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待ち望んでいた合唱史

 『日本の合唱史』
<下>



( 続 き )

 時代が昭和に入り、戦争によって社会が大きく変化するなかで、つねに合唱はその時代背景と密接に絡んでいました。戦時中は「規律化」のために音楽が導入され裾野が広がっていきました。終戦後の1948年(昭和23年)に全日本合唱連盟が設立されています。

 合唱と放送局との関連は非常に大きいものがあります。第3章では、野本立人さん()が放送局の果たした役割について歴史を追って詳しく解説しています。

 1946年(昭和21年)から始まった<文化庁芸術祭のラジオ部門合唱曲の部>において、かつて24年間にわたって合唱曲コンクールがおこなわれ、その間出品された作品総数は164曲にもおよび多くの合唱団に親しまれましたと書かれています。1961年(昭和36年)には<文部省芸術祭合唱曲コンクール>がはじまり、放送局が番組として企画する形が生まれました。意外なのは、いまだに人気の衰えない名曲、佐藤眞作曲『蔵王』(ニッポン放送)が第一回で受賞しなかったことです。翌年も『』(ニッポン放送)で応募しましたがそれも選外となっています。

 1965年の20回芸術祭5回目の合唱曲コンクール)では、NHK民法あわせて14作品も応募があり活況を呈したようですが、その後低調となり紆余曲折を経て、民法が撤退するなかでNHKだけが継続してきました。
 いずれにせよ、芸術祭によって合唱曲に作曲家の目が向けられ、後世に残るレパートリーが増えたことはたいへんありがたいことでした。野本立人さんは、<合唱曲コンクール>の功績を大きく評価するとともに、「国の機関が関わって、これほど大規模に音楽作品を生み出すはたらきをしたことは、世界的に見てもあまり例がないのではないだろうか。また、こうしたある意味では大志を抱いて制作された作品たちと比べて、現代の合唱団による作品委嘱は『身の丈主義』になりすぎてはいないだろうか。」と疑問を表明しています。


 4章 現代の合唱は、合唱指揮者横山琢哉さんの担当、冒頭からドキッとするような指摘が飛び出してきます。1968年発行の『旬刊 合唱新聞』に載った記事として二つ紹介しており、まずは畑中良輔さんの思わぬ発言に驚くと同時になぜかホッとしたりもします。

…しかし、なんでも『発声、発声』と、発声が最後の切り札のように考えるのも、どうだろうか。私は合唱のばあい、発声がすべての鍵をにぎっているとは考えていない。


つぎに、福永陽一郎さんは、その当時、かなり物議を醸したという発言をしていることが紹介されています。現在の我々にも思い当たる節がないわけでもない内容です。

 東京に日本で最高クラスの音楽をきかせるといって自他ともに許している有名な学生の合唱団があり、…その合唱団にぼくは、昨年度の日本の音楽界の、最大のイベントの一つであった「グレの歌」の初演に、出演して協力してくれることを頼みました。(略)すでに決定している年間スケジュールを理由に、ことわられてしまいました。(略)こうした日本の音楽界に直接影響をあたえるような活動に参加しないでおいて、自分たちだけの定期演奏会がどんなにりっぱだといっても、それは、だれも見にゆかないような山の奥で、りっぱな枝ぶりを誇る堂々たる大木みたいなものだと思います。…(略)社会的にみれば、この「日本一の合唱団」は存在していないのも同然です。(略)一時期、合唱に熱中した人の大半が、真の音楽愛好家にならないで、音楽のある生活から離れてゆくのは、その誤った演奏活動によって、音楽を愛する魂を殺されているからにほかなりません。


 
合唱界』、『旬刊 合唱新聞』、『季刊 合唱表現』、『合唱サークル』などの出版物が軒並み廃刊に追いやられるなか、1971年に全日本合唱連盟がそれまでの事務連絡的な会報を『ハーモニー』として発行しました。これは季刊で、基本的には加盟人数分だけ購入することになっていて、春・夏・秋・冬号として年4回加盟団体に届けられます。ただし、私の見聞きする範囲ではこの『ハーモニー』については賛否両論あることはまちがいありません。それが原則が徹底できない理由の一つとも思われます。

 全日本合唱連盟の二大イベントは、「全日本合唱コンクール」と「全日本おかあさんコーラス大会」です。
 1回目のコンクールは、「学生(高校・大学)」、「職場」、「一般」の3部門にわけられ、人数は50人以内と制限されていました。第1回の男声合唱課題曲は清水脩作曲の『秋のピエロ』でした。

 全日本合唱連盟の役割の大きさはいまさらいうまでもありませんが、いろいろな面で変革期を迎えていると思います。その一つとして、コンクールのやり方が大幅に変更される模様だとしていますが、具体的なことには触れていません。ついでですので、ここで全日本合唱連盟の案を紹介しておきます。これまでの部門分けをつぎのように変更し、低迷している部分の整理とともに全体としての活性化を図ろうとしています。この変更案は、遅くとも平成25年度には実施の予定で進められています。

大学部門
 職場部門
 一般部門ABグループ

  ↓↓

大学・ユース部門(8名〜無制限)
 職場・一般部門
     同声の部(8名〜無制限)

    混声の部(8名〜無制限)
 室内合唱部門(6名〜24名)



 後半の第2部では、指揮者・作曲家がそれぞれの思いを述べています。それぞれ第一線で活躍されている音楽家のはなしは、それだけで十分に価値のあるもので、第一人者の方々がいろいろご苦労されたことが窺われます。

 最後に、三善晃さんの提言に耳を傾けてみましょう。


 
 書評にしては、ときとして詳細すぎたきらいがあるかも知れません。しかし、この本を読んで最初に感じられたことは、とてもよく整理された合唱史となっているということです。少なくも合唱史を名乗るのであれば必須である、引用文献や資料の出典を明らかにするなど、さらに深く調べたい人にとっても有用なもので、読者の目線に立った読みやすい本となっています。
 編者はじめ執筆者の意気込みが感じられる良書です。

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加 藤 良 一    2011年9月16日