記憶回路


−− プロローグ −−


 ケン・エドワーズ博士は、届いたばかりの荷物をほどきながら、喜びの表情を隠せずにいた。待ち望んでいたもの−−−自分の作品を完成させるための部品を一つ一つ、ゆっくりと取り出す。梱包を全て解き終えると、それらの部品を大事そうに抱えて、いそいそと研究室に向かった。
 ドアを開けて、立ち並ぶ何台ものコンピューターには目もくれず、部屋の一番奥へと足を向けた。大きなデスクの上に、二台の小さなコンピューターが並んでいる。抱えていた部品を横に置くと、エドワーズは愛おしそうにそのコンピューターに声を掛けた。
「おまえたちの部品が、やっと今日、届いたんだ。−−−聞こえているか?」
 エドワーズの問いに、一台のコンピューターが答える。
「ハイ、キコエテイマス」
 もう一台も同じように答えた。
「〈ブヒン〉トハナンデスカ?」
 二台の機械の合成音に、エドワーズは嬉しそうにうなずきながら、口を開いた。
「おまえたち、動いてみたくはないか? これはそのための部品だよ。実はボディは大体出来上がっているんだ。今日届いたこの部品と、おまえたちのAIを組み込めば完成だ。声帯も人間と同じように作ったから、今までよりも滑らかな発音ができる。そして、今度からは視覚認識ができるようになるんだ」
「ソレハタノシミデスネ。イツゴロデキアガルヨテイデスカ?」
「ああ、今夜にでも! 待っていろ、もうすぐだ」
「シカクニンシキガ、デキルノナラバ、ハカセノカオガミラレルワケデスネ?」
「ん? うん、まあ、そういうことになるかな? 言っておくが、あまり期待はしないでくれよ」
 もう慣れたとは言え、どこかぎこちない機械合成音を聞きながら、エドワーズは満足だった。誰もいなくなったこの家に、また自分以外のものが動き回る、自分以外の声が響く。それを考えるだけで、知らず知らず頬がゆるんでしまう。ふとそれに気づいて、頭を軽く振りながら、口を開いた。
「おまえたちに、こんな締まりのない顔を見せられないな」
 苦笑しながらのその言葉を、機械たちはうまく理解できないようだった。

−− 1 −−


「さあ、目を開けてごらん」
 聞き慣れた声が聞こえる。聞き慣れた、というよりも、私の記憶している唯一の声だ。と、言うことは、これは博士だ。ケン・エドワーズ博士。今までとは少し、聞こえ方が違う。私のAIが新しいボディに移し換えられたのだろうか? 
「わかるだろう? そう、目を開けるんだ」
 目を? ああ、視覚認識ができる、博士はそう言っていた。
 私は、指示通りに目を開けてみた。まず、最初に認識できたのは、一人の人間の顔。白い髪が目立ってきているが、黒髪だということはわかる。そして、深い青の瞳。その後ろには、四角い箱の群れ。あれは一つ一つが全て機械のようだ。薄汚れた壁と、天井。そして、首を回してみるとドアが見えた。反対側にはもう一人の人間。まだ目を閉じているが、美しい金髪をしている。まだ若いらしい。
 私は正面の人間に視線を戻した。多分、彼がエドワーズ博士だろう。
「……見えるか? 私の顔はどう見える?」
 「はい、見えます」
 答えて、私は愕然とした。これが自分の発音か? まるで人間の声のようだ。滑らかなイントネーション、細かなアクセント。今までの合成音がひどく幼いものに思えた。私は続けて博士に話しかけてみた。
「………驚きました。この声帯は、とても精巧にできていますね。滑らかに声が出てきます。それに、〈目〉も。視覚認識がこれほど素晴らしいものだとは思いも掛けませんでした。博士の顔もよく見えます。すてきな瞳の色ですね。私の髪と瞳は、どのような色をしているのでしょうか?」
 私が話したことで、博士はひどく喜んだようだ。満面に笑顔をたたえている。何度もうなずいて答えてくれた。
「ああ、おまえの髪と瞳もきれいだよ。そうだ、あそこに鏡があるから見てくるといい。身体は動かせるだろう?」
 私はゆっくりと手を動かしてみた。指を開く。手を握る。自分の目の前で、人間の手が動いている。が、それは紛れもなく私が動かしているものなのだ。足も動かしてみた。どうやら、知らないうちに、歩き方やそのほかの動かし方もプログラムされていたらしい。私は、自分でも呆れるほどスムーズに鏡までたどり着くことができた。
 鏡を覗きこむ。見たことのない人間がいた。さっき、私の隣で目を閉じていた男によく似てはいるが、彼よりも少し髪の色が濃いようだ。ブラウンがかった金髪に、博士のものよりも明るい青い瞳。これが……私の顔。
「どうだ? 気に入ったか?」
 博士が後ろにいた。
「ええ、気に入りました。不思議ですね、鏡というものは」
「しばらく、そのあたりを見て回るがいい。但し、まだドアは開けるなよ」
「はい。博士は?」
「私は、おまえの弟を起こさなくてはならないからな」
 そう言って、博士は微笑んだ。
「弟? 私のですか?」
「ああ、ほら、あそこにいるだろう」
 博士は、先ほどの男を指さした。そのまま、話を続ける。
「あれは、おまえの弟だよ。もともと、同じコンピューターの端末だからな。双子のようなものだ。………そうだ、大事なことを忘れるところだった! おまえに名前を付けてあるんだ。これからは、二人別々に動き回るんだから、名前がないと不便だろう?」
「名前……ですか? 私の?」
 名前…名前! 私の、私だけの…自分の名前! その言葉を聞いた瞬間、私は体温が上昇するのを感じた。
「そう、名前だ。おまえは今日から、カイン・エドワーズだ。そう、プログラムしなさい。……カイン」
 そう告げると、博士は私の〈弟〉を起こしに行った。
 私はゆっくりと部屋の中を見渡してみた。壁の中央に、コンピューターに挟まれて、小さな窓があった。ガラスの表面に手を当てると、冷たかった。どうやら、温度センサーが皮膚一面に張り巡らされているらしい。それが、私の頭の中にある人工知能につながって、温かいのか冷たいのかの判断が下される。私の手は温かい。手だけではなく、身体の表面はほとんど人間と同じような体温がある。これはどういうことなのだろうか?
 私は自分の中のプログラムを探った。多分、この身体の構造に関するプログラムもあるはずだ。
 サーチはほんの数秒で終わった。この身体の表面に人工皮膚が貼られ、その下に無数の細かいパイプが通っている。そのパイプの中を保温剤が流れている。温度は36℃。その液体が赤いため、皮膚が傷つけば血液のようにも見えるだろう。ある程度の自己修復作用は付いているようだから、多少の傷ならば、10分も経てば傷口はふさがるようになっている。ただ、保温剤とともにエネルギーも流れているから、あまり大きな傷を作ると、中枢がエネルギー不足になって活動が一時停止する。エネルギーは、小型のエネルギー炉が左胸にあり、そこで作られているようだ。
 −−−これ程のボディを作るには相当の費用がかかったはずだ。見たところ、政府や国の援助も受けていないようなのに……どこから捻出したかは知らないが、博士はそれほどまでに私たちを……。
 博士の後ろ姿を見ているうちに何か、言いしれぬ感情がわいてくるのに私は気づいていた。
 感情? 機械の私に? そんなはずは…だが、これは感情としか定義できないものだ。生物だけのものだと思っていた感情がわたしにもあるのだろうか? 一体、いつから…?
 基本プログラムが打ち込まれた日は覚えている。だが、あの頃はただの機械だった。博士がキーボードに打ち込む情報を、私が整理してマザーコンピューターに送る。そこから送り返されたデータを私が画面にディスプレイする。その繰り返しだった。その頃は音声識別装置も無く、博士の声は聞けなかった。だが、装置がつけられてからは…博士の声が聞き取れるようになってからは、何かが違ってきていた。データを求めるわけでもなく、博士は私たちに話しかけた。私と…弟に。そこから無理矢理こじつけたデータをディスプレイしてはいたが、博士は、それは要らないと言った。ただ、話していたいのだ、と…。
 −−−コミュニケーション。博士はそう言った。それは相手がいないと成り立たないものだ。私は相手になりたくて、答えを返そうとしていた。記憶している会話パターンの中から、その時の博士の言葉に似た会話を見つけては、ディスプレイを繰り返した。それは隣にいた弟も同じことだった。そうして、そんな〈会話〉を何度繰り返しただろうか。いつしか私たちは会話をする事に慣れ、会話パターンも増えてきた。言葉の微妙な操り方を覚えた頃、私たちは独自の意志を持つようになっていた。私たちは、博士の喜ぶ声が聞きたかった……。
 ああ、そうだ。いつから、なんてことはない。最初からだったんだ。最初から、ただの機械の頃から、博士が満足してくれていることが嬉しくて、ただそれだけが嬉しくて、データをサーチし、計算式の解答をはじき出していたんだ……。
 今、博士の瞳を見てわかった。私は博士を愛している。これが愛情なのだと気づいている。愛情、尊敬、そして感謝。博士とのコミュニケーションから、意志を持った。博士への愛情とともに、私たちに向けられる博士からの愛情も感じ取ることができた。そして、博士に応えたいと思った。…全てはそこから始まっていた。
 私がそんなことを考えていたとき、博士がいきなり振り向いた。
「カイン! こっちへ来てごらん」
 呼ばれて、博士のそばにいく。博士の前には弟が立っていた。目を開けている。明るい緑の瞳が私をとらえた。その瞳には紛れもなく、意志があり、感情があった。弟も私と同じ道をたどったのだ。〈進化〉という長くて短い道を。
「カイン、おまえの弟、アベルだ」
 博士が言った。アベル−−−弟の名前。こんなとき、私はどう反応すればよいのだろうか? 放心したままの私の目の前に、アベルの手が突き出された。アベルが口を開く。
「今更だけど、よろしく。カイン」
 ……ああ、そうか。私はその手をきつく握り返した。
「こちらこそ。アベル」
 握りあった二つの手を、博士が上から両手で優しく包み込んだ。……温かさを感じた。


 それから数日間は新しい驚きと感動の連続だった。私たち兄弟は、常識と言うものを全く知らなかったのである。〈家〉の存在から始まって、棚、ドア、テーブルやグラスに至るまで。博士は無知な私たちに、根気よく教えてくれた。自分たちの無知さ加減に呆れながらも、知識が増えることと、何よりも博士の愛情が嬉しくて、私たちは新しいプログラムを重ねていった。
 しばらくして、私たちは活字を読むことを覚えた。二人とも、本だろうと新聞だろうと、手当たり次第に活字にかぶりついた。何もかもが新鮮だった。
 そして、始動して1ヶ月ほど経った頃から、私たちに性格の違いが現れ始めた。そんな私たちを見て、博士は嬉しそうに言った。
「当然の結果だな。おまえたちにはすでに感情が芽生えている。感情が現れれば、そこから発展してゆくのは当然だ。おまえたちにも性格の違いが現れてきたようだ。例えば、カイン、おまえはかなり慎重派のようだな。行動するよりも先に思考する事を選ぶ。読むものも、おまえは最近本ばかりを読んでいる。詩集から実用書まで幅広くな。アベルの方は積極的だ。新聞の記事やテレビのニュースに夢中だ。時代の流れに追いつこうと必死なんだろう。その点でおまえたちは正反対だ。だがどちらが正しいとか、そんなことは言えない。どちらもおまえたちの性格に合っているんだろうからな」
 そう言うと、博士はソファに深く身を沈めた。私たちと博士の間にあるテーブルの上には、窓から差し込んだ陽の光が、不思議な幾何学模様を描き出していた。
「私は積極的…ですか? でも確かに博士の言うとおり、カインのように本から知識を得るのは性に合わないような気がして……おかしいですね、機械がこんな言い方は……」
 アベルが言った。それを聞いて博士が首を振る。
「おかしくはないさ。それに、おまえたちはもうただの機械なんかじゃない。感情と意志を持つ。人間に限りなく近づいているよ」
 人間に限りなく…? 私は博士の言葉に大きな喜びを感じた。そして、気づけば無意識に微笑みの表情を浮かべていた。
「本当にそう思いますか? 博士からその言葉を聞けて嬉しいです。私は…ずっと人間に憧れていた。自由な人間に……」
 私が言うと、博士は苦笑しながら答えた。
「自由……か…。カイン、世の中にはいろいろな人間がいる。自由な人間もいれば不自由な人間もいるさ。幸福と不幸が隣り合っているように、自由と不自由も隣り合っているんだ。−−−だが、おまえたちなら人間を越えることができるかもしれん。おまえたちは人間が持っていないものを持っている」
「それは……?」
 アベルが訊いた。博士がうなずいて答える。
「優しさだよ。無条件な優しさだ。何の見返りも求めずに、妥協もなく、他人に捧げられる優しさ。それは二人とも同じだ。強靱なボディに最高の知能。それを備えていながらなお、優しさを忘れない。それを忘れて打算的になってしまっている人間たちより、どれほどましなことか。私に言わせれば、人間たちにとってはおまえたち二人の方がよほど憧れだ」
「−−−私たちは、博士という人間に作られました。言うなれば、博士は親です。誰が、親に対して優しさを持たないでしょうか? 私とアベルは博士を愛しています。愛している相手には優しくしたくなるのは当然でしょう」
 私の言葉にアベルもうなずいた。博士が目を伏せる。そのまま、動こうとしない博士の肩が、小さく震えた。
「博士……?」
 アベルの呼びかけに、博士は顔を上げた。驚いたことに、彼の頬に涙が伝っている。
「私たちは、博士を悲しませるようなことを言ってしまいましたか?」
 私は、博士にそう訊いてみた。博士がゆっくりと首を振る。涙混じりに、苦笑しながら彼が答える。
「……涙は、悲しいときにだけ流れるとは限らない……嬉しいときにも涙は出るんだよ…。そのうち、覚えるだろう。いろいろな涙を。−−−悲しみの涙、感激、感動の涙、そして……感謝の涙……」
 今まで、私はそんな涙を知らなかった。いや、悲しみの涙ですら、私とアベルは流したことがない。嬉しさや、感動、博士への限りない感謝はあるが、涙とは結びつかなかった。アベルも同じ気持ちらしく、少し当惑したような表情を浮かべていた。だが、この身体の内部構造と、私たちの感情の流れ。それらは博士が言ったように、確実に人間に近づいていっている。ならば……。
 私は自分の考えを博士に話してみた。
「では、様々な涙を覚え、それが自然にあふれ出るようになれば、私たちは人間として生きてゆけると思いますか?」
 博士が涙を拭いながら答えた。
「ああ、そう思う。今だって、私はおまえたちを人間だと思っているよ。自分の息子たちだとな。……ただ…」
 博士が言い淀んだ。博士らしくないその振る舞いに、アベルが詰め寄る。
「ただ……何です? 私たちに何かあるのですか?」
 私も同じ気持ちで博士の目を見つめた。一瞬の戸惑いのあと、博士が口を開く。
「おまえたちは……おまえたちの身体は、機械だ。もちろん、感情を持ち、優しさを持つおまえたちが、ただの機械だとは思っていない。だが……その心だけでは身体の構造は変えられないんだ。生身の肉体ではなく、精密機械と人工細胞。それが、おまえたちの身体だ。……わかるだろう? おまえたちは年をとらない。胸に埋め込まれたエネルギー炉は、半永久的に作動可能だ。何かの原因で、チューブやエネルギー炉が破壊されない限り、おまえたちは死ぬことはない。……私がこのまま、年老いて、此の世から姿を消す時が来ても、おまえたちは今のままだろう」
 少し悲しげに、博士は言った。押し出された言葉が私とアベルに降りかかる。
 −−−二人ともそのことを考えなかった訳ではない。多分、忘れた振りをしていたのだろう。
 私たち二人は、このまま何年、何十年過ごそうとも、この顔にしわが刻まれることはないし、金の髪が色褪せることもない。人間になら誰にでも平等に流れるはずの時間が、私たち二人は無視するだろう。終わりがないからこそ、私たちの時は凝縮されることを知らない。私たちの時間は薄められている。
 だが、たとえこの身が機械だとしても、人間への果てしない憧れは消えない。永遠に命が続くのならば、私たちは永遠に人間を追い求めるだろう。そして、私たちが人間に近づくためには……。
 そんな私の考えを見透かしたように、アベルが口を開いた。
「博士……私たち、外へ出てはいけないでしょうか?」
「外へ…出たいのか? 何のために?」
 博士が訊いた。それにうなずいて、アベルが答える。
「このままでは、私たちは単なる機械と変わりありません。知識だけを増やし、博士とカインしか話し相手はいない。このボディがなかった頃と何一つ変わらないじゃありませんか。……もっと、人間に近づきたいんです」
 アベルの言葉のあとを私が続けた。
「私もそう思っていました。そして、人間に近づくためには、接する人間の数を増やしていくのが近道なのではないかと。…涙を、いろいろな涙を覚えたいんです。他の人間と付き合えば付き合うほど、私たちは人間に近づいてゆくでしょう。そして、その人間たちは私たち二人に涙を教えてくれるはずです」
 博士は大きな溜め息をついた。数秒の沈黙のあと、博士が静かに口を開いた。
「それほどまで……おまえたちは…。いいだろう。街に出てこい。多くの人間と接してくるがいい。そして、人間とはどういう生物なのか、勉強するんだな。……私には子供がいなかったからな…こんな気持ちは初めてだが…置いていかれるようで少し……寂しいな。もちろんおまえたちの成長はすごく嬉しい。複雑なんだ…わかるか? こんな気持ち?」
 博士は苦笑混じりに問いかけた。
 …私たちには、答えられなかった。


   
           
    NEXT   
 
    MENU   
 
    HOME