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ブリタニーさんの予告自殺の波紋

 安楽死と尊厳死、そして生命保険は…

 


 米国の29歳の女性、ブリタニー・メイナードさんが、2014111日、ソーシャルメディアに自殺を予告する動画メッセージを投稿し、公然と自殺しました。
 ブリタニーさんは、末期の脳腫瘍を患い、20141月、余命6か月の宣告を受け、いずれ病状が進んで耐えがたい苦痛を伴う死を迎えると告げられていました。それを受け、悩み抜いた結果、いずれやってくる人格をも変えてしまうといわれる耐え難い苦痛を避けるため、自ら命を絶つ決心をしたのです。
 人びとが驚いたのは、まだがんの疼痛に苛まれる前の元気なブリタニーさんが、ネット上で自殺の予告をしたからです。ふつうは静かに黙って死んでゆくところでしょうが、彼女はなぜか、ネットに身を晒すという行為に出ました。これには世界中の多くの人びとが衝撃を受けました。

 日本では、このような行為は誰が見ても 安楽死 です。安楽死は、当然日本では許されませんが、米国のいくつかの州では合法なのです。ですから、ブリタニーさんは、合法化されたオレゴン州に引っ越してまで自殺を断行したのです。オレゴン州では、オレゴン尊厳死法(The Oregon Death with Dignity Act)が制定されていますので、医師にほう助された自殺(physician-assisted suicide:PAS)によって合法的に死を選択、即ち自殺できるのです。このような法律が制定されたことによって、米国では1998年から2013年までの15年間に752人もの人が死を選択しているのです。

ブリタニーさんがソーシャルメディアに流したメッセージは次のようなものです。
 さようなら、親愛なる全ての友人たちと愛する家族のみんな。今日、私は尊厳死を選びます。この恐ろしい末期の脳腫瘍は、私からたくさんのものを奪っていきました。このままでは、さらに多くのものが奪われてしまったことでしょう。
 この世界は美しい場所です。旅は、私にとって最も偉大な教師でした。最も偉大な支援者は、近しい友人や仲間たちです。こうしてメッセージを書く間にも、私のベッドのそばで応援してくれています。さようなら、世界。良いエネルギーを広めてください。次へつなげましょう。

 

 彼女には Compassion & Choicesという団体が支援していました。Compassionとは、思いやりとか深い同情、Choicesは文字どおり選択権あるいは選択の自由の意です。Compassion & Choicesのサイトに書かれているトピックスを見ると、The death-with-dignityと書かれています。

 

The death-with-dignity movement exploded in October.
Brittany Maynard’s pursuit to shorten her painful decline from aggressive brain cancer instantly made our issue an international discussion.
And by bravely, graciously partnering with Compassion & Choices, her story provided a national platform for our spokespeople and enlisted thousands of new supporters.
For the first time, everyone was talking about end-of-life choice.

 

 私も多くの世界の人々と同じく驚きを隠せませんでした。そして、なぜこれが尊厳死なのだ、どうみても安楽死ではないかと首を捻らざるをえませんでした。

 因みに、私が加入している日本尊厳死協会の会報 「リビング・ウイル」 2015年1月号に紹介された期時から紹介しますと、114日の朝刊各紙は、「尊厳死宣言、薬飲み実行」(読売新聞)、「脳腫瘍患い 『尊厳死』 宣言、薬服用死亡」(日本経済新聞)、「決心変えず 『尊厳死』 」(北海道新聞=共同通信)と尊厳死と報じていたといいます。そのいっぽうで、朝日新聞は 「米女性、予告通り安楽死 とし、「安楽死、尊厳死、日本では区別」 と解説していたとのことですし、NHKテレビも 安楽死した」 と放送したそうです。このようにメディアによってさまざまな表現となってしまったのは、米国では尊厳死と安楽死があまり区別されていないため、日本ではまちがいなく(法的にも)安楽死とみなすところを尊厳死と表現していることを受けた結果ではないでしょうか。
 日本尊厳死協会内部でもこの問題については大きく取り上げられたそうです。前述の会報 「リビング・ウイル」 には他にもこの話題に関する記事がたくさん掲載されていました。会員から 「あれは尊厳死ではない、安楽死だ」 「協会はなぜ、誤報だと新聞社や報道機関に抗議しないのか」 という意見が寄せられたのです。

 今回のことでは一方的にメディアを責めることはできないと思います。要するに日本においても、尊厳死と安楽死とがどうちがうか、そのあたりがまだ定着していない証拠なのです。安楽死と尊厳死、この両者は似て非なるものです。英語で尊厳死はThe death-with-dignity、安楽死はEuthanasiaです。ここで問題となるのは、尊厳死の意味、内容です。日本ではあくまで 「無駄な延命治療をしないで自然な死を迎える」 ことを尊厳死と名付けようとしていますが、米国ではそのような考え方はしないようです。さらに、尊厳死は法に触れるような性質のものではありませんが、安楽死は、自殺ほう助罪殺人罪に問われる可能性が高いのです。これだけ性質の異なるものが区別なく扱われてしまうことにすくなからず疑問を感じてしまいます。

 このような現象は、報道に限ったことではありませんが、国際間で用語が統一されていないことは大きな問題です。たとえば、外国語を厳密に自国に採り入れるには、辞書で引けばわかるというものばかりではありません。海外で英語で書かれたある規定(規格)などがあったとして、それを日本語に翻訳して導入しようとするには、まず個々の用語の定義からはじめねばなりません。しかし、辞書的にはわかったような気になっても、その言葉が意味する内容、背景などには相当の隔たりがあることはよく見聞きすることです。たとえば、「品質検査」 を例にとると、この用語にどのような意味内容を持たせるのか、何をどう調べてどこまで保証するのか、その実態がちがっているとしたら、まずは用語の定義から入るのが通例です。それなくして国際間での規格作りなど考えられません。つまり、用語の意味する内容や範囲などを国際間でハーモナイゼーションすることが重要なのです。

 日本では、医師が死期に積極的に関与する今回のような場合は、「尊厳死」 ではなく 「安楽死」 と呼ぶのが共通の理解ではないかと思います。したがって、仮に医師が終末期の患者に致死薬を処方したり、死期を早める処置をとったりすれば、違法行為になるのです。かたや、患者の意思を尊重して人工呼吸装置や胃瘻(いろう)などの延命措置をしない 「尊厳死」 は、終末期医療の現場で定着しつつあるのも確かです。
 日本尊厳死協会の長尾和宏副理事長は 「今回のケースは安楽死に当たり、自ら命を絶つ行為には反対だ」 と強調したうえで、「穏やかな最期を求める患者や家族をサポートする体制づくりを進めていくべきだ」 と訴えています。

 最後に、生命保険はこのような場合にどう取り扱われるのでしょうか。日本では安楽死は違法ですから当然保険金は出ないでしょう。しかし、米国のいくつかの州では合法ですから、そこへ引っ越して安楽死すれば保険の対象になるはずです。保険業界では今後の対応が難しいにちがいありません。
いっぽうで、尊厳死は延命治療したときに比べると、死期こそ多少は早まるかも知れませんが、ほとんどは合法とみなされると思われます。つまり尊厳「死」とはいいながら、それは決して「死ぬ」ことではなく、むしろ積極的に「生きる」のですから、彼我の差は歴然としています。

 尊厳死と安楽死の間にはこのような大きなちがいがあるということ、ひいては日本型の終末医療のあり方などの議論が一層活発になることを望んでやみません。

 


関連資料
E-96日本人と墓~葬送に関する法規制
E-950葬の時代葬送の自由
E-63尊厳死の論点
E-24尊厳死と安楽死
E-09死後の準備はお早めに

 




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加 藤 良 一   2015年1月3日