2007.03-06 2007.10-12 PAGE END HOME
■2007.09.19 (wed) 西武庫プロジェクト 学生による団地の自主改修プロジェクトがほぼ完成した。 このプロジェクトは、建替えが進められている西宮市の西武庫団地の中の解体前の1棟を5つの学校(武庫川女子大学・ 関西大学・大阪市立大学・大阪工業技術専門学校(OCT)・京都工芸繊維大学)が都市再生機構(UR)から借用して 学生のDIYによる住戸の改修を行うものです。それぞれの学校がそれぞれのテーマで計画から施工までの工程を 学生自らの手で行なうことにより、普段の授業ではできない体験やリアリティを獲得できたと思います。 僕が非常勤で行っているOCTでは、2年の建築デザインコースのメンバーを中心に春の学内設計コンペ開催から 計画、設計、見積を経て夏休み前から現場に入り、夏休みのほとんどを他の学生を巻き込んだワークショップを行い、 完成させたものです。学生も僕自身も本当に満足感いっぱいの作品ができました。 完成に伴い、見学会とシンポジウムが下記の通り開催されます。特に学生のみなさん是非見てあげてください。 □見学会 9月22日(土)13:00〜15:00 9月25日(火)16:00〜18:00 9月29日(土)13:00〜14:30 □場 所 西宮市西武庫団地31号棟1階(阪急神戸線武庫之荘駅下車、駅前からバスで西武庫団地前下車) □シンポジウム 9月29日(土)15:15〜19:00) □場 所 武庫川女子大学甲子園会館(JR神戸線甲子園口駅下車徒歩10分) ![]() ![]() 改修前の室内(1DK) 改修前(和室からベランダを見る) ![]() ![]() 改修後・玄関からベランダを見る 既存建具を移動し、外部を取り込む ![]() ![]() ベランダ側から見る・奥に半地下の部屋とロフトがある 半地下部は既存床下を利用 ![]() ![]() 半地下の部屋からベランダを見る ロフト |
■2007.08.27 (mon) 帰国 8/28 朝ホテルをチェックアウトし、関西空港への直行便でヘルシンキを発ちました。 今回の旅は、ここ数年前から見てみたかったアアルトとアスプルンドを訪ねる旅でしたが、20代や30代の前半は アアルトに魅力を感じていませんでしたし、何がいいのかよくわかりませんでした。 独立前の事務所スタッフ時代、日本はバブル景気に賑わい、今から考えると狂乱ともいえそうな仕事を いくつもこなしていました。建築そのものの形式や計画の話しではなく、ロジックや装飾デザインの豊かさを 目指していたいわゆる似非ポストモダンの時代です。そういった時代に若い世代でアアルトに心惹かれる者は多勢では なかったと思いますし、実際僕の回りにもいませんでした。 また、北欧はヨーロッパの中心から見ると同じヨーロッパでも非常にリージョナルなところであり、 建築を考える上での環境が決定的に違います。それと経済の中心でもありません。 そのふたつは大きな前提としてあって、この日記でも何度か書いたように建築という行為が 森を切り開くことから始まったり、近代という大きな流れが北欧では環境や時間軸の中で少しずれていったと思います。 そうした中でつくられたアアルトの建築がモダニズム教育バリバリの僕たち世代にとって どこか身近に感じられなかったのかもしれません。 今回は夏に訪れましたがたが、北欧の冬は長く厳しい。そうした環境からくる太陽光や温かみへの希求を多くの作品で 強く感じましたし、森と湖で構成され山がないフラットな地形が影響してか、建築が自然と連続し、 一体化していくことを意図しているようにも見えました。 アスプルンド設計によるスカンディアシネマ(1923)のインテリアを見るとそれがよくわかります。 夜空のようなヴォールト天井の中に星のように浮かぶ温かな照明や月をイメージした拡声器などが取り付けられ、 自然との連続がインテリアにダイレクトに現れています。 同じ時期に建てられたラグナー・エストベリーのストックホルム市庁舎(1923)の青の広間は 内部でありながらそのスケールとハイサイドライトにより外部化された空間となっています。 アスプルンドのストックホルム市立図書館はそうした試みのひとつの完成形だと思います。 アアルトは、装飾や光の取り込み方ではなく、計画や細部のデザイン、素材の扱い方などさまざまな方法で この環境との繋がりを目指した近代建築家でした。逆の見方をすれば北欧だから生まれた建築家ということです。 例えばパイミオ・サナトリウムのダイニングの森のような透明感、クリトゥーリ・タロ[文化の家]の樹やオーロラの 抽象化やスタジオ・アアルトの内外のポジネガの反転、ヴォクセンスニカの教会の光の可視化、 ヴィラ・マイレアの森と連続しながらも領域化された中庭のあり方やさまざまな現象の抽象化デザインによる 森との連続などです。コエタロ[実験住宅]の中庭はそうしたアアルトの試みの中でも特筆すべき計画性と 内外という意識を超えるような他では経験できない空間だと思います。 アアルトの環境の取り込みは、さまざまな方法で建築の中に入り込んでいます。 空間を通して「森」という透明感のある永遠と続くものを意識させたり、目の前には木の枝の形や地形などが 抽象化されて、或いはダイレクトに現れたりします。 また、アアルト空間の特徴として小さな空間或いはデザインの連続があると思います。 大きな空間を分節するのではなく、小さな重なりで構成していくようなつくり方は自然発生的な見え方ができますし、 よく出てくるL字型やコの字型の図式にしても空間や視線が中心に集中しがちですが、 アアルトの場合、計画的にそれをうまく逃がして空間に多重性を持たせています。例えば、スタジオ・アアルトの中庭は 円形劇場のようでありますが、その横に裏の森に周り込むように塀が設けられ、1点透視図的な強い構成から逸脱させ、 裏の森とも連続させています。 そうしたかなり巾を持った環境の捉え方やそれらをさまざまな形で同時多発的に発生させることが僕には興味深く、 すごく現代的であると思いました。 今回は久々に長い旅をしました。北欧はすばらしかったです(但し夏しか知りませんが)。 人も環境ももの静かで居心地が良い。この静けさこそが北欧の魅力ではないかと思います。 イタリアなどと比べると物足りなさを感じる人は多いかもしれませんが、 質素・丁寧・美しさ、そんな言葉がイメージされる居心地の良さは、時が経つほどに胸の奥から滲み出てきて もう一度行きたいと強く思わせるのです。次回は冬に行ってオーロラ体験もしてみたいと思います。 結局、北欧に癒されまくりの旅でした。 ![]() ![]() 当時のスカンディアシネマのインテリア 森と湖(ムーミンもおるわなーこりゃ) ![]() ![]() パイミオ・サナトリウム ダイニング クリトゥーリ・タロ ![]() ![]() ヴォクセンスニカ教会 スタジオ・アアルト中庭 ![]() ![]() ヴィラ・マイレア ポーチ コエタロ |
■2007.08.11 (sat) オタニエミ/ポルヴォー 8/27 昨夜遅くヘルシンキに戻り、朝少しゆっくりとしてヘルシンキからバスで約30分のところにあるオタニエミに バスで向かいました。ヘルシンキ(オタニエミ)工科大学を見るのが目的です。 大学全体の計画をはじめ本館、図書館、寮など多くのアアルト作品があります。ゆったりした広いキャンパスの中を 気持ち良く歩いていると学生が制作した木造のサマー・サウナが屋外に展示されていました。 東屋のような小屋は細かなディテールまでよくできていて、スケール感の良い丁寧な作品です。 ![]() ![]() キャンパス内のサマー・サウナ まずは本館大講堂(1964)に向いましたが、ユバスキュラ大学のときも夏休みであったため内部が あまり見れませんでしたが、やはりここでも同じでした。しかも土曜日なので内部には全く入れません。 しかたなく、スタジアム状の屋根に上ったり、下ったりして内部の空間を想像したり、屋根に座ってのんびりと キャンパスを眺めていました。コエタロやスタジオアアルトでは、平面的な内部と外部の反転が行われていますが、 ここでは断面的な反転が生まれています。 スタジアム的な屋根ををつくった結果生まれた内部の空間がアアルト的な空間になっていると思います。 この大講堂の屋根は、中心に向かう方向性が強すぎて、心地良さをあまり感じれませんでした。 ![]() ![]() 本館大講堂 キャンパス内のアアルト作品を外部から見ながら、近くにあるシレン設計のオタニエミの礼拝堂(1957)に 向かいました。この礼拝堂は、普通内部にある十字架が森の中に立てられ、それを内部からガラス越しに見るという 面白い構成になっています。配置や断面計画もよく考えられていて、十字架は建物の北側の森の中に立っており、 建物は南側が一番高く北側に向かって片流れの屋根になっています。 つまり十字架に屋根越しに光が差し、少し暗い内部からそれを見るといううまい演出が考えられています。 また、寒い季節には白い森の中に立つ十字架が人々の心の中に染み入ってくるように思います。 ここでも土曜日は閉まっていて内部が見れませんでした。ガラス越しに見た内部は心地良さそうな スケールだったので残念です。入り口のガラス越しにも外の十字架は見れませんでした。 そんな感じで午前中が過ぎてしまったので、午後からは少し気分を変えて観光地にでも行ってみようと思い ポルヴォーに行くことにしました。ヘルシンキからバスで約1時間、ポルヴォーは、フィンランドには数少ない 中世からの歴史を持つ古い街です。少し期待してはいたのですが、やはり日本でもよくあるように 観光地化してしまい、観光客向けの店舗が軒を並べる街並になっていて少しがっかりです。 気持ちを切り替えておみやげ探しをしました。フェルトで出来た小物などを購入しました。 ヘルシンキに帰って、アアルトの初期の作品レストランサヴォイ(1937)でディナーをと考えていたのですが、 なんとここも土曜日は定休日。土曜日にレストランが定休日とは・・・ どこもかしこもみんな内部が見れませんでしたが、不思議とそんなに落ち込みませんでした。 多分、昨日のコエタロの空間を思い出して余韻に浸っていたのだと思います。 「まあ、あれを体験出来たのだからそれで十分やんな」と頭のどこかで考えていました。 それほどコエタロは良かったです。北欧に来て始めて少しゆったりとフィンランドの1日を過ごしたような気がします。 明日ついに帰国です。(TT) ![]() ![]() オタニエミの礼拝堂 ポルヴォ−の水辺 |
■2007.07.31 (tue) ユバスキュラB 夏の家/コエタロ(1953) 8/26 セイナッツァロの役場のすぐ横にあるスーパーでパンを買ってバス停で簡単なランチをすませました。 コエタロを見るためにムーラッツァロ島に向うバスを待っているとマイレア邸に一緒に行った ハーバードの学生のトム&ルーシー(英語の教科書の名前みたいでしょ)がやってきました。 外国でなくても旅行で建築を見て廻ると同じ人と何度も会うことが多いです。 以前四国に行ったときも行く先々でそのグループと会い、挙句は泊まるところも一緒ということがありました。 2人に挨拶をかわしてバスに乗り込むとランチを取るために先にセイナッツァロの役場を出ていた前田先生が 乗っておられたので、近くの席に座らせてもらい、いろいろお話をうかがいながら移動しました。 バス停を降りて10分ほど歩くとコエタロの入口が見えてきました。 木の簡単な柵の前で待っていると13時前にツアーガイドが現れ、ツアー参加者約15人と一緒に 森の中を歩いてコエタロに向います。アアルトがこの別荘を使っている頃は、この別荘に行ける道らしい道はなく、 セイナッツァロとこの別荘を自らデザインしたボートで往復していました。なんともロマンチックで優雅な話です。 森の中を数分歩くとそのボートが展示されている小屋(コンペで勝った学生がデザインしたもの)が現れました。 小屋は木のルーバーで造られた今風のデザインですが、中にある小さなボートは、シンプルで細部まできっちり デザインされ、かなりのかっこ良さです。 そこから少し歩くと別荘とは別に建てられたサウナ小屋があります。丸太を積み上げた小屋は、湖と別荘が 見える方向に小さな窓が設けられ、大きな石を基礎に使ったり、先に向って細くなる丸太の太さを利用して 屋根に勾配がつけられるなど単純な形態の中にもいくつかの工夫が見て取れます。 ![]() ![]() コエタロに向かう森の道 アアルトデザインのボート ![]() ![]() サウナ小屋 サウナ小屋の前から船着き場を見る 前日も訪れている前田先生は、「サウナなんか簡単でいいから早く行こう!」とサウナを結構しっかり 説明しているガイドを置いてどんどん森の中を歩いていきます。僕もそれにつられて早足で進むと木々の間から 白い姿が見え隠れしています。 夏の森の中に現れたコエタロは、まるで森の中の隠れ家のように静かに佇んでいます。 玄関側から右に回りこむと湖に向って視線が開け、さらに回り込むと今まで何度も写真で見てきた中庭が 目の前に現れました。レンガが白く塗装された外側から、レンガそのままの素材がさまざまな表情を 作り出している中庭に足を踏み入れた途端に背中がゾクっと震えました。すごい! 空間で感動して鳥肌がでました。初めて体験する空間の質です。 囲われた中庭は、外部でありながら、すごく内部的な空間です。リビングとして設計し、そのまま屋根を 取ってしまったような空間です。 コエタロとは、実験住宅という意味です。中庭の床と壁のレンガやセラミックタイルのパターンは 200種類にもなり、さまざまな積み方を試しています。ここのレンガは、午前中に行った セイナッツァロの役場での工事ではねられた2級品が使われています。 さまざまな積み方は、図面で描かれてはいますが緻密にデザインされたものではないように思います。 こんな感じもおもしろいかなあと考えながら、それらのデザインを積み重ねたものが結果的に中庭に独特の空間を 創り出したと思います。それとスケールと壁の開口(切れ目)です。大きさは実測してみると 約8.6mと9mのほぼ正方形をしています。おそらくもう少し小さいとすごく囲われたインテリア的な空間になるし、 これ以上大きいと内部化された外部というような感覚は得られなかったと思います。 中庭の開口(切れ目)は、湖側と西側の森側に取られています。両方とも壁と開口の割合はほぼ半分づつです。 この寸法も絶妙でこれ以上大きすぎたり、小さすぎたりするとスケールで感じたことと同じことが きっと起こると思います。湖への開口は、湖面を見せるために中庭床まで取られ、 その開口の向こうに湖面が光り輝いています。森への開口は、胸から顔くらいまでの高さまで上げられて その開けられた部分に幅広い感覚で木の縦格子が取り付けられています。 向こうに見える森の針葉樹とその格子が重なって連続していきます。 全体は、L字型の内部部分と壁で囲われた中庭がひとつになってほぼ正方形の形をしています。 さらに尻尾のようにゲストルームや納戸などが計画されています。 この部分は森の自然に消えていくようにデザインされているようにも見えます。 内部は、中庭に開口が取られたリビングダイニング、その上に木で吊られたロフト(アトリエ)があり 寝室、水廻りが直角に連続しています。白を基調にしたデザインも極めてシンプルで中庭で行なわれている レンガの実験とは正反対です。 もう一度中庭に立ってみると住宅としての機能は、レンガの壁厚の中に消えてしまっているように見えます。 ここでは、外部と内部が地と図が反転するような作用を起し、環境とダイレクトに繋がった インテリアとエクステリアの境界線上にある空間がありました。 ![]() ![]() 森の中に佇むコエタロ アプローチと玄関 ![]() ![]() 湖側の外観 ![]() ![]() 中庭から湖を見る 中庭から森を見る ![]() ![]() ![]() ![]() リビングとロフトのアトリエ ![]() ![]() 船着場から見る湖岸 あっという間に見学の1時間が経とうとしていました。早々と見学を終えたイタリア人のカップルは なんと湖で下着で泳ぎだしました。マジですか?!夏とはいえ湖水は冷たい。イタリア人恐るべし。 見学の後半から前田先生がガイドの人と交渉を始めました。ガイドの人はツアーの時間が終わると 中で何かの作業をするらしくその時間もここに居て大丈夫かということです。 前田先生のキャラクターもあって、「日本人の人は、私が帰るときまでここにいるのね。」ということで 話がまとまりました。他の人が帰った後、始め曇っていた天気も陽が差し始め、 刻々と表情を変えていく中庭を本当にゆっくりと堪能しました。 結局ヘルシンキに戻れる電車の時間ぎりぎりまで約5時間、至福の時間を過ごさせてもらいました。 前田先生ありがとうございました。 |
■2007.07.20 (fri) ユバスキュラA セイナッツァロの役場(1952) 8/26 ユバスキュラの市街からバスで約30分のセイナッツァロへ向かいました。 セイナッツァロは、木材加工の大きな工場がある数千人が住む小さな村でバイヤネン湖に浮かぶ小島です。 アアルトは、1942年からここの地域計画を行なっていたが実現せず、1949年になって改めてコンペで 役場を設計することとなります。この建築は、地域の中心施設として役場と図書館、店舗で構成され、 1952年の完成後1973年に建物が改修され、1991年には中庭など外部空間も整備され、 今では美しい状態で見ることができます。現在セイナッツァロは、ユバスキュラ市に組み込まれているため 役場の機能は持っていませんが、地域住民の施設として図書館は機能しています。 役場だけの機能にしなかったのはアアルトの提案だそうです。公共建築としてのプログラムを考えて、 店舗や図書館を併設することによりコミュニティの発生を促しています。 アアルトは、これらを分棟配置することはせず、ひとつの建築としてまとめました。行って思ったことですが、 寒い国の林の中に建つ小さな村の中心施設としてどうあるべきか考えたときに、ひとつのヴォリュームとしてまとめ、 人々の拠り所として表現することの意味は大きいように思いました。 全体構成は、1階に店舗(銀行・薬局など)、2階レベルの中庭を役場と図書館が囲む形となっていて、 店舗と公共をレベル差により分けています。2階レベルの中庭へのアプローチは、 四角で囲われた2つのコーナーに石の階段と土を板で止めただけの草階段が設けられています。 小さな噴水のある中庭は内向的な空間ではありますが、これらの階段があるためにどこからみても 完全に閉じらはせず、ふっと息が抜けるようになっています。中心性を持ちながらも横に逃げていくような スタジオ・アアルトの中庭のようでもあります。北欧の伝統的農家は、母屋や倉庫、家畜小屋などが中庭を取り囲む ように配置されていたようで、それを踏襲しながらも、斜めからアプローチすることによって アアルトの人を包むようなL型の空間がここでも生まれています。 この中庭は、ほとんどが芝生で覆われていますので、公共建築の広場的に扱われるものではなく、 むしろマイレア邸の中庭と同様に内部と外部の連続を意識したもののように思います。 中庭に面して役場の廊下が回されて連窓が設けられています。窓際のプランターやレンガのベンチ、低めの窓高さは そういった内外の連続が見て取れます。 また、木製サッシュや窓割り、スケールを見ているとその佇まいはまるで住宅のようです。 全体は、イタリアの中世山岳都市のような造形でかなり周辺に対して閉鎖的に見えます。 1階の店舗は透明ガラスでオープンにしていますが、2・3階の公共部分はほとんどがレンガ壁で覆われています。 図書館には大きな開口部がありますが、縦の木製ルーバーが取り付けられ、外からは壁の延長に見えます。 レンガは、当時セメントと鉄不足の為に選択されたということですが、夏の緑の中ではその色が映え、 雪景色の中では温かみをもたらします。外壁・階段のレンガは実験的に作られた「文化の家」のそれではなく、 古い一般的なレンガを使用し、小口と長手の使い分け、若干の凹凸など人の手の跡を残した非常に味わいのある表現に なっていて、レンガが持つ硬さは感じられず、林の中で独特の雰囲気と存在感を創り出してしています。 中庭に面した役場廊下は、連窓からの採光が白いペンキ仕上げの天井に反射して、明るい内部空間となっています。 そこから続く3階議場への階段と廊下は床壁ともレンガで仕上げられ、 天井はこの部分から3階まで木が貼られています。天井近くの連窓の光と間接照明、レンガのパターンが レンガという素材を軽く見せています。議場も9mキューブのヴォリュームの壁が全てレンガ壁で覆われています。 北側のハイサイドライトと小さな開口部からの絞られた採光の中で蜘蛛のような木製トラスが屋根をささえ、 そこからいくつかの小さな照明が長いコードで垂れ下がっています。 ほの暗くやや陰気な空間は、木製トラスの動きのあるデザインや光の入り方、床・家具などの木の温かみもあって 重苦しい中にも落ち着いた安心感があります。 薄暗い日々が続く寒いフィンランドの冬に外の白い光と温かな照明で照らされた強いレンガ壁は、日本で通常感じる ものとは違って見え、人々をやわらかくしっかり包み込んでくれるもののように感じます。 当たり前のことですが、目の前に現れたこの建築はやはり環境を抜きには考えられないのです。 造形や素材、開口、構造、プログラムなど環境の中で意味を持ってきちんと実現されています。 厳しい環境に対して簡単に閉じてしまうのではなく、その環境を感じながら、人の居心地をどう創るのか。 アアルトのひとつの答えがここにあるように思いました。 中庭で大きなカメラを首からぶら下げた日本人のおじさんと仲良くなり、いろいろお話をうかがいました。 昨日もここに来て午後からアアルトの「夏の家」にこれも昨日に続いて行くということで、 どこにもマニアな人がいるもんだなと思いながら話を聞いていたら カーンの研究で知られている京都大学の前田先生でした。びっくりです。 ![]() ![]() 左手1階が店舗と図書館(現在は1階も図書館) ![]() ![]() 中庭への石の階段・上がった右が役場入口 草の階段・向こうに議場が見える ![]() ![]() 草の階段 中庭・右が役場入口 ![]() ![]() 中庭奥から草の階段方向を見る 中庭に面する役場廊下 ![]() ![]() 3階議場への階段と廊下 議場 ![]() ![]() 議場のクモ型木造トラス 図書館2階 |
■2007.07.12 (thu) ユバスキュラ@ 8/25 この日は、一度ヘルシンキのホテルをチェックアウトして、ユバスキュラに向かいました。 ヘルシンキから電車で約3時間のユバスキュラは、1923年にアアルトが最初に事務所を開設したところです。 アアルトの始めての大きな作品であるユバスキュラの労働者会館は、修復され現存しています。 この頃の作品は、当時流行していたアスプルンドになどに見られる北欧の新古典主義の強い影響が見られます。 アアルトは、1964年からユバスキュラの都市設計になる行政・文化センターの計画を構想しましたが、警察署や 市役所の都市建設部オフィスなどは完成しましたが、全てが完成するまでには至りませんでした。 ホテルにチェックインして、まずはアルヴァ・アアルト美術館(1973)を訪れました。 アアルトの資料は、多くのオリジナル図面などはヘルシンキのアトリエ・アアルトにそのまま残され、 アアルト財団が管理しているそうで、ここではアアルトの生涯や作品を模型や写真などによる展示が 行なわれています。 美術館の外壁は、遠くから見ると木をリブ状に張っているように見えますが、近づいてみると棒状の 白いセラミックタイルでした。細かなディテールと素材そのものをデザインして構成された外壁は、 周辺環境の中に本当にさりげなく美しく佇んでいます。 正面入口の扉も同様に一見シンプルに見えますが、細やかで確かな仕事が銅版の美しさを際立たせています。 1階は、エントランスホールと受付カウンター、レクチャールーム、アアルト家具の置かれたカフェなどがあり、 カフェの横の階段をかがると2階が展示スペースになっています。階段周りのディテールは、アアルト作品にしては かなりあっさりとした印象を受けます。展示スペースに見られるニューヨーク万国博(1939)の フィンランド・パビリオンのような木製リブのうねる壁もインテリアのひとつの要素としてしか見えず、 空間に大きく作用してアアルト独特の空間を創るまでには至っていません。 ここで、お土産を物色しました。手元に置く「小さな建築」を収集している建築マニアの友人Yさんに 旅行前からお願いされていたアアルトの小さな建築を旅行中ずっと探していたのですが、どこにもありませんでした。 Tシャツや書籍が並んでいる棚の下をふとのぞくとついに発見! アアルトの手作りペーパークラフト模型がありました。 しかも大好きな作品「セイナッツァロの役場」の模型です。部品を見る限りではディテールまで 結構精度の高いものです。ちょっと感激。もちろん自分のものとふたつ購入しました。ここでの大きな収穫です。 その後、隣接する中央フィンランド博物館(1961)の外観のみを見て、 徒歩でユバスキュラ大学へと向かいました。 ランチがまだだったのでまずは学生用カフェテリア「ロッツィ」へ。14時を少し過ぎて閉店間際でしたが、 パキスタン人のシェフの親切でお得なランチメニューを食べることができました。 彼はユバスキュラに来て20年とのこと。パキスタン人がどんな経緯でこんなところまでやって来たのか 少し考えてしまいました。 カフェももちろんアアルトの設計で、内部はレンガ壁と木造トラスで支えられた屋根で構成され、シンプルですが 明るい落ち着いた雰囲気を創り出しています。家具は全てアアルトのデザインです。このようないわば学生食堂で 普通にアアルトの家具が使われていることは、日本の大学のそれとは大きく違います。 デザインを学ぶものにとってそれが自分の生活の中に浸透していることの意味は本当に大きいと思います。 ユバスキュラ大学には、他にも多くのアアルト作品があります。 大学が夏休みということでほとんどの施設は閉まっていました。 しかも開いている施設は、ここでも夏にしか出来ないメンテナンス工事が行なわれていてゆっくり見れたのは、 付属小学校だけでした。ヘルシンキの「文化の家」と同じ時期に創られた大学本部の外観は、「文化の家」と同じく レンガ壁の造形の力強さと美しさはここでも際立っていました。メンテナンス中の内部には入れたので、 工事中ではありましたが職人もいなかったのでゆっくりと見学していたのですが、 事務所から学生のアルバイトが出てきて、入ってはダメとのことで外に出されてしまいました。 まあ、しかたないなと思いながら出た途端鍵を閉められ、そこから違う入口のほうに廻ってガラス越しに 中を覗いているとその彼が現れ、無言でその扉を施錠しました。 アルバイトで責任あるのはわかるけどちょっと気ィ悪いやんか。 ![]() ![]() アアルト美術館 中央フィンランド博物館より美術館の鳥瞰 ![]() ![]() 美術館の外壁 美術館入口の銅板製の扉 ![]() ![]() 美術館階段 展示スペース ![]() ![]() 大学の学生用カフェテリア「ロッツィ」 ![]() ![]() 大学本部外観 本部3層吹抜けのホール |