隠れ宝塚のひとりごと
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花組宝塚大劇場公演
「SPEAKEASY」/「スナイパー」
−「スナイパー」編−
観劇日 | 6月6日 | |
観劇時間 | 午前11時の部、及び午後3時の部の2回 | |
観劇場所 | 午前11時の部 午後3時の部 |
1階後方左側(A席) 1階中程右側(A席) |
特記事項 | 午前11時の部 午後3時の部 |
星組生徒観劇。 宝塚友の会貸切公演。 終演後磯野千尋、真矢みきによる挨拶あり。 |
スナイパー −恋の狙撃者−
石田昌也 作・演出
−一度観れば十分−
この作品の評判が、非常に悪い。NIFTY Serveの「シアターフォーラム宝塚館」(FKAGEKI)でもあまりいい声があがっていなかったので、あまり期待せずに行ったが、これほどひどいとは思わなかった。「SPEAKEASY」が、谷正純氏の脚本とは思えないくらいにいい作品だっただけに、なおのことこちらの出来の悪さは気にかかる。これなら「芝居抜きの『ザッツ・レビュー』」(笑)の方がまだましである。
2回観劇したが、これは一度観れば十分で、2回目は「SPEAKEASY」だけで帰ってしまおうかと思った。
まず場面ごとのつながり方が悪すぎる。場面転換ごとに、流れがブツリと切れてしまうのはいかがなものか。時間は50分しかないというのに、10分おき程度で内容ががらりと変わり、そのたびに頭を切り換えるのは結構大変だった。
それでも、楽しめる場面ばかりならいいのだが、決してそうではなかったことが、さらにこの作品の印象を悪くしていった。
−悪趣味なコスプレショー−
それでも前半は結構楽しめた。特に「ライト兄弟」はよかった。夢があり、気品のある美しさに溢れる名場面だった。この作品の中で最も気に入った場面である。
しかし、ここに続く「大空港」から作品は崩れていく。
「宝塚がコスプレショーに手を出したか」。「大空港」ではそんな思いを持たされた。
この場面ではスタッフのセンスを疑わざるを得なかった。いくら宝塚の生徒とはいえ、あの衣装は悪趣味なコスプレにしか見えなかった。パーサーも、パイロットも、整備士も。
セットにしても何を考えているのかわからない。冠公演じゃあるまいし、あの航空会社のマークは興醒め。せっかく夢を見に宝塚大劇場に来ているというのに、現実に引き戻されるものを感じてしまった。
そして中詰めへの展開の強引さ。なんだか知らぬがいきなりリオの空港になって、カーニバルが始まるのには戸惑った。
「大空港」に続く「ヘイ・リポーター!」も趣味が悪い。特にこのシーンの始まりの、千ほさちの「変装」は泣きたいくらい趣味の悪いものだった。何で大好きな千ほさちがあんな格好をしなければいけないのかと思った。
この辺で面白かったものは、真矢みきの空中回転くらいのものだった。あとは、何度センスの悪さに辟易しただろうか。
「宝塚らしく」などといったことまでは言わぬが、もうちょっとセンスがほしかったものである。
−「アウシュビッツの空」に関して−
「スナイパー」に関して語るとなると、やはり「アウシュビッツの空」は避けるわけに行くまい。その内容ゆえに、劇団ホームページなどでは論争にまでなった、いわくつきの場面である。
この場面は、見ていて石田昌也氏の良識を疑いたくなった。
まず言っておくが、この歴史事実を題材にすることには反対しない。ナチスによるあのような悲劇が二度と繰り返されてはならないということを訴えていくことは非常に大事なことである。
しかし、この作品での、この場面の入れ方は、あまりに乱暴すぎた。
最大の問題点は、ストレートに描写しすぎたこと。結婚式の襲撃、収容所での虐待、そしてガス室での惨殺と、余計な演技手法を使わずにそのまま表現している。これがいけない。結局、あまりにリアルにあの悲劇が再現され、非常に気持ちが重くなった。
そしてこれがフィナーレの直前というのもいけない。この場面で持たされた重い気持ちが、フィナーレのパレードまで続く。せめて間に「ライト兄弟」が入っていれば、多少は穏やかな気持ちでフィナーレを迎えることができるのだが「アウシュビッツ」からいきなりフィナーレでは、気持ちを立て直す暇がない。せっかく、いい夢が見たくて劇場へ来たというのに、重い気持ちのままフィナーレを迎えさせられたことに非常に不快感を覚えた。
さらに、この場面を10分にも満たないショーの1シーンに納めてしまっていいものであろうか。人種差別の問題は、非常に大きいテーマであり、お手軽に1シーンで扱うようなものではない。このようなテーマを追求したいのなら、徹底的に時間をさくべきである。
今回の石田氏のアウシュビッツの扱い方は、このように乱暴きわまりないものだった。だから劇団ホームページの掲示板であのような論争にまでなってしまったのだ。
この問題から目をそむけることは許されたものではないし、これを題材にすることに反対を唱えたりはしない。しかし、宝塚も商業演劇である以上、少しでも観客に重い気持ちを抱かせない、あるいはそれを和らげるように努める配慮は必要ではなかろうか。
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