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■2007.06.21 (thu)
 
 ポリ/ノールマルク マイレア邸(1939)

 8/23 昨日、アアルトハウスでハーバードの学生カップルに声をかけられ、明日マイレア邸にヘルシンキから日帰りで
    行くことを話すと日帰りで行けるとは知らなかったということで電車の時刻などを教えました。
    マイレア邸のツアーは、5人までの1グループで50ユーロもすることから
    結局その二人も同じ見学ツアーをその場で電話で申し込み、早朝の同じ電車でポリに向かいました。

    ポリから30分ほどバスに乗り、ヘルシンキを出てから約4時間、午後1時過ぎにマイレア邸に着きました。
    畑の横の舗装されていない道から左に折れ、導かれるように森の中に入っていくと
    大きなお屋敷(アアルトのパトロンでもあるグリクセン家)があり、その前を通り過ぎ少し歩くと
    木立の中に白い外壁が見え隠れし、さらに歩くと美しいプロポーションの外観が姿を現しました。
    ツアー開始まで30分ほどあったのでマイレア邸とは逆に道を下ってみるとりんご畑が広がっていました。
    ここからも木立の間からマイレア邸が見え隠れし、マイレア邸がこの周辺では一番高いところにあるのが
    よくわかります。
    先ほどの道まで戻り、あらためて見ると環境に非常にうまく溶け込んでいます。
    モダニズムデザインの白いスタッコ外壁に設けられた木製出窓や、細い木が使われた2階部分の外壁、
    玄関前の木のルーバーなど素材をうまくデザインして環境になじませています。
    裏側に回ると自然石を積み上げた低い塀とキャノピー、1946年に増築されたサウナ小屋が
    中庭を取り囲んでいます。さらに回り込むとこちらは土を盛り上げたり、花や植え込みで中庭を囲っています。
    森の中でこのような囲い方が必要なのか少し疑問を持ちましたが、広大な森の中で領域化することによる
    安心感とアアルトの持っているL字型の空間構成を考えると塀やサウナの位置はすぐに理解出来ました。
    
    予約時間の1時半になると案内の女の子(そう見えました)が玄関から現れ、内部に案内されて、
    玄関で注意事項を聞きました。ガ、ガーン!。その内容は、内部撮影は全面禁止。
    1階は玄関ホール、リビング、ダイニングのみ立ち入り可。グリーンルームとライブラリーは覗くだけ、
    階段は上ってはいけません。2階の見学は全くダメ。もちろん楽しみにしていた夫人のアトリエも。
    こんな遠くまで、しかも高い金額を払って…もう1回ガ、ガーン!
    日本から予約を入れたときはそんなこと言ってませんでしたやん!
    知り合いの人は、いっぱい写真撮ってましたやん!。
    横のハーバードの学生は、「写真撮れなくてもスケッチするから大丈夫でーす」と良い返事。ホンマかいな。

    どうやら持ち主が変わったらしいです。嘆いていても予定の1時間はあっという間に過ぎてしまうので、
    気を取り直して入っていいところをうろうろしました。
    ここでは、1階の内部空間だけではなく、外部の環境と連続した空間にするための
    さまざまな試みが見て取れます。リビングとライブラリーの仕切り上部のスリットは、
    空間をつなげることはもちろん、その間からもれる光は先ほど見た杉木立の間に落ちる光に見えます。
    階段の手摺や籐が巻かれた柱などは木々をイメージしたものですし、さまざまな床素材も外部か内部への連続を
    意識した上で決められています。グリーンルームは、かなり日本をイメージした空間で、具体的な障子という
    デザインだけではなく、内外の両方を感じさせる日本的な空間になっています。
    その他リビング窓際のプランターボックスによる外との緑の連続などさまざまな素材、デザインと計画により
    周辺の環境と連続した外部化されたインテリアが創られています。
    僕も学生に負けじとスケッチをしてあっという間の1時間でした。
    
    外に出てプールのある中庭へと向かいました。先程、森側から見た石積の塀は中から見ると
    程良い高さで設定され、さらにダイニングから延びる草が植えられたキャノピーとともに
    囲まれながらも森と連続していく中庭内部の居心地を作り出しています。
    中庭に立ってよくよくみると本当にさまざまな素材でさまざまなデザインがなされています。
    キャノピーの構造も木とコンクリートが無造作に使い分けられているし、自然石の階段の横に深い青色のタイル、
    木地と白ペンキ、牧場のような丸太の手摺が細い鉄骨で支えられたりしています。
    このルールの無さ、形式の無さで使われた素材とデザインはまさしく「数奇屋」そのものだと思いました。
    
    世界が近代化していく1930年代という時代の中で、モダニズムに片足を置きながら、
    風土や環境を考えた独自のデザインをアアルトはここで創り上げていました。
    白い幾何学の中に散りばめられた玄関キャノピー・2階アトリエ・プールの3つの自由な形態は、
    あたかも綺麗な四角いテーブルに置かれたアアルトデザインのガラス食器のようでもあります。
    そしてそれは、近代化に傾倒していくこの時代の中でのアアルトの存在そのもののように見えるのです。
    白夜の中を走る帰りの電車の中でスケッチを見ながらそんなことを考えていると、疲れと電車の心地よい揺れで
    知らぬ間に居眠りをしていました。
    
    
      
    
    バス停からマイレア邸への道           木立の中で見え隠れするマイレア邸

      
    
 木製出窓はアプローチの方を向いている          特徴的な玄関キャノピー

      
      
後ろの森と連続するデザイン      グリーンルームと木の外壁部分が2階アトリエ

      
      
中庭 正面がダイニング部分           ダイニングから続くテラスキャノピーとサウナ

      
       
石積みで囲われたテラス            唯一内部から撮った写真(玄関扉の小さな孔から)


 ■2007.06.05 (tue)
 
 ヘルシンキA−2

 8/22 クルトゥーリ・タロからトラムで日本から予約を入れていたスタジオ・アアルトに向かう。
    予約時間の12:30まで40分ほどあったのでスタジオから近い湖岸のカフェでランチ。
    となりのテーブルでは、にこやかに商談中。この時期の水辺のテラスは実に心地良く、
    こんなところで打合せなどしたら、まとまらないものもまとまってしまいそう。
    ついついゆっくりしてしまい気が付くとぎりぎりの時間になってました。

    フィンランディアホールの時と同じくここでも日本人が多い。話を聞いていると建築関係の人ばかりではなく、
    一般紙や家具などからアアルトのことを知り、見学に来ているようでした。
    その中の女性のひとこと「やっぱ、彼氏が建築家とかだったら、こんなとこばっか連れて来られるんだよねー。きっと」
    僕の心の声「そうですよ、気をつけてね」
 
    スタジオ・アアルトは1955年に建てられました。周辺は、閑静な住宅地で前面道路から
    一層分下がったところが玄関になっています。当時はアトリエとオフィス製図室がL字型に配され、
    L型に囲われた外部が湖に向かってゆるやかに傾斜する野外シアターのような空間になっています。
    1963年にダイニングが増築されて、野外シアターを囲む変形のコの字型プランになりました。
    アトリエは、円弧壁と連窓、地形の等高線がそのまま内部の階段になっていたり、
    樹を抽象化にしたような柱と照明器具、小さなトップライトとハイサイドライトなど
    さまざまなデザインがなされていますが、そのデザインは全然暑苦しくなく、小気味良い空間となっています。
    アトリエやダイニングも見ごたえがあったのですが、僕が特に興味を持ったのは、
    野外シアターのある塀に囲われた外部空間です。
    建物をコの字型に配し、建築に囲われて生まれた空間が一番アアルトらしい空間になっていると思いました。
    アトリエと野外シアターを仕切る円弧壁は、アトリエ内部を切り取るといよりむしろ野外シアターの空間を
    切り取るためにあるように見えます。つまり、内外の空間のポジネガが反転されてています。
    さらに円弧状の野外シアターは、その視線を透視図のように一点に集中させてはいますが、
    建物と塀の隙間や塀の位置と高さ、ゆるやかな斜面地形の影響でうまく視線を逃がし、
    つかみどころのないスケール感とその中に居心地を持つ独特の空間となっています。
    フィンランドにおいて人が生活するための空間をつくるための第一歩は、森を切り開くことです。
    環境の中でアアルトが創った空間は、そんな風に生まれた木々に囲まれた空間に通じているようにも感じられます。


      
       
湖に向って下っていく前面道路          右手1層分下がったところが入口

      
     
野外ステージ 円弧壁のところがアトリエ           正面は製図室

      
      
野外ステージ横の塀に囲まれた空間         アトリエから野外ステージを見る

      
           
アトリエ          木を抽象化したような柱と照明

      
     
製図室 階段を下りたところが玄関ホール        増築されたダイニング


 ■2007.05.18 (fri)
 
 ヘルシンキA−1

 8/22 朝からまず市内北部にあるクルトゥーリ・タロ「文化の家」(1956)へ。
    ここは、旧フィンランド共産党本部の建物ですが、政党オフィスだけではなく、文化ホールが併設されています。
    90年代に修復工事が行なわれ、現在は非営利団体が所有しているということでした。
    全体は、銅版とガラスで覆われた単純な箱のオフィス棟とレンガで覆われた有機的な形態のホール棟で構成され、
    道路に沿って50m以上あるキャノピーがでそれらを視覚的につなげています。
    オフィス棟は、残念ながら開口部のメンテナンス工事が行なわれていて足場に囲まれていました。
    ホール棟のレンガ外壁は実験的な試みがなされています。レンガブロックは、別注で制作された断面形状が
    角を丸めた台形をしており、太く荒い目地で積まれていて、さまざまな曲率で湾曲した外壁面を
    力強く密度の高い表情にしています。
    有機的な形態は、いわゆる「形」をデザインし、そこに機能を詰め込むのではなく、
    内部のヴォリュームがそのままフォルムを決定しています。
    内外の境界をダイレクトにデザインすることで内外の連続が生まれているようにも見えます。
    僕自身もこれまで、あまり立面図というものを描かずに内部の決定をそのまま外観で表現することが多かったので
    こうした手法は共感するところです。
    内部は、大きなホール(オーディトリアム)が見学できました。アアルト空間によく出てくる円形劇場型で
    計画されたオーディトリアムは、いくつもの波が重ねられたような天井デザインとその間からもれる間接光、
    木をモチーフにした(?)柱などまるで北欧の森に見られるオーロラを想起させる空間になっています。
    やわらかいヒダのあるインテリアは、昨日のヴォクセンスニカ教会に続き
    アアルト空間を強く感じることが出来ました。つづく


      
     
道路側外観 右端がオフィス棟

           
     
映写室がそのまま外壁のフォルムとなっている     レンガ壁ディテール

       
     
    オーディトリアム内部

      


    

 ■2007.05.10 (thu)

 なんだかんだとやっていたら、またまた1ヶ月近く経ってしまいました。
 この間に住宅が竣工し、学校も新年度が始まり連休に中耳炎になり(子供か!と言われ)いろんなことがありました。
 気を取り直して北欧の旅の続きを書きます。

 イマトラ

 8/21 ヴォクセンスニカの教会(1958)を見るためにヘルシンキ駅朝9:34発の電車でイマトラへ。
    12:43にイマトラ駅着、ひとつの建築を見るためだけに片道約3時間の移動、果たしてその価値はあるのか?!と
    自問自答しながら、インフォメーションで聞いた13:10発のバスを待ち、イマトラ駅からさらにバスで約30分かけ
    てヴォクセンスニカ地区に向かいました。
    
    イマトラは、ロシア国境近くのパルプを中心とした工業都市で、アアルトは戦争直後の1947年に
    この新しい工業地帯の地区計画を立案しています。教会はこの地区計画の一環として建てらました。
    プロテスタント系の教会はもともと祈りの空間とした機能ばかりでなく、地区のコミュニティ施設としての機能を
    併せ持ちますが、このヴォクセンスニカ地区においては工業地帯の住民にとって、地区集会や社会活動の
    中心施設としての機能をより強く求められたということです。
    
    バスを降りて、少し歩くと駐車スペースの森の中に白い建築がちらりと見え、
    木々の間に高い塔がそびえ立っています。思ったよりも小さい。
    これは、見に行った建築が良かったときに受ける印象です。周囲を歩いてみると3つの空間が折り重なるように
    一体化しているのが外からでもよくわかります。
    内部に足を踏み入れると壁と天井が一体化した白い空間に、さまざまなところからやわらかな光が差し込み、
    包み込まれるような感覚を持ちます。
    800名収容できる大きな空間は、アアルトの特徴でもあるL型の空間のコーナーを丸めたような3つの空間が
    連続して構成され、大きな電動間仕切りによりそれらを仕切ることが可能になっています。
    昨日見たフィンランディアホールにも大きな電動間仕切りがあり、アアルトはこのような装置的なものが
    好きなんだと思いました。この電動間仕切りは厚さが42oもあり、防音効果も高いとのことでした。
    3つの空間はそれぞれに特徴的なトップライトやハイサイドライトが使われています。
    3つの十字架のある祭壇に向かって左側は直線の壁で、右側がそれを受けるようにL型を変形した形が
    連続しています。十字架に近い空間は、礼拝のみの空間で十字架を照らすハイサイドとトップライトは
    直接目に入らぬように隠され、十字架のある壁は湾曲しながら天井となり、美しくそしてやさしく十字架を
    浮かび上がらせます。左側の壁からは、唯一この空間でカラフルで細かなステンドグラスを通した光が差込みます。
    光を可視化するさまざまなハイサイドライトからの優しい光は空間を刻々と変化させ、
    流動的で優雅な空間を創り出します。
    3つの集会所と礼拝というプログラムをアプローチや可動間仕切りで計画的にもうまく解決していて、
    2時間ほどの見学でしたが、アアルト空間の全ての要素が詰まった、
    ここまで来て良かったと思わせるアアルト建築の傑作でした。

       
         
道路から見た教会                   アプローチ

       
         
裏の森から見る               3つの空間が連続することがわかる

       


       
    
可動間仕切りはハイサイドライトの間の空間に収納されます


 ■2007.03.23 (fri)

 ヘルシンキ@−2

 8/20 テンペリアウキオ教会から徒歩でアアルトの晩年の代表作のひとつ、フィンランディアホール(1962-1975)へ。
    日本からのメールでこの日はイベントがあり、内覧ツアーはないとのことでしたが、
    とりあえず近いので行ってみると14:00からのツアーがありました。
    申込みをしてから近くのカフェでまたしてもキッシュのランチ。
    15人ほどのツアーは、ほとんどが日本人でホワイエと大小ふたつのホールを見学しました。
    大きなホールは、2階客席や壁がオーロラ或いは波のようにデザインされていますがやや大雑把な印象、
    小さなホールの方は天井にムササビが飛んでいるような木のパネルがぶら下がり、通路階段、調整室など
    アアルトの細かなデザインが見て取れます。外部はイタリア産の白大理石がここでも使われています。
    エンソ・グァーツァイト本社と同じく大理石は反ってしまっていますが、それが網代のような状態になって
    表情をあたえているようにも見えなくもありません。道路側エントランスの雁行状に伸びる低い庇と
    木立と呼応するようなホワイエ部分の波打つ壁とハイサイドライト、裏側のテ−レ湾からの眺めを意識した
    水平と垂直を組み合わせたデザインは、非常にシャープで洗練されていますが、建築的な評価よりも
    アアルトのヘルシンキ都市センター計画の中で生前唯一実現された建築としての歴史的意味や
    ヘルシンキという都市の中での社会的役割の意味の方が大きいように思われます。
    近くにあるスティーブン・ホール設計のヘルシンキ現代美術館(キアズマ)へ。
    一部の素材やトップライトのデザインはアアルトを意識してるようにも見えます。
    トラムに乗りアカデミア書店(1969)へ。朝からやっと1周して返ってきました。
    白大理石に囲われた3層吹抜けの空間を中心に売り場がその周りを取り囲み、吹抜けには3つのトップライトが
    設けられ、やわらかい光を取り入れています。ここでの白大理石は、内部なのでもちろん大丈夫です。
    磨かれた石面は、光を反射し大理石という素材が空間に作用しています。
    アアルトに代表されるように北欧建築の特徴ひとつにトップライトがありますが、ここでは単なる採光窓ではなく、
    クリスタルガラスのようなデザインがなされ、光を可視化或いは結晶化し、店全体のデザインを決定付けています。
    吹抜けを取り囲む手摺は絶妙な高さで設定され、トップライトと相まって空間の伸びやかさを創り出していて、
    非常に気持ちの良い書店です。
    2階にあるカフェ・アアルトでコーヒーブレイクし、隣にあるラウタ・タロ(鉄鋼会館)の外観をチェックして
    白夜の街へブラリブラリ…


       
      
フィンランディアホール道路側外観           テーレ湾側電車からの外観

       
          
大ホール                      小ホール

       
          
アカデミア書店               2階カフェ・アアルトから

       



 ■2007.03.17 (sat)

 ヘルシンキ@−1

 8/20 朝9:00、ホテルの目の前からトラムに乗り、駅の近くにあるストックマンデパートまで移動し、
    街の雰囲気を感じるために徒歩で港に向かう。港では日曜日のフリーマーケットが出ていましたが、
    フィンランドというよりもロシアをイメージさせる品々が売られていました。
    フリーマーケットを楽しみ、港に面して建つエンソ・グァーツァイト本社ビル(1962)へ。
    イタリア産の白大理石を貼った外壁は港の中でひときわ際立っている。ただ、風雨で大理石は反り、
    汚れなどの劣化が激しい。日曜日なので内部は見学できませんでしたが、アアルトにしてはめずらしく、内部よりも
    港の中のランドマークを意識した建築となっています。
    港近くのインフォメーションで建築ガイドマップを購入し、ヘルシンキの全体をなんとなくつかむためにトラムで
    1周してみることにしました。(ヘルシンキはそれくらいの小さな都市です)
    途中、テンペリアウキオ教会(1969)の近くを通ったので予定変更。この教会はドーナツ状にくり貫かれた御影石の
    大きな岩盤のドーナツの穴の部分にPCコンクリートの梁で支えられた円形の屋根が載る構成になっています。
    内部空間は大きな洞窟にスリット状のトップライトから光が差し込み原初的な空間が美しいのですが、
    僕がおもしろいと思ったのはむしろ外部空間の方でした。高さ10m、直径100mはあろうかという岩盤の周囲を
    高層のアパートが囲み、結果として都市の大きなヴォイド(空隙)を作り出しています。
    しかも、その大きな岩盤の上には人が登れ、夏の日差しを求める若い女性が水着姿で日光浴をしてたり、
    教会に来たひとが座ったりしています。アパートでいう3〜4階ほどの高さの岩盤の上で女性が日光浴をしている
    その向うにアパートの窓が見えているという興味深い不思議な都市の状況が生まれていました。(つづく)


       
       
 エンソ・グァーツァイト本社

          
          
フリーマーケット            テンペリアウキオ教会エントランス


       
       
テンペリアウキオ教会内部             天井はコイル状に巻かれた銅板

       
      
 テンペリアウキオ教会岩盤の上


 ■2007.03.01 (thu)

 トゥルクからヘルシンキへ

 8/19 パイミオを出てダウンタウンまで戻り、カフェでキッシュの遅いランチ。
    キッシュは、ユーロ高と消費税28%で物価の高いフィンランドでは、それなりの値段でそれなりにお腹が膨れるので
    重宝しました。旅行中、何度もランチでいただきました。名産のサーモンの入ったものもメニューにありました。
    エリック・ブリュックマン設計のトゥルクの葬祭場(復活の礼拝堂)へ向かう。日本の某出版社が出している
    建築ガイド本に載っている住所を見るとバスターミナルの近くだったので少し歩けば見つかるだろうと思い
    探しますがこれがなかなか見つかりません。何人かに尋ねるも住所はこの辺りだと言われ、
    一時間ほど少し範囲を広げて歩き回るも見つからず。結局インフォメーション行くとあっけなく教えてもらえました。
    が、なんとバスで約30分もかかるとのこと。ガイドブックに載っていたEerikikatu3という住所は
    バスターミナルの住所だったのです。それにしても、ええかげんなのは某出版社、この出版社出身の編集者は
    うちのサッカーチームのメンバーなので帰ったら絶対文句のひとつも言ってやろうと思ってましたが、
    帰ってきて一緒にサッカーをしたのについついサッカーに夢中になってしまいタイミングを逃したままです。
    (そんなもん信じちゃあだめだよーって言われそうですし)
    バスに乗って到着したのが16時前。木立の中を少し進むと程良いスケール感で落ち着いた建築が
    徐々に姿を現します。礼拝堂の入口にまわるとドアに15時にCLOSEDの文字。落ち着いていたガイド本に対する
    怒りがまたまた込み上げてきました。しかたなく、大きなガラス面から内部を覗てみると壁と天井が一体となった
    天井の高いかまぼこ型の左官仕上げの空間とそこから吊るされた照明器具のデザインや床の大理石に
    いくつもあけられた暖房用の穴など非常に細かなディテールも美しい。でも中に入らないとスケール感や光の入り方、
    雰囲気など空間はよくわかりません。(後日、アアルトハウスで一緒になった日本設計の方が
    この建築が一番良かったとおっしゃっていたので残念)仕方なく石積や窓枠、左官仕上げ、金物など
    美しい外部のディテールをそれなりに堪能してトゥルクの駅に戻りました。
    18時発の列車でヘルシンキへ向かいました。ヘルシンキまであと30分、森を抜けたカーブで突然、警笛が
    鳴り響いたと思ったら次にはガ、ガ、ガ、ーーーーーと激しい揺れに襲われました。ダ、ダッセンする!と感じ、
    座席の肘掛を強く握り締めました。大きな揺れと音が20秒ほど続いたあと列車は森を切り開いた牧草地の真ん中で
    停止しました。何が起こったのか全くわからないまま、乗務員は行ったりきたりあわただしく動いています。
    状況を説明している車内放送もフィンランド語で全く理解できず、遠くに一軒だけ見える農家からは数人の人が
    出てきてこちらをずっと見ています。心配そうなこちらの顔を見て、近くに座っていた乗客のおじいさんが
    メモ用紙に絵を描いて説明してくれました。なんと牛(おじいさんの絵は確かに牛に見えた)と正面衝突したという
    ことでした。そのうちパトカーまで出動してきて簡単な現場検証を終え、約45分後に列車は出発しました。
    当然ヘルシンキに着くのも遅れ、トラムと地下鉄の最寄駅を勘違いしてしまい、白夜の中を20分近く歩いて
    ホテルに何とか到着しました。トラムの駅はホテルの目の前でした。
    思いもよらぬことが旅先では起こるものです。牛さんに合掌、いやアーメン。
    
    
       
         
トゥルクの葬祭場

              


       
                             
事故の現場検証でポリス登場

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