道楽探偵の夢のような一日



◇  ◇  ◇

 昼過ぎ。マンションに帰り着いて、和己はすぐにパソコンを起動させた。追われた原因がわからないままでは、打つ手がない。今日、逃げ切れたからと言って、向こうが諦めたとは限らない。いや、諦めていない可能性のほうが圧倒的に高い。とりあえず、ゼン本人にさえ、住所と本名は知られていない。それだけが救いといえば救いだ。
 そして、原因は多分、昨日ゼンから送られてきた謎のファイルだろう。間違いじゃなく、ゼンはわざと送ってきたのかも知れない。自分に何かあったときのために、と。
 無関係な文字化けファイルだと思って、一旦は削除したデータだったが、それのせいで狙われたとなれば、話は別だ。
「無関係どころか…超重要じゃねえか…」
 削除してあったデータを復活させて、もう一度開いてみる。が、やはり読めない。
「…ってぇことは…文字化けじゃないとすると、暗号化されているってことか?」
 重要な情報の場合、簡単な暗号化ソフトを通してデータをやりとりすることがある。普段の仕事や、友人関係のメールなんかには、わざわざそういったものを使うことはないが、趣味の一環として、いくつかの暗号解読ソフトは手元にある。
 思いつく限りの方法と、手元にある限りの解読ソフトを試してみることにする。
 格闘は、二時間以上に渡った。が、結局手元に残ったのは、読めないファイルだ。格闘を始める前と、何一つ変わってはいない。つまり、進展がない。
「もっとでけぇ…企業用のコンピューターとか、アメリカ国防省のとかだったら読めるのかもなぁ……って、送ってきたのはゼンじゃねえか。んじゃ、やっぱり何か別の方法があるってことだよな」
 徒労に終わった二時間を慰めるように、とりあえず思いついた人物に怒りの矛先を向けることにする。多分、その人物が今のところ、責任をとる立場にあるだろう。が、怒りを向けようが恨み辛みを並べ立てようが、解決にはならない。言ってしまえば、恨みそのものは何一つ解決にはならない。が、自分自身の精神的健康を保つため、と言い訳しつつ、和己はその人物を恨むことにした。
「ゼン…覚えてやがれ。この貸しは返してもらうからな」


 ふてくされた表情で居間に戻った和己を、シギの笑顔が迎えた。
「あ。喉乾きません? アイスティー淹れたんですけど」
 無言でグラスを受け取って、喉に流し込む。言われるまで気づかなかったが、喉が乾いていたらしい。一息に飲み干して、シギにグラスを差し出す。
「……お代わり」
「はい♪」
「………あーあ…」
 アイスティーのお代わりを待ちつつ、和己は大きな溜め息をついた。問題を少しでも解決しようと、ゼンを訪ねたはずなのに、いつのまにか、問題が増えている。
「はい、どうぞ。…どうしたんですか? 難しい顔して」
 その『問題』のひとつが、のんびりと尋ねる。怒鳴りつけようかとも思ったが、やめた。そんなことをしても、何の解決にもならないし、第一、この『のんびり』を見ると、怒る気も失せる。
(それに…)
 和己はグラスを受け取った。中の氷が涼しげな音を立てる。
(それに、とりあえずこのアイスティーはうまいしな)
 和己の隣で、シギは微笑んでいる。見事な黒髪に、青い瞳。白い肌と整った顔立ち。人目を引くのに十分なこの美女が、人間ではないなどと…。
「…信じられねえよなぁ…」
 シギをまじまじと見つめたまま、和己がぽつりと呟く。
「そうですよねぇ…まさか、いきなり追いかけられるなんて思いもしませんでした」
 いや、そのことじゃなくて…と言おうとして、やめた。ふと、ゼンの店を訪ねた時のことを思い出した。
「なあ? おまえ…ガラス戸が開く寸前、妙なこと言わなかったか?」
「は? 妙な…と申しますと?」
「いや…ゼンがたくさんいるとか何とか…」
「あ、そのことでしたか。ええ。申し上げましたけど。…妙でしたか?」
 それが癖なのか、顎に人差し指をあてて、シギが首をかしげる。ロボットに癖、と言うのもおかしな話ではあるが。
「だって、カーテンで仕切られてて、店のなかは見えなかったろ?」
「ええ。ですが、人間の形をした熱源が五つほど見えましたので」
 事も無げにそう言ってシギは微笑む。和己は、アイスティーとは反対側の手で持っていた新聞を取り落とした。
「………」
「……落ちましたよ?」
「……そうだな。落としたな。…中身の入ったグラスのほうじゃなくてよかった。……そっか。ま、そういうこともあるよな。レーザーで原子力で背中にファスナーだもんな。熱源センサーくらいついてるよなぁ。……はははっ」
「ええ。便利なんですよ、これ。お肉の焼き加減とかもわかりますし」
「そうか。…俺の分を焼く時は、ミディアムレアで頼む」
 とりあえず、その程度しか言うことは思い浮かばず、それはそれでまあいいかなどと思い始めた頃、玄関の扉が開いた。
「ただいまぁ!」
 悠の声である。居間に入るなり、抱えていた辞書や参考書の類をテーブルの上に置いて、口を開く。
「あ〜あ、お腹すいたぁ。シギ、何か食べるものある? あ、アイスティー飲んでるの?僕にもくれる? 喉乾いちゃってさ」
 さわやかに笑う悠を見ながら、和己が呆れたように言う。
「おまえって………」
「え? なに? 和兄?」
「……いや…平和でいいよなと思って。っつーか、おまえって、俺より全然、順応力あるんじゃねえ? 今朝までロボットの作ったメシがどうこうってわめいてたくせに」
 そんな和己の疑問に、悠は小さく肩をすくめた。
「…いやだなぁ…和兄ったら。事実は事実として認めなくちゃ。いつまでも過去にこだわるのは良くないよ」
「…いや、その通りだけどよ。ひょっとしておまえ……現実逃避とかしてねえか?」
「え? あ…い、いやだなぁ、そんなのしてないよっ!」
「してるみたいだな。おおかた、心の中の自分に必死で言い聞かせたんだろ? 『シギはただの居候その二で、ロボットなんかじゃないのさ』って。…どうよ?」
「精神的安定を図るための手段として……あ。どうもありがと」
 言い訳めいたことを口走りつつ、悠はシギからグラスを受け取る。冷たいアイスティーで喉を潤しながら、ふと気がついた。そして、早速聞いてみる。
「ねえ? 和兄、何かあったの?」
「あ? 何が?」
「いや、だって…和兄が溜め息つくなんて、珍しいじゃん。年のせいで疲れた?」
 無言で和己が悠の後頭部をひっぱたく。
「…ぶっ! 冗談だよ、冗談。でも、今日はシギと一緒に買い物に行ってきたんじゃないの?」
「……買い物か? おう、行ってきたとも。ついでにステキな体験までしてきちまったとも。まったく、おまえにも味あわせたかったぜ」
「……和兄がそう言うってことは、ちっともステキじゃないってことだよね?」
 そこへ、シギが嬉しそうに口を挟む。
「あら、とってもステキでしたわ♪ 見知らぬ男性と駆けっこをしたんですよ?」
「はい? 駆けっこぉ?」
「ええ、駆けっこです。ちょっと距離が短くて残念でしたけど」
 シギのその言葉に、和己が力無くうなずく。
「ああ。それに向こうはどうみても、とある筋の方だってのが残念至極だな」
 それを聞いた悠の顔から血の気が引く。
「か、和兄、何やったのさ! そういう関係の人たちの恨みなんて、いつの間に買ったんだよっ!」
「…そうだなぁ…ほんとに、いつの間に買ったんだろうなぁ…」
 手に持ったグラスを揺らしつつ遠い目。
「ああもう、和兄ったら…まったくどうして、平和な生活ってものを楽しもうとしないんだろう? 平穏無事な暮らしが一番だっていうのに……ぶつぶつ……」
 小言と独り言の中間のようなものではあったが、和己に聞こうとする気がさらさらないとあっては、やはり独り言に過ぎない。
 とにかく、何かをぶつぶつ言っているらしい悠を完全に黙殺して、和己は空になったグラスをテーブルに置いた。グラスの中で氷が触れあう音がする。
「よっし! ぐだぐだ言っててもしょうがねえ! とりあえず、今日起きた問題は、まだいろいろと発展途上でもあることだし。シギの問題にとりかかろう!」
「発展途上ってなんだよぉ〜。これから発展するのぉ? ねえ、巻き込まれるのだけはイヤだからね!」
 再び、黙殺。
「二兎を追う者は一兎をも得ず。悠、これわかるな? 覚えておけよ、テストに出るからな。っつーわけで。今日のことは、向こうが次にしかけてくるまでは、手出し無用だ」
「しかけて…って。次があるの!? ね、あるのぉっ!?」
 泣き声じみてきた叫びも黙殺。
「さてと、そうなると、当初の問題がちっとも片づいてねえんだな。だいたい、シギのようなロボットを売り買いしてる市場なんて知らねえぞ? っていうか、こんなのが商品になってるってことすら、聞いたことないしな。ゼンがダメだってことは…あとは……う〜ん地道な調査って嫌いなんだけど…」
 和己は考え込んだ。いつのまにか、悠も静かになっている。どうやら力尽きたらしい。
 地道な調査をしようと思うなら、いくらでも手のつけようはある。たとえば、運送屋。シギを運んだと思われる運送屋を調べるのもひとつの手段だろう。そして、目撃者探し。
(…どこから先に手をつけるべきか…)
 力尽きた悠の隣で、和己は考え始めた。だが、考えれば考えるほど、面倒になってくる。
 都内にある運送屋の数を考えただけで胸やけがする。目撃者を捜して聞き込みをすることを考えただけで頭痛がしてくる。
(超めんどくせぇな)
 そう思った直後、ポケットに入れっぱなしだった携帯電話が着信メロディを奏で始めた。
 手にとって、液晶表示を見る。発信人の名前はゼン。番号はゼンの携帯電話である。
「………さーってと…どっちかな?」
 ここで考えられる可能性は二つある。なんとかあの場を逃げ出したゼンが携帯電話で和己に連絡を取ろうとしているか、ゼンから携帯電話を奪ったヤツらがそれを使って和己を捉えようとしているか。
「ま。とりあえず、出てみなきゃわかんねえか」
 ひどく気軽にそう言って、和己は電話に出た。
「もしもーし。俺」
 電話の向こうからは、一瞬の沈黙の後、怯えたような囁き声が返ってきた。
『あ……オレ…だけど』
「奇遇だな、俺も“俺”だ」
『…和己だろ? オレだ、ゼンだ』
(……へぇ、当人か。にしても油断はできないよな。後ろでヤツらが見張ってるって可能性もあるし)
『…無事だったのか? …よかった…』
「そっちこそ。今どこだ? さっきのヤツら…まだそこらにいるんじゃねえのか?」
 その言葉を耳にして、力尽きていた悠が復活する。
「ちょっと! 和兄! そういう物騒な世界とはとっとと縁を切ってよっ!」
 “しっしっ”と、悠に向けて手を軽く振って、和己は話し続ける。
「ケータイってことは、外か?」
『ああ…今…渋谷の…どこだっけかな? 適当なファッションビルの中だ。おまえ達が逃げたあと、オレも隙を見て逃げ出した。で、追われてる途中で、目についたビルに入ったんだけど…』
 ぼそぼそと話す声は、電波状態が良くないのか、途切れがちである。ひょっとしたら、追っ手を警戒して、ゼンがきょろきょろしながら話しているからかも知れない。
「で? 例のデータの件だろ? あれって一体、何だったんだ?」
『いや…ここで話すのはマズイ…。おまえの家…どこだ? こうなっちまって悪いとは思うが、もうおまえだって無関係じゃなくなっちまった。二人で相談したほうがいいと思うんだけど…』
 おそるおそると言った感じで、ゼンが切り出す。それは、和己も半ば以上予測していた言葉だった。
「まあなぁ…。確かにそうだな。…俺が探偵やってることは前に話したよな? んじゃ、その仕事の一環ってことで、迷惑料込みで料金計算してやるから、巻き込んだことは気にするな。…けどさ。俺、あのデータ読めねえんだけど?」
『………ああ。悪いな、ホント。データはちょっと暗号化されてるから…。そのことも後で説明するから』
「オッケー。んじゃ、うちの住所だけど…」
 マンションの住所をゼンに告げて、和己は電話を切った。その途端、恨みがましい視線に出会う。視線の主は、当然、悠である。
「ん? なんだ? 何か用か、悠?」
「………関わらないでって…言ったのに…やっぱり、“次”があるんじゃないかぁ! 発展していくんじゃないかぁっ!! 僕はイヤだからね! そんなあからさまにヤバヤバな話に、善良で純真な一高校生の僕は巻き込まれたくないからねっ!」
 悠の言い分を聞いて、和己は重々しくうなずいた。そうして、悠の肩にそっと手をかける。
「……悠。おまえの言いたいことは分かった。おまえの言葉はもっともだ。それはとても正しいと思うぞ」
「え? 和兄…わかってくれた!?」
「だけどな。人生には、抗いがたい流れに流される時が一度や二度や三度は必ずあるものなんだ。そうして、人間は己の弱さを確かめ、そこから人間の成長が……」
「抗いがたくしてるのは、和兄じゃないかぁっ!」
「そうとも言う」
「そうとしか言わないよっ!」
「……ま、アレだ。要は、乗りかかった船だしな。腹くくれってことだ。ああ…おまえ、マジでヤバくなったら、ホテルかどっかに放り込んでやるからさ」
 そんなに心配するな、と和己が笑う。だが、そう言われて素直に安心できるはずもない。和己がその可能性を考えているってことは、ひょっとしたら…というよりも、かなり高い確率でそういう事態になり得るということなのだから。
「ゼンさんがいらっしゃるんでしたら、お夕食は三人分でしょうか?」
 場違いなほど朗らかな声が、そこに割り込む。シギである。それを聞いて、悠はがっくりと肩を落とした。
 そんな悠にかまわず、和己がシギに聞き返す。
「晩メシはなんだ?」
「何がよろしいでしょうか? 今からお買い物に行ってまいりますが?」
「ああ…んじゃ…そうだな、さっき言ってた熱源センサーを試してみたいな。ステーキにしてもらおうか。ゼンのと三人分な」
「はい。わかりました♪」
 ああ…そうか、“脳天気”だ。シギを表現する適当な言葉を探していた悠は、ようやくその答えを見つけた。
 いそいそと出かけていくシギは、悠の考えていることには気づかない。
 さすがに読心能力までは持っていないようだと、密かに悠が安堵する。

◇  ◇  ◇

 ゼンがマンションにたどり着いたのは、それから一時間ほど経った頃だった。あまり新しいとは言えないこのマンションの玄関はオートロックではない。ゼンは直接、扉の前まで来ていた。そして、乱暴に呼び鈴を鳴らす。
「はいはいはいって。うるせえよ」
 立て続けにならされる呼び鈴に、相手には聞こえないと知りつつも返事をしながら和己は玄関に向かって歩き始めた。
 和己が玄関扉に手を掛けたときには、相手は、呼び鈴だけでは飽きたらず、扉をどんどんと殴り始めていた。
「開けろ! 和己! 早くっ!!」
 あまりにもせっぱ詰まった様子を訝しみながら、和己が扉を開ける。
「ゼン? うるせえんだよ、てめえは」
 扉が開いた瞬間、外に立っていたゼンは扉の内側に身を滑り込ませた。扉を支えていた和己の体を押しのけるようにして。
「おい、ゼン? なんだよ、そんなに慌てて…?」
「和己…すまない……」
「何言ってんだよ、今更……」
 と、答えかけて、和己はゼンの顔色に気がついた。その蒼白な顔色は、余計なことに巻き込んでしまってすまない、というだけではなさそうだ。どちらかというと、今現在も進行中のことに対してのように思える。まあ、巻き込まれて、かつその事態が解決していない以上は、巻き込んだ事実さえも進行中ではあるのだが。
「………ひょっとして…おまえ…」
 嫌な予感がわき上がってくるのを抑えきれず、和己がぽつりと呟く。そして、それにゼンがうなずいた。
「……ごめん……オレ…尾(つ)けられたかも…」
「…………」
 返す言葉も見つからず、とりあえず、和己はゼンを奥へと引き入れた。玄関の扉には鍵をかける。
 いつもそうだ…と、ふと思った。いつも、悪い予感とか、嫌な感じとかに限って当たる。当たって欲しいものは当たらず、そうじゃないものに限ってよく当たる。自分だけなのか、それともみんな、そうなのか。いや、それ以前に予感というものの認識そのものが間違っているのかもしれない。たとえば、当たって欲しいものは予感ではなく、ただの希望であったり願望であったり。そして、そうじゃないものってのは、流れからいって、望ましくない結果がもう八割方決まり切っているような時に、それを認めたくなくて嫌な予感などと呼び変えてしまうのかも知れない。ならば、嫌な予感は、当たるとか当たらないではなく、そうなるのが必然なのだろう。
 おどおどと、それでも和己に招かれるままに居間に入ってきたゼンの顔を見ながら、和己はそう考えていた。理屈としてそう割り切ってしまえば、なんとなく慰められるような気がしないでもなかったからだ。
 そう、これはなるべくしてなった、不幸な事態なのだと。……あまり、慰められなかった。
 何はともあれ、これで事態の優先順位は決まった。と言うか、決めさせられた。
「ほんとならなあ…ああいう関係の方々と仲良くするよりも、こっちの問題を先に片づけようとしてたのになあ…」
 溜め息をつきつつ、和己が呟く。その呟きを耳にして、ゼンが口を開いた。
「こっちの…? おまえも何か、問題を抱えてたのか?」
「う〜ん…たいした問題じゃない、と言おうと思えば言える程度の問題ではあるけどな。ま、いいさ。向こうが仕掛けてくるんだから、受けないわけにはいかないし。どっちにしろ、どの問題を先に片づけるかなんてものは、かなり行き当たりばったりだから」
 和己がそこまで話した時、それまで自分の部屋にいた悠が居間に入ってきた。
「ねえ、和兄。…シギ、まだかな? 僕、お腹すいちゃった。あ……こんにちわ…っていうか…こんばんわ。悠です…」
 ゼンを見つけて、悠が一応、頭を下げる。が、どうやら巻き込まれつつあるらしい事件の張本人だと思うと、なんとなく腰は引け気味になる。
「あ…ども。……ゼン…です」
 同じような、ぼんやりとした挨拶をゼンが返す。
 そんな二人にはかまわず、和己は、腕に巻いた時計を見る。シギが買い物に出かけてから一時間以上が経っている。いつも買い物に出るスーパーはここから歩いて一〇分もかからない。
「シギか…。ま、少し遅いけど…。まとめ買いでもしてるんだろ。あいつだって子供じゃねえんだから。おまえよりは心配いらねえよ」
「なんか…馬鹿にされてるような気もするけど、深くは追求しないことにするよ。そんじゃ僕、部屋にいるからさ。晩ご飯出来たら声かけてね」
 そう告げて、悠は再び自室へと戻っていった。
「お…おい、和己…今の子…おまえの子供か?」
 不思議そうなゼンの問い。至極真剣な表情で和己がそれに答える。
「…そう。俺が十三の時の子供。……とか言ったら、信じるか? 違うよ、甥っ子だ。とある事情があって預かってる」
「……なあ…あの子も…このままここにいたら…ヤバくないか?」
「ああ、ヤバイだろうな。けど、ゼン。おまえ、尾行されたんだろ? んで、おまえをすぐには捕まえなくって、しかもここにすぐ乗り込みもしなかったってことは、人数を揃えて待ち伏せしてる可能性が高い。じゃなきゃ、見張りを残して作戦を立ててるか。そんなとこに、のこのこあのガキを送り出すほうがよっぽどヤバイ。…ま、悠は、世界を襲う大災害ってヤツにあっても生き残りそうなタイプだから別にいいんだけどよ」
「そ…そっか…」
 納得していいものかどうかも分からず、とりあえずゼンは曖昧なうなずきを返す。
「ところで。例のデータって何なんだ?」
 唐突に、和己が核心に触れる。そのことで逆に安心したように、ゼンがポケットから一枚のフロッピーディスクを取り出す。
「ああ、この中に、解読ソフトが入ってるよ。オレが作ったやつで、プログラムそのものはたいして複雑じゃないんだけど…えーと…乱数表の応用でさ、このフロッピーがないと、読むのはちょっと難しいと思う。…おまえのパソコン、どこだ?」
「こっちだ」
 ゼンを促して、和己が立ち上がる。


 数分後、和己のコンピューターの中で、フロッピーが小さな音を立て始めた。
「これを読み込ませたあとで、例のファイルをここに持ってくれば……」
 ゼンが画面を指さしながら説明する。説明の途中で、フロッピーディスクの読みとり音が途切れた。
「お、読み込みは終わったみたいだな」
 ゼンはそう言いながら、ラベルも何もない、ただの黒いディスクを抜き取った。
 その直後。
 玄関の扉が激しく叩かれた。和己とゼンが顔を見合わせる。
「……まさか?」
 発した言葉は同時だった。そして、その言葉を呟いたあと、玄関に向かって走り出したのも同時だった。


   
           
    NEXT   
 
    MENU   
 
    HOME