日本語のローマ字化は可能か

加 藤 良 一  2011年8月18日


前に書いた『私がLio-ichiと書くわけ』(K-28)において、木下牧子の男声合唱曲『いつからか野に立って』と、信長貴富の『くちびるに歌を』を比較しながら、日本語をどのようにローマ字で書けば外国の人に読ませられるかを考えてみた。とりわけ「r」と「l」の使い分けがさまざまであることに戸惑いを感じたところである。

 ローマ字は、必ずしも日本だけのものではなく、もともとは西ヨーロッパ発祥の文字で、いまでは世界中で用いられている汎用性の高い文字となっている。たとえば、最近FacebookというSNSSocial Network Service)で外国の人とやりとりしているが、相手のパソコンは漢字や仮名などの日本語には対応していないのがふつうだ。そこで、ほとんどは英語でのやりとりになるが、たまに日本語を知っている人がローマ字で日本語を書いてくる人もいる。ただ、書き方はほとんど法則性がないような感じであるが、読むには特別問題も生じないものである。

最古のローマ字文書とは、1591年に出版されたポルトガル式ローマ字の「使徒行伝」といわれている。しかし、ポルトガル式やオランダ式ローマ字は、仮名と一対一で対応していないため限界があったようである。仮名にローマ字を一対一で対応させたのは、1867年、米国人のジェームス・カーティス・ヘップバーン James Curtis Hepburnが編纂した和英辞書『和英語林集成』が最初のものといわれている。ヘップバーンが日本式に訛ってヘボンとなり、ヘボン式ローマ字と名付けられたことは多くの方がご存知であろう。
 ところが、ヘボン式ローマ字は英語の発音に基づいてしまったため、日本語に適用するにはいくつもの問題があった。そこで1885物理学者の田中館愛橘(たなかだて あいきつ)が音韻学理論に基づいて策定したのが日本式ローマ字といわれるものである。これは、日本人にとっては当然良かったのだが、英語話者にとっては英語の発音に依らないためなかなか受け入れられなかったという。ヘボン式日本式の折衷案として出されたのが、1937年に公布された訓令式ローマ字内閣訓令第3号)である。けっきょく、今ではこれら三つの方法が入り乱れ、増え続ける外来語に対応する表記とも絡んで相当混乱した状態となっている。
 訓令式は表音主義に基づいているため、日本式で用いる「クヮ」「グヮ」「ヂ」「ヅ」などには、それぞれ「カ」「ガ」「ジ」「ズ」を当てるが、ヘボン式で用いる「shi(シ)」「chi(チ)」「tsu(ツ)」など英語発音に基づいたつづりは採用せず、「si」「ti」「tu」を用いる。ヘボン式訓令式のちがいは、表音式であることは共通しているが、前者は英語に依拠し、後者は日本語に依拠している点である。


 ここでちょっと視点を変えてみる。梅棹忠夫著『日本語の将来 ローマ字表記で国際化を』を読んで、今さらながら気付かされたことがある。外国人にとって日本語はたいへん難しいといわれる。漢字、ひらがな、カタカナ、外来語が混在しており、これだけ複雑な言語だから外国人にはとっつきにくかろうと思う。しかし、それだけでなく、日本人にとってもそう簡単なものでないことがさらに問題なのである。外国人にとって日本語の大きな障害は、音と訓のちがい、送り仮名、漢字などである。日本人の中ですら、読めない、書けないことは日常よく見かけることである。これは、すなわち日本語には標準語に当たるものがないということなのだ。
 梅棹忠夫生態学者、民族学者で国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、京都大学名誉教授)は、日本語のローマ字表記の大混乱を憂えて「日本語のローマ字化」を推奨している。氏は、国際日本語学会日本ローマ字会の元会長職(在任当時は日本ローマ字会と呼称)を務めた方である。
 国際日本語学会日本ローマ字会は、「日本語および日本文化を日本人だけのものでなく、世界の人びとの日本語または、文化として、多くの人に開放し、日本語を耳で聞いてわかるやさしいことばに改めるため、ローマ字書き日本語も使って運動を行い、これを通して社会の進歩発展に貢献することを目的と」している法人である。日本人がローマ字で日本語を書けといわれてもいささか戸惑うところだが、外国人向けに統一した規格をつくることは非常に意味があると感じる。それほどに日本語は統一されていない、基準となるべきものがない言語なのである。
 さらに先進国では珍しいといわれるが、日本語には「正書法」がないのである。正書法とは、その国の言語を文字で記述する際の統一されたルールのことである。日本語にはそれがない。たとえばドイツでは、2005年に新正書法が制定されている。ドイツ語をドイツ語たらしめている「ß」(エスツェット)を「ss」に変更し、ウムラウトは母音の上の「¨」を取って、そのあとに「e」を付けることで代替してよいことになった。つまりドイツ語の特徴を消し去ったわけだが、これで、ドイツ語圏以外の人との交流がさらに容易になったことはまちがいなかろう。この話は、本サイトの《ことば》コーナー(K-17)『混乱するドイツ語新正書法』で紹介してある。

 日本語の統一感のなさについて、一つ例をあげよう。たとえば、「あかるいあした」という文章を読み上げてそれを書きとらせるとしよう。すると、「明るい明日」「明るいあした」「あかるいあした」「明い朝」「アカルイ明日」「……」などなど十人十色の答えが返ってくるにちがいない。それだけ自由度が高く、表現の巾が広いともいえるが、ひっくり返せばまちがいなく外国人泣かせである。もちろん日本人泣かせでもある。これなどほんの一側面にしか過ぎない。これを一つの表記法に統一せよとなると、ことはそう簡単にはいかない気がする。とくに文筆業の関係者からクレームが出てくることはまちがいないだろう。


 これらを背景にしてもう一度ローマ字に戻ろう。日本語を外国人にも使ってもらうためには、なんといってもまずは日本語の正書法を策定することと、それに基づく適切なローマ字による表記法の確立が欠かせないという主張は俄然意味を持ってくるのではないか。

 あらためて歴史的な流れを整理すると、日本式系統日本式、訓令式)は日本式を祖にした訓令式が国際規格へと発展して現在に至ったものであるいっぽうで、ヘボン式系統はとうの昔に廃止されているという。しかし、専門家以外そんなことは知るよしもなく、自由に勝手に使っているのが現状ではなかろうか。これでは、梅棹忠夫氏の言を待つまでもなく、日本語が国際化しないのも無理からぬことと思わざるをえない。いくら長いあいだ英語を勉強しても話すことができない私にとって、世界に日本語が通用する時代が来るのは大歓迎である。もっとも私が生きているあいだに実現することなど考えられないが


 国際日本語学会日本ローマ字会では、ヘボン式日本式訓令式の三種類のローマ字表記法にはそれぞれ限界があるとして、第四の表記法として「99」ローマ字を提唱している。例の「九九式小銃」とは何の関係なく、これが公表された1999年に因んで付けられた名称である。キューキュー式と読む。
 99の特徴は、下記の比較表にみられるように、変則的な表記をやめ、50音の同じ行はすべて同じ表記として混乱を避ける工夫をしている。詳しくはここをご覧いただきたい。

ヘボン式

sa

shi

su

se

so

訓令式

sa

si

su

se

so

日本式

sa

si

su

se

so

99

sa

si

su

se

so

ヘボン式

ta

chi

tsu

te

to

訓令式

ta

ti

tu

te

to

日本式

ta

ti

tu

te

to

99

ta

ti

tu

te

to

ヘボン式

ha

hi

fu

he

ho

訓令式

ha

hi

hu

he

ho

日本式

ha

hi

hu

he

ho

99

ha

hi

hu

he

ho

ヘボン式

za

ji

zu

ze

zo

訓令式

za

zi

zu

ze

zo

日本式

za

zi

zu

ze

zo

99

za

zi

zu

ze

zo

ヘボン式

da

ji

zu

de

do

訓令式

da

zi

zu

de

do

日本式

da

di

du

de

do

99

da

de

do



 そこでもう一度、外国人に日本語の歌をいかに正しく日本語らしく歌わせるかについて考えてみる。私がLio-ichiと書くわけ』で引用した。そこでは「r」と「l」の使い分けに焦点を当てたが、ここではその他の表記に着目してみる。あらためて木下牧子の男声合唱曲『いつからか野に立って』と信長貴富の『くちびるに歌を』を比較してみよう。

 
木下牧子氏のいつからか野に立ってでは、ラ行l」を使う反ヘボン式だったが、ザ行はまったくのヘボン式だし、「夏」が「natsu」、「土」も「tsuchi」とヘボン式を採用していて、とくに決まった表記法によっているわけではなさそうだ。


木下牧子 『いつからか野に立って』より

虹になる  niji ni nalu
天を飾るのだ  ten wo kazalunoda
彼は年柄年中  kale wa nengalanenju
邪魔はしない  jama wa shinai
自分が  jibun ga
果実がある  kajitsu ga alu
夏の光  natsu no hikali
思わず  omowazu
地面に  jimen ni
土から  tsuchi kala


 このような状況はあくまで楽譜の中の問題であって、外国人に日本語を正しく発音してもらおうという狙いからすれば、あの手この手でやるのも手かなとも思う。つまり楽譜のさまざまな記号の一部と捉えることもできるのではないか。

 いっぽう、信長貴富氏のくちびるに歌をでは、ザ行木下氏と同じようにヘボン式となっている。また、「落ちる」も「ochiru」とヘボン式を採用している。

信長貴富 『くちびるに歌を』より

メロディのように  merodi no yooni
味わいつくしたもの  ajiwaitsukushita mono
みずあさぎ  mizuasagi
くちづけし  kuchizukeshi
葉が落ちる  ha ga ochiru


 ヘボン式は英語音韻に依拠していることを考え合わせると、外国人にとってはこちらのほうがわかりやすいとなるだろうか。しかし、ラ行に関しては『私がLio-ichiと書くわけ』に書いたとおり個人的にはヘボン式には無理を感じてしまう。

 さらに、ローマ字表記にはほかにもたくさんの課題がある。その一つに、文章の分かち書きをどうするかということがある。上の例にもあるように、「天を飾るのだ」を「ten wo kazalunoda」と表記し、「くちづけし」を「kuchizukeshi」と表記しているように、文書をどこで切るかである。英語なら単語をつなげて書いてしまうとまったく別のものになるのと同じことがここでも問題になってくるのである。つまり、「あかるいあした」を例にとれば、「akarui ashita」と「akaruiashita」が同じ意味であるといわれたら外国人は困惑するのである。
 また、外来語の処理も難しい。外来語といえども採り入れた段階で日本語の一部なのである。上の例にある「メロディ」を「merodi」とするのが適切かどうかという問題である。99では「merodji」となる。これは「カナに従う」ことと「ふりがな方式」の原理に基づいて、発音ではなく、カナ文字でどうか書かれているかによってローマ字に書き写すことを原則としているからである。この他にも一筋縄ではいかない課題が山積している。



〈参 考〉
「日本語の将来 ローマ字表記で国際化を」 梅棹忠夫著(日本放送出版協会)
「日本語音声学のしくみ」 町田健編、猪塚元/猪塚恵美子著