隠れ宝塚のひとりごと
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雪組TAKARAZUKA 1000days劇場公演
「再会」/「ノバ・ボサ・ノバ」
「再会」編
観劇日 | 99年7月4日 |
観劇時刻 | 午後3時30分の部 |
観劇場所 | 31列上手 (C席) |
「再 会」
石田 昌也 脚本・演出
−目が離せぬ月影瞳−
ぐんちゃんって、こんなに歌がうまかったっけ……?。月影瞳の歌を聴きながら考えていた。大劇場の時もかなり歌がうまくなったと思ったが、今回はそれ以上にいい歌を聴かせてくれた。「歌が飛び抜けてうまい」と言われる娘役たちと比しても、決して遜色なく、非常に聴いていて心地よかった。
歌に限らず、この舞台では月影瞳から目が離せなかった。
演技を見ても、サンドリーヌをきちんと演ずることができたのは大きい。コミカルな舞台進行の前に忘れてしまいがちだが、考えてみればサンドリーヌというのも以外と難役のはず。冒頭の方と最後の方では、人格が極端に違っているし、その途中でも場面によって少しずつ人格が変わっていっている。しかし月影瞳は、様々なサンドリーヌをうまく演じ分けていた。しかも、どの場面でも、余裕を持って演じているのがわかってくるのだから、さらに感心させられる。
図書館の場面でのサンドリーヌの演じ方は特に感心させられた。これは今までの月影瞳で見たことのない役柄だが(宝塚でも珍しい役柄だが(^^;)、コミカルな雰囲気を漂わせながら決してきつすぎない演技を見せている。並の役者じゃないと感じさせられた。
これら全てが、「ぐんちゃんやるじゃないか」と思わせてくれた大劇場よりもさらによくなっているのだから、月影瞳の成長力はものすごい。月影瞳に「底」という言葉はあるのだろうか。次作でどんな舞台を見せてくれるか、楽しみになってくる。
−1000daysと携帯電話−
大劇場時の初舞台生口上がない分、1000daysでは脚本にある程度の加筆がなされていた。加筆のなかった大劇場版の方がシンプルで好感が持てるが、こちらの方もそれほど悪くはない。しかし、1か所だけちょっとやめてほしかったなと思わせる箇所があった。
ダンスホールの場面に、客の携帯電話が鳴って、酔っぱらいがそれにからむという箇所が追加されているのだが、これがこの場面があまりいただけるものではない。あの音に、本当に誰かの携帯電話が鳴っているんじゃないかと、気になってしまうのだ。さらには、「もしかして自分の携帯か?」と、思わずポケットの中をまさぐったりしてしまう(実際にはきちんと電源を切ってので、鳴ることはないはずなのだが……(^^;)。その後に酔っぱらいがからみ始めるので、舞台の効果音だとわかるのだが、大劇場にない部分だったから、最初は誰の携帯電話かと戸惑ってしまった。
おそらく、石田氏としては、演出家として芝居を通して観客に注意を促したかったのであろう。確かに自分の作品が携帯電話の音に邪魔されるのは気持ちいいものではない。その気持ちは分かるのだが、1000daysでいきなり入れるのは洒落になっていなかった。
何しろ1000daysは仮設であるが故に、電波には無防備で、携帯電話どころかPHSさえも客席内で十分に使える。それだけに携帯電話の音が、舞台効果音か、客席のものかともすると判別しづらくなてしまうのだ。
もちろん観客として、携帯電話の電源を切ることは大事なことだが、それでも1000daysでの追加ということで唐突すぎで、かつ紛らわしさが拭えなかった。
観客に携帯の電源に気をつけろと注意を促すのはいいけれども、あの唐突なやり方だけは考えてほしかった。
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