わくわく冒険日誌 2015
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ゲーム公開中

11月
30日(月)

偉大なる妖怪漫画家(二重の意味で)、水木しげる先生の訃報が!
ちょっと2015年、大物の訃報が続きすぎるのではないか。
知られている以上に文化的に大きな即席を残した方だと思う。

TLでは気の利いたコメントが流れ続けているが、
とっさに出てこない自分はやはり作品をさらいなおす必要があるな。
とりあえず買おうと思っていた図説日本妖怪大全は近日中に。

29日(日)

てなわけでunityの方に手を出して数日。 ようやく、それっぽいものが出てきた。 手足のように使えるかというと、うむーだけど。 旧Androidでも変なデバッグなしに使えそうな環境というと限られてくるのだよね。
これのせいでゲームやる時間が減っているなあ。まあ、どちらも趣味だからよいか。

23日(月)

あきぼんさんに誘われて(厳密にはちょっと違うけどそういうことで)、 東京国際フォーラムにて開催される 「バック・トゥ・ザフューチャー インコンサート2015」に出かけた。 映画音楽の演奏なの?BTTFはもちろん魂の作品だけど、最近寝不足だからオーケストラ、寝ちゃわないかな~ と思っていたら、パート1の上映にあわせてBGMを生演奏(拡散はスピーカ)だって? それなら寝るわけがない!すばらしい。

それに、あきぼんさんと娘さん二人(ぐりんちゃん&れっとちゃん)に会えるのも嬉しい! というわけで、幼子と相方さんを残して出かけた。

久々、ぐりんちゃんは、赤川次郎の小説の続きが気になるようでしょっちゅう取り出しては 読みふけっていた。いい傾向だ。れっとちゃんも三毛猫ホームズとかは通過しているらしい。 うむ、いいよいいよぜんぜん早くないよ~。

東京国際フォーラムではデロリアンも展示されており、人だかり。 ひょっとしたら今年、世界中のデロリアンは増えているのではないか。
てなわけで、何度目かわからないけどパート1を観賞。 英語版字幕で、おそらくノーカット。たっぷり楽しめました。 最初に三ツ矢雄二さんのオープニングと、オリジナルのロングバージョン演奏があり。 途中で(ビフ軍団と一回やりあったところで)休憩を挟んで、ボーナストラックの演奏。 という。 ちなみに、アンコール演奏がないのが個人的にはよかった。 いやあ、面白かった。 なんでも、このパターンの演奏会はインディとかサンダーバードとかE.Tとかいろいろ 催されるみたい。

最後は感想でも話し合おうかと思いきや、連休中の東京駅でカフェというのはなかなか難くてそのまま解散~、残念。

20日(金)

この日ぐらいまで、Cocos2d-xのJavaScriptに手を出してみた。
2Dゲームの開発なら魅力的な環境のようだ。
だが、だめだった。
というのも、従来JavaScriptのCocos2dはWeb出力のみだったのだが、Ver3で本来のC++&LUA版と統合された。
本流でなかったせいか、JavaScrptで作ったもの(ブラウザではちゃんと動く)をAndroidパッケージで出力すると、どうにも挙動がおかしい。
タッチにも反応しないのだ。そんなバカな!
だがサンプルも挙動をJavaScriptで記述して、Androidパッケージにしたものはついぞ見かけなかった。
たぶん、なんかバッドノウハウ的なもので動作するのだろうが、 そういう苦労をしたくないので、ゲームフレームワークに手を出したのだ。
C++で記述すればすんなり動くだろうが、今はプライベートではちょっと描きたくない。
少なくともJavaScript版でバグがなくなるまではなしだな~。
残念。
仕方ないのでここはUnityにも手を出してみるか。

教訓「ゲームフレームワークのJavaScriptは注意せよ」

11日(火)

ちびすけの予防接種の日。
意外と問題なく終了。
送迎タクシーの運転手さんが、なんと陣痛のときに運んでもらった方だという。
(登録しているので同じ会社なのだからありうるのだが)
ありがとうございました!おかげできちんと産まれることが出来ました。

8日(日) 「二十年ぶりの答え合わせ」

かつて8日は「マイコンBASICマガジン」という雑誌の発売日だった。
そして今日、時空を越えてかつての読者のためのイベントが開かれる。
チケットは即完売クラスだったのだが、なんとか買えたので朝から秋葉原に向けて出発である。

マイコンBASICマガジンと私
各種パソコンの投稿プログラム掲載と、アーケード/パソコンゲームの紹介コーナーの二本立てが軸。
少年時代、この雑誌がすべてだった。
掲載ゲームを打ち込む以上に、多機種で面白そうなゲームを物色したりアルゴリズムを確認したりした。 身につけた知識で、青いなりに理想のゲームを友達と論じた。 ソフトコーナーで、当時渇望していたアーケードゲームやパソコンゲームを遊べないまでも体験することが出来た。 アットホーム編集部でライターたちが和気あいあいと、割と力技で紙面を作っていることが肌で感じられたので、 楽しそうな部活を羨望のまなざしで見ている感覚に近かったのだろうと思う。

最高時は28万部の発行部数を誇る。業界的にも、ベーマガ買っていたよという人はこの分野にごまんといるし、 読者やライターの卒業生の中ではかなり名を成している人もいる。 やがて1990年代後半になると、時代の趨勢からか、BASICは第一の言語ではなくなり、 ゲームは雑誌投稿よりもネットで公開するようになる。だんだんと、名物ライターたちも卒業、 紙面はアウトソーシングしたっぽい記事で埋められるようになっていた(最盛期のテイストが残るところもあったものの)。 残念ながら2003年5月号で終了を迎える。

もちろん私は最後まで付き合っていた。 雑誌は長らく捨てずにとっておいては読み返していたのだが、 同居を機に大半を処分せざるを得なかった。

あいにくの雨だが、整理券をもらって、レトロゲームの店をぶらつく。
念願のBEEPものぞくことができた。
このあたりで見かける顔ぶれもきっとベーマガイベント出る方なんでしょうね。

そしていよいよ開催の時刻。
私は基本的にひねくれ者でもあるし、運営側のいくつかの不手際から、 それほど期待はしていなかった面が確かにあった。

だが、イベントが始まると、ベーマガ全盛期のパワーを感じるわけですよ。
あの山下章さんが司会でもありプランナーで、いろいろ事前に準備したことが伝わってくるのですよ。
勝手ながら、山下さんたちはスーパーソフトコーナー(ゲーム紹介記事)担当なので、 投稿プログラムコーナーに関係ないと思っていたのだが、ちゃんとそちらも大事にしている構成なので 大いに認識を改めることになった(それだけではなく手塚一郎さんは‥‥)。

詳しい内容は公開しないように(多分媒体で出るのかな?)とのことなのであかせないが、 ベーマガ編集部の部、スタープログラマーの部、ゲームライターの部で、 それぞれ秘話を聴けて大いにもりあがった。(つぐ美さんていたの?とか実はあの記事は?とか) 至近距離に古代祐三さん、見城こうじさんがいるだけでも興奮するし。

観客席にも、著名アプリ開発者など、「追随する者たち」がいたはずで、 楽しむ一方で、何十年たっても舞台の上から観客席前方まで背中が遠いなあと感じてしまう自分がいる。
いやいや、これでエンジンがかかっていないようならもうダメな子でしょう。

「──当時だっていろいろあったはずだけど、キラキラしていたと思えるのは夢中になれるものがあったから。
2015年もあとで振り返って、キラキラしていたと思えるようにしましょう」

という山下章さんの締めの言葉、 素直に受け入れられました。

退場時に、参加者一同、お客さんに御挨拶したいからと至近距離で見送ってくれたのは本当に粋な配慮。 もじもじ、踏み切れないおじさんたちにはありがたかった。

公式/レポート

7日(土)

ありがたいことに波留子さんがお昼ご飯を持って遊びに来てくれた。 しかも、今日はれっとちゃんも一緒に。おおおーひさしぶりだ! うちのちびすけと念願かなって御対面。 可愛いと言ってくれた。ちびすけも、泣きを炸裂させることなくお客さんをおもてなし。 よしよし。 あと、最近料理に凝っているれっとちゃん、自作のりんごケーキを頂きました。 美味い!

1日(日)

さて、何を思ったか、HTML5+JavaScriptプログラミングは、表示ルーチンを書き直して Canvasによるレイヤー=スプライトから、一枚のCanvasをスプライトレイヤとして各方式に戻し中。 透過や回転はわざわざ各ドットを精査したりアフィン変換に翻弄されたり。 速度はどんなもんでしょう。

こういうところをちょこちょこ直していると、PCのブラウザでは問題ないのだが、Android旧型で表示されなくなる。 流石にちょいと嫌気がさしてきたぞ、旧型Androidブラウザ対応。対象外にすべきなんだけど、手持ちのAndroidタブレットが これなんだよなー。