そりゃないゼ Dr.



◇ 4.内科 ◇

 内科…ああ、ここだ。こここそが全ての試練から解放されるべき場所。ここには落とし穴はないだろう。もっとも安全と思われた皮膚科で、思わぬ落とし穴に遭遇してしまった私も、内科に関しては安心していた。何故なら私は注射を恐れないからだ。
 さて、秋のある日。私は咳をしていた。かなり長く。痰のからむような…ありていに言えば、オヤジくさい咳を。それを間近で聞かされていた友人Aが見かねて言った。
「病院に行け! おまえの咳はうるさい!」
 私は素直に病院に行った。
 医者は四〇代前半と思われるナイスガイ。銀縁の眼鏡が理知的な印象を与え、少し突き出た腹が親しみやすさを感じさせる。
「ここ一ヶ月くらい…もっとかな? 咳が続いてるんですけども…」
 おそるおそるこう切り出した私に、彼は言った。
「口開けて寝るのやめなさい」
 ………見たのか? 
「口を開けて寝ると、のどの粘膜が乾くから、咳がでるようになる。…鼻、つまってない?」
 ………つまってない。
「口開けて…寝てる自覚はないんですけど?」
「いや、多分ソレだよ。鼻づまりを直す点鼻薬をあげるから、寝る前にソレをしなさい」
 ……私が口を開けて寝ているところを、おまえは目撃したのか?そこまで決めつける根拠は何だ!?
 だが、まあ彼もそれなりの根拠があって言ってるのだろう。医者に逆らうとロクなことはないからな。今日のところは引き下がってやろうか。

 …だが、咳はおさまる気配を見せない。一週間後、再び私は病院を訪れた。
「どうしたの?」
 開口一番、この言葉で迎えられる。
「どうしたもこうしたも…治りませんけど?」
 私の言葉に首をかしげながらも、彼は薬をくれた。
 …治らなかった。また違う薬をもらった。また治らなかった。そんなことを何度繰り返しただろう。ふと私は気がついた。内科…内科と言えば聴診器。咳…咳と言えば肺もしくは気管支…肺関係と言えばレントゲン。その一連の診察を受けていなかったことに。彼のしたことと言えば、私が口を開けて寝ていると決めつけて、ただいたずらに薬を変えただけ。しかも薬の内容…私の症状に対する説明を何一つ受けていない。これまでの対応にいい加減、ブチ切れていた私はその旨を彼に伝えた。…彼は答えた。
「聴診器? …じゃあ、当てる? それにレントゲンも撮ってほしいなら撮ってあげるよ。ソレでいいでしょ?」
 ……『じゃあ』?
 ……『撮ってあげる』?
 ……私はブチ切れた。ケンカっぱやいと言われた私がここまで耐えたのだ。切れてもよかろう。心の中で、今まで耐えてきた自分をほめつつ、私は言い返した。
「センセイはいつも患者に対してそういう言い方をするんですか? レントゲンも聴診器も、センセイは必要ないんですね? 私が言ったから、仕方なくするんですね? 聴診器も当てずに、いきなり人が口を開けて寝ていると決めつけて、それでも治らないとわかったら、あるだけの薬を試して。センセイは、ロクに問診も診察もしないで、何を根拠に今まで薬を出してたんですか?」
 医者もカチンときたようだ。
「根拠って…これが僕の仕事なんだよ? 君だって君の仕事を知らない人に説明なんてしないでしょう?」
「利害関係のある人になら、たとえその人に私の職業に関する知識がないとしても、それをふまえた上で説明します。今、私が、というのは患者が説明を求めているのをセンセイは無視するんですか?」
「いいや、君だって関係ない人に説明なんてしないはずだ」
 ……いつの間にか論点がずれているようだ。センセイは論理のすり替えを試みたようだが、会社の社長や次長を相手に、口げんかを何度もこなしてきた私の敵ではない。それに少々ばからしくもなった。こんな医者に命預けてたまるものか。
「…じゃいいです。センセイ自身は聴診器もレントゲンも使う気がなくって、私が求めたから仕方なくするだけなんですね? しかもその点に関して説明はしてくれないんですね?じゃあ、いいです。そういう考えを持っている人にこれ以上診察してもらわなくてもいいです。薬もいりません。もうここにくる気はないですから」
 それだけ言い渡して、私は診察室を出た。
「勝手にしなさい」
 センセイが後ろで言ってた。勝手にした。
 ……医者運の悪い私も、ここまで傍若無人な医者に会ったのは初めてだった。まあ、おかげで、医者と口げんかをするという、貴重な体験をさせてもらった。
 さて、傍若無人な医者を見限った私が次に訪れた医者は、とてもよい医者だった。通称こぶー。私が勝手につけた愛称だが、今では友人や同僚の間に定着している。だって、外見がこぶーなんだ。小柄でぽっちゃりタイプ。色白で肌には少しピンク色がさしている。髪の毛はハゲてないが、腕の毛はつるつる(永久脱毛か!?)。独特の間合いで話す彼に、私は今も治療を受けている。こぶー、ありがとう、治してくれて。

 ところである日、私の家に10日ほど住みついていた友人Bが、胃のあたりが無性に痛いと言い出した。かなり前から痛かったのが、いきなりひどくなったらしい。私はこぶーを紹介した。そしてBはひどい目に遭った(笑)。Bも、私に勝るとも劣らない医者運の悪さを誇っている。私がひどい目に遭わなかったこぶーのところで、ひどい目に遭うとは…さすがだ、B。
 Bは、こぶーのところでバリウムを飲まされた。ごっくんごっくんとバリウムを飲み続けるBに、こぶーがぶつかった。勢いよく。Bのセーターにバリウムがまき散らされた。
 それを見たこぶーが言った。
「あらら、コレでふいときなさい」
 そうして彼が渡してくれたのは美しい(笑)雑巾だった。
 呆然としたままのBに、彼は続けて言った。
「裏返して着れば大丈夫だよ」
 再び呆然とするB。
 そしてジーンズをはいたままのBのレントゲンを撮る。レントゲン写真には、ハッキリとジーンズのボタンが写っていた。ボタン以外のレントゲンの結果、Bは十二指腸潰瘍だったことが判明。山ほどの薬をもらってBは帰ってきた。
 のちにこの話を聞いた私は、大笑いしたが、確かに思い当たることはある。こぶーはイイヤツなのだが、ちょっとそこつ者だ。少し不器用なところもある。私のカルテには、こぶー直筆のヘタクソな喉の絵がある。字の書き間違いも多い。そして、そこつ者なのはこぶーだけじゃない。看護婦もそうだ。私は、あそこの看護婦に採血されるときに、血管をかき回されたことがある。針を刺してから、血管を逃していたことに気がついたらしく、皮膚の下で、針をぐいぐいと動かして、血管を探し当てた。…痛いって。
 まあ、ひどい目には遭っていたが、Bも無事に治った。ありがとう、こぶー、治してくれて(笑)。

   
           
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