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待ち望んでいた合唱史 『日本の合唱史』 <上>




 合唱楽譜&CD専門店「パナムジカ」から新刊の案内メールが届いたのは去る6月のことでした。
 キャッチコピーが[日本の合唱音楽の変遷をたどる初めての書 日本の合唱史]とあったので、おやと思いながら先を読んでみると、「いま日本の合唱水準は世界的に見ても大変高いレベルにあり、また世界中のあらゆる合唱作品が容易に入手でき、…そのレパートリーに事欠くことはありません。…今回ご紹介差し上げるこの『日本の合唱史』は、明治以降日本における合唱音楽の変遷をたどるおそらく初めての書籍です。近代から現代まで合唱が受容されてきた歴史をわかりやすく紹介する論文と、指揮者や作曲家が合唱への想いを語るコラム、そして詳細なデータで構成されており、多角的な視点で『日本の合唱史』を捉えようと試みたものです。…合唱人必携です!」と書かれていました。

 なるほど、これまで目にしてきた多くのそれらしきものを思い返したとき、どれも合唱の歴史を適切に表しているとは思えないような半端なあるいは偏った内容の本ばかりでしたが、やはりその種の本は出されていなかったのだと悟りました。これまでは執筆者が特定の限られた人だったからでもありましょうし、一種の偏見で<合唱>全体を客観的に俯瞰していなかったからかもしれません。とにかくすぐに日本の合唱史』を購入しました。

     編著者:戸ノ下達也/横山琢哉(青弓社、パナムジカコードSYSI03、税込価格2,100円)

 音楽評論家・指揮者の日下部吉彦さんの巻頭言をみれば、その内容のユニークさがわかります。少々長いですが引用します。

「これは異色の合唱史になるぞ」というのが、私の第一印象だった。…
 日本の合唱水準は、世界的に見て決して低くない。見方によっては最高レベルにあるともいえる。ところが、それを束ねる「日本の合唱史」となると、率直にいって、説得力があるものは少ない。それぞれに身辺の記録を記述しているにすぎず、日本の音楽史やその背後の社会を論述しているとはとてもいえない。
…全日本合唱連盟が十年ごとに刊行している『全日本合唱連盟史』も、その名のとおり「連盟史」の記録としては貴重だが、それ以上のものではない。戦前・戦後を通じて国民生活のなかで合唱がどのように生きてきたか、それによって社会がどう変化したかの記述に乏しい。
…オペラや交響楽団の歴史以上に、国民生活と密接な関係があったはず合唱についての記述が少ないのは、ある見方からすると「合唱」そのものに対する「軽視」とはいえないだろうか。
 いまなお、この国の楽壇での「合唱」の存在理由は小さい。「合唱界」を、自己満足の閉鎖社会のように扱ってきた「合唱人」自身の側にも責任がないとはいえない。
 グローバリズムの時代。…こうした動きにも視点を置いた、広く、多角的な視野の「音楽史」が、いま求められているのではないか。…


 下に示した目次を見ていただければ、この本は日下部さんのことばを待つまでもなく、合唱の歴史を広く客観的に記述していることがおわかりになると思います。他の類書では、相当偏った内容であったり、ひどい場合は男声合唱には一切触れずに合唱のはなしをするなど、独善と偏見の固まりのようなものが散見されます。私は合唱で生活しているわけではないので別に被害はありませんが、公平かつ客観的に重要なポイントは外さずに歴史を辿って欲しいと願うものです。
 この本全体について触れることはできないので、まずは目次をご覧いただきたいと思います。

  目  次
巻頭言 日下部吉彦
1部 日本の合唱史をたどる
  第1章 日本の合唱事始め明治・大正期 山口篤子
    1 合唱の芽生え
    2 プロフェッショナルな合唱団
    3 官製の合唱団
    4 仏教界と合唱
  第2章 合唱の昭和史 戸ノ下達也
    1 昭和にいたる音楽の歩み
    2 敗戦までのうたと合唱
    3 戦後のうたと合唱
  第3章 放送局が咲かせた合唱の花々文化庁芸術祭ラジオ部門合唱曲の部 野本立人
    1 「芸術祭合唱曲コンクール」前史 ― 1945-60
    2 「文部省芸術祭合唱曲コンクール」の時代 ― 1963-68
    3 「文化庁芸術祭ラジオ部門合唱曲の部」の時代 ― 1969-72
    4 低迷する「ラジオ部門合唱曲の部」 ― 1973-80
    5 最後の輝き ― 1981-84
    6 レパートリーの増加と合唱団のレベルの向上
    7 作品の傾向とプロデューサーの存在
  第4章 現代の合唱 横山琢哉
    1 現代合唱事情 ― 1960年代からのいとなみ、合唱ジャーナリズムの変遷を軸に
    2 全日本合唱連盟と合唱界
    3 「うたごえ運動」からの系譜
    4 プロ合唱団の盛衰
    5 プロオーケストラ・オペラ団体における合唱の扱い
    6 学校教育での合唱音楽
    7 新しい合唱の地平を展望する ― Tokyo Cantat の役割

2部 指揮者・作曲家が語る合唱へのおもい
    私の合唱人生 浅井敬壹

    こんなに合唱曲を書くとは 池辺晋一郎
    「土の歌」のことなど 佐藤 眞
    私の合唱宇宙 新実徳英
    私の合唱作品について 西村 朗
    合唱界への新しい提言 三善 晃
    自作解説 湯山 昭
    Tokyo Cantat で見えてきた日本における合唱とその歴史エピローグにかえて 栗山文昭




 日下部吉彦さんの巻頭言に加えて、編著者である戸ノ下達也さんの「あとがき」をみてもこの本の狙いがよくわかります。抜粋して以下に引用します。

・日本の洋楽受容や音楽の裾野の拡大に、合唱や吹奏楽、ハーモニカなどのアマチュア音楽愛好家が重要な位置を占めていた。
・音楽の大衆化・社会化に合唱など主にアマチュアを担い手とするジャンルの振興は非常に重要なはずだが、不思議なことにこれまで我が国の合唱音楽の変遷をたどる研究はなかった。
・音楽アカデミズムのアマチュア軽視、シリアス音楽至上主義、また合唱や吹奏楽など個々のジャンルの細分化・専門化といういくつかの弊害があった。
・本書は、これらの弊害を克服すべく、合唱音楽のあゆみ全般を見通す通史を描こうとしている。


 合唱は紛れもなく西洋音楽ですが、いつから始まったかはよくわかっていないようです。第1章では、キリスト教諸派、軍楽隊、式部寮伶人、文部省音楽取調掛の4経路を経て西洋音楽が受け入れられ、社会全体へと広がる歴史を解説しています。
 1872年(明治5年)に制定された学制では、合唱は「唱歌」として学校教育の一環として位置づけられ、その後1879年音楽取調掛の設置によって、国民音楽創出を目指して教員の養成などが実施されたとあります。面白いのは、堀内敬三が東京高等師範学校(筑波大学の前身のひとつ)の付属中学校在学中に、男声合唱を盛んに歌いましたが、『中等唱歌集』、『中等教育唱歌集』あるいは『女声唱歌』の譜面を使ったということです。その当時、合唱は四部にさえ書いてあれば、男声・女声・混声の区別なく利用したといいます。このように学校の中で唱歌が盛んに歌われるようなると、部活動に発展していったのは自然な流れでしょうか。

 あの男声合唱の定番曲“U BOJ”の元祖であり、日本最古の男声合唱団でもある関西学院グリークラブはこのような流れのなかから1899年(明治32年)に生まれました。1907年には早稲田大学グリークラブの前身早稲田音楽会声楽部1911年には同志社グリークラブなど名門が次々に組織され、1901年には慶応義塾ワグネル・ソサイエティーが合唱と管弦楽に分かれて活動を開始したといいます。

 この頃を起点として「讃美歌や聖歌といった機能的な音楽から離れて独立した合唱として歌われる歴史」が始まるのではないかという、長木誠司さんの推測を紹介していますが、あれから100年経った今、まさに合唱は独立した一分野を確立したのです。


 時代が明治から大正に移ると、合唱団の創設がますます盛んになり、なおかつ高いレベルを目指すプロフェッショナルが現れてきます。それが東京音楽学校本科声楽部出身者を集めた東京混声合唱団で、1919年に創立されました。しかしながら、この合唱団が現在の東京混声合唱団(東混)につながっているわけではありません。1930年頃までの活動は確認できているらしいのですが、その後途絶えたとしか思えません。なぜならば、現在の東混は1956年、田中信昭さんが東京芸術大学卒業と同時に設立し、常任指揮者に就任しているのです。
 『音楽現代』20114月号に掲載された対談記事のなかで、田中信昭さんは、創立当時から仕事があったのかという質問につぎのように答えています。
 

「いや全然ない。作ったはいいけど一回演奏したらさよなら、といって皆郷里に帰っては困るので、一計を案じて、第一回演奏会を卒業式の晩に開くことにしたのです。卒業と同時にプロの幕を開けるというわけですよ。そうしたらその331日の演奏会は超満員。日本青年館で、雨にもかかわらず長蛇の列になり、ダフ屋まで出る始末です。それともうひとつ、二、三日おいて地方の演奏旅行に行く計画も組んでいました。それぞれメンバーの地元の有力者を頼って実現させたのですが、東海道沿い点々と、夜行の鈍行列車で、床に新聞紙敷いて移動しました。朝着いたら、すぐ練習して演奏会を開く、それの繰り返し、こういう苦しいことを続けているうちに皆とても仲良くなっていったのです。第一期生は本当に苦労しました。」


 こうして創設された日本を代表するプロ合唱団東混は、「日本の合唱曲を歌おう、曲がないならば作曲家に依頼して書いてもらおう」というコンセプトを掲げていましたので、1年目に清水脩に委嘱し『台湾土民の歌』(現・台湾ツウオ族の歌)を作曲して貰っています。ちなみに清水脩は今年(2011年)生誕100年ですので、これを記念して定演のプログラムにも取り上げています。

 作曲家や合唱指導者の系譜についても年代を追って紹介されています。
 まず合唱作品の原点となるのは、1903年に早世した瀧廉太郎であり、同世代の1880年代生まれには小松耕輔、本居長世、山田耕筰、信時潔、藤井清水などがいて第一世代と呼んでいます。そして、1890年代生まれには、成田為三、草川信、大中寅二、下総皖一などがいます。
 横道に逸れますが、私が所属する男声合唱団コール・グランツの初代指揮者・鎌田弘子さんは、東京芸大作曲科で下総皖一の教室で指導を受けていましたので、授業のエピソードなどをよくお聞きしました。また、下総皖一は、私の住む埼玉県久喜市のとなり町である加須市(旧大利根町)の出身で、資料館なども整備されています。

 本題に戻ります。第二世代の作曲家には、1900年代生まれの清瀬保二、橋本國彦、弘田龍太郎などがいます。ついで、1910年代の第三世代になるとわれわれもよく知る作曲家の名前が出てきます。平井康三郎、清水脩、柴田南雄、磯部俶、小倉朗、小山清茂、田三郎などです。さらに、我が国の作曲家の二台巨匠は、山田耕作信時潔であるとして、その功績を讃えています。

 つぎに、合唱指揮者についてですが、初期の指揮者は寡分にして知らない方々ばかりです。もっとも重要として取り上げているのは、学習院で教鞭をとっていた小松耕輔で、1919年から22年まで文部省から社会教育の調査のために欧米視察に派遣されましたが、そのときの印象としてつぎのように述べたといいます。

欧米の音楽が今日のように盛況を見たのは、単に学校や宗教の力だけでなく、社会民衆の大なる努力によって、かちえたものであることを、私は初めて、このコンクールによって知ることができた。私はわが国でも、まず社会音楽を盛んにし、コンクールによって一般の民衆に音楽の趣味を普及し、その水準を高めることが第一の急務であることを感じた。

 また、合唱団についても年代順に、大学、職場などでの活動が紹介され歴史の理解を助けてくれます。さらに合唱界の組織化が進んでいったことや全日本合唱連盟の発足の経緯なども詳しく記載されています。そして、合唱作品の創作がますます活性化し、現在われわれが知り得る作曲者や作品が出てくるのです。

 1950年代に作品を世に出しはじめた作曲家として、石井歓、石丸寛、中田喜直、團伊玖磨、芥川也寸志、間宮芳生、多田武彦、林光、小倉朗、小山清茂、福井文彦を上げています。男声合唱曲の古典として石井歓の『枯れ木と太陽の歌』や多田武彦の『柳河風俗詩』を上げ、女声合唱曲には中田喜直の『夏の思い出』を取り上げています。
 多田武彦については、「銀行員の多田が書き続けた多くの男声合唱曲は、質・量ともに日本を代表する男声合唱作品群を形成している」と評価し、間宮芳生の「コンポジション」シリーズは、日本の風土に根づいた旋律をモチーフとした作品群で、混声・男声・女声・童声とその範囲は幅広いとしています。


 2章を担当した戸ノ下達也さんは、田三郎の『水のいのち』が、半世紀を経て今なお楽譜発売ランキングのベストテンに入っていることを取り上げ、いかに作品が根づいているか、音楽文化の到達点をとして特筆すべきとしつつ、楽壇における合唱音楽に対する評価の低さに苦言を呈しています。

 三善晃を継ぐ実力のある作曲家が代々登場していますが、中には合唱界でだけ知られるものの、「ほかのシリアス音楽のシーンではまったく顧みられない作曲家もあり、吹奏楽界と並んで、合唱界の閉鎖性は一段と強くなっていった」と強調しています。さらに、いわゆるシリアス音楽でしか日本の音楽を論じられないこと自体が「音楽学や音楽アカデミズムの限界」であり、合唱や吹奏楽に取り組んでいる団体数の多さをみるだけで、その大衆化や日常化がいかに進んでいるかがわかるとしています。ですから「閉鎖性」ということを持ち出すのであれば、シリアス音楽のほうがずっと閉鎖的であると指弾しています。
 ここで、いきなりシリアス音楽といわれてもピンとこない方もあるかと思います。シリアス音楽とは具体的に何を指すか明示されていませんが、これをお読みの方々にはおよそ見当がつくのではないでしょうか。『音楽の友』や『音楽現代』で取り上げられる話題の中心になっている系統の音楽だと思えばよいと思われます。他のサイト(情報処理学会 音楽情報科学研究会)に掲載されている音楽の区分に関する見方()を参考までに紹介しておきます。


[この項続く]

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加 藤 良 一    2011年9月16日