道楽探偵の夢のような一日



◇  ◇  ◇

 そうして、何もかもがうやむやのうちに…とは言っても、うやむやにならざるを得ない状況ではあるが、和己と悠、そしてシギ(仮名)の三人暮らしが始まることになってしまった。
 ベランダに出て、街並みを何やら物珍しそうにシギが眺めている隙に、悠が溜め息混じりに呟いた。
「…どうするつもり、和兄? どうやって探すのさ、彼女の過去。手がかりゼロだよ?」
「んなもん…どうにかなるさ」
 ウーロン茶のグラスを持ったまま、和己が答えた。半ば予想していたとおりの答えを聞いて、悠は小さく呟いた。
「そう言うと思ったよ」
 呟きながら、冷めてしまったピザに手を伸ばす。和己が盛大に使っていたタバスコが飛び散っていたのか、少し辛目ではあったが、悠は気にしないことにした。味を気にするくらいなら、ここまで冷え切ったピザに手など伸ばさない。ともかくそれをウーロン茶で飲み下しながら、悠は、今日何度目かも分からない溜め息をついた。
「もう…のんきだよね。それに、どうしたのさ、彼女が気に入ったの? 和兄が自分から首つっこむのって珍しいじゃん。いつも、面倒ごとはさけて通りたいくせに。ただで、居候させてやるなんて、気前もいいし」
 言われて、心外だとでも言うように、和己は小さく肩をすくめて見せた。
「面倒ごとは…嫌いじゃないけどな。ただ、退屈だったんだよ。もう、死にそうに退屈だったんだ。最近、めっきり客もこねえしな。それに、別に俺はケチじゃないぜ? 金にも困ってねえし」
「退屈、ねえ…。でも、客がこないのって、和兄にも原因があるよね。だって、探偵事務所のくせに、『浮気調査お断り』ってでかでかと書いてるんだもんね。探偵の仕事なんて、ほとんど浮気調査がメインみたいなモンじゃない、日本じゃ」
「浮気調査なんて、くだらねえじゃねえか。旦那にしろ奥さんにしろ、相手を疑った時点で、もう関係はヤバイんだからよ。それに探偵の調査よりも女の勘ってやつのほうが、よっぽどアテになるさ。…あ〜…それより…禁煙なんて言うんじゃなかったな。煙草吸いてぇ」
「…言いだしたのは和兄じゃん」
「……酔った末にな。そうだ、賭けしようぜ、賭け。今度のテスト、おまえが学年一〇〇位以内に入れなかったら、禁煙解除するってのどうよ?」
 にやにやとそう言われて、悠はついムキになってしまった。
「五〇位以内で充分だよっ!」
 こういうのは、いつだって後から悔やむことになる。実際、今現在、和己は悔やんでいるのだ。煙草が値上がりしたことや、悠に吸いすぎだと小言を言われつづけていることや、まあ、他にも色々と細かいことが重なって、つい口走ってしまったのが三日前。“禁煙してやる”の声に答えて、悠は思い切り鼻で笑った。“どうせ一日も保たないくせに”と。煙草は吸いたいが、意地もある。そら見たことかと悠に言われるの嫌さに、禁煙は三日間続いている。
「んじゃ、五〇位以内な」
 言質を取って、和己がにやりと笑う。とりあえず、その笑いの意味は追求しないことにして、悠は以前からの疑問をぶつけてみることにした。
「そういえばさ、僕、ここんとこずーっと不思議だったんだけど」
「何が?」
「和兄って…ビンボーじゃないよね」
「それが?」
「なんで?」
「は?」
 端的と言えば端的な質問に、和己は間抜けな声を出す。悠が質問を言い直した。
「つまりさ、ここの探偵事務所って、月に一人でも客が来ればいいほうでしょう? そんなんで、事務所の経営とか和兄の生活とかって賄えるのかなって。儲かってなさそうに見えるのに、和兄って結構ゼータクとかするじゃん。車も持ってるし。服だって高いのとか着てるし」
 質問の意味が分かって、和己はあらためてうなずいた。
「最初っからそう聞けよ。ま、俺がビンボーじゃねえのは、俺が一応、社長だからだな」
「深津探偵事務所のでしょ?」
「…それもあるけど。おまえ…ホントに知らねえの? 姉さん…ってぇか、おまえの母さん、何も言ってなかったか?」
 その問いに、悠は首を振った。和己があらためて口を開く。
「……んじゃ、おまえ、『おおぞら葬儀社』って知ってるか?」
「知ってるよ。結構、大手じゃん。いろんなトコに看板あるよね。TVでCMもやってるしさ」
「それの経営者が俺だ」
 さらりと告げた言葉の意味を、悠は一瞬理解できなかった。口に含んだウーロン茶を、唾と一緒にごくりと飲み込んで、おもむろに口を開く。声は少し後から出てきた。
「…え……ーと。……え?」
「だから。七年前に、ウチの親父…おまえにとっちゃじーさんだけど。とにかく、親父が死んだろ? その時の遺産を元にして、卒業したときに会社を作ったんだよ。たいしてやりたい仕事もなかったしよ。大学では経営学とかやってたし。…わかったか? ま、葬儀屋を選んだのは、とりあえず、軌道に乗せることさえできれば、つぶれそうにない職種だと思ったからだけどな。最近は、営業や実際の経営は人を雇ってるけど」
「……じゃ、会社作ったのって…大学出てすぐの時ってこと? おじいちゃんってそんなにお金持ちだったっけ?」
 不思議そうに悠が問う。和己が、呆れたように言い返した。
「おまえ…ホント、馬鹿な。馬鹿っつーか…まあ、姉さんも悪いんだけどな。資産そのものは結構もってたぞ、ウチの親父。ほとんど土地ばっかりだけどな。とりあえず、相続税を払うのに、土地はぜーんぶ売っちまって、現金にしてから俺と姉さんで分けたんだ。他に相続人はいなかったからな。そんで、ほら、おまえ達が住んでたマンション、今は人に貸してるけど、そのマンションだって、姉さんが親父の遺産で買ったはずだぜ。五千万以上はしたはずだけど、現金一括でな。ま、俺はここのマンションが中古で安かったから、とりあえずここ買って、残りで会社作ったんだけどよ」
 初耳である。悠は口を開けたままだった。ややしばらくそのままで、いい加減、口の中が乾いてきた頃、ようやく悠は唾を呑み込んだ。
「そっか…どうりでローンがどうこうっていう話が出ないと思った…。それどころか、マンション買い換えの話まで出てたもんなぁ。なんだ、ウチも結構お金持ちだったわけ?」
 悠の単純な答えに、和己が苦笑する。
「まあ、そうとも言えるけどな。それは、アレだろ、義兄(にい)さんの仕事のおかげじゃねえのか? マンションが自分のモノだからって、生活費まで賄えるわけじゃねえからな」
「あ、ああ、うん。そりゃそうだね。…でも、そっか、和兄は社長さんだったんだね…」
「今頃、何言ってやがる」
「んじゃ、どうして探偵社なんてやってんのさ? 葬儀屋のほうを一生懸命やってればいいじゃない」
 当然の疑問に、和己も当然のごとく答えた。
「道楽」
「…え?」
「だから、道楽だよ。趣味っつーの? 俺だって、普段は会社行ったりしてるぞ? スーツとかも着て。重役出勤だから、おまえが学校に行ったあとに出勤して、おまえより先に帰ってくるだけで」
「ふーん…そうだったのか。……って、そうだ! 今の問題はそんなことじゃないんだった! ね、和兄、だからどうすんのさ、この先のこと!」
「うーん…本人にできるだけ聞いてみるか、とりあえず」
 あまりやる気に満ちあふれた感じはしない和己の返事に、悠は肩を落とした。
「だって、本人はまるっきり覚えていないんだよ? しかも……あの様子だし」
 と、ベランダを指さしたとき、シギが部屋の中に戻ってきた。楽しげに微笑んで、口を開く。
「このあたりは、とってもおもしろいんですね。車もたくさんいるし。人間もたくさん、見えました。ただ、ちょっと空気が汚れているのが気になりましたけど」
 にこにこと報告するシギと、諦めたような表情で彼女を指さす悠を交互に見ながら、和己は小さな溜め息をついた。
「…なるほどな。ま、わざとか、天然かのどっちかだよな。天然だとしたら、よっぽど田舎のお嬢だろうな」
「和兄、こんなんで、本人から何が聞けるっていうのさ?」
 シギを意識してか、ささやき声で悠が言う。和己はそれを聞いてうなずいた。やけに自信に満ちた表情で。
「大丈夫だ。…催眠術がある」
「は? 催眠術? 和兄、催眠術なんかできるの!?」
「まかせろ」
 自信満々の表情のまま、和己は立ち上がった。
「よし、シギ。ちょっとこっちに来てくれ」
 自分もソファに座りながら、シギを呼び寄せ、その向かいに座らせる。悠も、不安げな表情のまま、ソファの後ろに立った。
「悠、カーテンを閉めてくれ。全部な」
 悠が言われたとおりにすると、和己はおもむろにシギにささやきかけた。
「目を閉じて、大きく息を吐き出すんだ。ゆっくりと…ゆっくりと……」
「ホントに効くのかな…」
 和己には聞こえないように、ごく小さく呟いて、悠はふと辺りを見回した。薄暗くなった部屋に、和己の低い声が響いている。意識しているのか、集中しているのか、いつになく真剣な顔の和己を見ながら、悠は妙なところに感心していた。
 ──和兄も、ああやって真剣な顔してれば、かっこいいよなぁ…。いっつもふざけてるからいけないんだ。あ、でも、そこそこかっこよくて、頭も悪くなくって、しかもお金持ちってんなら、和兄ってひょっとしてモテまくり? 僕が学校に行ってる間に…とか? ああ…でもなあ…『葬儀屋』だもんな。あまり、女の子にモテる職業とは言い難いよなぁ…。それにしても、和兄、よく催眠術なんか…。
 と、そこまで考えて、ソファの横に置いてある小さなサイドテーブルに目がいった。
(まったく、また散らかして…)
 声に出さずに呟いて、悠はサイドテーブルの上を片づけ始めた。コーヒーカップ、灰皿、テレビのリモコン、読みかけの雑誌、その他もろもろのゴミ。そういったものを片づけていると、雑誌の下から、書店のカバーが掛かったままの本が出てきた。少し厚めの新書版サイズである。
(和兄、時々変な本読んでるからなぁ…。こないだは『分子生物学概論』なんて読んでたし、その前は確か『くまのプーさん』だったし…。今度は何だろ?)
 そっとカバーをはずしてみる。そこに書かれていた書名を読んで、悠はがっくりと肩を落とした。──『誰にでもできる催眠術入門』。
 今日は何度、溜め息をついただろう。何度、肩を落としただろう。シギを拾ってこなきゃよかったんだろうか、非常階段なんて通らなきゃよかったんだろうか…そもそもコンビニになんて行かなきゃよかったんだろうか? いや、起こってしまったことはしょうがない。それは学習したはずだ、多分。
 とりあえず、シギがあんな様子で、しかも対処している和兄があんな人で……そうだ、ともかく、がんばれ、僕。
 書名を見た瞬間に、そこまで考えて、悠はやっぱり溜め息をついた。
 そんな悠の耳に、穏やかな声が響いてきた。シギである。
「あの……眠らなくちゃいけないんでしょうか?」
 その声に、当然といったような和己の声が答える。
「そりゃまあそうだな。っていうか、眠くなってくるはずなんだけど?」
「それが……あの…」
「眠くならない? おっかしいな…本に書いてある通りにやったんだけどな」
 和己の不思議そうな声に、悠が横から口を出した。
「和兄、こんな本読んで、催眠術ができるくらいなら、世の中、催眠術師だらけになっちゃうよ?」
「理論的にはできるはずなんだ。実際、俺はおまえで試したことがある!」
「え!? ちょ、ちょっと! いつだよ!」
「昨日の夜だ。おまえが寝てから。一度、たたき起こして、催眠術をかけた。で、パジャマを裏返しに着るように指示をして、その後は、術のことを忘れるようにって指示を出したんだ。…今朝、パジャマは裏返しじゃなかったか?」
 にやりと笑いながら和己が尋ねる。悠は答えられなかった。…その通りだったからだ。
「で、でも……」
 自分でも何を言うつもりかは分からなかったが、とりあえず悠は反論を試みようとした。が、シギの声によって中断されてしまう。
「あのーでも、私、眠らないんですけど?」
 それを聞いて、和己は悠をとりあえず無視することにした。
「そうだな、精神状態とかも関係してるのかもしれないな…」
「あ、そういうことではなくて、ですね。私、眠るようにはできていないんです。非効率的でしょ?」
 にこやかにそう告げたシギに、和己が笑った。
「はは、まるでロボットか何かのように言う。とりあえず、効率的とか合理的とか、考える以前に……」
「あ、私、ロボットなんですよ。…えっと、言ってませんでしたっけ?」
 今度こそ、悠は開いた口がふさがらなかった。だが、それは和己も同様だった。

◇  ◇  ◇


「そう…じゃあ、まず整理してみよう。シギ、あんたの話を信じるなら、あんたはロボットなんだ。…そうだな?」
 半眼で溜め息をつく和己の言葉に、シギはうなずいた。青い瞳を嬉しそうに細めて。
「はい。そうです」
 テーブルを挟んで、真正面のソファに座るシギを見つめて、自分自身もソファに深く身を沈めながら和己がさらに聞いた。
「んで、どこかは知らねえが、あんたを買った人のところに搬送される途中に、落っことされて、その拍子にスイッチが入っちまって。んで、スイッチが入ったはいいけど、必要事項のインプットがされてないんで、迷子になって、非常階段にいた、と。で、動力がもともと太陽エネルギーなんで、日陰にある非常階段でこれから先のことを考えているうちに、エネルギー不足になっちまった…。どうだ、あんたから聞いた話だと、こういうことになるんだが…合ってるか?」
 いかにも、信じてませんと言ってるような口振りで問う和己にシギはにっこりとうなずいた。
「ええ、その通りです。よかったわ、理解していただけて」
 嬉しそうに微笑むシギから、なるべく遠ざかるような位置で、悠は電話を手に取った。コードレスの受話器を手にしたまま、和己の背中側に移動する。和己が座るソファの後ろに立って、そっと耳打ちする。
「ね、和兄、警察と病院、どっちがいいんだろう?」
「とりあえず、こっちは被害を受けていないんだから、警察ってのは…かといって、急病人ってわけでもないのに、救急車が来てくれるかどうかは疑問だな」
「でも、被害なら受けてるよ。ほら、精神的なヤツ」
「…おまえにしては穿った意見だ。その意見、採用しよう」
「一一〇番でいい?」
 二人の会話を、微笑みとともに聞いていたシギが、そこでおもむろに口を開く。
「あのー…よろしいでしょうか?」
「よろしくない」
 和己が言い切る。受話器を持ったままの悠を視線で促す。それを受けて、悠の指がボタンを押しかけた。
「あの、ですから、少々お待ちいただけませんか?」
「お待ちいただけねえな」
 悠の指が一を押した時、シギが三度(みたび)、止めた。
「お待ち下さいな」
「だから…」
 和己が何かを答えようとしたとき、シギがふと悠の手元に目を向けた。
 その一瞬に起こったことは、とりあえず理解の範疇は越えていた。一般常識に照らし合わせるなら、のことである。現実味というものを全く無視するならば、ある種の理解は可能ではある。理解と言うよりも推測に近いものではあるが。
「…あ? あ、あちっ! あちちっ!!」
 少々間抜けな声を上げて、悠が受話器を取り落とした。いや、かつて受話器だったものを。そちらのほうへは目を向けずに、和己は鼻をひくつかせた。…焦げ臭い。
 においの出所が、自分の耳の横の髪だと知ると、和己はゆっくりとそこに手を伸ばした。焦げて、少しばかり縮れた髪の毛の先を、指先でつまんでみる。焦げた髪の毛はもろく、ぽろぽろと指の中で崩れていった。あたりには、和己の髪の毛が焦げた匂いと、それよりも強く、プラスチックの焼けた匂いが充満していた。
 和己はゆっくりと口を開いた。
「えーと…シギ?」
「はい? なんでしょうか?」
「…なんでしょうか、じゃねえんだな。てめえ、今…何しやがった?」
 少しばかり頬を引きつらせながらも、和己の顔は微笑みの形を保っていた。対するシギは困ったような笑みである。
「何…と申されましても…ですね…。私の話をお聞きいただけたら、と思いまして…」
「ああ、なるほどな。ま、確かに話を聞かないのは悪かったかもしれんが…。なあ? 間違ってたら、悪いんだけどよ。おまえ今……いや、ホント、間違ってたらごめんな。ひょっとしてひょっとすると、今、目からビームとか出したか?」
 額に、うっすらと汗をにじませながら、和己が尋ねる。初夏とは言え、暑いわけではない。多分、それは冷や汗。
「正確にはレーザー光線ですが」
 うなずいて、微笑んだ。和己は、引きつった微笑みのまま表情を固めている。悠は、床に落としたまま、原型をとどめていない受話器とシギの笑顔を交互に見ながら、泣き笑いの表情であった。
「…ああ、なるほど。レーザー……ね。うん、そうだな。レーザーか…、そうだよな。レーザーってのはだいたいこんなもんだよな。俺もよく見かけ…………るわけねえじゃねえかっ!! シギっ! てめえ、何モンだっ!?」
 和己の怒鳴り声に、美しく整った眉を困った時の形に下がらせつつ、シギが答える。
「ですから、ロボットだと申し上げましたが…? 何か、ご不明な点でも?」
「ご不明もご不明だよ、ようやっと二十一世紀になったとはいえ、おまえみたいなロボットがいてたまるか! いいか!? 確かにロボットと名の付くモノはいるさ。だが、それにしたっておまえみたいなんじゃねえんだよ。二足歩行で、コードレスで、しかも動力源が太陽エネルギーだって? その上、人間と変わらない等身バランス、対話可能な人工知能、そして両眼視だ? ふざけるな。どこの国の国家機密だってんだ。いいか、両目で視覚認識して、そいつを遠近のバランスとして……ってちょっと待てよ? そうだ、おまえ、脈あったじゃねえか! 俺は触ったぞ! 手首に脈があったじゃねえか!」
 まくしたてる和己の言葉に、シギはあっさりと応えた。
「ああ、これはカムフラージュです」
「かむ…ふらーじゅ?」
「ええ。いろいろと困ることもあろうかと、外皮は、脈やわずかな体温を感じるような電気信号が張り巡らされたものを着用してるんです」
「ちゃく…よう…?」
 おうむ返しにならざるを得ない自分に、内心苛立ちながら、和己が聞き返す。シギは、振り向いて、和己に背中を向けた、そのまま、長い黒髪をかき上げる。
「ここから、着脱可能になってます」
 そこにあったものを目にして、和己は観念した。せざるを得なかった。
「なんで…んなとこにファスナーなんてあるんだよ……」
「あ、すみません。今はちょっと脱げないんですよ。ちょっと、特殊な装置がないと、脱げないし、着ることも不可能なんです。あまりにも密着してるものですから」
 再び正面に向き直りながら、シギがそう告げた。
「…特殊な装置ってなぁ何だ?」
「真空発生装置と、無重力発生装置です」
「…ああ、そう。確かに、あいにく持ち合わせてねえなあ」
「そうでしょう? ああ、よかった。理解していただけて。…ところで…先ほどから、悠さんが動かないようなんですけど?」
 シギの視線を追って、和己が振り返る。その先で、悠は泣き笑いの表情のまま、受話器を見つめて凍りついていた。
「悠? おーい、悠ぁ?」
「悠さん? どうなさいました?」
「おい、シギ? どうなさいました、って、おまえが言うなよ。もともとの原因はおまえだろう?」
「あら。そうでしたかしら。でも、悠さんには当たってないはずですけど。威力も最低限にしてましたから」
「とは言えなあ…ま、びっくりするって、普通は」
「それは申し訳ありません」
 そういった会話の最中に、悠がようやく動き始めた。手の中に残っていた受話器の残骸を握りしめている。見ているうちに、その手が震え始めた。もう片方の手は、というと、そちらも握り拳を作って、同じように震えている。
「…どした? ゼンマイ切れたか? ……巻いてやろうか?」
「まぁ、悠さんの動力源はゼンマイなんですの?」
「ああ、三日に一回巻けばいいはずなんだけどな」
「でも…動きが少し…おかしいみたいです。そろそろメンテナンスをしたほうが…」
 和己のほうは、真剣なジョークだ。そして、シギのほうは、限りなく真剣だ。
 延々と続きそうな、その二人の会話に、悠は無理矢理わって入った。
「……違うよっ! どーしてさっ!? どーして和兄はそうやって、順応しちゃうの!? だって、ロボットだよ、ロボット!! 目からレーザーだし! ひょっとしたら、頭が核弾頭とか言い出すかも知れないんだよ!」
「あ、原子力は使われてますけど?」
 さらりと言ったシギの言葉に、悠と和己が同時に引いた。そんな二人を安心させるように、シギは胸の前で両手を小さく振る。
「大丈夫ですよぉ。電池式だし、内部で完全リサイクル可能な、常温核融合ですから。廃棄物も出ません。耐衝撃性も十分に考えられてますから、高度五〇〇メートルからの落下にも耐えられます。飛行機に乗ってて、いきなり爆発なんてことになったら、分かりませんけど」
「…それなら、まあ、いいか」
 ふう、と小さく溜め息をついて和己が言った。それを聞いた悠が、ぐるんと首をまわして、和己をにらみつける。
「だから! どうしてそこで納得するのさ!どういう事態か、分かってるの!? ……ああ、こんなことになるなら、母さんと一緒に、父さんについていけばよかった…。学歴なんかを気にしたばっかりに……一生を棒に振るなんて…」
「…別に、棒に振るわけじゃねえんじゃねえの?」
「だって…レーザーがロボットで、原子力と背中のファスナーが太陽エネルギーに……。何かが違う…そう、僕は、ただの高校生なんだ。一ヶ月半前に高校に入学したばっかりの、善良な高校生なのに…。一般常識と平穏な生活を望んでるだけの…」
 ぶつぶつと呟く悠に、和己が声をかける。
「それを言うなら俺だってそうだぜ? 整合性のある事実と矛盾のない論理を愛するただの道楽探偵だ。もしくは葬儀屋経営者」
「だったらどうして!」
「だからさ。…考えてみろよ。シギがロボットだっていう解答の他に、何が成り立つ?」 聞き返されて、悠は口ごもった。一応、思いつく限りの答えを口に出してみる。
「んーと、心の病気の人とか、クスリをいつも飲んでる病弱な人とか……」
「そういった人々は、目からレーザー光線を発射できるのか? 背中にファスナーがあるのか? いいか、ファスナーは服についてるんじゃないんだぞ? 皮膚そのものについてるんだぞ? しかも、それが脱いだり着たりできるんだぞ? そういう病気があるのか?そういうことが可能になるクスリがあるってのか? …とまあ、以上のように、とりあえずシギは人間じゃない。これは、矛盾のない論理だ」
「そ、そうだ! 催眠暗示とか! 僕たちは二人とも…」
 言いかけた悠の言葉を遮るように、和己は悠の足下を指さした。高熱によって、原型をとどめていないコードレス受話器を。
「……認めるな?」
 和己の言葉に、悠は力無くうなずいた。それを確認して、和己はシギに向き直る。
「さ、馬鹿が納得したところで…シギ、おまえの問題だ。だいたい、おまえはどこからどこへ搬送されるはずだったんだ? わからないのか?」
「ええ。皆目」
 あっさりとした返答に、和己が小さくうなずいた。
「まあな。スイッチが入ったのが、落ちた拍子ってんならな。だけどな、搬送されてるっていうんなら、少なくともおまえを売ったヤツと買ったヤツがいるはずだな。どちらにしろ、そのどっちかにおまえを返さなくちゃならないわけだ」
「そういうことになりますね。…こちらでずっとご厄介になるわけにも参りませんし」
「まあ、ウチとしては、別に居候が一人増えるくらいはかまわねえんだが、買ったほうにしろ売ったほうにしろ、探してると思うけどな。だいたい、おまえみたいなロボットなら値段はものすごく高いんじゃねえの? 多分、国家機密クラスだと思うぜ? まあ、そう考えれば、売り買いする奴らっていうのも、絞られてくるかも知れねえけどな。…それ以前に、おまえがいったい、どんなとこで作られてるのかが疑問だよ」
 溜め息混じりのその言葉に、シギが首を傾げる。
「ええ…お答えしたいのは山々なんですけども…私も知らないんです。研究所か…工場か…どういったところかは分かりませんが、そのころはまだパーツの段階だと思うんで…」
「頭ン中とかに、情報ってのは入っていないのか? コンピューターなんかでも、基本システムの情報ってのは必ず入ってるモンだけどな?」
「多分、あるとは思いますが、私自身が、それにアクセスする方法を知りません。おそらく、コード化されているものと思われます」
 言われてみれば、そういうこともありそうだと、和己は思った。どうやらシギ本人からの情報収集は諦めた方がよさそうだ。ということは、手がかりはゼロということになる。
「じゃ…そういうことで…」
 そう呟いて、悠が自分の部屋へ向かおうとするのを、和己が止めた。
「こら待て、悠。てめえ、どこ行きやがる」
「どこって…自分の部屋だよ」
「何で?」
「何でって…だって、どうやら、僕の理解を超えた出来事のようだから。僕はテスト勉強するよ。再来週から中間テストなんだ」
 悠は事務的に答えた。そうするのが、自分の精神の健康に対して、いちばん良さそうに思えたからだ。和己も、その意見に対しては異議を唱えないことにした。
「そっか。ま、今のとこはまだ助手はいらねえからな。好きなだけベンキョーしてろ」


「さて」
 悠が自室に引っ込んでから、和己はあらためて腕を組んだ。
「まず問題は、どうやって調べるか、だな。シギ、おまえに、自分の情報が分からない以上は、外側から調べていくしかないわけだ」
 その言葉にシギもうなずいている。それを見ながら和己は、無意識に煙草に手を伸ばしかけて、それに気づいた瞬間、舌打ちをする。中身が入ったままの煙草の箱をゴミ箱に放り捨てて、和己は考え始めた。
 ──順当に考えれば、こんな高級ロボットが開発されてること自体おかしいが…。まあ、どこかの道楽科学者が作ったのかもしれないしな。にしても、それが売買されてることもおかしいよな。当然、普通の流通ルートじゃねえことは確かだな。インターネットなら…? あり得ない話じゃないけどな。もしネット上でこんなのが売買されてるんじゃ、すぐに噂になるはずだ。現実でもネットでも、そんな噂は耳にしねえな。裏のルートったってなあ…知らねえぞ、そんなの。
 考えれば考えるほど、分からなくなっていく。思わず、和己はシギを見つめた。シギが青い瞳で問い返す。
「…どうかしましたか?」
「いや。…しょうがねえな。知り合いに故買屋がいる。聞いてみることにするさ。おまえみたいなのを扱ってるルートがあるかどうかな。…と言っても、望み薄だけどな」
「私も何かお手伝いします」
 シギの言葉に、和己は首を振った。
「いや、とりあえずは……って、ちょっと待てよ。おまえ、どうして日本語喋れるんだ?他には? 英語は話せるんだよな?」
 ふと気がついて、和己が尋ねる。それを聞いてシギが考え込んだ。
「どうして…と言われましても…そうプログラムされてますから。日本語と英語、それにドイツ語とフランス語、イタリア語がプログラムされてるようです」
「単に、経済発展国の言葉を選んだだけみたいだな。つまりは、おまえを買えるだけの財力を持った人間がいる国を狙ってるだけか」
 そのあたりにはたいした意味はなさそうだと、和己は小さく溜め息をついた。
「例の故買屋に、メール出しとくか。何もしねえよりはマシだろ。…おまえは好きにしてろ」
「手紙…ですか?」
「電子メールだよ。パソコン通信みたいなもんだ」
 そう言って、和己は自室へと向かった。

 自室に置いてあるパソコンに電源を入れながら、和己はふと立ったまま部屋を見渡した。一〇畳ほどの部屋だ。ベッド、パソコンデスク、本棚…クローゼットは造り付けだが、最近はかなり手狭になってきている。もちろん、古くはあってもある程度の広さはあるマンションだから、余っている部屋もある。だが、その余っている部屋の一つは完全に書庫兼物置になっており、他の部屋には居候がいる。悠とシギが。
「マンションでも買うか…」
 シギはもちろん、悠でさえ、たいして長くいるわけではない。だがまあ、社長業などをやっていると、ある程度の資産はある。始めたばかりの頃ならともかく、軌道に乗った今となっては、社長とかオーナーとか青年実業家とか…そういったもろもろの肩書きにふさわしい住居を構えていた方がいいのかもしれないと思うときもある。
「ま、いいや。そのうち考えるとすっか」
 リビングで目を通したいくつかのダイレクトメールや不動産の広告の内容を思い浮かべるのをやめて、パソコンデスクの前に腰掛けた。故買屋を生業とする友人に宛てて、メールを書き始める。
 実を言うと、友人と称しながらも、和己は彼の本名を知らなかった。顔と店の場所、普段呼んでいる通称と電子メールのアドレス。知っているのはこれくらいだ。あとは、本名も年齢も知らない。だが、それはお互い様でもある。故買屋の友人、通称ゼンが持っている和己の情報も、似たようなものだ。
 葬儀屋と故買屋という、およそ接点のない二人が出会ったのは、単なる偶然に過ぎない。たまたま、和己が一時期気に入って通っていたクラブの常連客にゼンがいただけだ。見た感じ、年齢が近そうでもあり、一緒に飲んだりしているうちに、妙に意気投合してしまった。出会ってから三年以上は経つが、お互いについては、一番最初に自己紹介した折りの情報しか持ち合わせていない。それでも不自由は感じなかった。
「ゼンのやつ…俺が社長だなんて知らねえんだろうなあ」
 薄青い光を放つ画面に向かって呟きながら、和己はキーボードに指をのせた。しばらくそのまま考えていたが、結局は単刀直入に用件を切り出すことにする。
《聞きたいことがある。変な質問だとは思うが、人間型の最新ロボットなんかを扱ってるルートを、もしも知ってるなら教えて欲しい。おまえのところでは扱ってないんだろう?》
 用件だけの短いメールをそのまま、送る。送り終えたことを確認して、電源を切ろうとしたが、ふと思いとどまった。
「だめでもともと。…調べてみっか」
 かけらほどの期待も抱かず、インターネットの検索を始めた。
 ややしばらくの後、検索は、結局思った通りの結果に終わった。つまりは、収穫ゼロである。
「誰もロボットアニメのことなんか、知りたくねえっつーの」
 検索するたびに、数え切れないほど現れる画面情報にいらついて、和己はその作業を諦めた。
 操っていたマウスから手を離して、今度こそ電源を切ろうとした。が、その手が再び止まる。
 画面はメールの受信を伝えている。
 どうやら、思った以上に早くゼンからの返事がきたようである。
 先刻と同様に、ほとんど望みはないだろうと思いながら、ゼンからの返事を読む。そこには一言、こう書かれていた。
《アニメの見過ぎだ、馬鹿》
「…やっぱりな。…あいつに馬鹿なんて言われちまうとはな…俺も堕ちたもんだぜ。……ん? 何だ、これ?」
 見ると、ゼンからのメールには、別のデータが添えられていた。タイトルは『シークレット』。データのタイトルを見ただけでは何のデータかは分からない。メールの本文には、短い揶揄の言葉以外には何も書かれていない。小さく首を傾げながら、和己はそのデータを開いてみた。そして次の瞬間にはがっくりと肩を落とす。
「……全編、文字化けじゃねえか」
 文字化け──つまり、送受信するときに何らかの問題があったか、もしくは和己の持つパソコンでは対応していないデータが入っているということだ。もともとのメールに、データを添えた旨も書かれていないということは、間違って送信された可能性が高い。
 そのまま送り返そうかとも思ったが、和己は思い直した。わざわざ送り返さずとも、向こうは同じデータを持っているのだ。間違っていることだけを教えてやればそれですむだろう。
 送られてきたメールはそのまま削除して、和己は新たにゼンにメールを送ることにした。
《明日、店のほうに行く。さっき送ってきた添付ファイルは俺には関係ないぞ。どこに送ってんだ、馬鹿》
 送信終了のメッセージを確認して、和己は今度こそ電源を切った。


   
           
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