隠れ宝塚のひとりごと

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花組 TAKARAZUKA 1000days劇場公演
「SPEAKEASY」/「スナイパー」

−「スナイパー」編−

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観劇日   8月23日
観劇時間  午前11時の部
観劇場所  16列右手ブロック(B席)


「スナイパー」−恋の狙撃者−
石田昌也 脚本・演出


−これが花組東京公演か−


 このショーが恐ろしく盛り上がらない。「SPEAKEASY」ではすべて1階席という構造のおかげで、大劇場以上の盛り上がりを見せているというのに、こちらは非常に静かだった。花組の東京公演のショーといえば、普通は大劇場以上に盛り上がるはずだが、今回はほとんど盛り上がらないばかりか、大劇場の方が盛り上がっていたという奇妙な現象を見せている。
 フィナーレで多少は盛り上がるが、オープニングや中詰めは悲惨である。観客席が静まり返ってしまっているのだ。普段なら手拍子の起こりそうな場面がきても、最初はすべての観客が無反応で、しばらくたってからようやく「会」の人が手拍子を始め、それに続いて一般ファンが三々五々加わっていくという、およそ花組のショーらしくない光景が展開される。
 ほとんどの観客が引いてしまっているのだ。初見の観客は趣味の悪いコスプレと宝塚らしからぬピストル乱射に戸惑っているし、既に大劇場で見ている観客はどんなにひどいショーか知っているから、盛り上がる気になれないでいる。
 あまりにひどいショーを作ってしまった当然の帰結ではあるけれども、熱心なファンの多い東京公演でこれは非常にまずい事態ではなかろうか。これでは新東京宝塚劇場の竣工前に「退団」してしまうファンが増えかねない。
 こんなショーが二度と作られないことを祈るのみである。


−退団者に気を遣ってほしい−


 とにかく観客の受けが悪すぎる作品であるが、その中でも特にひどいのが「ヘイ・リポーター!」の最初の部分だ。髭面で出てきた千ほさちの「だってアタシ、女の子だも〜ん」に、観客席がシーンと静まり返ってしまう。明らかに、千ほさちの台詞に引いてしまっているのだ。
 ほさちファンとして、非常に悲しく、そして石田氏への怒りを覚える瞬間である。
 退団者のファンにとって、サヨナラ公演は贔屓の生徒の宝塚最後の思い出を作る場である。大好きな生徒が、最高に輝いているところを見たいのだ。間違っても、変な思い出は作りたくない。変な格好をさせられて、客席を凍りつかせているところなど見たくない。
 僕も、今回の1000daysを見る目的の第一は、千ほさちの宝塚最後の思い出づくりである。それなのに、似合うはずもない付け髭をつけさせられ、客席が引いてしまうようなギャグを飛ばしているのを見せられる。ただでさえ、心の準備もできぬままサヨナラ公演を迎えてしまい、無念極まりないというのに、その上こんな場面を見せられては、ほさちファンとして、悲しみと怒りを禁じ得ない。
 確かに千ほさちの退団発表は、突然すぎた。突然すぎて、この退団を意識した演出に換えるのは不可能だということも、退団発表から初日までの日数を考えれば理解できる。だが、せめて似合わぬ付け髭を中止するくらいの気遣いは見せてくれてもよかったのではないか。退団者を少しでも美しく見せるために。退団者のファンに変な思い出を残さないようにするために。


−大幅修正がなされたけれども−

 大劇場での大不評がこたえたのか、今回は大幅に修正の手が加えられ、大劇場とは結構違った仕上がりになった。

 前半部はカットが結構あり、オープニングから中詰めまでは、小気味よいテンポでの展開になった。場面ごとのつながりの悪さは相変わらずではあるが、テンポが早くなった分、多少は我慢できるようになった。
 ただし、「ライト兄弟」の一部カットは非常に残念だ。大劇場ではこの場面の最初のあたりが若手生徒の見せ場にもなっていた。しかし、今回は頭から匠ひびきと伊織直加が登場してしまうため、せっかくの見せ場が埋もれ気味になってしまった。若手の見せ場だけは残しておいてほしかったものである。
 逆に悪趣味コスプレ炸裂の「大空港」は一部カットを入れて本当によかったと思っている。今回の東京公演は異常なまでに引きまくりだというのに、大劇場の「大空港」をそのまま持ってきてしまったら、さらに盛り下がっていたことであろう。

 「ヘイ・リポーター!」の真矢みきの最初の衣装は「サザンクロス・レビュー」のエルドラード・キングと同じピンクのものに替わった。「そう言うアキラこそ派手な服着ちゃって」「これがいちばん地味なんだよ」という千との会話は爆笑もの (^^;

 歴史に残る大悪評シーン「アウシュビッツの空」も、大幅修正が入っている。まず冒頭の「ゲットーに住む我々ユダヤの民は、……」のナレーションが廃止された。そして、舞台などからはハーケンクロイツが外された。「ガス室」を表現する薄いカーテンが消えた。
 賢明な選択だとは思う。多少、この場面で感じる重苦しさも和らいだし。特にハーケンクロイツをなくしたあたりは評価できる。ハーケンクロイツのような物騒なものは、なぜそれを使わなければならないのか十分に考えてから使うべきである。使うべき理由を明確にできなければ不必要に観客の気持ちを重くさせるだけのものになってしまう。

 大劇場と東京でこれほど脚本や演出の違うショーは今まで見たことはなかった。
 とりあえず、これだけの思い切った変更で、東京版は多少は見られるようになった。大劇場の時ほど構えずに見ることはできる。
 とは言っても、評価できる中身ではないことには変わりない。根本的な問題の解決にはなっていない。カットによってオープニングの「SWAT」や「大空港」のパイロット等の悪趣味コスプレが消えたわけではないし、「ヘイ・リポーター!」の千ほさちの似合わぬ髭面も残っている。「アウシュビッツの空」も、多少ソフトになっただけで、何とも言えぬ重苦しさを感じさせる場面であることには変わりない。
 根本は変わっていないから、観客席は引きまくりで、花組の東京公演のショーらしくない盛り下がりぶりが展開されるのだ。
 ただし、東京公演でもそのまま無理矢理押し通そうとせずに、観客の声を多少なりとも受け入れて脚本や演出に大幅な変更を加えた点は評価したい。多少は商業演劇の何たるかがわかっているようだ。


−フィナーレの新しい見所−


 大幅な変更は、フィナーレにまで続いている。そして、このフィナーレの変更が、東京版の演出の大きなポイントでもある。
 「フィナーレC」に1場面加わり、「フィナーレC(1)」、「フィナーレC(2)」に分かれたが、ここで新しく加わった「フィナーレC(1)」は、このショー最大の見所である。
 「なぜこれを大劇場でやらなかった」と言いたくなるくらいすばらしいものを感じた。まず大階段に真矢みきと16人の男役が並んでいるが、真矢の頭文字の「M」字に並んでいるのが心憎い。そして、黒燕尾の男役たちのダンスは、文句なしに美しい。これは生演奏の大劇場で見たかった。
 おかげで、今回は「アウシュビッツ」で感じた重い気持ちを引きずらずに、最後のパレードを迎えることができた。


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