーラスワークショップなどを盛り込み、より多くの方に楽しんでもらう工夫がされています。

 男声合唱団ヴィヴ・ラ・コンパニーVive la Compagnieは第2日目(6月7日:埼玉会館)第2部の最後に出演し、多田武彦作曲<柳河風俗詩>より 「柳河」 と、埼玉で生まれた卒業式ソング 「旅立ちの日に」 の男声合唱版を演奏しました。
 指揮者は我らがマドンナ、南めぐみさん…、まぁどんな…(^_-)-☆

 演奏終了後、第3部とのつなぎの時間に男子高校生との合同演奏が企画されました。指揮は高校生で、男声合唱の定番曲 「いざ起て戦人よ」 と 「斎太郎節」 でした。高校生たちはとてもよく声が出ていて、当たり前のように暗譜で歌っていましたが、おや、と思ったのは隣りの高校生が 「斎太郎節」 を 『さいたろうぶし』 と言っていたことです。場内アナウンスもそのように喋っていたようなので無理もないでしょうが、正しくは 『さいたぶし』 と言うのだと教育しておきました(..)

 打ち上げは、第3部に出演したイル・カンパニーレとの合同開催。近くの飲み放題もんじゃ焼の店へ…。


 他のお客さんがいるから歌えないね、とボヤきながらとりあえず乾杯。そこへ、なんと歌ってもかまわないとこの上ないお達しが…。それからというもの、もんじゃやお好み焼きを突きながらの大合唱で夜が更けてゆきました! お疲れさま。


   


         








 合唱の午後2015

  指揮者・須田信男さんの黒いタキシード姿がじつにみごとでした。
 分厚い男声の第一声が静まり返った会場に響き渡った瞬間、そこから詩人尾崎喜八の世界が始まりました。多田武彦氏は喜八の詩に寄り添いながらも独自の音空間を創造しています。それをどう再現するか、そこには指揮者のすべてが現れてきます。


 2015418日、紀尾井ホール、日本とオーストリアの音楽などの文化交流促進団体である日墺文化協会()主催の 「合唱の午後2015」 に男声合唱団ヴィヴ・ラ・コンパニーVive la Compagnieが出演しました。(チラシをクリックすると拡大します⇒)

 日墺文化協会は、1985年に設立された 「オーストリアを愛する方達が集い、文化、芸術、食…すべてを楽しむために活動している会」 です。各種演奏会はじめ、菓子・料理・ドイツ語などの講演会、レコードや映画の鑑賞会などを主催しています。このコンサートは、協会員でもある岸信介・全日本合唱連盟理事長の企画・構成によるものです。

 

 

Musica Nova Consort(女声)   指揮:片野秀俊

グレゴリオ聖歌 「今日キリストは生まれた」、ビクトリア作曲<聖週間のレスポンソリウム集>より他

 

Rosa Mariano(女声)   指揮:岸信介

アンドリーセン作曲<ミサ・シンプレックス>より、信長貴富作曲・無伴奏女声合唱曲集<なみだうた>より

                         

男声合唱団ヴィヴ・ラ・コンパニー(男声)   指揮:須田信男

尾崎喜八作詞/多田武彦作曲<尾崎喜八の詩から>「Ⅰ冬野」、「Ⅱ最後の雪に」、「Ⅳ天井沢」、「Ⅵかけす」

 

女声合唱団花の風(女声)   指揮:岸信介、ピアノ:由良郁子

星野富弘作詞/なかにしあかね作曲<女声合唱とピアノのための組曲 「花の風」>より、なかにしあかね作詞作曲<女声合唱とピアノのための2つの歌 「森のお客さま」>より

 

大久保混声合唱団(混声)   指揮:田中豊輝、ピアノ:村田智佳子

ミュラー詩/シューベルト作曲/今井邦男編曲 「菩提樹」、ワーグナー作曲<タンホイザー>より 「幸あれ芸術の館」 他

 

<招待演奏>
ハルモニア・アンサンブル(混声)   指揮:福永一博、ピアノ:田中惇史日本古謡/武満徹編曲 「さくら」、モーツアルト作曲 「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 他

 

<特別出演>

ソプラノ:佐々木典子、ピアノ:千葉かほる

J.シュトラウスⅡ作曲 「ウィーンの森の物語」、F.グローテ&A.メリヒャー 映画<ワルツ合戦>より 「ドナウに花咲く頃」、F.レハール オペレッタ<ジュディッタ>より 「我が熱き口づけ」 他

 

<全員合唱>

R.ジーチンスキー作曲「ウィーン我が夢の街」

 

 

 男声合唱団メンネルA.E.C.を中心に、いつもの男声あんさんぶる「ポパイ」、男声合唱団ドン・キホーテ、男声合唱団イル・カンパニーレ、男声合唱団コール・グランツという男声合唱プロジェクトYARO会の有志で臨みました。

 紀尾井ホールは、座席数800のクラシック専用のホールと邦楽専用250席の小ホールという使いやすい規模です。クラシック専用ホールは、四角い箱型いわゆるシューボックス型で室内楽や室内オーケストラのために構想されていて、合唱にも最適の空間です。
 
天井には強化ファイバーコンクリートを採用しています。聴く人にとって、ステージから直接届く音と壁や天井を反射してきた音との時間差が極力つかないような設計になっています。そのため緊密な響きが得られるということです。実際に歌ってみて、その反響の良さ、自然でいて隅々まで音が届く心地よさ、パート間のお互いの声が良く聴き取れるのでとても歌いやすいステージです。また、ここでは、ホール付きのステージマネージャーを置いている点にも特長があります。

 
余談ですが、紀尾井町という地名は、かつてこの地に紀州徳川家(州家)、尾張徳川家(州家)、彦根井伊家(伊家)の藩屋敷があったことに由来しています。紀州家は現在のグランドプリンスホテル赤坂や清水谷公園、尾州家は上智大学、井伊家はホテルニューオータニ付近にそれぞれあったということです。

 今回のステージに向けて、ヴィヴ・ラ・コンパニーは2月末から4回の練習で本番に備えました。男声合唱の宿命としてなかなかメンバーが揃わないという悩みは相変わらずですが、なんとかやりくりをつけながら練習を重ねました。けっきょく、全員が揃ったのは本番当日といういつものパターンとなりました。とにかく幾多の困難を乗り越え(‘;’)、どうにか指揮者須田信男さんが目指す尾崎喜八像()を作り上げました。


 駆けつけてくれた合唱仲間のなかに、齊藤弘子さんという熱烈な男声合唱ファンの女性がおられます。
 齊藤さんは、この上なく詩を愛する人です。彼女は、詩人尾崎喜八のことが気になり、いろいろ調べてみたところ、
諏訪の銘酒 「真澄」 をかつて喜八が愛飲していたのを知り、早速蔵元の宮坂醸造へ連絡、一升瓶を大量に購入してしまいました。そして、そのうちの二升をぶら下げてコンサート当日駆けつけてくれたのです。当然の流れとして打上げにもご参加頂き、みんなで乾杯しました。彼女は、いまや完全にYARO会の一メンバーです。影のマネージャかもしれません。



 齊藤さんのすごいところは、じつに詩を深く読むことです。詩人のこころに迫る読み方をします。ややもすると音楽より詩のほうにこそ思い入れが強いのではないかと思わせます。詩を味わい尽くすその姿勢には頭が下がります。われわれも歌う前には、少なからず詩について調べますが、実際にはそこそこで手を打っているのを白状せずにはおられません。詩もじゅうぶんに大切ですが、それと同等かそれ以上に音楽づくりに時間がかかりますから。
 合唱音楽は目に見える絵ほどには具体的でなく、あくまで音として詩の世界を表す抽象的な芸術です。演奏者がどう届けるか、聴く人がどう受け取るか、出し手と受け手次第です。齊藤さんの場合は、詩と音楽とに同等の価値を見出しています。

 そして、彼女からコンサートの感想を認めた手紙 「拝啓 ヴィヴ・ラ・コンパニーの皆さま」()を頂きました。大変よく分析されていますので、それをもってこのレヴューに替えさせて頂きます(^_-)。ぜひご覧ください。

 

 


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