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宙組 宝塚大劇場公演

「望郷は海を越えて」/
「ミレニアム・チャレンジャー!」


「望郷は海を越えて」編

観劇日 2000年9月15日
観劇時刻 午前11時の部  
観劇場所 2階17列下手端(B席)

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望郷は海を越えて

谷 正純 作・演出


 谷作品でタイトルが「望郷は海を越えて」。これはロクな作品になるまいと思っていたが……、見事に予想通りだった。谷作品の悪い面をつなげて作られたような脚本に唖然とさせられた。
 特に登場人物殺しの激しさは凄まじい。

 雪組のバウに引き続き、「人が死ねば観客は泣く」の勘違いによって作られたこの作品、あまりの勘違いの激しさには、もう怒りを通り越して失笑するのみであった。
 今回の作品、とにかく人が死ぬ。宮津を出港した海人の仲間たち、ロシアに残った蔵人以外は全員死ぬ。出港直後の大津波にはじまり、物語の要所要所で一人死に二人死に……。何とか海人と日本に帰り着いた者も、最後には殺されていく。しかも、その死のほとんどには、全くと言っていいほど意味を持たされていない。ただロボットの如く自動的に死んでいくのみである。人の命などボロ雑巾同然に見えてくる。
 それでいて、この作品を通して命の大切さを主張している。革命の場面ではやたら無血革命にこだわる台詞を連発するし、ラストシーンではトップコンビが命を大切に生きようと誓い合っている。
 正気か?谷正純。
 残念ながら、谷氏の主張には説得力が全くない。エカテリーナ2世が無血革命を主張する時点で、すでに海人の仲間の多くは命を落としている。また、海人と由布姫の再会の場面では、生きながらえて日本へ帰った海人の最後の仲間が揃って命を落とし、由布姫の侍女も命を落とす。しかも、この命を落とした人たちの遺体を足元に、海人と由布姫が再会を喜び、命を大切に生きようと誓っているのだ。展開と主張の矛盾が激しすぎる。
 「人の命など所詮ボロ雑巾と同じ」なら理解できるのだが……。

 谷氏が作品中で人を殺すのはいつものこと。誰も死なない作品といえば、「SPEAKEASY」(1998年花組)と「バッカスと呼ばれた男」(1999年雪組)程度しか思い浮かばないほど。
 ただ、今年になってから作られた「ささら笹舟」と「望郷は海を越えて」にはあまりにひどいものがある。「殺せば泣いてもらえる」の姿勢ばかりが表に出すぎているのだ。それ以前の谷作品にも、そんな姿勢が出ているとよく言われている。しかし、僕が過去に見た谷作品の「EL DORADO」や「春櫻賦」あたりでは、今年の2作ほどの質の悪さを感じることはない(確かに殺しすぎだということに代わりはないけれども……)。
 「ささら笹舟」の時にも書いたが、もう一度繰り返したい。観客は人が死ぬことに泣くわけではない、その死に様に泣くのだ。それが非業の死であろうと、大往生であろうと、その死に様に心を揺すられるものがあるから泣くのだ。
 そしてもう一つ、この「望郷は海を越えて」の中に出てきた台詞をそっくりそのまま谷氏に返そう。「もうこれ以上人が死ぬのはたくさんだ」
 安易に登場人物を殺して好作品に見せようとする手法をとるのは、これを最後にしてほしいものである。


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