2006.07-10 2007.03-06 PAGE END HOME


 
■2007.02.20 (tue)

 またまた1ヶ月があっという間にたってしまいました。

 パイミオ・サナトリウム

 8/19 バイキングラインで1泊し、翌朝フィンランドの旧首都トゥルクに到着しました。タクシーで駅まで移動し、
    荷物をコインロッカーに預けてから徒歩で約20分ほどのバスターミナルへ。そこからフィンランドの最初の
    目的地でもあるSainaalaのパイミオまでバスで約40分かけてようやく到着したときには
    見学予約時間の12時半近くになっていました。
    アアルトやアスプルンドが活躍を始めた1920〜30年代は、建築の流れを大きく変えた時代でした。
    1923年にコルビジェの『建築をめざして』が出版され、1928年にCIAM(近代建築国際会議)結成と
    ミースのバルセロナ・パビリオン完成、1931年にサヴォア邸が完成し、1932年にはMOMAでの
    インターナショナル・スタイル展が開催されました。翌年の1933年にはバウハウスも開校されています。
    このように様式建築から近代建築への大きな流れがこの時代に生まれたのです。
    
    パイミオ・サナトリウムは1933年アアルトが35歳の時の作品です。結核患者のための病院として
    美しい森の中に建てられました。白い箱型、細長の連想窓などインターナショナル・スタイルのボキャブラリーで
    一見機能主義的な形態をしています。しかし、この場所に訪れる人が最初に目にする病室棟の妻側は、
    機能的に決められたというよりも手摺のデザインや色、ガラスのシースルーエレベーターなどが
    森の中で鮮やかにそして優しく病院への来訪者を迎えてくれる情緒的なデザインがなされています。
    また、森だけに向かって配置された病室棟は、連窓ではなく各室ごとに大きな窓が設けられ、
    患者が森の空気を吸うバルコニーは、病室に閉じこもりがちな患者を病室の外に出すために
    別棟や屋上に設置するなど患者の心理的なことを考慮された計画になっています。
    現在は、結核病院ではなく一般病院になっていて、バルコニー棟も病室に改築されています。
    予約していた内部のツアーでは、ダイニングとレクチャールーム、屋上のバルコニー、1室だけ残されている
    当時の病室を見ることができます。ダイニングルームは、緑とオレンジのテントを通して北欧の夏の光が差し込み、
    森を抽象化したような木漏れ日の空間が透明感を持ち、居心地の良さを感じました。屋上のバルコニーに上がると
    地平線まで続く森を見渡すことが出来、この国では、森を切り開くことからすべてが始まるということが
    よく理解できます。病室では、家具や水はね音の出ない洗面器、ドアノブ、照明にまでアアルトの患者への
    優しい配慮があちこちに見られます。
    近代建築への流れの中で活躍を始めたアアルトにとって、北緯60度という同じヨーロッパの中でも
    その中心から遠く、自然環境も大きく違う北欧の環境が大きく影響したことは間違いありません。
    インターナショナルスタイルでデザインされたパイミオ・サナトリウムですが、それからはいい意味でズレています。
    この「ズレ」こそがアアルトなのだと感じました。


       
           
アプローチ

                
            病室妻側のデザイン              森に向けられた病室棟

         
          バルコニーと広がる森                ダイニング

               
            階段に置かれた家具              残された病室インテリア



 ■2007.01.12 (fri)

 新年明けましておめでとうございます。今年もゆっくりではありますが着実に前に進んでいきたいと考えております。

 バイキングライン

 8/18 湾の中をゆっくりと抜けていく船。外洋とは全く違う静かで深い水の上を船はゆっくりと進んでいく。
 8/19 小さなパーティーが催されることまで見て取れる距離にある海岸沿いにはさまざまなヴィラが点在し、
    白夜の夕暮れに明かりを灯す。
    夕闇のバルト海ボスニア湾の海は、まるで黒くてやわらかい物体のようで、その上をすべるように進んでいく
    船内での食事は本当にゆったりとした気分にさせられる。今後一時でもこのような静かで穏やかな日々が送れれば
    いいなとさえ思ってしまいました。
    気が付かないうちに眠ってしまい、朝起きればもうフィンランドの旧首都トゥルクでした。
    アルヴァ・アアルトに触れる朝です。


      
         バルト海の夕景

      
                                朝焼け
   
    
         トゥルクに着岸


 ■2006.12.14 (thu)

 ストックホルム最終日

 8/18 ストックホルム最後の日、夜に乗るフェリーの時間までいろいろ巡りました。
    
    ■ストックホルム近代美術館・建築博物館(1998)
     スペイン人の建築家Refael Moneoの設計でリニアな空間にトップライトが連続する構成。
     美術館ではPAUL McCARTHYのかなりグロな作品展。さまざまなメッセージがこめられているにしても
     こういう作品には生理的に拒絶反応が起きる。
     建築博物館ではスウェーデンの建築の歴史と建築家Bruno Mathssonの企画展を見る。
     1950年台のモダニズム建築、非常に細い鉄骨の構造で作られた建築は軽快で美しい。こちらは生理的にも心地良い。
     ミュージアムカフェで船用ドッグを改装したヴァーサ博物館や湾を行きかう船を眺めながら早めのランチを楽しむ。

    ■ガムラスタン(旧市街)
     ストックホルム発祥の地で13世紀中頃の城壁都市。城壁はすでに取り壊されているが古い建物を改装した
     ショップやレストランも多く観光名所になっている。
     起伏を生かした石畳の路地、坂、階段など極端なスケールの街並空間は魅力的。

    ■聖マルコ教会(1960)
     スウェーデン産の暗褐色のレンガで仕上げれたSigurd Lewerentz設計の教会。
     レンガパターン、粗いセメント目地が周辺の緑に溶け込む。礼拝堂の内部は波状に連続するレンガ天井と
     レンガ壁に開けられた開口部廻りのディテールなど設計者のレヴェンツのレンガという素材の扱いが新鮮。
     入口のキャノピーや水盤の吐水彫刻などのデザインも含めて村野藤吾を想起させる。
  
    ■KF社オフィス複合ビル(1998)
     バスターミナルから立ち上がる「カタリナ・エレベーター」とよばれるEVがビルの8階部分から延びる
     展望台を支え、その展望台を抜けたビルの反対側は丘の上の道に橋で接続する構成。丘の上の道が
     湾内まで延びてそこにビルやエレベーターが取り付くという道の延長として見た方がプログラム的にはおもしろい。

    19:30に約30分遅れてバイキングラインに乗船。
    ストックホルムの夕景を見ながら20:10ゆっくりと静かな入り江を出航、一夜明けるとフィンランドです。


         
      
ストックホルム近代美術館・建築博物館        ガムラスタン
 
          
                                        
聖マルコ教会礼拝堂

       
        
  KF社オフィス複合ビル             ストックホルムの夕景


 ■2006.11.24 (fri)

 森の礼拝堂

 8/17 森の火葬場からさらに進むと道は森の中に入って行き、大きな樅の木々をバックに小さな門が現れます。
    この門が森の礼拝堂への入口で、そこからさらに奥の樅の木々の中に礼拝堂はあります。
    門から礼拝堂までは5,60m程ですが礼拝堂に向けてゆるやかな下り坂になっていて実際よりも奥行きを感じます。
    高い木々の中で小さな礼拝堂は、急勾配の寄せ棟の柿葺き屋根、棟に乗った丸太、トスカーナ様式の柱列、
    大きな煙突など森の中の物語に出てくるような不思議な姿で佇んでいます。
    また、木々の中でのこの建築の小さなスケールは、反対に森のスケールを大きく見せます。
    ドアには鍵がかけられていたために中には入れませんでしたが、ドアの小さな穴から覗くと正方形の礼拝堂に
    ドーム天井が架けられトップライトからやわらかい光が小さな空間に充満していました。
    ここの森は、冬は雪に覆われますが、湿気の多いじめじめしたものではなく、ドライで明るい印象です。
    そんな森の中にはたくさんの墓碑が並び、高い松の木々の間から差し込む優しい陽光の中でそれらを見ると、
    何か日常からものすごく遠く離れた場所に来たような不思議な気持ちになります。
    そこは、目の前にある現実の森ではなく、北欧の人々の精神の中に根ざす深い「森」。
    アスプルンドはそうした静かな「森」へ人々を導くことをデザインをしたのではないでしょうか。
     

       
        
正面に火葬場 右に礼拝堂の門             礼拝堂の門

       
            
森の礼拝堂

       


       
           
墓碑が並ぶ森

 

 ■2006.11.09 (thu)

 森の火葬場

 8/17 地下鉄T−Centraken駅からアスプルンド設計の『森の火葬場』(1940)に向かう。
    森の火葬場という名前のイメージからは市街地より1時間以上はかかりそうだが20分程で
    最寄駅のSkogskyrkogaden駅に到着。途中オーシュタ湾を渡ると静かな住宅地といった環境になり、
    徐々に木々が多くなってくる。駅前には、お供え用の花屋が2軒あり、色とりどりの花が駅前を彩っています。
    花屋を見ながら右に曲がり、「木漏れ日の道」とでもいった木々で覆われた歩道を抜けるとすぐに半円形の石塀と
    高い木々に囲まれた森の火葬場の入り口が現れます。こんなに近いんだと思いながら遠くを見ると
    今まで何度も本で見ていた聖なる十字架が小さくそして存在感十分に建っていました。
    十字架に向かって延びる美しく荒い石畳の道は緩やかな上り坂です。右側のなだらかに広がる瞑想の丘と
    左側の低く長く続く塀がこの道に奥行きを与え、人を十字架へ、さらに奥にある「森」へと導くのです。
    ここでは火葬場の建物は消され、目の前の風景と風だけがそこに存在します。
    この静寂はすでにここが「森」の一部であることを実感させてくれます。
    瞑想の丘を右に見ながら石畳の坂道を歩くと礼拝堂の建物群が姿を現し、
    大礼拝堂前のロッジア(柱廊)に行き着きます。
    ロッジアから見る瞑想の丘は、逆光でシルエットととして浮かび上がり、その高さは地面と空の境界を持ち上げ
    そこに植えられた数本の木々が人の想いを高く、そして遠くに向けさせてくれます。
    この火葬場には、さまざまなかたちで(奥行き)が実にたくみにランドスケープとして計画されています。
    瞑想の丘から火葬場の建築を見てみると、後ろの森との一体感と同時にプロポーションの美しさに見とれてしまいます。
    小さく分節された建物のヴォリュームやロッジアの柱スケールなど実に繊細ににデザインされています。
    それは、礼拝堂や待合室など参列者が使う施設の後側に火葬場の炉や事務的なスペースを1階分下げて設けて
    表と裏の空間をうまくわけたアスプルンドの計画に裏付けされています。
    ロッジ
アにたどり着いた道は大きくうねり広くなってさらに奥の「森」へと続いていきます。

 
        
           
駅からの歩道                  森の火葬場入口

       
      
  「森」に続く石畳 右が瞑想の丘           十字架と瞑想の丘
 
       
          
睡蓮の池と瞑想の丘            ロッジアと瞑想の丘

       
          
睡蓮の池とロッジア                森の火葬場建築群

 

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