2013 

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2013.6.8 ブロードウェイミュージカル HAIR
2013.4.25 ペーター・シュライアー 天才歌手の挫折
2013.4.24 初冬の会津を男たちが熱くした
2013.4.13 セクシー ドミンゴ





2013.6.8 ブロードウェイミュージカル HAIR

 松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」以来、久し振りにミュージカルを観ました。今回は、ブロードウェイからの引越し公演です。オペラではないから引越し公演とは言わないのかも知れませんが、渋谷ヒカリエの東急シアターオーブ TOKYU Theatre Orb で5月29日から6月9日までの12日間、16回開催されています。
 ブロードウェイ史上最大の伝説ともいわれ、2009年ミュージカル部門で「トニー賞最優秀リバイバル作品賞」を受賞した本場のミュージカルです。日本初上陸とあっては見逃すことはできないと、公演5日目の6月2日、ワイフと娘を誘って三人で渋谷ヒカリエへ出掛けました。
 “HAIR
は半世紀近くも前の1968年に初演され、その後の「コーラスライン」や「RENT」などに大きな影響を与えた革命的なミュージカルです。舞台は、ベトナム戦争が泥沼化する1960年代のアメリカ・ニューヨークのイーストビレッジ。ヒッピー(この言葉自体もう通じないでしょうが…)のバーガーは、高校をドロップアウトし、反戦運動に熱を入れています。バーガーはじめ多くの仲間たちは自由を謳歌しようと、ベトナム戦争に反対し抗議デモ集会<BE-IN>を開きます。
 タイトルの “HAIRは、当時、自由の象徴であった、男も「長髪」にできる自由のことであることは言うまでもありません。女性もショートヘアーにできる自由、アフリカ系アメリカ人も独自のアフロヘアで街に出られる自由、一切の保守的道徳観念から自由になることのまさに象徴だったのです。かくいう私も、その当時はちょうど学生時代まっただ中、髪の毛が肩まで届いていました。しかし、私の同年代の人たちの中には、今となっては長髪など考えようがないという方々も少なからずいます(';')。




 1960年代は、混沌とした時代背景そのままに既存の価値感が揺ぎ、ただ単に厭世的というのとはちがう、反戦・反体制運動へと傾いてゆきました。軍隊を(一応)持たない日本にはない徴兵制度がアメリカにはありますから、多くの若者がベトナム戦争へと狩り出されていったのです。やり場のない不満がドラッグやフリーセックスへとつながり、さらにはジェンダー(性)のあり方にも大きな影響を与え、ウーマンリブ、公民権運動などが盛んになっていった時代だったのです。

 主題歌は、フィフス・ディメンション “The Fifth Dimension” というグループが歌って大ヒットした「アクエリアス」(輝く星座)“Let the Sun Shine In”、そして “HAIR”。そのほかにステージを通じてほぼ40曲近い曲が歌われます。さすがにブロードウェイのミュージカルスターだけあって、その歌唱力は大したものでした。多分マイクを頭(髪の毛)の中に仕込んでいたと思いますが、それは置いといても、伸びのあるしっかりした歌唱は聴きでがあります。恐らくかなりのオーディションを潜り抜けてきたアクターたちにちがいありません。

 近ごろの若い人にはほとんど馴染みのないテーマや音楽でしょうが、私のように半世紀以上も生きてきた者にとっては懐かしさも手伝い、若かりし頃に親しんだロックに酔いしれることができたのです。
 JOIN the PARTY、エンディングでは聴衆をステージ上に招き、ホール全体で歌う “Let the Sun Shine In” の大合唱で盛り上げるのです。この時から、写真撮影がOKとなり、会場総立ちでキャストと一体になってフィナーレを楽しみながら締め括られました。
 


 
 「文句なし。今までで最高のバージョン!」 ワシントン・ポスト
 「スリリングで情感豊かな演出は、猛烈で純粋な喜びをもたらす。」 ニューヨーク・タイムス
 「HAIRの感動の力に完全に打ちのめされた。これに勝るものはない。」 ブルームバーグ・ニュース
 「爽快! 幸福の雲に浮かんでいるようだ。」  ロサンゼルス・タイムス







2013.4.25 ペーター・シュライアー 天才歌手の挫折

 いつのことか忘れてしまいましたが、テノール歌手のペーター・シュライヤーが、子どもの頃の大失敗をばねにしてその後専門的に音楽を学ぶことになったという記事を読んだことがあります。

 ペーターは1935年東ドイツ生まれ。8歳でドレスデン十字架合唱団に入団し、以後若くしてその才能を見出されました。この合唱団はあくまで子どもの合唱団ですから、ペーターがどれほどうまく歌えたところで、やはりバッハのマタイ受難曲のような大曲でエヴァンゲリストをこなすことはできませんでした。ドレスデン十字架教会の3500人もの聴衆の前で歌いきることなどできなかったのです。

 第一部をやっとの思いで終えたのち、責任の重大さに気付いたとたん、ペーターのからだは突然動かなくなってしまいました。第二部では辛うじてささやいているに過ぎなかったのです。演奏会は残念ながら大失敗でした。演奏の中心であるエヴァンゲリストが何を歌っているか聴こえなかったのですから当然のことでした。失意のどん底に落ち込んだペーターは、一晩中眠れませんでした。

それを契機に、ペーターは足りない基礎を勉強するために音楽大学に進むことを決意しました。あれだけ天才的な歌手にしても人前で大失敗するという苦い経験を踏んでいるのだという、一種親近感のようなものを感じて妙に安心したことを思い出しました。


 さて、ある評論家にシュライヤーは、「どうみてもベルカント歌手ではない」と評されたことがありました。
 それは十分わかっている。イタリアのテノールではないし、その歌唱法も身につけていないから。ベルカント唱法が合うのはイタリア・オペラだ。それでもモーツアルトには合うかもしれないが、ワーグナーにはあてはまらないし、ドイツ・ロマン派歌曲やバッハには絶対向くわけがない。
 シュライヤーはこの評論家の評価を気にすることはありませんでした。彼の批評は当っていないからです。ベルカント様式にあてはまるかどうかで声の質や歌の良しあしを決めることはできない。そんなことは単に趣味の問題であり、個人的な好みで評価をしてはいけない、すくなくともプロの批評家であれば、とシュラーヤーは反論するのです。







2013.4.24 



 
2012年12月1日~2日にかけて行われた<第2回全日本男声合唱フェスティバル in ふくしま>の模様が、全日本合唱連盟の「ハーモニー」春号(No.164)に紹介されました。この催しについては【M-112】
でも紹介しましたが、歌と酒と男の祭典というところでしょうか。





 私は個人参加で、清水敬一さん指揮の信長貴富作曲『新しい歌』のステージに立ちました。男声合唱プロジェクトYARO会仲間も多い、東京から出演したトンペイメモリアルズ12の皆さんのバスに同乗させて頂き、二日間を共に過ごしました。

 「ハーモニー」誌の最後にトンペイの指揮者、加藤旨彦さんが下のようなコメントを寄せています。








2013.4.13 セクシー ドミンゴ

 
三大テノールの一人プラシード・ドミンゴは、スペインでサルスエラを家業とする一族に生まれ、小さいときからサルスエラ座を運営する両親の影響を受けて育ちました。いまでは押しも押されぬ世界的テノール歌手で、日本にも彼のファンはけっこう多い。

 サルスエラとは、スペインの国民的なオペレッタのこと、セリフと歌とにわかれています。残念ながらまだ観る機会に恵まれませんが、劇の内容は喜劇的なものが一般的らしいです。17世紀の半ば頃、スペインの王族が、サルスエラと名付けたマドリード郊外の離宮で楽しんだ歌と踊りの入った芝居が元になっているようです。その後、イタリアのオペラなどに押されて一次衰退してしまいましたが、19世紀半ばから復興し現代に至っています。

 さて、テノールの魅力とは何でしょうか。とくに男声合唱では欠かすことができないパートであるのは、誰しもごぞんじのことでです。男声合唱におけるテノールはその合唱団の性格を決めるポイントにもなるし、なにより団の顔ともなる重要なパートです。
 ドミンゴ自身は、テノールの魅力を「ふつうでは手の届かぬもの、と聴衆に思わせるところがあり、エキサイティングでスリリングなものだ」と表現しています。まったくそのとおりで、あの声は出そうとしてそう簡単に出せるようなものではないでしょう。ところがドミンゴはもとからテノールだったのではなく、バリトンから転向したというではないですか。そんな経歴を聞くにつけ、ワーグナー向きの声といわれるのも当然のことだと思わずにいられません。
 一般的にいってテノールは、聴衆にとって精神性などを訴えかけますが、ドミンゴに関してだけはその男性的な声とセックスアピールで圧倒的な人気を博している(ドミンゴ側近談)といいます。つまり女性の聴衆は、ドミンゴと「寝てみたい」と思うらしい。そういわれてみれば、同じテノールでもアライサやパバロッティはその対象から外れそうだと妙に納得してしまうところがあります。

 以前テレビの特集番組で、ドミンゴは声楽についてこんなことを語っていました。どこまで高い声が出せるかというような音域の問題ではなく、フレージングと歌詞を大切にし、美しい声でレガートに感情表現することが肝要である。ここでいうフレージングとは、音楽用語でフレーズ(楽句)の区切り方を指します。旋律線の自然な区切りをいい、散文における節あるいは文に相当するものですが、意味合いはさほど厳密ではないと思います。

 意外だったのは、ドミンゴはポピュラー音楽も大好きで、ジョン・デンバーと「たぶん愛」という曲をレコーディングしていますが、ポピュラーに取り組むときはふだんの仕事の十倍も時間がかかったと漏らしていることです。ポピュラーを歌うのにどこがそんなに難しいかは話さなかったけれど、クラシック歌手からみるとポピュラーはまたちがった難しさがあるのでしょう。



この雑文は2012108日、あるウエブサイトのカラム欄に掲載したものである。そのサイトは既に消えているのでここへ転載しました。







  
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