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花組宝塚大劇場公演
「夜明けの序曲」
植田 紳爾 | 作・監修 |
酒井 澄夫 | 演 出 |
三木 章雄 | 演 出 |
観劇日 | 99年1月15日 |
観劇時刻 | 午後3時の部 |
観劇場所 | 1階20列中央(S席) |
−多数の空席の意味するものは−
劇場内でまず唖然とさせられたのが空席の多さである。3連休であるというのに、空席が非常に目立っていた。しかも、この日は関西テレビのカメラが入っていて、1階B席センターが使えず、いつもよりも座席数が少なかったというのに。劇場入り口のさばきの数は異常に多いし、空席状況を見れば千秋楽以外は全て空席あり。
あまりの不人気ぶりに、言葉を失った。少し前に雪組の不人気ぶりが話題になったことがあるが、今回の花組はそれを越えていた。
一連の「ほさちショック」を乗り越え、はるばる埼玉から来た僕にとって、つらいことこの上ない光景だった。今まで、他のどの組よりも花組を愛してきた僕にとって、これほどつらい光景はなかった。
理由は2つ考え得る。一つは、劇団側が真矢みきのファンをつなぎ止めることができなかった。もう一つは、最近の駄作の多さに呆れたファンからの植田理事長への三行半。いずれにせよ、劇団はこの空席の理由を考える必要があろう。去年の「歌劇」の植田理事長のコラムのように、「日程配列が悪かった」だけは許されないと今のうちに指摘しておこう。
−名作か、駄作か−
名作なのか、駄作なのか。元旦のテレビ中継を見たときから悩み続けていた。前半は「ザッツ・レビュー」のような退屈きわまりない展開。後半は一部納得のいかない場面もあるが、それでも僕の知っている植田作品(「虹のナターシャ」以降)にはなかったよさが感じられる。
テレビ観劇から半月たち、実際に大劇場で生で見てみたけれども、悩みは解決するどころかますます深まるばかりだった。
−芸術祭大賞受賞作?−
しかし、はっきり言えることもある。
これが「芸術祭大賞」を受賞したほどの名作には思えない。後半の展開は確かにこの看板にある程度はふさわしいけれども、前半から通してみるとこの作品を大賞に選定した文化庁のセンスを疑いたくなるほどだ。
「大賞」というものは、すべてにおいて優れている、あるいは全体的に非常にレベルの高い作品に贈られてしかるべきものであるはず。その観点で見ると、この「夜明けの序曲」は「大賞」受賞作には見えないのだ。
たとえば脚本。第一部「雪のマンハッタン」はあまりに退屈。冗長な台詞で飾られた、ダラダラとした場面の連続は15年後の「ザッツ・レビュー」と何ら変わらない。
たとえば登場人物の心理描写。何であんなに簡単に説得されてしまうのか? 第一幕なら、音二郎にちょっと刃向かってみても、一言二言言われただけで「ひ〜ろいせかいの〜 そ〜らのしたで〜」と歌い出してしまう団員たち。第二幕なら、ユキに少し言われただけで帰国を決意してしまう音二郎と貞。舞台を見た限りでは、あの程度の台詞で説得されてしまうのが非常に納得できないのだが。もう少し考えを変えるまでの気持ちの変化の描写がほしかった
たとえば演出。全編通してあの奥行きのある舞台が生かされていない。横一列に並んで一歩前に出て台詞を言う、小学校の学芸会と変わらぬ演出。今回は特に、1階S席センターなどという絶好の場所で見ただけに、いつも以上に気になって仕方なかった。
だいたい、今回は脚本と生徒がうまくかみ合っていないちぐはぐな舞台だった。昭和57年の脚本に、平成時代の生徒がついていけていないのが目に見えていた。ついていけていたのは、専科生などごく限られた生徒のみ。だから客席の反応も変で、シリアスな場面なのに、団体で来た宝塚を知らない男性客からの失笑が聞こえたなんてこともあった。
今回は新トップコンビに合わせた脚本の書き直しがなされたという。しかし、それにしてはずいぶんと昭和末期のセンスが感じられた。もう少し、時代や生徒に合わせた書き直しをしてもよかったのではなかろうか。
−植田芝居の神髄−
毎度のごとく植田理事長への苦言が続いたが、苦言だけで終わらすことができないのがこの作品である。一方で、「いい作品じゃないか」と思わせるものがある。だから名作か駄作かと悩んでい訳であるが。
第二幕の中盤あたりから、不思議と作品の中に引き込まれ始める。そして、音二郎の臨終の場面は、半ば震えながら見ていた。泣くほどではなかったけれども、音二郎が事切れる瞬間、そして最後の貞の台詞には、気持ちが高ぶるものを感じていた。
これが「植田マジック」なのだろうか。「クサいなぁ」と思いつつも、いつの間にかそのクサさの中に引き込まれ、震えるような感激を覚えている。かつて、植田理事長が「鬼才」とか、「宝塚の救世主」と言われたる所以がほんの少しわかったような気がした。
落ち着いてよく考えると、物語の展開はかなり強引なのだが、劇場にいると不思議と引き込まれてしまう。植田芝居の神髄を見せつけられたような、そんな思いにさせられた。
−新トップコンビの実力−
今回がお披露目となる愛華みれ、大鳥れいの新コンビの評価はご容赦いただきたい。いまだに真矢みき、千ほさちへの思い入れが強く、とてもながら冷静な視点で評価できないのだ。
何とか冷静な視点で見ようとは心がけていたが、やはりどこかで真矢・千の2人を思い出しながら見てしまっていた。それを排除しながら見ようとしたら、恐ろしく引いた視点で舞台を見ている自分に気がついた。とてもながら、まっとうに生徒を見られる状況ではなかった。そんなわけで、新トップコンビの評価はとりあえず見送りたい。逃げは承知だが、そうでもしないと偏った評価をしてしまいそうなのだ。
しかし、簡単な印象だけ触れることにする。両者ともなかなかの実力派だと思う。愛華、大鳥とも結構見せてくれたし、お披露目とは思えぬ息の合い方だった。
−やっぱり花組が好き−
この公演で最高によかったのがやはりフィナーレ。20分にも見たぬ短い時間であるが、花組の魅力がこれでもかといわんばかりに織り込まれた部分だった。
このフィナーレに、僕は忘れていたものを思い出していた。去年の10月5日(真矢・千コンビの退団の日)までの花組に入れ込んでいる自分自身である。
久々に花組ファンの血が流れるのを感じていた。やっぱり僕は花組が好きだという思いを感じていた。
花月雪星宙、どの組もそれぞれの魅力があるけれども、花組の舞台は僕にとって最高の興奮を与えてくれる。その興奮を、このわずかな時間のフィナーレは感じさせてくれた。千ほさち退団後は、やや花組を応援する気はなれないでいたが、それを乗り越えて宝塚まで来た甲斐があった。
こんなフィナーレの演出を担当した三木章雄氏には感謝の限りである。
−何だかんだ言っても面白い−
複雑な感想になってしまったけれども、何だかんだ言っても面白い公演だと思う。見る方の気持ち一つで色々な見方ができる舞台など、そうあるものではない。しかし、「夜明けの序曲」はそれが可能な貴重な作品である。そういう意味では、「芸術祭大賞」作品なのかもしれない。
純粋に川上音二郎の夢に思いを馳せるもよし、登場人物の人間関係をあれこれ想像するもよし、植田芝居に怒るもよし(笑)、泣くもよし、脚本にツッコミを入れるもよし
(^^; 、ミーハーに走るもよし、様々な楽しみ方ができる。そして最後は花組らしいフィナーレで満足。
大劇場のチケットはまだ余裕があるし、1000daysもおそらく十分な量のチケットが供給されそうである。「真矢みきが辞めたから」、「植田作品だから」、「元旦のテレビ中継を見たから」などと引かずに、是非一度は観劇することをおすすめしたい。
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