そりゃないゼ Dr.
◇ 6.歯科その3 ◇
<ここまでくると、歯医者さんが可哀想になる話>
…歯医者さんって可哀想だよなあ……。どこかの誰かみたいに、麻酔が効きにくい患者もいるし、子供なんかだったら、んもう殺されるんじゃないかってくらい泣きわめくし。だいたい、いい年ぶっこいたオトナでも、大騒ぎするヤツはいるし。それを無理矢理なだめて、人の口の中に手ぇつっこんで、ミクロな作業を展開するんだもんなあ…。時々は力仕事まがいのことしてるし。
その時、歯医者の椅子の上で、私はそんなことを考えていた。もとより、考える以外にすることがないのだ。麻酔はどうやら、ウマク効いたらしく、痛みってのはそんなにない。が、長時間口を開けていることで、顎は痛くなってきた。それでも、口の中に器具がある状態では口を閉じるわけにはいかない。別段、騒ぐほどのこともなく、かと言って、この状態で読書をするわけにもいかない。ってことは、くだらないことを、つらつらと考えるしか、する事はないではないか。
そう。その時、私は歯を抜かれていたのだ。歯医者さんは、頑張っていた。私の頑固な歯を抜くために。
……説明せねばなるまい。実は、私の歯は「サメの二枚歯」だ。まあ、八重歯のようなものと思ってもらって差し支えない。ただ、八重歯が内側にあるだけだ。そして、下側に。右下の、糸切り歯の内側に、本来ならその隣に生えてくるべき歯が生えている。結果、口の中の空間は、通常の人よりも狭い。奇妙な感じで歯が重なり合っているから、虫歯にもなりやすい。案の定、そこは虫歯に侵された。治療を始めたものの、やはり、治療がひどくやりにくい。そこで、歯医者さんは提案した。
「この歯…舌に当たってますよね? 舌に、いつでも刺激がある状態ってのも、あまりよくないですし、どうやら、かみ合わせには全く無関係な歯のようですから、周りへの影響も考えて、抜いてしまっては?」
…なるほど。一理ある。…というか、この内側の歯は歯医者さんはいつも気にしていたのである。どんな歯医者に行っても、<すここここん>と、叩かれる。だが、虫歯にはなっていなかったので、今までの歯医者は言い出せなかった。<抜きましょう>とは。今回の歯医者さんは正直だ。まあ、ン十年も慣れ親しんだ歯ではあるけれども、別に、抜いたからといって困りはしない。いや、抜かないほうが困るはずだ。私は、抜くことに同意した。
そして、先の状況に戻るわけである。抜くと一言でいっても、普通の場所ではない。ということは、普通には抜けないってことだ。場所が場所なだけに、どの方向から器具を差し込んでも、口の中のどこかが邪魔をする。唇であったり、反対側の歯であったり。力を込めるべき支点がないのだ。さんざん、苦労したあげく、歯医者さんが、言った。
「…切開して、根を割りましょう」
「…いいですよ。やってくらさい」
切開。ドリル。少し、作業が進んだ頃、おもむろに歯医者さんは、もう一度抜くことにトライした。少し、歯が浮きかける。が、そこまでだ。彼の息づかいはすでにかなり荒い。…ヤバイんじゃないか(笑)?
「もう少しですから、頑張って下さい」
歯科助手のおねーさんが、私に言う。うなずきながらも、私は心のなかで呟いた。
「…あんたたちもな……」
…だいたいが、抜いたその日は、1月4日だ。つまり、彼らの仕事始め。正月早々、こんな患者が来て、迷惑きわまりないだろう。その日の私は、何やら心が広かった。たとえ、痛かろうが、疲れようが、肩がこりはじめようが。仕事始めにこんな仕事をやらされている彼らよりはマシに違いない。しかも、彼らが苦労しているのは、十中八九、私に原因があるに違いない。
「ふう……やっと抜けました。抜けなかった原因がわかりましたよ」
トレイの上にのった、血塗れの白い破片を見せながら、彼は説明してくれた。どうやら、歯茎に埋まっている部分から先が、「くの字」に曲がっていたらしい。その上、曲がった先が、変形して膨らんでいた。……抜けるわけがない。
その日、生まれて初めてと言っても、いいくらい、私は歯医者に対して敵意を抱かなかった。というより、彼らに同情的だった。そして、心の底から謝罪した。
「歯医者さん、めんどくさくて、ごめんなさい」
だが、喉元過ぎれば熱さを忘れるの言葉通り、切開した部分の歯茎がいつまで経っても痛みがとれず、あまつさえ炎症を起こした時には、歯医者さんを恨み始めたのだが。…人間なんてこんなもの。
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