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サンクチュアリ
−− 7 −−
その夜、ロビンが帰ってきたのは、一時を少しすぎた頃だった。リビングの扉を開けたロビンに、何杯目かの水割りを口に運んでいたリョウが、グラスをあげて微笑む。
「お帰り」
「あら…リョウさん。どうしたの? レイが何か?」
「ちょっと、コウに頼まれてね。明日から学会で、しかも準備で今日は大学に泊まり込むんで、夜の間だけでもレイを見張っててくれって。 いつも、帰りはこのぐらいなのかい?」
コートを脱いだロビンが、リョウの向かいのソファに座りながらうなずいた。
「ええ、そうね。もっと遅い日もあるわ。…そういえば、コウの学会は明日からだったわね。シュルツだったかしら?」
「ああ。そう言ってたよ」
うなずくリョウの微笑みを見て、ロビンがかすかに首をかしげた。
「リョウさん…どうしたの? 疲れてるみたい」
「…そう…見える? まあね、ちょっと…らしくないことを考えたりしてね。 ああ、君も飲むかい? …レイの酒だけどね」
「あ、ありがとう。いただくわ。……らしくないってどんなことを?」
グラスを運ぶリョウに、問いかけた。リョウが小さく溜め息をつく。
「たとえば…自分の命の期限がわかっていて、それを受け入れることと、闘いを放棄することとの違い…とか」
ロビンに水割りを渡して、再びソファに腰掛けると、リョウはロビンの目を見つめて、話を続けた。
「それに…期待が裏切られる可能性のほうが高いのに、期待をせずにいられない時、人間はどこまでセルフコントロールができるのか、とか……」
リョウの言葉を聞きながら、ロビンはただ黙ってグラスに口を付けた。その動作を見つめながら、リョウが再び口を開く。
「実際、どちらにしろつらいことだと思うんだ。確かに、人間、自分の命に保証なんかない。明日にでも交通事故に巻き込まれるかも知れないし。医療が発達した今でも、脳内出血なんかは、よほど迅速な治療じゃなければ、効果を現さない。今こうやって、酒を飲んでいる五分後に、自分の脳の血管が切れないとは誰にも言いきれない。限りなくゼロに近い可能性でも、それはゼロじゃないからね。だけど…保証されていない代わりに、普通の人間は、この先何十年も生きられるという可能性がある。その可能性を…ある一定の期日から先の可能性を否定されてしまった人間は…どうやって死を受け入れるのかと……。自分が経験したことじゃないし、仮にそうだったとしても、他人がどう考えるかはわからないよね? 受け入れることと、あきらめることは同じことなのか。それとも……」
リョウがそこまで言った時、ロビンが静かに口を開いた。
「…まるっきり同じ事ではないでしょうけど、ひどく似通っていることだとは思うわ。あなたの言う意味でなら、受け入れないことが…最後まで抵抗して、闘う意志を持つことが、あきらめないことでしょう? そして、あなたはあきらめて欲しくないと思ってる。…違う? でも……リョウさん、あなたが言ってるのは…レイのことね?」
その言葉を聞いて、リョウの動きが止まる。が、一瞬のちには、微笑みを浮かべていた。
「レイ? どうして、この話題であいつの名前が……」
ロビンが寂しげな微笑みを浮かべて、リョウの返事をさえぎる。
「いいのよ。あたし、知ってるの。…レイの机の上に…リデル酸コリカノールがあったものだから……レイに確かめたら、否定しなかった。研究の都合上、たまたまその薬品をあたしが知ってたんだけど…知ってよかったような…知りたくなかったような……複雑ね」
「知って……るのか…?」
リョウの呟きに、ロビンがうなずく。
「ええ。レイの病気のことも…治療法がないことも……そして、レイの命の期限も。だけど、あたしはあきらめてない。治療法がないなら……あたしが手伝う。人工の肺が使えるようになれば、レイは生きられる。多分……レイもあきらめていないわ。さっき、リョウさんが言ったわよね、期待することのつらさを。レイが言うには、彼はあたしには期待してないって。でもね…レイのその言葉は……あたしには別の言葉に聞こえるのよ。期待してるって…。あたしの研究の成否が、自分の命に関わってるって。冷静にしてはいるけど…誰よりも生きていたいのは……コウを残して死にたくないのはあの人だわ。ただ、彼がそうやってあたしに期待していないふりをするのは……彼が優しいからよ。期待されれば、あたしの研究が不手際に終わった時、あたしは自分で自分を責める。そうならないように…あたしが自分からも他人からも責められることがないように、あの人は期待していないふりをする。それは…もしかしたら彼自身のためなのかも知れないけど」
リョウが溜め息をついた。
「そうだな。本当に…その通りだよ。君は、頭のいい人だ。それに…強いよ。そして、君はレイのことが好きなんだ。そうだろう?」
「ええ、そうよ」
ロビンが嬉しそうに微笑んだ。持ったままのグラスに、口を付けて、再び口を開く。
「あたしはレイのことが好き。だから、彼のためになることなら、何でもしたいし、レイの役に立ちたいと思う。レイに…生きていて欲しいと思う。コウにつらい気持ちを…残されるつらさを味あわせたくないと思うんなら、その手伝いをしたい。本当は……レイにこそ…二度もおいて行かれたレイにこそ、その気持ちは味わって欲しくないんだけど…。どちらにしろ、二人がお互いにその気持ちを味わうのはもっと先でいいはずよ」
それを聞いたリョウが、苦笑しながら溜め息をついた。
「まいったな…。君は本当にレイが好きなんだ。俺は…このことは多分、レイに言ったら怒られると思うんだが、実際、時々レイがうらやましい。もちろん、君に好かれてるってこともあるが、それ以上に、あいつがコウに対して持つ感情が……あいつの愛し方を、うらやましく思うよ。誰か一人の人間を自分の基準の全てにしてしまう、それでいて、必要以上に相手を縛ることもなく。いつでも、自分のことより、相手の…コウのことを考える。そう、自分が生きられないかも知れない今になってもね。……君は、レイと同じだ。縛るんじゃなくって、包み込むような…相手の全てを受け入れるような…そんな愛し方だ。うらやましいよ。そんな気持ちをもてること、そして、そんな相手と出会えたことがね」
それを聞いて、誇らしげにうなずいたロビンがふと、表情を曇らせた。真顔になって、口を開く。
「…ねえ、リョウさん? レイは……病院のほうはしばらくお休みなのかしら?」
「え? ああ、そうならざるを得ないだろうね。とりあえず、俺が申告した休暇はあと十日ほどは残ってるけど…できればしばらくは休職して欲しいな」
「それは…体力的な問題で?」
ロビンの問いにリョウがうなずいた。
「ああ。本当なら…もう少し体力が回復すれば、簡単な仕事ならやらせてもいいんだけど…カーリアの病院に戻って、あいつがおとなしくしてるわけがない。実際、臓器移植を必要とする患者の割合に対して、優秀な移植外科の専門医は少ないからね。レイは、カーリアでは毎日、移植手術をしている。多いときは日に三度。いくらレイの手際がよくても、移植手術は一回につき、最低でも四時間以上はかかる。…想像以上の激務だよ。健康な人間でも、かなりきつい」
それを聞いて考え込むような表情を見せたロビンを怪訝そうに見ながら、リョウが尋ねた。
「どうしたの? それが何か?」
「ええ……実は、人工肺自体は、かなりできあがってるのよ。今は動物実験を繰り返してるんだけど……、人工肺の性能に関するデータを、コンピューターにシミュレーションさせてみたのよ。その結果と、実際の実験結果がかなり食い違うの。ひょっとしたら、移植手術に関する技術的な問題かと思って…」
「…できれば、レイに手伝って欲しい、と」
「ええ、そうなの。レイの評判を聞く限りでは、国内では多分、十指に入る腕だわ。……違う?」
ロビンが、リョウの目を見つめた。その目をまっすぐに見返して、リョウがうなずく。
「違わないよ。それは正しい。そして、あいつが積んできた経験もそうだろう。カーリアの移植外科は国内有数の規模だ。そこで毎日、手術をこなしている。……確かに、最適な人材だろう。俺としては…カーリアに戻るくらいなら、ウィードで…君の職場でそういう仕事をしてもらったほうが、ありがたいんだが。今の症状さえ治まれば、その程度の仕事なら、レイには軽いはずだ。それに今の症状の大部分は今までの過労によるものが多いだろうから、無理をしなければ、すぐに働けるようにはなるだろう。 ただ、問題は…」
「レイが、うんと言うかどうかね」
リョウの言葉のあとを引き取って、ロビンが言った。その言葉にリョウもうなずく。軽く溜め息をついたロビンを見ながら、リョウが口を開く。
「もう一つ、問題もある。あいつがはたしてその肺を受け取るかどうか。…受け取らざるを得ないだろうが……」
「…どういうこと?」
「職業的な倫理観とでも言うかな。自分が特別なコネで、優先的にその肺を受け取れるってことをレイが納得するかどうかだ。他の患者にもまわしたいと思うだろう。自分はあとでいいってね」
肩をすくめながら言うリョウに、ロビンが尋ねた。
「…あなたはどう思うの? 他の患者と比較して…つまり、今現在、肺の移植を必要としている患者の中で、レイに順番をつけるとしたら?」
「……最優先だ」
「理由は?」
「肺が何ヶ月後に完成するかにもよるが、患者としてみた場合の、レイの体力と病状の進み具合。 肺石症の患者数自体、極端に少ない。カーリアでは、今のところあいつ一人だ。もう一人、可能性があるとして検査してはいるが、仮にそうだったとしても、かなり初期の段階だろう。あとは…この国全体でも一桁だと思うね。その中で……移植手術をする条件が整っているのはあいつだけだ。他の都市の患者は医療条件が整っていない。レイが友人じゃなくても……全くの赤の他人で、たまたま俺が診察していただけの患者だったとしても…いや、俺が診察していたんじゃなくても、俺ならレイを移植第一号にする」
医者の表情で、リョウが言った。それを聞いてロビンもうなずく。
「それならあたしも気が楽だわ。あたしのしようとしていることは間違いじゃないのね。…あとはレイを納得させるだけ」
「そうなるな」
リョウが同意する。ロビンは軽く溜め息をついて、立ち上がった。
「とりあえず、仕事のことに関しては主治医の了解も得たことだし、今の件に関してもあたしからレイに話してみるわ。明日は週末であたしもお休みだから」
「怒らせないように気をつけて」
リョウはそう言って、悪戯っぽく微笑んでみせた。
翌日は朝から雪が降っていた。大陸の北に位置するこの街では毎年十一月になれば、雪が降り始める。例年の初雪よりは少し遅いかもしれない。
ロビンはリビングの窓辺に立って、降りしきる雪を見つめていた。さらさらと降り続ける細かい雪は、外の気温の低さを物語っている。ゆっくりと、だが確実に白く変わってゆく芝生を見ながら、ロビンは数時間前の、リョウとの会話を思い出していた。
(……レイがあたしに期待していないふりをするのは、あたしに余計な責めを負わせないためと…そして、自分のため。自分が……期待してしまったら自分が弱くなるから…。あの人は多分、綱渡りをしている。それも、細い細い…ひどく頼りない綱の上を)
そう考えたロビンの脳裏に、昨夜のリョウの言葉が浮かんできた。 期待をせずにいられないとき、人間はどこまでセルフコントロールができるのか…と。
(本当に…どこまで……。でも多分、あの人はコウがいる限り…コウの幸せを守ろうとする限り、どこまでだって冷静なふりを続けるんでしょうね。自分は大丈夫だから、と。コウを守る力があるからと。…そうして…あの人はどこまで自分を追いつめるのかしら? コウのための強がり、コウのための…嘘。何もかもコウのため…それであの人は幸せだと言うけど…。本当に……つらくはないの? それで平気なの…?)
「おはよう、早いね、ロビン」
ロビンの思考は、リョウの呼びかけにさえぎられた。戸口に立つリョウの姿を認めて、窓から離れる。
「おはよう。…とうとう雪が降ったわね。車、大丈夫?」
「ああ、多分ね。…何を考えてたの? 雪を見てただけ?」
リビングに入りながら、リョウが尋ねた。ロビンがそれを聞いて肩をすくめる。
「そうね…昨日、あなたが言ったことを少しね」
「俺が?」
「ええ。あなたは…あたしを強いと言ったわ。でもね…確かにあたしも強くありたいとは思うけど……本当に強いのはあたしじゃなくて、レイなんだなって。たとえ強がりでも…強がることができるのも強さだわ」
ロビンの言葉に、リョウがふと和らいだ表情を見せる。
「あいつが……レイが強いのは、守る者があるからだよ。誰かを守るために、強くありたいと思う気持ち。それだけで…その気持ちそのものが強さだと、俺は思う。だから…君も強い人だよ。レイがコウに向ける気持ちと同じものを、君はレイに向けている。それができる分だけ、君は強い」
「……そうだといいけど…。 朝食、食べるでしょう? 今、用意するわ」
キッチンに向かいながらロビンが聞いた。リョウがうなずく。
「ああ、ありがとう。レイにもあとで持っていこう。無理矢理にでも食べさせないとな。…文句を言われるかもしれないけどね」
「ええ。あたしが持ってくわ。…ちょうど、話もあることだし」
朝食を載せたトレイを持って、ロビンはレイの部屋のドアをノックした。
「レイ? おはよう、起きてる?」
しばらく待って、ロビンは静かにドアを開けた。
机の前に立ったままでいる長身の影を見つけて、ロビンが小さく溜め息をつく。
「起きてるなら返事くらいしてよ。ずいぶん、早起きなのね?」
「………寝てない」
「え?」
「早起きなんじゃない。眠ってないだけだ」
その手に持っていた小さな写真立てを机の上に戻しながら、レイがロビンに視線を向けた。
「 眠れなかったの?」
レイの手を離れた写真立てを見ながら、ロビンが囁くように聞いた。レイが無言でうなずく。
「そう……朝食、持ってきたから、食べたら少し休んだほうがいいかもね」
「……眠りたくない」
「どう…」
聞きかけたロビンをさえぎるように、レイが口を開いた。
「………夢…を………いや…なんでもない」
言いかけた言葉を飲み込みながら、朝の光に透けるロビンの金髪から目をそらすように、レイはベッドに腰掛けた。足もとに視線を落として、ロビンに尋ねる。
「今日は休みなのか?」
「え? ええ。実験の結果待ちもあるし。……話があるんだけど、いいかしら?」
真剣な様子で話を切りだしたロビンを、訝しげに見上げながら、レイがうなずいた。
「なんの話だ?」
「ええ…実はね、あなたにあたしの仕事を手伝って欲しいの。ウィードと特別契約を結んで欲しいのよ。強制的な束縛はないし、もちろん報酬も…」
「……どんな内容だ?」
無表情に問い返すレイにうなずきながら、ロビンは手近な椅子に腰を下ろした。
「今あたしが研究してる…人工肺の移植実験に、技術的な援助をしてもらいたいの。臓器自体は、かなりできあがってるわ。ただ、動物実験の結果とコンピューターのシミュレーション結果が食い違うのよ。移植手術の際の技術的な欠陥の可能性も否定できないわ。不確定要素を少しでも減らしたいのよ。あなたが……ドクター・カイトリーがした手術なら技術は信用できるから…」
そこまで聞いて、レイはうつむいて大きな溜め息をついた。その様子を見て、ロビンが一瞬、口を閉ざす。レイが再び顔を上げた。
「俺に……肺を作る手助けをしろと?」
そう言ってレイが口元をゆがめる。ロビンは目をそらさずにうなずいた。
「そうよ。ゆうべ、リョウさんに相談したら、あなたは最適な人材だと言われたわ。それに、カーリアの仕事は体力的にきついから……」
「確かにな。しばらくは……いや、ひょっとしたらもう戻れない可能性も高い。あいつは…リョウは俺の性格をわかってる。カーリアで、俺が仕事の量を減らせるわけがないと思ってるんだろう」
「だから、ウィード・バイオテックでなら、仕事の負担は減るわ。それに、ドクター・カイトリーとしての名前を出すことに不都合があるなら、そのあたりも何とかするし……」
ロビンの言葉を聞いて、レイが息を吐き出す。
「少し……考えさせてくれ」
「…ええ。……一つ、言い忘れてたわ。これはあたしの私情だけじゃないってことを。研究内容の機密保持に関わるってことで、非公式ではあるけれど、これはウィードとしての依頼よ」
「……わかった。そういう話として聞いておこう」
そう言ったレイにうなずき返して、ロビンはレイの部屋を出ていった。
扉の奥に消えていく金の髪を見送って、レイは机の上に視線を移した。小さなフレームの中の、金の髪と紫の瞳が目に入る。何度目かの溜め息をついて、レイは小さな写真から目をそらした。 雪はまだ、降り続いている。
ロビンが廊下に出ると、ちょうど二階にいっていたリョウが階段を下りてくるところだった。
「ロビン、もうレイには話したのかい?」
「ええ。少し考えさせてくれって。…まじめに考えてくれているみたいだわ。 それより、彼、ゆうべ寝てないみたいだけど…」
心配げに問いかけたロビンに、リョウがうなずいた。
「…多分、そうだろうとは思ってたよ」
「どういうこと?」
「昨日の夜……あいつに詰め寄られた。治療法を見つけて…薬を研究して…その一連の作業が間に合う可能性はあるのかと。レイは…あいつは、学生時代、俺よりも成績がよかった。そういった作業にどれだけの時間がかかるか…原因を見つけて、治療法を見つけて、そして薬を開発する。それは、泥の中から一粒のダイヤをすくい出すようなものだ。そのことを、あいつはよく知ってる。そして、情けないことに、俺はあいつに嘘がつけないんだ。受け持ちの患者相手に、嘘をつくことは少なくない。俺は…そんなとき表情すら変えないで嘘がつける。それがその患者のためになるならね。それがレイには通用しない。なぜだろうね……」
哀しげな微笑みを見せるリョウに、ロビンがもう一度尋ねた。
「あなたは…レイに詰め寄られて、なんて答えたの?」
聞かれて、リョウがうつむく。
「正直に言ったよ。間に合う可能性はゼロではないが、五分五分よりは遙かに低いと」
「……その数字は?」
「 三〇パーセント以下」
苦しげに、吐き出すように言ったリョウの言葉に、ロビンは表情を堅くした。
「三〇……?」
ロビンの囁きに、リョウは顔を上げた。ロビンから視線をそらしながら、顔をしかめる。
「ああ……ああ、そうだよ。俺だって…俺だってレイと同じに、人の命を救いたくてこの道を選んだ…。正義漢ぶってると思われるかもしれない。けど、実際そうなんだ。少しでも…自分の技術や知識が少しでも誰かの役に立つのなら…そのことで誰かの命を救えるのならって。それが……それが、どうだ? 親友の命すら自分の手じゃ救えやしない。一番助けたい人間だけが、この手じゃ助けられないんだ…。あいつが…強がってるのはわかってるのに…」
「……リョウ…」
ロビンが囁いた。廊下の壁にもたれたまま、リョウがロビンに視線を向ける。
「…レイの様子は? 眠れないってこと以外に何か…?」
「いえ……いつも通りよ。 ねえ…どうして? どうしていつも通りなのよ!? あの人はどこまで冷静でいられるの!? 誰だって…誰だって死にたくはないでしょう!? 死ぬのが怖くない人間なんていない! なのに、どうしてレイは誰にもすがろうとしないのよ…? コウのためなの? それだけで……それだけで、何もかも耐えられるの!?」
「ロビン……」
「どうしてよ…? どうしてリョウの嘘を見破るのよ。どうして……」
「ロビン、君が助けるんだろう? レイの命を君が助けるんだろう? 俺だって悔しいよ…。それでも…それでも俺じゃあどうにもならないから…。最後は結局君にすがるしかないから…」
リョウの言葉に、ロビンが目を伏せた。
「そうよ…、あたしが助けるわ。あの人を…レイを死なせや……」
ロビンの言葉は、突然の物音でさえぎられた。玄関へと続く廊下の曲がり角の向こうから聞こえてきた音を確かめるために、リョウが足を踏み出す。
曲がり角の手前に立ったリョウは、玄関の方に視線を向けたきり、凍りついた。
「……リョウ?」
ロビンの呼びかけが、リョウの耳に届いたかどうかはわからない。だが、リョウは絞り出すように声を出した。
「……コウ…」
その言葉に、ロビンも息をのむ。
「………コ…ウ…いつから…そこに…?」
リョウが、囁くように問いかけた。
コウが、ゆっくりと二、三歩踏み出す。向かい合ったリョウがわずかに後ずさりする。姿を現したコウから、ロビンは思わず目をそらした。
先刻落とした封筒を拾い上げながら、コウが口を開く。
「忘れ物をして…飛行機のチケットなんだけど。こんな物を忘れたなんて、笑われると思って…それで、こっそりと取りに来たんだけど…驚かせちゃったみたいだね…」
コウは、無理矢理浮かべてみせた微笑みを保てずにいた。
ロビンがゆっくりと、顔を上げた。封筒を手にしたまま立ちつくすコウに、静かに歩み寄る。
「……コウ…」
ロビンの囁きを耳にして、コウはうつむいた。身体を固くしているコウの腕に、ロビンが手を置く。それに反応して、コウの身体がいっそう強ばる。
「コウ…」
コウの両腕をしっかりとつかんで、ロビンがもう一度囁いた。コウがゆっくりと息を吐き出した。うつむいたまま、呟くように口を開く。
「今の……話は、レイのこと…?」
「コウ、あの……」
何度も首を振りながら言いかけたロビンをさえぎって、コウは顔を上げた。
「教えてよ! レイのことだろう!? さっき、リョウさんとロビンが話してたのは……レイのことなんだろう?」
コウの頬を伝う涙を見て、今度はロビンがうつむいてしまった。
「ごめんなさい……あなたには…知らせたくなかった…。あなたにはいつも微笑んでいて欲しかったの……。こんな風に知らせることになるなんて……」
「ロビン…どういうことなんだ?」
コウが問いかける。ロビンは、うつむいたまま、何度も何度も首を振り続ける。その細い肩を抱いて、コウはリョウに目を向けた。
「リョウさん……」
コウの視線を受けたリョウが、苦しげにうなずいた。リビングへの扉を示して、口を開く。
「中で話そう。……全部…話すよ」
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