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思川のほとりで

 

創作オペラ<小山物語>

 

加 藤 良 一

 



 栃木県小山市が市制50年を記念した文化事業として創作オペラを上演した。
 5月22日、23日の2回公演。前売り3,000円が完売してしまったので、当日売り(3500円)はなし。1200席の小山市立文化センターが満員札止めとなった。 このうち22日の第1回目の公演を聴いた。
 先日、この“音楽/合唱”欄に紹介したコンサート案内(5/11)にも書いたが、小山市民オペラを つくる会ホームページを見ても、このオペラのストーリーはあまり書かれていな い。かいつまんで紹介しておこう。

 このオペラは3幕6場構成。1、2幕 は、武将小山氏が活躍した鎌倉時代、治承四年(1180年)、下野(しもつけ)の国小山が舞台となっている。この5年前に法然が浄土宗を開宗しており、あと10年ほどで源平争乱の勃発や鎌倉幕府が成立するという戦乱の時代であった。城主小山政光が京の御所警備の役目に任じている留守を預かるのは、嫡男小山朝政であった。
 小山朝政は、源頼朝の要請により、平家か源氏かいずれかの陣営に加わる決断を迫られることとなった。父小山政光が平家方に仕えているとはいえ、勢いに乗る源氏方に歯向かうことは叶わず、頼朝のもとに一族の存亡を託すことを選んだ。
 3幕では、江戸時代
(寛永十二年、1635年)まで一気に400年ほど時代が進み、近隣の間々田宿が舞台になる。ここでは、「小山評定」といわれる民衆による話合い(いまでいう住民集会のようなものだろうか)や、子どもたちの「蛇祭り」の行列が出てくる。内容としては創作であるが、史実にもとづいたはなしをモチーフにしている。

 1幕から3幕まで、江戸時代から鎌倉時代へと400年間跳 び、登場人物も入れ替わってしまうが、全体としての流れやストーリー性はすんなりつながってゆかねばならない。ここが、演出家(宮本哲朗氏)泣かせの脚本(荻野治子氏)となっていて、時代考証も含めてたいへんな作業となったようだ。
 また、衣装についても、ソリスト25人、児童合唱団と一般合唱団の総勢80人をどうするか、それは並大抵のことではなかったはずである。 武家の鎧兜、衣装、カツラなどは本格的なものでじつに見事であった。手作りオペラとはいえ、半端ではない予算が費やされたと推察される。

 コール・グランツ指揮者の笠井利昭氏(バリトン)は、源頼朝役として、凛とした武将役を演じていた。 家臣を引き連れてさぞ気持ちがよかったにちがいない。また、七郎兵衛役を歌った荒井弘高氏(バリトン)は、今回のイベントの推進役で芸術監督も勤めた。荒井弘高氏を聴いたのは今回がはじめてだが、 声に張りがあり声量豊かな歌い手で、演技力もあり、ご隠居でお目付け役のような七郎兵衛をコミカルに演じ、第3幕全体を引き締める重要な役目を果たしていた。 女声陣のほとんどはダブルキャストで2日間をわけて出演した。

 オケは35人編成の小山市民オペラオーケストラ(指揮:永井宏氏)で、ピアノや琴が随所で効果的に使われていた。テーマからしてもイタリアもののようなベルカント的オペラではなく、日本語の歌詞に曲を付けてあるから、無理なく自然に楽しめる音楽(作曲:山田栄二氏) となっていた。ただ、テナーが速いメロディ(セリフ)を歌うところなどでは、わずかではあるが違和感を感じる部分もあった。
 舞台背景は、小山を流れる思川を見晴らす土手を中心に 設定されており、遠くにみえる川面のさざ波が実際に動いていたが、あれはどのような照明によるものだろうか。思川のさらに奥には日光と思われる山並みが連なっている。 スケール感の大きな舞台であった。いろいろな工夫が凝らされていたように思う。
 企画制作から上演までの運営主体は「小山市民オペラをつくる会実行委員会」で、小山市内で活動する音楽家、ボランティアなどを公募して集めた。市制50周年記念事業にふさわしく、子どもから大人まで、多数の市民が合唱や裏方に参加した一大イベントであった。

 



2004年5月29日