そりゃないゼ Dr.



◇ 9.整形外科その2 〜奇襲〜 ◇


 ある日、思った。
「そうだ、病院行こう」
 少し前のCMのように、行こうと思う場所が京都ならばいい。病院である。よりにもよって。

 さて、北白川が病院に行こうと思い立ったその理由は。
 ── たいしたことじゃない。かなり前から行こうと思っていたものを思い出しただけである。『左肩関節周囲炎』。北白川の自己診断が正しければ、症状の名前はそれだ。つまり、肩が痛い。肩というよりも、上腕の付け根が痛い。とくに、ひねりを加えたり、伸ばした状態で力を込めたり、左手で自分の右肩を触ろうとする行為が痛い。
 ところで、つい最近(2001冬)、北白川は会社を辞めた。そろそろ病院に行こうかと思っていた頃、辞める間際ということで仕事は忙しかった。そして、辞めてからは、「仕事してないんだから、おとなしくしてれば痛みはひくだろう」と思っていた。……が、ひかない。っていうか、悪化してるような気がしないでもない。これはひとえに、暇にまかせてのらくらと始めた大掃除のせいだろうと思った。油汚れを落とされて、きらり★と輝く台所の換気扇に恨みの一瞥を投げる。オマエノセイダ。(←注:冤罪)

 そしておもむろにタウンページを開く北白川。そう、電話帳である。近所にある整形外科を探すためだ。歩いて行ける範囲が望ましい。遠ければ通う羽目になった時に不便だから。そして、総合病院じゃなくて個人病院を求めていた。それにはワケがある。
 総合病院は混んでいる。そしてそこの整形外科には、リハビリや物療などの治療を受けに来る入院患者が多い。更に、待合室の人込み。自慢じゃないが、最近の体調には自信がなかった。総合病院の待合室に半日もいれば、風邪をひくのは間違いない。っていうか、すでに風邪気味だし。
 だが、歩いて行ける範囲の個人病院で、整形外科という看板を見た記憶はない。ならば、総合病院もやむを得ないかとは思っていたのだ。頭のなかに、近場の総合病院が3つほど思い浮かぶ。
 S病院 ── 近くて、内装も綺麗だが、老人が多い。半ば老人専用といったイメージ。徒歩1分。
 D病院 ── 新しくはないが、そこそこの病院。だが、数年前、ここの整形外科に腱鞘炎で行った私は、腕の内側を刷毛と筆の中間のようなもので撫でられたあげく「感覚は?」と尋ねられて、「くすぐったいです」と答え、失笑された思い出がある。どうやら、医者は、痺れや麻痺がないかどうかを確認していたらしい。……それならそうと言ってくれればいいのに。ともあれ、恥ずかしい思い出に変わりはない。ちなみに徒歩2分。
 N病院 ── 行ったことない。古い。暗い。……あまり行きたくない。徒歩5分。

 そんな我が侭を胸に、電話帳をめくる。そして、発見。Mクリニック。Mは個人名だ。住所も近い。どうやら徒歩1〜2分といったところ。だが待て。…北白川は考えた。整形外科と名乗りつつ、美容整形や形成外科も多い。それなら北白川の求めるものではない。クリニック、と書くところからして怪しいではないか。早速、同じ電話帳で、美容外科、形成外科を調べる。が、そちらの項目にはどうやらMクリニックは該当していないことが判明。

 安心して、調べた住所を頼りに探す。ややあって、見つけた。ビルの3Fに入っているらしい。看板を確認すると、『整形外科・物療科・一般外科』の文字。うーん、当たりだ。どうやら、普通の整形外科らしい。おっけー。れっつごー。

 受付で、保険証を出して、症状を聞かれた後、待合室に通される。患者は少ない時間帯だったらしく、待合室には私ともう1人だけ。暇だったので、あたりを見回す。
 『漢方薬の効用』『東洋医学学会』などの文字が目につく。
「ふむふむ、なるほど。ここのセンセイはどうやら、普通の薬よりも漢方が好きらしい」
 口には出さずに、そう思った。整形外科では珍しくない。というより、個人病院ではあまり珍しくはないのだ。そして、整形外科ならば、東洋医学…たとえばマッサージとかそういうものに関係があるのもわかる。もともと、漢方そのものが東洋医学であるのだから。
 診察室、と書かれた部屋の奥、カーテンが見える。人の気配が2つ。どうやら、医者と患者だ。その隣には物療室と書かれた部屋。奥は私の座っている位置からは見えない。受付を済ませたあと、そこに直行する常連患者さんの姿を確認した私は、推測してみた。レーザー治療や、マッサージ、電気治療などの部屋だろう。うんうん、整形外科にはあるものだ。少しもおかしくないぞ。………いや、少しおかしい。物療室が……広すぎないか?
 建築関係に携わっていた私の脳裏に、このビルの広さが展開される。そして、エレベーターを下りたときに、ざっと確認していた、この病院の位置とビルの中を占めるテナントとしての広さ。………待合室、受付、診察室、見えないけどレントゲン室……それを除いた全てが物療室? ……おい、広いって。

「北白川さ〜ん、お入りくださ〜〜い」
 私の推理は中断された。そして、診察室へと向かう私。
「お荷物、そちらに。そこの椅子に腰掛けてください」
 看護婦の指示に従い、仕切っていたカーテンをあける。と同時に声がかかる。
「左肩上がらないんですって? 具体的にはどういう痛さなんですかぁ〜? まぁ原因としてはいろいろ考えられますがぁ〜」
 語尾が微妙にあがる、存外に高い声。……ちょっと待て。まだ荷物も置いてないって
 椅子に座ろうとしてる行動の最中にも、医者の説明は留まるところを知らない。……少し休めって。
 見かけはおそらく、60代前半。白髪交じりの、オールバックおかっぱ。裏声で話しているかのような声。でも男性。振り向いたその顔にメガネ。どうやら、遠視か老眼らしく、激しい凸レンズ…つまり、目が拡大されている。
 そのつぶらな瞳で私を見つめ、椅子に半分そっくりかえった姿勢で椅子ごと振り向く。
「ん〜…腕上げてみてくださぁい? ああ…そう。うん、わかりました。慢性疲労が主な原因ですが、寝る姿勢なんかもね…」
 私には説明させてくれないんですか?(汗)
「いつぐらいからですかぁ?」
「えと…3ヶ月くらい前…」
 言いかけた私を、遮る彼。遮って説明を続ける彼。
「肩のこの位置には腱がありましてねぇ? つまり、腕を動かす際に…」
 彼の言葉が終わるのを待って、わたわたと説明する私。
「えと、前に同じような感じで…」
「ああ、そうそう。繰り返すんですよね、で、たいていは繰り返すたびにひどくなるわけで…」
「湿布とか貼ってたんですけど、なかなか痛みがとれなく…」
「ええ、そうですね。そう、そうなんですねぇ〜。ここでしょ?」
いたたたたたたたっっっっ!! そう! そこっ!」
 前触れもなく掴まないでください。しかも的確に(涙)。

 レントゲン撮影の結果、私の自己診断は正しいことが証明された。とうとうと、まるっきり澱みのない説明を続ける彼。語尾が微妙に伸びて、わずかに上がっている。この独特の口調を説明しきれないこの文章が恨めしい。
「ん〜…そうですねぇ。まず、寝る時は仰向けで、肩に負担をかけないように…腕を、羽根布団で支えると良いですぅ〜」
 すみません、羽根布団持ってません
 軽い布団は眠った気がしないという妙な嗜好を持つ北白川。でもそれを告げたとしても、説明が長引くだけだろう。……言わないでおこう。
「何故、仰向けかというとですねぇ〜。痛い肩を下にすると、そこに体重が…」
 すみません、仰向けで眠れないタチなんです
 ……言わないでおこう。
「じゃ、まず向こうで治療しましょう。1週間ほど、左腕を使わないように…そうしてれば治るはずですぅ〜。もし治らなかったら、薬入れますからぁ〜」
 すみません、今いれてください
 ん? 待てよ、でも治療というのがマッサージならば、受けるのはいいことだ。肩こりもついでに解消されるかもしれないし。


 そして連行されていった物療室。……広い。やはり広い。ああ…いろんな器具やベッドがある。カーテンで仕切られた箇所も幾つかある。
 最初にピンポイントの弱レーザーで、胸腺のあたりにある神経叢を温める。物療の効果を高めるそうだ。なるほどなるほど。
 そしてさらに連行された、カーテンの仕切の奥。小さなベッドと荷物を入れる籠。ベッドに座って待つ私のもとに、中年の女性が現れた。症状を聞かれ、同じことを説明する。

「ああ…はい、わかりました。じゃあ、左肩を中心に…肩こりとかありますか?」
「あ。あります。肩こりとか首のあたりとか…それで頭痛がすることとかもあって」
「肩こり経験は長いですか?」
「はい、学生の頃から」
「わかりました。それでは…ですね。今日は、ハリをやりますから
「はい。………って、えっ!?
「初めてですか?」
「………………………………はい」
 ああ…そうか。東洋医学とはこれのことだったのか。今更ながらに気づく。だが全ては遅すぎる。
「怖いなら、吸盤にしますけど?(笑)」
「……は? キューバン?」
「ええ。小さな吸盤を、ツボに沿ってくっつけていくんです。……どっちにしますか?」
 普通のマッサージがいいです。ほら、あっちでおじさんがやってた…ローラー付きのベッドに寝るようなやつ……。ああ…でも……ハリって、やったことないんだよなぁ。魅惑といえば魅惑だよなぁ。
「………痛く…ないんですよね?」
「痛くはないです。どっちも」
「………オススメの……ほうで…ええ……恐がりじゃないですから……ええ、大丈夫…だと…」
 どちらにしろ、今更逃亡することはできない。敵を前に逃亡したのでは、今は亡き祖母に申し訳が立たぬっ!(←あまり関係ない)


 結果報告:……………疲れました。ええ、精神的に。

 ちなみに、肩関節周囲炎が、俗称は四十肩五十肩だというのは秘密である。40代や50代ならそういう俗称がまかり通るというだけで、若くてもなるから。そう、本当だとも。決して、北白川の肉体年齢が40代だというわけではなく。そう。本当。本当だってば!


   
           
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