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守護神のひとりごと



島 ア 弘 幸   
   



 速いものだ。(わし)がこの男の世話を始めて、もう70年になる。落語で知られているように、死神というやつは、穴の中で人と同じ数のローソク(蝋燭)を灯して、人の寿命を決めている。儂ら、守護神は、そんな死神とは違って、人に幸運をもたらすように働いている。儂らがいなかったら、人の寿命は、死神の胸先三寸で決まることになる。そうはさせないのが、儂ら守護神で、時には丁々発止と死神とやりあって、消えそうなローソクに再び命を吹き込むこともある。もっとも、人間がやる気、生きる望みをなくしたらダメだな。守護神協会の規約には、生きる気のない者は助けるにおよばずという一項がある。そんな無気力の人間には、守護神に変わって、背後霊が付くことになっている。

守護神と背後霊は違うよ。背後霊というやつは、その家族の先祖が担当している。背後霊の性格が良ければ、付いた人間を善に導いて、やがて儂ら守護神の下に「もう一度、よろしく」と頼み込んでくる。ところが、中にはたちの悪い背後霊もいて、そいつらは、一旦取り付いた人間をますます暗く、弱くして、やがて死神に引き渡してしまう。いずれにしても、人間というものは、己の思うがままに、生きているわけではない。その生涯の節目、節目は、儂ら守護神、および守護神協会の支配の下に置かれている。

 話はそれたが、儂の担当した男について、話しておこう。その男は、終戦の年に、高知市で生まれた。生後1年の時には、健康優良児として、写真が、高知新聞の社会面に載ったこともある。暮らしも、そこそこ裕福で、幼い頃から、近所の子供たちが、うらやむピカピカの自転車を買い与えられておった。しかし、禍福はあざなえる縄のごとし、その自転車で死にかけたこともある。海面から2〜3mはあったかなア。小学校低学年の頃、友達と二人で自転車に乗って遊んでいるとき、何かのはずみで、自転車もろとも道路から2〜3m下の海に落ちてしまった。まだ泳ぎを知らない子供だもの。儂が助けなければ二人とも溺れ死んでいたよ。スピードの出しすぎで、カーブを曲がりきれずに小川に飛び込んだり、投網を打つ小さな船で遊んでいるときには、頭から海に落っこちたり。世話の焼ける子だった。また、健康優良児も、小学生のころには一転して、病弱になり、百日咳(ぜんそく)で死にかけたこともあったなア。まあ、よく70歳まで生きて来たものよ。守護神である儂のおかげということじゃ。

 子供の頃と言えば、近所の保育園に通っていたとき、そこの若くて、美しい先生に、ずいぶんかわいがられていた。あれが母親以外の女を好きになった最初だな。保育園児でも、男は男、年上の女を好きになることがある。小学校1年生のときには、新入生を代表する級長に選ばれて、親を喜ばせたことがあった。あれが最初で、最後の親孝行だったかもしれぬ。当時はまだ、戦前の風習が残っていて、一番良く、勉強のできる子が、先生の指名で級長に選ばれた。その級長に、今年は誰が選ばれるかで、毎年、新入生の親だけでなく、地域(8地区ほどの村の集まり)でも話題になっていた。親にとっては自慢であったに違いない。しかし、そこまでで、その後はいけなかった。勉強よりも、近所の子供たちと、野山を駆け回って遊ぶことに夢中になってしまった。小学校の5年生だったか、鶴亀算が分からなくて、放課後、学校に残されて、先生に叱られながら勉強をするはめになった。それはしょうがないよ。守護神協会の規約には、人間の勉強まで、世話をする義務は記載されていない。

 そんな勉強嫌いの子供だから、高校進学すら、あやうかったのだが、昭和30年代の日本は、高度経済成長時代の幕開けで、「貧乏人は麦飯を食え」という総理大臣がいたのもこの頃だ。経済成長を支える、いわば工業高校の全盛時代でもあった。時代の要請にこたえ、高知にも二校目の工業高校が新設された。中学校を卒業すると、男は、比較的入試のやさしかった新設の工業高校(機械科)に進学した。二期生として入学したのだが、入学して半年もたたないうちに、廃校が発表された。校舎は、まるごと、高専に移管するとのことだった。県が仕組んで、国立高専の呼び水とするために工業高校を作ったんだな。実際に、その後、国立高知高専が工業高校を母体に認可された。だから、この男の卒業した工業高校は、一期生と二期生だけで、全卒業生を集めても400名に足らない。はっきり言えば、県や、校長先生に、生徒や親は騙されたことになる。ただ、それがこの男の、その後の人生の礎となるのだから、守護神としても、やりがいがあったし、面白おかしく過ごすこともできた。

 高校では、男は生徒会長を務めていた。各科(機械、電気、化学)から推薦された3名の立候補者の中から、全校生徒、約400名による投票で選ばれたのだから、なかなかのものだ。それから50年、卒業生は、一斉に古希を迎えた。生きていればであるが。守護神に守られて、無事に古希を迎える者もいれば、すでにローソクの炎が燃え尽きた者もいる。
 男は、その年、一緒に古希を祝おうと、全ての卒業生に呼びかけて同窓会を企画した。儂ら守護神にとっても、昔の仲間と会えるのは懐かしい。開催の案内を出した男の下には、かなりの数の死亡通知も届いた。わしら守護神協会の努力が足りなかったことは否めない。数か月前に死亡したという連絡もあって、電話口では「参加できれば、どんなに喜んだことか」と奥様に泣かれていた。男は住所の分かる190名ほどに開催案内を送ったが、参加できたものは42名であった。ただ、参加はできないが・・と、寄付金を送ってきた者も8名いた。
 先生も当然、高齢になっていたが、3名の恩師に出席して頂けた。50年ぶりの再会。でも、親しくしていた友の顔は分かる。面影も性格も変わっていない。頭は禿げても、心ははげていない。昔の子供のままであった。



  エピローグ
 儂ら守護神同士、苦労話を聞くのも楽しかった。今の時代、担当の人間を古希まで生かせないのは、守護神として恥ずかしいことだ。そんな守護神は、当然のことながら同窓会にも出席していなかった。ただ、儂らから言えば、人間が頑張ればこそ、守護神も頑張れる。人間が90歳になろうと、100歳になろうと、儂ら守護神が見放さなければ、少々、病気をしても死ぬことはない。交通事故にあっても、つぶれた自動車の下から這い出して来ることができる。ただ、人間に生きる気力がなくて、儂らが見放したら、あとは死神の世話になるだけだな。ローソクの火は消えるよ。そうそう、教えてやろう。おまえのローソクはあそこ。 ほら、見えるか? あれだよ。

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